第125話 痛恨

1945年6月6日 昼


「『天城』取り舵!」


 「酒匂」の射撃指揮所に報告が飛び込み、西も「天城」の動きを注視した。全長227.35メートル、基準排水量20100トンという重巡を遙かに凌駕する艦体を持つ巨艦が敵の攻撃を回避すべく、回避運動を開始したのだ。


 「酒匂」の左後方の海面で、空気を震撼させるような巨大な砲声が轟いた。輪形陣の左を固めていた戦艦「武蔵」「榛名」が三式弾を発射したのだ。


 三式弾を放ったのは「武蔵」「榛名」だけではない。「大和」「長門」「陸奥」といった他の戦艦を思い思いの目標に向かって、各々主砲を放っている。


 敵編隊の頭上に突如爆炎が湧き出し、無数の焼夷榴散弾が敵機を包み込む。その網に掛かった敵4機が墜落し、2機が大きく高度を落とす。敵機が散開した後の三式弾の命中率は非常に低いものだが、1発が有効弾になったのだろう。


「敵機投弾直前!」


「落とせ! 1機でも落とせ!」


 見張り員の報告に対して、西は怒鳴った。西の怒鳴り声には「空母1隻守り切ることが出来なくて、何が防空艦か」といった思いが籠もっているように感じられた。


 「酒匂」は艦上一杯に発射炎を閃かせて、「天城」の頭上に高角砲弾、機銃弾の傘を差し掛け、敵1機が更に投弾コースから離れ、高度を落とす。


 「天城」も自らを守るべく、高角砲を撃ちまくりながら回頭する。


 ヘルダイバー特有のダイブ・ブレーキ音が「天城」「酒匂」の艦上に聞こえ始めた所で「天城」の左右両舷から多数の発射炎が閃き、おびただしい数の火箭が急降下してくるヘルダイバーに向かって突き上がり始めた。


 ハリネズミのように装備された25ミリ3連装機銃の火箭に搦め捕られたヘルダイバーが1機、また1機を火を噴いてよろめく。


 決死の対空戦闘を行う「酒匂」「天城」ではあったが、10機以上のヘルダイバーを防ぎきることは出来なかった。


 7機乃至8機のヘルダイバーが一斉に身を翻して、「天城」の後方にすり抜けていく。


 数秒後、多数の水柱が「天城」を包み込み、周囲の視界を遮る。


「ちくしょう!」


 西は罵声を漏らした。


 水柱を突き抜けてきた「天城」は艦の前部と後部に一カ所ずつ火災炎を噴き出していた。「天城」は直撃弾2発を喰らってしまったのだろう。祥龍型に類別される「天城」が爆弾2発の命中で沈没に至ることはないが、「天城」は発着艦不能になったのは確実だった。


「『瑞鶴』被弾しています! 火災発生!」


 「天城」の被弾と時を同じくして2航戦の「瑞鶴」も艦首に1発、艦の後部に2発の直撃弾を喰らっていた。被弾した爆弾の内1発が飛行甲板を貫通して格納庫内で炸裂してしまったため、火災の規模は「天城」よりも酷いものだった。


「敵雷撃機低空より接近します。機数10機以上!!」


 2発の被弾によって苦悶にのた打つ「天城」に止めを刺すべく、グラマンTBF――「アベンジャー」、日本海軍の天山艦攻のライバルとも言える機体が「天城」を肉迫にしてきている。


 「酒匂」がアベンジャーの動きに対応するよりも早く、「武蔵」が動いた。3基9門の主砲が斉射を放ち、世界最大の46センチ砲弾をアベンジャーに叩きつける。


 46センチ砲弾がアベンジャーを搦め捕ることは無かったが、着弾時の水柱に呑み込まれたアベンジャー2機が海面に叩きつけられる。


 戦艦の主砲弾による戦果はそれだけだ。主砲弾は発射間隔が40秒から50秒位なので高速起動する航空機にはせいぜい一斉射しかできないのだ。


「射撃開始!」


 西が再び下令し、「酒匂」の連装高角砲が射撃を再開し、矢継ぎ早に砲弾を叩き込む。アベンジャー群と「酒匂」との距離が近いということもあって機銃群も射撃を開始する。


 高角砲弾・機銃弾がアベンジャーに到達する前にアベンジャーが2隊に分かれた。「天城」を挟撃しようとしているのだろう。


 海面付近を突撃するアベンジャーの周囲に弾着の水柱が上がり、頭上や左右に爆煙が上がる。コックピットをうち砕かれたアベンジャーが海面に突っ込み、高角砲弾が直撃したアベンジャーが跡形も無く消し飛ぶ。


 「天城」の対空射撃も戦果を上げ、敵1機を叩き墜とす。


 これで、落としたアベンジャーは3機となり突撃してきたアベンジャーの4分の1をもぎ取った。しかし同時に「天城」「酒匂」に出来る抵抗もそこまでだった。


 9機のアベンジャーが投雷し、速力を全く緩めることなく離脱した。


 急速転回する「天城」に追いすがるように多数の雷跡が迫り、その一部が「天城」の艦体に吸い込まれた。


「いかん・・・!!」


 その光景を見た西は絶句し、次の瞬間起こるであろう破局を予測した。


 艦首付近に1本、艦橋直下に1本、左舷後部に1本、艦尾の舵付近に1本、合計4本。戦艦改装の「赤城」や「山城」ならともかく、戦時量産型空母の「天城」には到底耐えきることのできない衝撃であった。


 艦に空いた4カ所の大穴からは既に大量の浸水が始まっており、その動きは完全に停止していた。艦そのものも海水の重みによって徐々に沈下しつつあり、「天城」の生還が絶望的だということは誰の目から見ても明らかであった。


「『天城』沈みます!」


 その報告が西が陣取っている「酒匂」の射撃指揮所に飛び込んできたのは僅か5分後のことであった。

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