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 3年ぶりの港には観光協会が設けたという売店があった。見覚えのない魚のゆるキャラが並び、船を下りた乗客たちを明るく迎えてくれる。どうやら、3年で地元民しか立ち寄らない港が観光地へと様変わりしたらしい。

 売店の端には観光組合の組合庁舎を背にした初代組合員の集合写真が飾られていた。建物にも組合員たちの顔にも見覚えがあって変化は予想がついた。

 彼らは僕を覚えているかもしれない。組合庁舎に顔を出せば歓迎されるだろう。けれども、すぐに組合に向かうか心は決まらなかった。

 売店を出ると、組合員とは別の見知った顔に遭遇した。相変わらずサイズオーバーの白衣を着ているが、以前にあったときよりも白衣がフィットしているように見える。無精ひげで隠れた顔の輪郭も丸く、あの頃に比べると健康的だ。先方も僕が誰かわかったらしい。丸くなった輪郭を緩ませて駆け寄ってきた。

「久しぶりだね。覚えているかい?」

 片間先生のことを忘れるはずがない。僕が生きているのは彼のおかげだ。

「命の恩人というなら漁に出ていた高大和さんたちだ。まず助からないって説明をする医者に、漁師たちがやってみなけりゃわからないと突っかかったんだから」

「あのとき皆さんが見つけてくれなければ僕はここにいませんから」

「…そうか。君がそう言うなら気持ちは受け取っておくよ」

 片間は港から北に見える少し出っ張った岬を眺めていた。岬の先端、切り立った崖の下は、潮の流れが急であるため、島民の立ち入りは禁じられている。船で近づくことも願い下げだという話は、3年前に漁師たちに助けられたときに聴いた。

 片間によれば、3年前から立入禁止区域は広がり、岬に向かう道は全て潰されたという。あの日みたいに近寄っても、岬へは入れないよ。片間は冗談交じりに、そして目だけは決して笑わずにそう言った。

「九條先生は亡くなったのですし、僕には岬に行く理由はありません」

 それは、僕の嘘偽りない本心だ。3年前から変わらない。片間は僕の答えを聞いて、大きなため息をついた。どうやら、彼は港に用事があったわけでなく、純粋に僕を探しに来たらしい。肩の力が抜けて、帰りはふらふらと左右によたつくように歩いていった。港の出入口に止めた車から女性が現れて、片間に何かを呼び掛けている。3年前は1人の診療所だったが、同僚、あるいは部下ができたようだった。


 時間は全てを変えてくれる。それを良いと取るか悪いと取るかは自分次第だ。


 九條の語った言葉の一つだ。確かにたった3年で多くのことが変わった。僕は概ね、その変化を受け入れることができている。だからこそ、3年の時間が変えられなかった唯一の出来事、それと向き合うために島まで戻ってきた。


*****


 3年前、九條心咲という女性が命を落とした。7月24日の18時ころ、暴風雨の中、立入禁止区域の岬から飛び降り海に呑まれた。彼女の遺体は4日後の今日。7月28日に発見されたことから、彼女の命日は7月28日とされている。

 九條が岬から飛び降りた際、救助のために一人の青年が彼女の後を追った。九條の勤め先のラジオ局に残した青年のメモ書きが、島民に二人が立入禁止区域に入ったことを知らせ、彼がライフジャケットの胸元に閉まった携帯のGPSが二人が海に落ちて流されていることを突き止めた。

 しかし、救助に出た漁船4隻が発見できたのは青年だけで、九條を見つけることは叶わなかった。


 青年の証言によれば、九條は岬の果てでしか聴けないラジオ番組があると狂言を述べ、自ら海へと飛び込んだ。たとえ番組を聴けたとしても戻ってこられなければ意味はないだろう。九條は青年の的外れな助言を真に受けて、飛び降りる前に青年が渡したライフジャケットを身に着けていたという。

 九條の話すラジオ番組についてはその存否が明らかではない。青年曰く、事故の二週間前、彼が九條と出逢った時から、彼女はその番組の存在を訴えていた。青年はそれはありえないと何度も説明をしたらしい。

 だが、九條は青年の言葉に耳を貸さず、青年が番組を否定するほど、番組を彼に聴かせることに躍起になった。だから、7月28日、雨が強くなり始めた頃合いに九條が岬に連れていくと言い出したとき、彼はこれ以上彼女を止める術がないと諦めた。

 せめて、生き残る確率を上げるため、彼はネットで調べた知識を基にライフジャケットを持ち出し、防水パックに携帯電話を詰めた。だが、岬から飛び降りる寸前、九條心咲は、彼を裏切った。彼女は懐に忍ばせたサバイバルナイフで自分のライフジャケットを切り裂いて、青年の前で笑ったという。


 ざまあみろ。


 彼女が落ちる前に口にした言葉が、誰に突き付けられたものかは知る術がない。島民たちは、青年の話を聴き、九條心咲は壊れてしまったのだと結論付けた。そして、九條の真意も、彼女が語ったラジオのことも探られることなく遺体は弔われ、3年の月日が流れた。

 この3年間、集合墓地に埋葬された彼女の下を訪れた者は誰もいないという。


*****


 九條の埋葬された集合墓地は、生前の彼女が好んで訪れていた島の中腹の丘にあった。墓地の敷地の端からは、西に広がる港と町、そして立入禁止区域の森と岬を眺められる。3年前は、こんなところに墓地があると気付かなかった。当時の僕は、九條心咲を追いかけることに必死で、ほかの何も見えていなかったのかもしれない。

 

 九條心咲は放送作家だった。彼女の書く作品は全て、昔ながらの怪談を題材にした恋愛モノだ。競合相手が少なかったからか、少ない作品数ながらに、名は知られている。もう数年、活動が続けば有名な放送作家になったと思う。

 ところが、九條はある時期を境に、業界から姿を消した。失踪した理由も、どこに行ったのかも業界内で知る者はいなかった。

 面白い脚本を書く人だと思ったし、彼女が時折使う「過去はやり直せないが、今日に留まる必要もない」という言葉は印象的だった。業界内にいるのだから、一度どこかで会ってみたいと思っていたが、夢が叶う前に彼女は姿を消してしまった。

 だからこそ、偶然にも離島のラジオ番組で九條心咲の名を聴いた時には胸が高鳴った。ポットキャストで見つけたローカル局のラジオで流れるラジオドラマ。そのクレジットを聴いた直後、僕はラジオ局に手紙を書き、翌日にはこの島に渡っていた。

 九條は島では異端児として扱われていた。そもそも、この島のコミュニティラジオは島民向けの気象情報、ニュース、漁に出ている人々の気晴らしのための音楽を流していたものだ。それが突然ドラマ仕立ての番組を定期的に流すようになったのだから、島民も困惑したのだ。

 しょっちゅう変わった番組が流れると嘆く者、島にもそれらしいメディアができてうれしいと喜ぶ者、あるいは九條の名を聴いて僕のような訪問者が来ることに期待する者。島に滞在した3週間、僕は九條の番組に対する島民の様々な感情を聴いた。

 けれども、誰一人、九條心咲自身について語る者はいなかった。僕自身もそうだ。憧れの脚本家が目の前にいる。そのことだけに舞い上がって、彼女の前では今まで聴いた作品の感想や、他局の番組の話しかしなかったし、毎夕、彼女が海岸線に何を探しているのか尋ねたこともなかった。


 結果として、僕は九條の死ぬ間際、最も近くにいた人間であるにも関わらず、彼女が死んだ理由について何一つ語ることができないでいる。


 九條心咲は壊れていた。


 島民たちの彼女に対する評価を覆すための言葉を持たなかった僕は、事故の直後、逃げるようにして島を出た。

 3年が経ち、僕は彼女が見ていた景色と同じ場所に立っている。

 島の様子は大きく変わったし、僕自身も随分と変わった。

 もっとも、島が変わったのは彼らが生きるためで、僕が変わったのは彼女の言葉の真意を知るためだ。

 九條の後を追い、九條と同じ経験を積めば、彼女がここで聴いていた番組が聴けるかもしれない。

 告白しよう、僕は岬の果てで九條に吐き捨てられた言葉に、彼女を追って飛び降りた海で聴いた謎の声に囚われて生きてきた。


 彼女が唯一僕に模倣させなかった体験。、僕は今日、この島にいる。


 当時、九條が使っていたのと同じ携帯ラジオを手に取る。彼女が常に聴いていた、ノイズしか聞こえてこない周波数。


――何の変哲もない番組なのよ。けれども、それは聴いた人の魂に刻まれるの。他の誰に向けられたものでもない、私だけ、君だけに作られた番組。そんなものが聴けるなら、すごいと思わない?

 大切なのは番組の質ではなくて番組を聴いた体験なの。それだけは誰にも奪われることがない。もちろん、君にだって。

 私が知らないとでも思っていたの? 


 7月28日。僕を岬に連れ出す前に吐き出すようにまくしたてた彼女の姿を目に浮かべる。島で九條に会った時から、そのリスクは承知していた。けれども、彼女の僕に対する接し方に警戒がないから油断していた。

 九條は知っていたのだ。僕が、もう一人の放送作家九條心咲、彼女が業界から消えた理由そのものだということを。

 彼女は岬の先、僕が体験できない場所に逃げだした。


 九條の言葉の全てを思い出すことはできない。それでも、耳を澄ませば聞こえてくるという確信がある。彼女と一緒に落ちたとき、僕は確かに彼女の番組を聴いたはずなのだ。番組を覚えていないのは、僕があの時、彼女ではなかったからだ。

 目を閉じて、九條心咲をなぞった3年間を思い出す。

 今度は大丈夫。放送作家、九條心咲とは、私のことなのだから。


――TO F  を   全国  で不定 放 中。ミイ  宵の越 ラジオ。皆さん 宵の憂鬱を     案内人、  です。


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