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空中で全身に風を受けながら思う──マナと出会ってからこんなことばかりだ。
彼女が腕の中から零れ落ちそうになり、慌てて強く抱き寄せる。
支えを失い、自らの意思を離れて回転する体。山々の尾根がフレームアウトし、視界いっぱいに青空が広がる。
太陽が眩しい。
屋根に衝突する瞬間はスローモーションだった。
背中に走る衝撃。痛みはよく分からない。折り重なるように連続した破断音の中で、体がさらに下へ落ちていく。屋根が割れたようだ。
夢中でマナを胸に抱きしめる。割れた木材や錆びたトタン板と共に、暗い空間へ沈んでいく。崩れた天井の向こうに空が見えた。その歪な裂け目の形もたちまち遠ざかり、小さくなっていく。
再び背中に衝撃が走る。肺の空気が無理やり押し出され、ガともグとも言えない声が喉から漏れた。辺りにガラガラと破片の散らばる音が響き、埃が舞い上がる。
少し遅れて、やっと全身に痛みを感じた。とにかくどこもかしこも痛い。自分の体のどこが無事で、どこを怪我しているのかよく分からない。
でも、意識はある。どうやら死ななかったらしい。
「……マナ、大丈夫?」
「……無茶しすぎ」胸に抱いたアイボリーの髪から呆れ声が返ってきた。どうやら無事のようだ。
よかった──そう思ったのも束の間、発砲音と共に屋根が割れて木材が降ってきた。
「やば!」
マナと二人であたふたと転がりながらそれを避け、追い立てられるようにして壁際に立つ。手にドアノブが触れ、そこが部屋の出口だと気づく。
「ここにいたら撃たれる。移動しよう」凪はドアを開けた。
マナがこくりと頷いて部屋を出ていく。その背中を追いかける。
出た先は手すりのない階段になっていた。どうやらここは二階らしい。
彼女が下へ降りようとする。直後、踏み板がギシッと嫌な音をたてて軋んだ。
「うわ……」マナが声を漏らす。その不安はもっともだ。
階段を注視する。木造だ。一部に広いシミができている。腐っているのだろうか。そもそもこの建物全体が大分劣化している。雨漏りによる腐食があってもおかしくはなさそうだ。
「僕が先に行くよ」
「でも……」
マナが言葉を返す前に階段へ近寄り、右足を置く。
ゆっくりと重心を移動させる。踏み込んだ場所が少し沈み、どこかがギッと音を立てた。
やがて体重が全て右足に乗る。崩れない。とりあえずは大丈夫そうだ。
一歩一歩足を進める。あまりゆっくりはしていられない。中ほどまで進んだ所で降りるペースを早め、そのまま無事に一階へ辿り着いた。
「大丈夫そう。マナも降りてきて」
マナは口を固く結んで肩を強張らせ、手を胸の前で握りながらそろりと足を踏み出した。
一歩、また一歩と進むたび、板がみしみしと不穏に軋む。
三歩目を踏み出した時、突然何かがバキッと鳴った。
「イヤ!! うわああああ」
マナは音に驚いて前に飛び上がり、その勢いを殺せぬままドタドタと駆け下りてきた。
「うわ!」
彼女の体が胸に飛び込んでくる。凪は少し後ろによろけた。
「あっぶな! 大丈夫?」
「心臓止まるかと思った……もともと無いけど」マナはぜいぜいと肩を上下させている。
「平気そうだね」
会話の直後、二階からドスンと音がした。
「来た」その音の重さから、先程の男だと直感した。
すぐさま手近なドアを開いて移動する。
積まれた角材や工具、丸椅子、動きそうもない錆びたトラックなどが目に入った。ガレージのようだ。シャッターなどは無く、正面に鬱蒼とした森が見えている。
このまま逃げるか、戦うか── 一度落ち着き、考えを巡らせる。
この辺りの道は傾斜地に這っているため行き止まりが多い。土地勘がない状態で逃げ回り続けていても、また先程のように追い詰められるかもしれない。
建物の出口はこのガレージに繋がる場所だけだ。相手は恐らくここへ出てくるだろう。待ち伏せすれば不意を突けるかもしれない。
「……この場所で奴を食い止める。君は一度できるだけ遠くまで逃げて」
「何言ってるの!? やだよ!」
マナは予想通りの反応を見せた。あまり説得には時間を使っていられない。
「悪いけど、君を庇いながらだと動きづらい。このままじゃ共倒れだ」
「そんな……私は守ってくれなんて思ってない……囮にでもなんでも使ってよ。こんな体、もうどうなったって惜しくない。捨て駒としてなら使い道なんていくらでもあるでしょ?」
「無理だよ。君をそんなふうに使えない」
大切な人を見捨てるあの瞬間をもう一度体験するなんて耐えられない。
そんな思いをよそに、マナが袖に
「私にそこまで大切にされるほどの価値なんてない……お願い、どんな危ないことだってするから、そばに居させて……」
今の僕にとっては君が何よりも大切だ──そんな言葉を飲み込む。
対話をしている時間的余裕はない。今必要なのは彼女を突き放し、ただ命令することだ。
「しつこい。はっきり言う。邪魔だよ」
「……私の気持ちはどうでもいいわけ?」
「ああ、どうでもいいね」
目は合わせない。取り付く島を与えてはいけない。
手近な角材を掴み、素振りをして具合を確かめる。
「早く行って。あいつが来る」
「凪くん。こっちを見て」
マナの声は先程までと対照的に、淡々とした印象だった。感情的に声を荒らげられるよりもよほど怒りが伝わってくる。
胸が詰まる思いを隠しつつ振り返る。その瞬間、彼女はこちらの頬を掴んで顔を近づけてきた。
唇に柔らかいものが触れ、すぐに生暖かい感触が口の中に侵入してくる。
少しも色っぽくない。もとより二人の間でのこの行為は、官能をくすぐることが目的ではない。凪は彼女の意図をすぐに理解した。
飲み物を一口だけ飲むような、短い接触。その後で、マナが冷たく微笑む。
「これが私」彼女は口元を親指で拭いながら言った。「すごく嫌な気分でしょ」
「慣れたよ」
「嘘」
「そんなことしたって僕の気は変わらない。さっさと逃げて」
彼女は悔しそうにその表情を歪め、視線を逸らす。
「……分かった」
その言葉のあと、諦めたように背を向けて少し立ち止まった。
「絶対に死なないで。今日のことも、また二人で笑い飛ばすんだから」
彼女はそう言い残し、ガレージを出ていった。
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