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千鶴の目隠しを口元まで引き下げる。彼女は体をこわばらせて声を張り上げようとするが、擲弾が押し込められた口からはくぐもった呻きが漏れるばかりだ。
鑑を見る。彼はついに無表情を取り繕うのも忘れてこちらへ走ってきた。喪失への恐怖が顔のあちこちに深い皺をつくり、目を大きく見開かせている。この表情は一生脳裏に焼き付きそうだ。
鑑の行動は予想通りだった。たとえ望みが薄くても、彼は千鶴を救おうとするはずだと分かっていた。行動は常に合理性を伴うわけではない。他者の命や絆といった量で表せない価値の前では、どのような理屈も無力だ。
爆発まであと数秒──凪は千鶴から手を離し、背にしていた焼却炉の裏へ飛び退いた。万が一鑑が間に合って擲弾を投げ返してくる場合のことを考え、さらに森の奥深くまで、ほとんど何も見えない闇を転がるように進む。
そこかしこに生える木々に行く手を遮られ、背の低い植物に足を取られる。ぬかるみにはまったように、なかなか前へ進めない。まるであの場から逃げることを許されていないようだ。
不意に慟哭のような叫びが耳を劈いた。背筋がぞくりとし、体の動きが一瞬止まる。
直後、一瞬の閃光が木々の肌を照らした。轟音がビリビリと闇夜に響き渡る。
骨を震わせた音の余韻は辺りが静寂を取り戻してからもしばらく耳に残った。ふわつくような感覚をやり過ごしつつ、足早に焼却炉の位置へ戻る。
黒い木々のシルエットに囲まれた満天の星。
その下に寝そべる、二つの体。
顔が吹き飛んだ千鶴の横で鑑が仰向けに倒れている。彼の体は放射状に広がった血溜まりの中に溶け合い、輪郭を失っていた。右半身を大きく損傷したようだが、体のどこまでが無事でどこからが無くなっているのか、少し見ただけではよく分からない。
鑑の真っ赤な顔がこちらを向く。まだ生きているようだ。何か言いたそうにこちらをじっと見ているが、口元は動かない。そもそも口と呼べるものがどれだけ残っているのかも分からないほどに、顔が損壊している。
無力に寝そべり、ただ死を待つ、くりくりと光るふたつの目玉。
彼はきっと焼けそうなほど強い思いの中にいることだろう。しかしどれほど憎しみの感情を燃やそうとも、もうそれを表情によって示すことすらできない。その姿は、見ていられないほどに哀れっぽい。
「……鑑さんは鑑さんの物語を生きなければいけなかった。同じように、僕は僕の物語を生きなければいけない。僕たちは互いに互いの正義があり、それに背くことができない事情があった」
言い訳のような言葉が口を衝く。もう何も話せない鑑へただ一方的に語りかけている自分に気づき、ぐっと口を噤む。
──本当に、彼とこんな形で出会いたくなかった。
彼の眉間に銃口を向ける。鑑はそれに反応することもなく、ただじっとこちらの目を見続けている。
「……先に休んでいてください。お疲れさまでした」
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