第四話 夢とほこらと日本刀、ときどき生け贄

 悪夢を見ている。

 見慣れた悪夢だ。


 血の滝がしたたる崖の上を、三本足の鳥が飛んでいる。

 あたしの目の前には、〝うつくしい〟彼女がいた。


 ひさしぶりだね、夢唯子ゆいこさん。


「ええ、お久しぶり。目が覚めれば精神世界ここでのことなんてほとんど覚えていないでしょうに、あなたは本当に素敵だわ」


 それはずいぶんと買いかぶられたものだけど。

 で? 今回は、なんの用事?


「あら、つれない。けれど確かに、この前置きは些事さじ。あなた、いつか私に切った啖呵たんかを覚えていますか?」


 啖呵?


「〝やりたいこと〟と――」


 ……〝やるべきこと〟が重なるとき、ひとは世界の中心に立つ。


「いま、そのときが来ているのよ。けれど、今回の主役はあなたではない。あなたではないからこそ――あなたは慎重しんちょうに選ばなくてはならない」


 どういうこと?


「この場所は神と並ぶものどもの領地りょうちあらぶるものが眠るつい住処すみか。それがわかっているから、櫟木いちぎは土地を確保して住民を追い出したいし……あと、〝あいつ〟は馬鹿正直に封印をまっとうさせようとしている」


 あいつ?


「すぐに解るわ。大事なのは、あなたには間違いなく、選択の時が来るということ。でも、どうか気軽に構えて頂戴ちょうだい架城かじょう日華にっか、だってあなたは――」


 きっと、今回だけは、世界を救う主人公ではないのだから。


 虹色の〝うつくしい〟なにものかは、そう告げて。


 鳥が、鳴いた。

 眼が、める。



§§



「――――」


 翌朝、練習場に行ってみると、蒼次郞そうじろうさんがほうけた顔をさらしていた。

 覇気はきがない……というか、陶然とうぜんとして、目の前の景色を認識できていないという感じだった。

 彼の視線の先には、舞台の上で踊る少女がいた。


 昨日出会った美少女――辰美たつみさんだ。


「ずっとあの調子ですよ」


 休憩から戻ってきたと思われる藍奈が、横から耳打ちしてきた。

 彼女は汗をぬぐいながら、辰美さんと蒼次郞さんを順番に指差し。


ホの字・・・というやつでしょう」


 と、ずいぶん浮ついた言葉を口にする。

 頭の中でしばらく咀嚼そしゃくして、自分のおつむでは考えるだけ無駄だと判断した。恋愛は解らない。

 蒼次郞さんに歩み寄り、声をかける。


「蒼次郞さん」

「――――」

「蒼次郞さん?」

「――……おう!? なんだ、突然!?」


 あー。

 これは重傷だ。


「あの子――辰美さんのこと、どう思う?」

「どう思うかだと!?」

「いや……そんな初々ういういしい反応は求めてないんだけど……〝雨の恵み〟は、彼女をどうするつもりなの?」

「……どうもしねーよ。つーか、どうもさせねぇ。おれが、絶対にだ」


 なるほど。

 それなら、あたしがいろいろ考える必要はないか。


「逆に、どうしておまえは、おれにそんなことを聞くんだ。ただのバイトのくせに」

「ただのバイトを三千万でやとうの?」

「……事情があるんだよ」


 それはそうだろう。

 その事情とやらが判然はんぜんとしないから、あたしはあねさんに怒られたわけで。


「うん、正直に言ってくれてありがと。だから、あたしも正直に言う。なんであたしが、蒼次郞さんに出口でぐちをするかだけど」


 それは。


「蒼次郞さんが、ちょっとだけあたしに似ているから、かな?」



§§


 ようやく舞を踊れるようになった。

 しかし、驚くべきはあたしの上達速度じょうたつそくど――ではなく、辰美さんのほうだった。

 彼女は朝見たときからいままで、休みなく踊り続けていたのである。


 べらぼうな体力だ。


「なんともうらやましい――いえ、うらやましくはないですね」


 仕事がなくなってしまった藍奈が、ぼそりとつぶやいた。

 現在、あたしたちを含む〝雨の恵み〟の信者さんたちは待機中だ。

 辰美さんと交代するタイミングを見計みはからっている感じである。

 というのも、彼女が踊り始めてから、にわかに雲がたちこめはじめたからだ。


 まだぽつりとも降り出してこないが、現状を維持したほうがいいと、蒼次郞さんが判断したのである。

 ……どうやら、上の指示にしたがいっぱなしというわけでもないようだ。


「蒼次郞さま、あんなに無気力なことなかれ主義だったのに、どうしてしまったのかしら……」

「女を抱く意外に興味のなさそうな助平すけべえだったのに」

「女の尻をおっかけて痛い目を見たとか?」

大権現様だいごんげんさまの権力のかさを着た七光ななひかりだし、ありるかも……」

「もとからいけ好かないところもありましたし、うまくいかないとすぐ権力をふるって……」

「おっと、これはご内密ないみつに」

「ご内密に」


 などなど、信者さんたちは好き勝手に放言ほうげんを並べている。


 しかし、このまま無為むいに時間を過ごすのも、すこしばかりよろしくない気がしていた。

 ずっと、姐さんに言われた言葉が引っかかっているのだ。

 それが、相方には解ってしまったのだろう。


しき。どうですか、ニッカポッカ。一時の気晴らしに、散策さんさくでも?」


 そんな提案を、してくれた。


 滝壺たきつぼの周りには、広大な森林が広がっている。

 滝の水気をうけて、植物の生育がいいのだろう、見上げるほどに高い樹木も、下生したばえも多い。

 都市部では見られない光景だ。


「おまえ、家族とかはいるのですか」

「いるよ。パパとママがいる。借金残して蒸発じょうはつしたけど」

「…………」

「藍奈もいるんでしょ? えっと、お姉さんと」

「ええ、姉上と、そうして義兄あにがおります」


 うん?

 義兄ということはは。

 それは、藍奈のお姉さんの――


「む。なにかありますね」

「え? なに?」


 思考をさえぎるような藍奈の言葉を聞いて、あたしは反射的に前を向いた。

 薄暗い森の中。

 ずいぶんと奥まった位置に、小さな、洞窟どうくつのようなものが存在していた。


「……入ってみる?」

「危険を感じたら即刻そっこく引き返す。よいですね?」


 頷き合って、あたしたちは洞窟へと足を踏み入れた。

 それほど、深い洞穴ではなかった。

 まっすぐ四十メートルほども行くと、そこが最奥さいおうだった。


 突き当たりには、奇妙なほこらと。

 もうひとつ、奇妙なものがあった。


 ほこらは、銅像どうぞうのようなものがまつられている。

 竜、だろうか?

 とにかく、細長く、力強い、神秘あるなにか。


 そのほこらの手前には、ひとつの白い岩があって。

 岩には、日本刀が一振ひとふり、突き立てられていた。

 ずいぶんとふるびたつくりの、時代を感じさせるボロボロの日本刀だった。


「なんだろう……」


 左目が〝色〟をうまく感じ取れず、ノイズが走る。

 確かめるように、気がつけばあたしは、刃に指先を伸ばしていて。


「――触れるな、受け継いだものよ」


 鋭く、重たい声が、背後から響いた。

 あたしたちは振り返り。

 藍奈が、叫んだ。


砥上とがみ幻揶げんや……! どの面を下げて現れましたか!!!」


 神出鬼没しんしゅつきぼつ

 そこにいたのは、山のような偉丈夫いじょうふ

 喪服もふくがはち切れんほどの筋肉をまとった、長身の大男。


 砥上幻揶が、あいかわらずキマった目つきで、仁王立におうだちしていた。



§§



「この刃は、を〝蜈蚣丸むかでまる安綱伝やすつなつたえ〟という。龍神りゅうじんをも噛み殺す大災害、三上山みかみやま大百足おおむかで藤原秀郷ふじわらのひでさときょう討伐とうばつした際、その強靱無比きょうじんむひなる甲殻こうかくより削り出した一振りとされている。またの名を――殺竜丸せつりゅうまる


 いまにも噛みつきそうな様子だった藍奈をなだめ、なんとか引き離すと、砥上幻揶は滔々とうとうとそんな話を始めた。

 彼はゆっくりと日本刀――殺竜丸に歩み寄ると、その刀身をすがめてみせる。

 そうして、


「ふん。やはり封印にほころびが出来ている。神代かみよの刃とはいえ、ここが限界と見えるか」


 と、奇妙に無念そうな言葉を吐き出した。


「今一度問います。なんのつもりですか、いったいどういう了見りょうけんで、私たちの前に姿を現したのですか、貴様はっ?」


 藍奈が吠えると、彼は一瞬困ったように眉をひそめ。


「危機が迫っている」

「危機ぃ?」

「それほど邪険じゃけんにするな。おまえたちをがいする心算つもりは、今のところない。重要なことは、この地には竜が封印されているという事実だ」

「竜ぅ?」


 ……ちょっとついて行けない話が始まった。

 いくら世の中が乱れているからと言って、いきなり竜がいますとか言われても、にわかには信じがたい。

 オカルトだとか怪異だとかはまだ見てきたから飲み込める。

 けれど、伝説とか、フィクションだとはな・・から解っているものが実在すると思い知るのは、直接目にしたときだけだと相場そうばが決まっている。


「……すでにているだろう、ぐの子よ」

「あたしが?」

「解らないならばよい。殺竜丸も役目を終える。そのとき何事もなければ竜も死に絶えよう。ゆえに――〝雨の恵み〟の蛮行ばんこうこそが、看過かんかしがたい」


 男は。

 偉丈夫は。

 確かな怒りとともに、言い放った。


「砥上藍奈、架城日華。すぐにこの地から立ち去れ。〝雨の恵み〟は――」


 おまえたちを、竜の生け贄として滝壺に沈めるつもりだぞ――と。

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