第六話 迷惑な客を、命がけで送り返せ!

「TAKASHI、考えたんだけど。ここで撮影しないなんて、動画投稿者の恥だと思うんだよね」

「言ってる場合じゃない! 逃げるよ……!」


 彼の腕を引っ張るが、ぞんざいに振り払われる。

 こちらを見向きもしないで、小男はトンネルへとカメラを向けていた。


「町の顔役かおやくのふりをしている春原組すのはらぐみが、いかに凶悪な〝兵器〟を隠匿いんとくしているか、TAKASHIには世間に公表する義務があるからね!」

「そんなもの、生きていてなんぼでしょうに」

「……確かに! とTAKASHIは同意するね!」


 前言撤回ぜんげんてっかいとばかりに、ホストな小男は身をひるがえす。

 美人の言うことなら聞くのかと思ったが、そうではない。


 トンネルから、血肉の腐ったような悪臭が吹き付けてきたからだ。

 あからさまにヤバい。

 濃密な死の気配が、歩み寄ってくるのが肌でわかる。


呪詛じゅそ怨嗟えんさ逆恨さかうらみを煮詰につめたような刺々とげとげしい気配を感じますが、私たちも逃げるべきでは?」

「いまそう提案しようとしてたとこ!」


 言い切る前に、あたしたちも身をひるがえした。

 すぐにTAKASHIさんへと追いつき、指さしで駅へと向かうよううながす。

 彼は白い歯をみせて頷くと、ひとりで速度を上げた。

 なんて抜け目のない!


 彼に続いて駅へと滑り込む。

 警笛が鳴り響き、遠くから迫る電車の灯りが見て取れる。


 しめた!

 ちょうどいい運行ダイアと行きったか。


「TAKASHIさん! すぐに電車へ――」


 乗り込むよう指示をしようとして。

 あたしは、彼が立ち尽くしていることに、気がついた。


「TAKASHIさん?」


 彼は、ギラギラとした眼差しをプラットフォームの向かい側へと向け、口元を大きく笑みの形にしていた。

 まさかと視線を転じれば、そこに〝闇〟があった。


 これまでの〝それ〟ではない。

 人の形などしていない。

 ただ、濃密な〝闇〟が、向かい側にはたちこめていて。


「TAKASHIの客がお待ちかね。ああ、こんなにもお待ちかねとは……」


 喜色満面きしょくまんめんな様子で、小男は向かい側へと歩んでいこうとする。

 それでようやく、あたしたちも我に返った。

 圧倒されている場合じゃない!


「待って。それはお客さんなんかなじゃない。もっと悪質ななにかだよ」

「うるさいな」


 彼の手を掴んで引き留めようとするが、また振り払われる。


『こっちにきて』


 〝闇〟が呼ぶ。

 影のように〝闇〟の至る所が伸長しんちょうし、TAKASHIさんにからみつく。

 まるで、無数の手が、彼をらえるように。


「行っちゃ駄目だ!」


 抱きつくようにしがみつけば、小男はあたしをにらみ付け。

 ゆっくりと、拳を振り上げた。


「TAKASHI、女子どもに暴力をふるう趣味はないんだよね」

「殴られたって、いかせない」


 拳が振り下ろされた。

 額で受ける余裕などない。

 頬が、灼熱しゃくねつびた。

 躊躇なく、二発目、三発目が降ってくる。

 口の中に、血の味がにじむ。


はなしたほうが身のためだと、TAKASHIは忠告するよ。性病持ちに触れられるのは、これ以上我慢できない。いくらで春原組に雇われているのさ、正気を疑う。ああ、腐っているのか、脳みそが。TAKASHIはニヒルにそう言った」

日給にっきゅう三十万だよ!」


 そして、三十万分の働きをするには、あんたを行かせるわけにはいかない。


「観客たちがTAKASHIを待ってる、帰るべき場所はあそこ」


 だとしても、行かせない。

 全力で、〝闇〟が彼を引きずり込もうとする力にあらがう。


「ニッカポッカ、もう電車が来ます! そんなやつばらなど放っておきなさい!」

「駄目だ、ここで連れて帰る!」

「どうしてそこまで、そんな下郎げろうのために……」


 下賤げせんとか、上等とか、そういうのはひとつも解らない。

 けれど、わかることもある。


「放せ!」

「放さない! あんたは現世に帰って、そっちで満足する成果せいかを上げればいいんだ!」


 命を張る瞬間を、怪異なんかに奪われていいわけがない。

 あたしとは――違うのだから。


「ふう。重たい女はうとまれる。TAKASHIのこと、さっさと忘れて欲しいんだけど」

「――――」


 その言葉に、大きく息をんで。

 次の瞬間には、怒鳴どなっていた。


「ふざけるなっ!」



『だから――忘れちゃっていいから、あたしのことなんて』



 死にゆく仲間が、あたしにたくした言葉を思い出す。

 いいわけがない。

 よいわけがない。


 つらいことは忘れるべきで、悲しいことはいらないものだけど。

 だからって――忘却するかどうかは、あたしが選ぶんだ……!


 大切なものなんだ!

 誰だって失いたくないんだ!


「だから……おりゃー!」

「ぅお!?」


 あたしは、ありったけの力で小男を投げ飛ばした。

 形のくずれた、へなちょこなバックドロップ。

 それでも彼は、痛みに顔をしかめ、ちょっとの間、身動きがとれなくなって。

 絡みついていた無数の〝闇〟も、一時いっとき離れる。


「藍奈、手伝って!」

「おまえは……どうしてそうわがままなのですかっ」

「ずっと、こうしてきたからだよ!」


 ふたりして彼をかつぎ上げたところで、ちょうど電車が入ってきた。

 開く扉に、迷惑動画投稿者を押し込む。


「チケットはどうします?」

「……あたしのを、使う」

「待ちなさい。そうしたら、おまえは」

「…………」

「ニッカポッカ! ――っ!?」


 つかみかかってきた藍奈を、あたしは電車の中に押し込んだ。


「おま――」

「バイバイ。運がよかったら、また会おう」


 あたしは笑った。笑うことが出来た。

 扉が、ゆっくりと閉まる。

 藍奈がこちらに駆け寄ってこようとするけど、それは遅くて。


 電車が、出発する。


「――――!!」

「聞こえないよーだ」


 相棒と小男を見送りながら、あたしは駅舎えきしゃの出口へと視線を向けた。

 冷や汗が、こめかみからしたたり落ちる。

 あからさまな〝死〟が、すぐそこにまでせまっていた。


「こりゃあ、年貢ねんぐおさどきかな……?」



「ヴァカが。借金は最後まで返済しろ。自己犠牲なんて、二度とさせるか。アタシはテメェのことを、覚えてんだよ」



 聞き覚えのある声に振り返ろうとした瞬間、あたしの意識は眠るように途絶とだえた。

 最後に視界へ入ったのは。


 相変わらず悪趣味な黄色いスーツと黒眼鏡。

 そして、ニヤニヤと獰猛どうもうに笑う、誰かの口元だった――

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る