<第一章:殺戮階層ミナゴロシアム> 【05】


【05】


 右手を見られた。皮膚の全てを針で刺されたような痛み。同時に襲ってくる痒み。

 右腕が、肘まで“錆びていた”。

 俺は、錆山の一つに突っ込む。手に触れたのは制服だった。この錆は、見られた者の『なれの果て』だと確信する。

 早くしないと俺もそうなる。

 錆山を巻き上げ、誰かの制服で顔と露出した肌を隠す。

 俺は逃げた。全力で走って逃げた。呼吸を止め、何も考えないようして逃げた。考えた瞬間、体が竦み砕け散ると思った。死よりも恐ろしい恐怖に触れた時、人は悲鳴すら上げられないのだと知った。

 心臓を潰す勢いで駆けた。駆け抜けた。

「開けろ!」

『オープンセサミ』

 体当たりで扉を開ける。

 フォーセップに戻れた。

 呼吸を再開すると、心臓が裂けそうなくらい脈打つ。肺が痛い。滝のような汗が流れた。

「なっ? 言った通りだろ。根性ありそうな奴だから、絶対に戻ってくるって」

 やけに明るい声がした。

 制服姿の茶髪の男だ。後ろには、仲間が二人いた。

「なー兄ちゃん。鎌田のボイドと端末持ってるよな? 医療品を相当買いこんでいたけど、まだ金は残っているよな?」

「ぐっ」

 右肩に痛みと痒み。

 右腕全部の感覚がない。右脚の感覚もだ。錆が、全身に広がりつつある。

『汚染箇所を切断しないと生命活動に支障をきたします』

 コルバの警告は遅かった。

「あーそれもう無理無理。諦めた方がいいよ。てか、動けないっしょ」

 茶髪は、腰にポシェットを下げていた。勘だが、たぶんそこだと感じた。

 ポケットから、ハサミ男の端末を投げ捨てる。

「おっ、素直で―――――げぐっ!」

 茶髪の胸を剣で貫いた。心臓近くを抉る。

「なんでッ、動け」

「早速、一本使っちまったじゃねぇか」

 36番とかいう劇薬を首に一本打った。

 体が錆びて砕けた先から再生して、何とか動く。

「こいつ!」

 茶髪の仲間が何かボイドを構えようとして、鉄の翼で背後から胸を貫かれた。

「暗き神には触れてはいけません。心穏やかに、ただ時が過ぎ去るのを待ちましょう。良いですね? お二方」

 やばそうな女がいた。

 制服が、はち切れんばかりのグラマラス。大きな胸がシャツからこぼれている。人間性の見えない眠たげな笑顔。背に、巨大な、鉄の翼を生やしていた。

 女の翼に貫かれた二人は、鯉のように口をパクパクしていた。こんな状態でも、即死していないようだ。

 ボイドが震える。

 さっきの椅子ほどではないが、こいつもヤバイと警告している。

「これをどうぞ。差し上げます」

 女は一錠の薬を差し出す。

「なんだ? この錆を消せる薬か?」

「いいえ、楽に死ねる薬です。辛いのは嫌でしょう? 苦しいのは嫌でしょう? 死は唯一の救いです。死は人の美徳です。あなたの死を、私は抱擁と悦楽で迎えてさしあげますわ」

 アホらしい宗教の誘いだった。

「馬鹿野郎。辛くて苦しくて嫌なことが続くのが人生だろうが。だからこそ息継ぎした時に出会える綺麗なものを、心底美しいと思える。例えば、映画や、サブカルチャーや、女だ。それが生きてるってことだ」

 死にかけているからか、脳みそが無駄に動く。言葉が吐き出る。

「ですが、あなたはもう死にますよ? 苦しみながら、錆びて朽ちるのです」

「死ぬまで生きてやる。俺の邪魔をするな」

 錆が再生を上回る。口の中に鉄の味が広がる。

 焼け石に水でも、もう一本打つ。

「仕方ありませんね」

 人の突き刺さった翼が迫る。俺は剣で受け、簡単に吹っ飛んだ。

 踏ん張れない。こんな状態では全く勝ち目はない。ならば、また逃げる。

 奪った茶髪のポシェットを開けた。

 中には、ティーカップと誰かの端末。ティーカップの中には、“クルトン”が詰まっていた。

 翼の女が迫る。

 俺はクルトンを一粒手にして、できるだけ遠くに投げた。

 もう一粒を近くに捨て踏む。

 すると、俺は最初に投げたクルトンの場所に転移した。ほぼ勘だったが、このボイドは、この使い方で間違いない。

「あら、いけませんよ」

 女は飛んだ。

 鉄の翼で、燕を思わせる飛翔をした。

「いっ」

 クルトンで転移しなかったら、翼に両断されていた。

 次の準備を、駄目だ。間に合わない。女はもう目の前に――――――――


「喝ッッ!」


 空間を震わせる声。

 俺と女の間に、坊主のコスプレをしたゴリラが降り立つ。巨大な翼を、巨大な腕で受け止めている。

「あのうどん、たまに“当たり”が入っておってな。拙僧が食べたのは、かしわ大盛りの大当たりであった。故に、一度だけ手を貸そう」

「そいつはどうも」

「と言うのは、建前。本当は、この翼だけは捨ておけんのだ。全く忌まわしき残光め」

 坊主は、戦車でも蹴とばせそうな前蹴りで、女を壁まで吹き飛ばした。

 だが、女は平然と壁から出てきた。

「さあ、行け! 見たところ重症であるが、お主なら何とかするだろう!」

「飛龍だ」

「応、飛龍。ここは拙僧に任せよ」

 その台詞、俺も言ってみたい。

 クルトンを投げて、潰して、転移する。遠くでは、女と坊主が戦っていた。

 部屋だ。

 何とか部屋にたどり着いて、錆を全て切除してもう一度薬を打つ。それしか助かる方法はない。

 何回もクルトンで転移する。

 一個わかったのは、転移場所の空間には、余裕がないと転移できないことだ。

『提案します』

「なんだ?」

 コルバが急に話しかけてきた。

『一つ、生存方法があります』

「教えてくれ」

『カヌチ・キヌカに、ボイドを使用させましょう。当社は、あのボイドの観測データを求めています』

「聞いてみる」

『子犬のように懇願してください。使用確率が上昇します』

「うるさい黙れ」

 この、この? そういえば、コルバってなんだ? 使い方を倣って疑問なく使用していたが、AI的なアレなのか? それともオペレーターがいるのか? いや、そんなことはどうでもいい。

 部屋に到着した。

 ノックしようとしたら、先に開けられた。

「嘘、どういう状態?」

 下着姿のキヌカがいた。こんな状況なのに興奮してしまう。たぶん、死に瀕して子孫を残そうとするオスとしての本能だろう。

「キヌカ。すまん。死にかけている。なんか、お前のボイドで助」

 俺の意識は、そこで途絶えた。

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