第六話 神を盗んだ男

「古くは鎌倉かまくらの頃、この辺りは食糧難におちいることが多かった」


 老狩人ろうかりうどはキセルをくゆらせ、ふるい民話を語りはじめる。


「雪は深く、畑はれ、日照ひでりが続き、井戸はれ、五穀ごこくことごとく枯れ伏して、多くのものが飢餓きがに苦しんだ。亡骸なきがら供養くようが追いつかず、土を盛ってとむらうことすら出来できなんだ。妻も、子も、己さえもしちに入れねば食えぬ時代……やがて、人々は救いを山に求めたのじゃ。未開みかいにして未踏みとう山嶺さんれいへな」


 人々は山奥へと分け入り、わずかな食料や、水を得た。

 年貢ねんぐの取り立てなど、為政者いせいしゃによって奪われぬ日々のかてを求めてだ。

 隠し湯もまた、そのころ見つかったものらしい。


「そうして、出逢であったのじゃ。先人たちは〝ウカハミさま〟と、山紫水明さんしすいめいの地にて邂逅かいこうした。山々の恵みを産む神と。それから我々は、〝ウカハミさま〟を信仰し、山をおそれ」


 やがて、共存する道を選んだのと、おきなは語る。


「〝ウカハミさま〟は我らに恵みを与えてくださる、気性きしょうおだやかな神様であったが、同時に供物くもつを求めもした。産むためには食わねばならんかったのじゃ。さて、ヒトニタケというきのこがある。〝ウカハミさま〟は、それをたいそう好まれた。ヒトニタケさえささげれば、命を繋ぐに十分な糧を与えてくださった。また、ヒトニタケは滋養じよう豊かにして美味であり、村落そんらくの者たちも喫緊きっきんさい――つまり飢饉ききんおりにはわけいただいたという。それで、いくつもの子らが命を繋いだ」

「……類例はあります」


 藍奈が、顎に手を当てながら、口を挟んだ。


「国の天然記念物に〝テングノムギメシ〟というものがあります。文字通り麦飯に似たもので、これは土中から採れる微生物の集合体なのですが、飢饉のおり、実際に人々はこれを食べて飢えをしのいだと言われています」


 しかし、と。

 巫女は、あたしにだけ聞こえる声量でつぶやいて、けれどその続きを口にしなかった。

 老人が頷く。


「とかく、ご先祖さまたちは、うまく山と付き合っておった」


 長く、長い平穏へいおんの時代が過ぎて。

 十年前、事件が起きた。


不届ふとどきにも、〝ウカハミさま〟を盗みだしたものがおった」


 それが、いま隠し湯リゾートを営む管理人さんであり。


「わしの、不肖ふしょうせがれじゃ。悲劇が、あやつを物狂ものぐるいにしてしまったのじゃ」


 以来、村は衰退すいたいの一歩、滅びへの道を辿たどりはじめたのだという。


「村の仲間たちは、夜になるたび数を減らしていった。当然のことじゃ、むくいじゃと、わしらは思った。あれは、きっと〝ウカハミさま〟へ不埒ふらちな真似をしたのじゃ。わしらは怖れた、あやつを、〝ウカハミさま〟のたたりを、失われた命を」


 村は日に日に崩壊し、反比例して管理人さんの商売は成功していったのだという。


「これはわしらに下された罰じゃ。だからそれはいい。だが……あやつの将来が不安でならん」


 老人は、そんな風に話を締めくくろうとした。

 物語を閉じようとして突然、顔を笑みにゆがめた。


「そうじゃ。お嬢さん方は隠し湯で働いておるのじゃろう?」


 頷くあたしたちに、年老いた狩人は酷く、とても下卑げびた表情を向けて。


「あの湯の効能は〝子宝こだから〟じゃ。そうして、まじわらずともはらむという。どうじゃ、おぬしらも?」


 実際に使って、効能を確かめてみては?

 赤ら顔の老人は、狒狒ひひのようにわらい、キセルの煙を吐き出した。

 あたしは、酷く嫌な気持ちになって、胸元の魔除けを強く握る。

 老人は、やがて笑みを消し、こう締めくくった。


「もっとも、隠し湯すら――〝ウカハミさま〟のものじゃがな」


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