第三話 迷子のおうちはどこですか?

 兄弟というものがいたことはない。

 けれど、幼い頃のあたしは、常に多くの人々にかこまれて生きてきた。

 彼らの悩みを聞き、彼らの絶望を投げつけられ、彼らの願望がんぼうこたえることで生きてきた。


 パパも、ママも。

 それこそをあたしに望んだ。

 彼らはなんというか、あたしでひとつの実験をしていたようにも思う。


 ――ゼロから人格を作り上げる、実験を。

 ――虚無きょむにものを押し込んで、望む形に仕立したてあげる実験を。


 そういうわけだから、ひとりの時間というのは、ほんとうになくて。

 だから今頃になって、自分自身を見つめなおしている。

 古い時代の人が言う、自分探しの旅のように。


「こんにちは。きみの名前を聞いてもいい?」


 新しい迷子が、きさらぎ駅にやってきていた。

 迷子も迷子、本当の迷子。

 泣きじゃくる、六歳ぐらいの少年だった。


「えっぐ、えっぐ」


 名前を聞いても解らない。

 おうちを聞いても解らない。


「にゃはははは……」


 笑うしかない駅員さんがあたしだった。

 ちなみに藍奈はというと、


「子どもは嫌いです。さわると壊れそうなので、責任を取りたくないですし、嫌いです。悪しき」


 などと言って、さっさと距離を取ってしまった。

 うーん、まいった。


「よし。じゃあ、きみ。あったかいミルクティーを飲もうか?」

「……ぼく、ジュースがいい」

「やっと口をいてくれたね。あたしは架城かじょう日華にっか。きみの名前を教えてほしいな?」

「ぼくは……とおる

「透くん、か。オーケー、とりあえず、こっちのベンチに座って話をしよう」

「……うん」


 まだ泣きべそをかいてはいたけれど、彼は素直にしたがってくれた。

 あたしは魔法瓶まほうびんを取り出し、カップにミルクティーを注ぐ。


「ジュースじゃない」

「あたしが、透くんをひとつ賢くさせてあげよう。ジュースっていうのは、飲み物全般を指す言葉なんだ。だから、コーヒーもミルクティーもジュース」

「うそだ」

「本当だよ。あたしはあっちのお姉ちゃんと違って、あんまり嘘はつかない」


 遠くで「失敬しっけいな」とこぼす藍奈を無視し、あたしは少年と向き合い続ける。


「それに、このミルクティーはとっても甘いから、きっと気に入るって」


 優しくカップを差し出すと、彼はむすっと押し黙り。

 それから、嫌そうに受け取る。

 未知のものを警戒する猫のように、鼻先をカップに近づけにおいを嗅いだあと、ゴクリと、口をつける。


「……!」

「ね? 甘いでしょ」

「ん!」


 こくこくと頷いてくれる彼を見て、あたしは藍奈へと親指を立てた。

 彼女はただ肩をすくめていた。


「それで」


 カップを両手で抱えて飲んでいる透くんへ、あたしは慎重に言葉を選んでたずねる。

 時間はあまりないけれど、あせるのは、多分よくない。


「ここには、どうやって来たか、覚えてる?」

「わかんない」

「そっかー」

「……うそついた。ママと、けんかしたの」


 彼はおさないなりに聡明そうめいだった。

 たどたどしかったけれど、事情をしっかりと話してくれる賢さがあった。

 ……大人であろうとする、窮屈ひくつさがそこに見えた。


 透くんが語ったことを要約ようやくすると、こういうことだった。


 その日、彼はお母さんと喧嘩をした。

 そうして家を飛び出して、気がつけばここにいた。

 どうして〝きさらぎ駅〟にきたのかは解らない。帰り方も解らない。

 不安で不安で泣いていた、と。


「責任感の強い子です」


 いつの間にか近づいてきていた藍奈が、そんなことを言った。

 透くんが、さっとあたしの後ろに隠れる。

 そうして、おっかなびっくりといった様子で、藍奈を見て。


「……こわい」


 と、言った。

 相棒は無表情だったが、相応そうおうにショックを受けてたらしく、がくりと肩を落とす。

 あたしは、顔をしかめる。


「駄目だよ、藍奈。子どもに責任感なんて求めちゃ」

「……しかし、この子はあれでしょう? 母親と喧嘩したというだけで、希死念慮きしねんりょを覚えるほど、己を追い詰めたのでしょう? でなければ〝きさらぎ駅〟までやってくるはずがありません。ならば、それは責任感が強いとしかたとえようがないではありませんか」


 違う。

 そうじゃない。そうあってはいけない。

 大人の価値観で、子どもの世界をだんじてはならない。


「透くん。ひとつ質問をさせてくれる?」

「ん」

「ママと喧嘩になっちゃったのは、理由があったからだよね?」

「…………」


 彼はぎゅっと拳を握った。

 目元に涙がにじんだ。

 それでも。


「いもうとが、できたの」


 そう、語ってくれた。


「ママはちゃんがだいじなの。もう、ぼくのことはどうでもいいの。ダンゴムシ、よつば、いっぱいみつけて、もっていったのに。ちゃんがないちゃったから、ママがおこって」


 なるほど、だいたい解った。

 彼には妹が出来た。

 そうしてお母さんは、その妹ちゃんにかかりきりになってしまった。

 あたりまえだ、産まれたばかりの命はとにかく目が離せない。


 けれど、そのことを理解するには、いくら透くんが聡明だとしても、経験が足りない。

 彼はこう考えてしまったのだろう。


 ママを、妹に取られてしまったと。

 あるいは。

 ママは、自分よりも妹が大事なのだと。


 ……確かにそれは、少年が希死念慮を覚えるに足る理由だ。

 こんな生と死の狭間のような場所へやってきてしまっても、ちっとも不思議ではない理由だった。

 彼にとって、これはそのぐらいの重大事じゅうだいじなのだ。


 だからこそ、いつまでも〝きさらぎ駅〟などにいてはならない。


 彼があるべき場所は、こんな光の射さない場所であってはならないのだから。


 あたしは、透少年にいた。


「透くんは、お母さんが好き?」

「きらい」

「…………」

「うそついた。すき。だから、これ、あげたかったの」


 彼がポケットから取りだしたのは、しなびた四つ葉のクローバーだった。

 きっと、彼のありったけの想いがこもった、世界でふたつとない大切なもの。


「〝ちよちゃん〟のことは、嫌い?」

「……わかんない。けど」

「けど?」

「ぼくのことだって、みてほしい」

「なら、それを最初にお母さんに言おう。いきなりだと、お母さんも解らなくなっちゃうから」

「おかあさん、こまってるの?」


 たぶん、ちょっとだけ戸惑とまどってるんだよ。

 きっと、いそがしいだけなんだよ。

 そんな言葉を投げかけると、彼は。


「ぼく、ちゃんも、きらいじゃない……」


 と、答えてくれた。


 あたしは、藍奈を見る。

 藍奈は、頷いた。

 見解けんかい一致いっち

 この少年は、なんとしても送り返すべきだ。


 ――だが、こんなときだからこそ邪魔するように、〝それ〟は現れるのだ。


「ママだ!」


 透君が、立ち上がって大声を上げた。

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