第七話 温泉につかろう!

「ふたりとも災難だったな。あのクソ親父にはけじめを取らせるからよ。……ところで丁度、温泉が空いているんだが。なあ、ものは試しだ、やっぱり一回つかってみないか? きっととりこになるはずだぜ!」


 村から生還し、聞いた話を適当に盛ったりでっち上げて説明すると、管理人さんはねぎらいの言葉をかけてくれた。

 やけに温泉をすすめてくるあたり、仲違なかたがいしていても親子という感じだ。


 はじめこそやんわり断ろうとしていたあたしたちだったが、次第にそのセールストークに聞き入ってしまい……


「きちゃった……」

「来てしまいましたね……」


 とうとう彼の言葉に甘え、隠し湯へやってきてしまった。


「でも、案外」

「ええ、普通の岩風呂という感じですね」


 すこしばかりひらけた場所に、かすかな湯煙ゆけむりが立っている。

 組み上げられた岩のプール、その中央から、乳白色のお湯が滾々こんこんと湧き出していた。

 見てくれこそワイルドだが、間違いようがない温泉だ。


「十人も入れそうな広さではないですか」

「おー、けっこう湯温ゆおんも高いよこれ」

「……いわゆる隠し湯というのは、泉温せんおんの低い〝ぬる湯〟であることが多いのですが、これは例外のようですね」


 一通り品定めを終えて、かけ湯をする。

 そしてついに、温泉へと身を滑り込ませた。


「「あ゛ー……」」


 魂のゆるみきったおっさんのような声が、あたしたちの口から同時にれた。

 気持ちがいい。

 つま先からじんわりと上がってくる熱は心地よく、内臓までも温々ぬくぬくとしてくる。


 甘美かんび堕落だらくを味わいながら、薄目を開けて隣を見やる。

 藍奈は、既に脱力の極みにたっし、でろーんと、広がっていた。


「藍奈ー」

「なんですか……私は今、地上の極楽ごくらくを……」

「あのおじいちゃんの話、どう思った?」

「――噛み合わないと、思いました」


 一瞬で正気に戻った巫女が、冷静な分析をはじき出す。


「この地で起きたという飢饉の実情と、歴史上にあった飢饉のパターンが、どうも齟齬そごを起こしています」


 具体的には?


「いろいろとありますが……一番はやはり、食料でしょう。ウカハミさまを覚えていますか? あれは、漢字だとおそらく〝宇迦うか〟を〝む〟と書くのです。宇迦というのは、穀物を意味する古語ですね」


 穀物を食べる神様ってこと?


「であるならば、この神は恵みを与えるのではなく、供物を求めることこそ本質、本来の在り方となります。しかし、ご老体ろうたいの説明は違いました。あるいは……テングノムギメシのように、なにか特殊な食料を神様と見立てたのかもしれません」


 それは。


「ええ、話の中に出てきましたね。ヒトニタケです。もし、このキノコがなんらかの救荒食きゅうこうしょくとして作用したのなら、人々が生きられたことにも合点がいきます。ヒトニタケを食べて飢えを凌ぎ、その間に隠し沢を作って、次の飢饉に備えた。これを、ウカハミさまという神様の功績こうせきとしてたたえたと」


 それならば帳尻ちょうじりが合うのだと、藍奈は言う。


「けれど、本来キノコには、カロリーというものがありません」


 つまり、なにが問題なわけ?


「決まっています」


 藍奈は、お湯に沈み、ぶくぶくと行儀悪く泡を吐いて。

 かと思うと勢いよく立ち上がり、あたしに白魚しらうおのような指先を突きつけながら、告げた。


「ヒトニタケの正体を、あばかなければならないということです」



§§



「そういえばおまえ、おなかの傷もすっかり無くなりましたね」

「あー、みせてなかったっけ?」

「六つに割れてるくせに、肌はすべすべじゃないですか」

「藍奈のたまの肌には負けるけどねー」


 なんて、脳天気なフリ・・をし続けるのにも限界があった。

 できるだけ自然にしたつもりだったけれど、うまくいっただろうか……

 温泉から上がりながら、あたしは相方に問い掛ける。


「藍奈」

「……私には、解りません」


 巫女が首を振った。

 正直な話をすれば、温泉に入っている間、あたしはちっともくつろげていなかった。

 肉体は弛緩しかんしていたけれど、逆に神経は張り詰めていたと言ってもいい。


 〝視線〟を、常に感じていたからだ。


 山の中からではない。

 お湯の中からでもない。

 人か、野生動物か、それすらも解らない。


 けれど確かに、あたしたちは何者かにられていた。


 管理人さんは、やたらめったらあたしたちにお風呂を薦めてきた。

 何度も入るようにアプローチを掛けてきた。

 だから、初めは彼が覗いているのかとも思った。


 藍奈は控えめにいって美女である。湯浴ゆあみをする姿を見たいと考えるものがいても、不思議ではない。

 だが……どうやら違う。


 混乱しながらも、仕事に戻らざるを得なかった。

 心霊バイトとして、リゾートの手伝いと、そしてオーナーからの内偵ないてい――失踪者の調査も行わなければならなかったからだ。


「はーい、お疲れ。ふたりとも今日は上がっていいぜ」

「お疲れ様です」

「おつでーす」


 終業まで汗水を垂らして働き、挨拶をして自室に戻ろうとすると。

 管理人さんが、なにかを思い出したように手を打った。


「あ、そうだ」


 酷くわざとらしい表情で、彼は言う。


「昼は許可したけど、今日の夜は、温泉に入っちゃ駄目だぜ。俺がちょっと、掃除するからさ」


 あたしと藍奈は顔を見合わせ、了承りょうしょうの返事をした。

 よし。



 ――夜は隠し湯を、調査しよう。

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