#13 「煉獄の花嫁」

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 三度の乗り換えの末、最後に乗った電車はガラガラだった。初めのうちはちらほらと乗客がいたものの、やがてみんな降りてしまい、凪はマナと二人きりになった。


 目的地の駅が近づくにつれて窓の外に緑が増えていく。そのうち両サイドの窓際まで鬱蒼とした林が接近してきた。いつの間にか単線の区間に入っていたようだ。

 密度の濃い雑木林の中を進んで小さなトンネルに入り、それを抜けてまた雑木林に出る──そんな景色がしばらく繰り返された。


 二人きりになってしばらく経ち、もう人は乗ってこないだろうという雰囲気になったところで、隣に座っていたマナがブーツに手をかけ始めた。


「何? もぞもぞして」

「ちょっと恥ずかしいけど、ちゃんと景色が見たくて」マナが靴を脱ぎながら答える。


 彼女はそのまま座席の上に膝立ちになり、窓に手を当てて外の景色を見始めた。子供みたいな行動に、思わず笑ってしまう。


「楽しい?」

「うん」


 彼女は折り重なる緑に弱められた夏の日差しを顔に浴びて、目を細めながら無邪気に微笑んでいる。


「凪くんは写真とかいいの? 電柱がいっぱいあるよ」


 マナはちらりと横目でこちらを見て、またすぐに窓の外へ視線を移した。


「いいよ。撮っても見ないし」


 そう言った直後、雑木林を抜けた車両の窓から光が溢れた。

 彼女の細部がぼやけて輝きに溶け込む。すぐに目が慣れ、眩しそうに目を細める彼女の横顔が鮮明になる。

 その輪郭は日差しを透過しているように柔らかく見えた。白い光を浴びた硝子細工のような彼女は、綺麗で、あやふやで、今にも消えてしまいそうだった。


──いっそこの電車が、駅に着かずいつまでも走り続けていればいいのに。


「遠くまでずっと山ばっかり。あれ? 携帯持ってどうしたの?」


 マナがこちらを向いてしまった。ずっと窓の外を見続けていてほしかったのに。


「やっぱり一枚だけ写真撮ろうと思ってさ。気にしないで」


     *


 屋根のない駅。凪はそのホームに降り立った時、緑の香りを強く感じた。都心よりも大分涼しい。標高が高いからだろうか。


「すごい……無人駅だ。hIEすらいない」

「ここ、本当に東京?」


 その駅は切り立った山の斜面に位置していた。久々に見る自然風景の情報量に、都会の人工的な景色に慣れた目がただただ圧倒される。こんなに大きな風景に取り囲まれるのは、久しぶりだ。

 肩の高さほどのフェンスの向こうに緑の山々が見えた。山肌には生物的な存在感があり、まるで巨人を前にしているかのような、神性にも似た趣があった。


 フェンスに近寄って下を覗き込む。急傾斜な土地の上で、朽ちたバラックの屋根が無造作にひしめき合っている。その合間を縫ってコンクリートのスロープや階段、細い道が這っているが、見渡す限り誰も歩いていない。そんな抜け殻のような景色を、周りの自然がゆっくり飲み込もうとしている。


「……なんか、夏って感じ」


 木々から溢れ出した命の香りの中で、凪はそう感じた。


「はは、なにそれ」


 マナに笑顔でばっさりと切られてしまった。段々と扱いが雑になってきている気がする。

 それはそれとして、出口はどこだろう──辺りを見回す。周囲にあるもの言えば寂れた小さな駅舎に待合室、それにトイレぐらいだ。


「どうやって出るんだろ……あぁあれか」


 乗り場の端まで見渡して、ようやく簡易的な改札機を見つけた。通行を制限するドアなどは無く、ICチップの読み取り機がぽつんとあるだけだ。その先は緩やかなスロープで、シームレスに隣接する道へと繋がっている。

 ……これでいいのか?──凪は改札機に近寄って携帯端末をかざした。機械がポンという小さな音を返し、運賃を小さく表示する。金額は凪の分と、荷物としてのマナの分の合計だ。


「よし、じゃあ行こうか。とりあえずこの道を右かな」


 道の先を確認する。ほとんど崖のような急斜面に長い階段が設置されており、その先に朽ちたバラックがひしめいている。


「うん、少し下った先に教会があって、そこでいつも誰かが待ってるって」


 現実に誰かがいて待っているということではない。〝ヒギンズの箱庭〟内の廃教会で、窓口となる人物が待機しているという意味だ。


 ヒギンズの箱庭──それは、行動管理クラウドの制御主体である超高度AI〝ヒギンズ〟が、hIEの制御のためにその脳内に作り出すこの世界のシミュレーションのことだ。

 ヒギンズは行動管理クラウドに繋がるセンサーから得たあらゆる情報を使って、現実世界のありさまを忠実にその箱庭の中で再現する。そして、そこにhIEを仮想配置して動かすことで、現実世界のhIEの適切な行動を決定している。


 マナは現実世界の体とは別に、〝ヒギンズの箱庭〟内を自由に動き回ることが可能なもう一つの体を持っている。


 これから接触しようとしているのはマナと同じ仕組みの制御系を持った人々の集団だ。その中にはマナと同様に〝ヒギンズの箱庭〟にも体を持つ者がいる。目的地の廃教会には、そのような人物が集団の窓口として待機しているというわけだ──ただし現実世界ではなく、〝ヒギンズの箱庭〟に。


 凪の頭に一つの疑問が浮かぶ。


「君の仲間たちがわざわざ箱庭の中だけに窓口を置くのはどうしてなんだろう」


「あの人たちも私たちと同じように、この制御系がこれ以上生産されないようにすることを目的として動いてる」マナは自身の頭を指差す。「身を隠しながら効率よく仲間を見つけるには、こうするのが合理的なんだと思う」


 なるほど──凪はその言葉に納得しつつ、彼女のこれまでの行動について、あることが気になった。


「もしその仲間たちの存在がなかったら……やっぱり、君は僕と居てくれなかったのかな」


 別にこの質問の答えがどうであれ、彼女への接し方が変わるわけではないが。


「そうだね。目的が果たせなくなっちゃうから。その場合はトランクルームに戻って晴香ちゃんの力になることを選んだと思う」


 マナは淡々とそう言い切った。

 まあそうだろうな──凪はその冷たい言い方に少し寂しさを覚えた。一方で、彼女が身命を賭して達成しようとしていた目的を奪わなくてよかったと、どこか安心する。


 そんなやり取りの後で、凪とマナはひしめくバラックの屋根を横目に見ながら、切り立った斜面に作られた細い階段を下った。

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