第13話 転寝

 誰かの声が聞こえた気がして、目が覚めた。

 地の底から、世界を震わすような深く重い呻き声を。


 薄く開いた目に、飛び込んできた世界は明るい。もう朝なのかと一瞬思ったけれど、そうではないことにすぐに気が付く。

 晶は、机に突っ伏したまま眠っていたのだ。部屋の明かりも消さずに、勉強の途中で。


 寝るなら寝るで、ベッドに移動すればいいものを、そんなことすら律することのできない、自身がの不甲斐なさに溜息が出る。

 半端に、しかも不自然な体勢で眠ったせいで軋む体を起こして机の上の時計を見ると、その針は真夜中を過ぎたあたりを指していた。時間的には、大して長く眠ってもいなかったらしい。


 その時になって漸く、近くから鳴り続ける異音に意識が向く。携帯電話のバイブ音だ。人の呻き声に聞こえたのは、どうやらこの音であったのだろう。


 一向に止まる気配のないそれに、メールやメッセージなどではなく電話の着信であることは察せられた。のろのろと携帯に手を伸ばすと、ディスプレイにはよく知る幼馴染の名前が表示されている。ちょうど肝試しの最中であろう、タケルからの着信だ。


 晶はその名前に、ほとんど条件反射のように通話ボタンを押し、携帯を耳に当てた。当ててから、そういえばまだ裏口の鍵を開けていなかったことを思い出す。中に入れなくて、泣いている姿を一瞬思い浮かべ、さすがにそんな歳でもないかと、ひとり苦笑いを零した。


「もしもし」


 寝惚けた声でそう声をかけてしまったから、ワンテンポ遅れて、もしや面倒ごとでも起きたのではないかと、そんな考えが頭を過った。

 例えば女子連中がとうとう取っ組み合いの喧嘩をしただとか、またはこんな時間になってまで、しつこく合流しろと誘われるだとか、そんな内容ではないといいな、と。


「……もしもし、タケル?」


 覚醒しきっていない頭であれやこれやと予想しつつ、なかなか応答しない電話の向こうの名前を、確かめるように口にした。


 お山は電波が悪いせいか、たまにザザッと砂嵐のような雑音が混じる。けれど逆にそれは、電話が繋がっているという証拠で、それでも返ってこない返事に、訝しげに眉を寄せる。

 向こうからかけてきておいて、どういうことだ。


 もしかすると、ポケットの中で、間違ってリダイヤルか何かのボタンを押してしまったのだろうか。と、有り得そうな可能性に眉を寄せ始めた頃、漸く雑音の中から聞き覚えのある声が聞こえた。


「……ちゃ…………晶…ちゃん……」


 途切れ途切れに、晶の名を呼ぶそれは、遠くはあったが間違いなくタケルのものだった。


「もしもし。聞こえてる。どうした?」

「しよ……どうしよう……晶ちゃん……」


 ノイズの合間から聞こえるタケルの声は、心なしか強張っていて、その尋常ではない様子に、晶は首を傾げる。

 やはり、嫌な予感ほど、よく当たるものなのかも知れない。


「どうした? 何かあったのか?」

「化け物が……化け物が、現れて……っ、か、片倉さんと浅井さんの首が……首が、飛んで……」

「は?」


 唐突に聞こえた物騒な言葉に、一瞬、自分は何を聞き間違ったのかと、眉を顰める。

 しかし、それがどうやら聞き間違いではなく、確かにタケルの口から発せられた単語なのだということは、続く言葉で直ぐに理解した。


「殺される……っ、助けて、晶ちゃん……! 僕も、殺される……化け物に……っ、黒い、真っ黒な奴に……っ!」

「ちょ、ちょっと待てタケル! 落ち着け、お前、何を言って――」

「ごめん……ごめんなさい……晶ちゃんの言う通り、肝試しなんてするんじゃなかった……僕が、間違ってた……ごめんね、晶ちゃん……晶ちゃん……助けて……っ」


 電話越しでもわかる、涙混じりのタケルの声に、無意識に鼓動が速くなる。こんなふうに取り乱すタケルは、久しぶりだ。もっと子どもの頃には、何かあれば直ぐに、泣きながら謝ってきたものだったけれど。


 例えば、晶にひどく打たれたあの日も、タケルは泣きながら、謝っていた。


「……わかった。助けてやるから。お前、今どこにいるの?」


 忘れてしまいたい苦い記憶が脳裏を過ったその瞬間、気が付けば、晶は力強い声でそう答えていた。


 錯乱状態にある幼馴染の言葉の、果たしてどこまでが真実で、今彼らに何が起こっているのかはわからない。ただ、タケルの口から紡がれたあまりにも不穏な単語とただならぬ彼の様子から、何か不測の事態が起きていることは確かだろうと思えた。


 ならば、助けに行かなければならない。

 タケルのことを助けるのは、自分の役目なのだから。

 自分の役目に、したのだから。


「今……今は……たぶん、祠……」

「祠って……ひめ地蔵のか?」

「うん……小さい頃、隠れん坊でよく使ったとこ」


 その説明で、直ぐに相手の現在地を理解する。裏庭とも呼べるお山のこと、それも幼い頃に遊び場にしていた辺りなら、夜闇の中でも迷うことはないだろう。


「わかった。直ぐに行くから、そこでじっとしてろよ」

「う、うん……でも、晶ちゃんも来たら、危ないよ……」

「助けてって言ったのはどこのどいつだよ!」

「それは……」


 如何にも心もとなげな声で、それでも一応此方のことを気遣うような相手の言葉に、呆れて語調が強くなった。

 そんなことを言うなら、最初から電話などかけてくるなと思ったが、その気持ちをぐっと押し殺し、ともかくタケルを黙らせるべく携帯電話に向かって怒鳴りつける。


「いいからっ、お前はそこを動くなよ!」

「うん……うん、わかった……」


 吐き捨てるように指示をされても、タケルの返事にはどこか安堵したような色が滲んでいた。

 本当に、手のかかる幼馴染。ヘラヘラ、ふわふわとしているくせに、いやだからこそ、トラブルに巻き込まれやすく、その上自分ではそれを解決できない。


 一人っ子の晶にとって、ある意味でタケルは、弟のような存在だった。決して、あの日の後ろめたさのせいだけではなく、それよりもずっと昔から。


 一旦タケルとの通話を切って携帯電話をポケットに入れ、ぐるりと辺りを見回すと、部屋の隅に立てかけておいた稽古用の木刀を掴む。お山で今何が起こっているのかはイマイチわからないが、念のための武器は、持っているに越したことはないだろう。


 そして他にはろくに身支度も整えぬまま、転がるように家を出た。もう、とうに眠りについているだろう祖父母を起こさぬようそっと。けれども、幼馴染のために、出来るだけ素早く。

 晶は騒めく闇の中へ、自ら吸い込まれていった。


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