第二話 春原組の求人を受け、廃棄された駅舎を管理せよ

 心霊バイトを、しばらく休もうかと考えていた。


 藍奈とコンビを組んでから、あっちこっち走り回って、いろんな仕事をしてきた。

 そのあいだ、善人のようなこともしたし、悪人のようなこともしてきた。

 やりたいことを、やってきた。


 けれど、一線は越えなかった。

 最善だけはくしてきた。

 でなきゃ、胸が張れないし、生きていると言えないからだ。


 でも。

 このあいだのは、最悪だった。

 赤い部屋、禁后屋敷。


 あたしは、無力だった。

 一線を越えるどころか、なにも出来なかった。


 ……心霊バイトが、怖かった。


 あたしが関わらなきゃ、誰も死なないなんてのは世迷よまごとだ。そうじゃないことぐらい解っている。人が死ぬところを見たくないだけ。

 それでも逃げ出したくなって。

 あねさんの事務所に引きこもって。


 そんなあたしに、藍奈が発破はっぱをかけた。


「スレているくせにお人好ひとよしのおまえのことです。人助けの仕事なら、やる気もわくのではありませんか?」


 突きつけられたのは、一枚の求人。

 あたしは、その書類へと、手を伸ばして――


 そうしてやることになったのが、きさらぎ駅の迷子案内だった。


 わかってる。

 この仕事は、藍奈だけで用意したものじゃない。

 お節介せっかいを焼いた、面倒見のいい姐さんがいただろうことはわかっている。


 それでも、藍奈の言葉は、あたしの胸にかすかな火をともしてくれたんだ。


「しかし、春原組すのはらぐみ、案外手広くやっているのですね」


 迷子のお客さんを送り返したところで、藍奈が一つ息をつきながら言った。


正味しょうみ過小評価かしょうひょうかしていました。まさか治安維持までやっていたとは」

「それねー」


 おつかれさまとねぎらいながら、あたしは彼女へとコーヒーを差し出す。

 ふたりしてベンチに座り、コーヒーを飲む。

 見渡す限りの霧は晴れず、やはり周囲は夜のままだ。


 かれこれ――七十二時間ほど、そうだろうか。


 海水面の上昇にともない、世間では怪事件が多発した。

 結果、警察は手が足らなくなり、パンクするに至った。

 内部の腐食ふしょくも始まっているらしくて、お金を出さなければ駆けつけてくれないという話も聞く。


 そんななかで、治安機構のわりをしているものたちがいた。

 それが、春原組。


 小さないざこざから、大規模な問題の解決まで、金になりさえすれば介入する彼らは、ある意味でとても公平だった。

 そうして、事情や経緯がそんなだから、春原組が管理している土地、および施設の中には、どうやら危険なものも多い。


 きさらぎ駅は、そのひとつだった。


「しかし、さすがヤのつく自由業。手前てまえの人員を消費したくないという理由で心霊バイトを活用するとは、なかなかのやり手ですね」

「姐さんはそのへんの損得勘定そんとくかんじょうというか、バランス感覚が異常だからね。お金を払ったほうが、安上がりだって判断したんだよ、きっと」

鉄砲玉てっぽうだまを育てるのもただではありませんし、人材は資源ですからね。もっとも、おかげでこの仕事、さほど割がいいわけではありませんが」

「そうかな?」


 制服は貸与たいよ

 券売機を含む装備一色も貸与。

 コーヒーとミルクティーは飲み放題で、日当三十万。じゅうぶん割のいい仕事だと思うけど?


「これまでがヤバすぎて、藍奈、感覚が麻痺してない?」

「おまえにだけは言われたくありませんね」


 おたがい肩をすくめ、またコーヒーを口にする。

 しかし……券売機か。


 担当者の説明だと、券売機から出てくるチケットがないと、この場所からは戻れないって話だったっけど。


「これ、どういう仕組みでチケットが出てくるんだと思う?」

「……形而疆界学けいじきょうかいがくの方向からでよければ説明できますが」


 言いながら、藍奈は上唇を舐めた。

 今回の蘊蓄うんちくタイムか。


「ここはおそらく、彼岸ひがん此岸しがん狭間はざまでしょう」

「……?」

「この世とあの世、現世と冥界の中間と言うことです。その証拠に、駅看板をよく見てください」


 言われるがまま、天井の辺りを見上げる。


 きさらぎ駅


 そう書かれた看板がある。


「おまえの目は節穴ふしあなですか。〝くだり〟と〝のぼり〟も書いてあるでしょう?」

「あー、確かに」


 きさらぎ駅という文字の下に、堅洲、八洲という文字が見て取れる。

 ……でも、読めない。


「義務教育の敗北ですね」

「ぜったい義務教育で学ぶ漢字じゃないでしょ?」

「それぞれ堅洲かたす八洲やしまと読みます。堅洲は根之堅洲国ねのかたすくに……つまりは黄泉よみを指す言葉です」


 黄泉というと、地の底にある異界だ。


「ほう、よく知っていましたね。地獄と言い出すかと思いましたが」

「地獄は仏教でしょ、そのぐらいの違いはわかる」

「ふむ。ならば説明をはぶきましょう。つまり、この先は冥界、死者の国というわけです。逆に八洲は豊葦原中国とよあしはらのなかつくに……つまり現世を指す言葉です」


 あー、だいたい解った。

 ここから下ると冥界に行って、昇ると現世に辿り着く。

 だから、中間って訳か。


「おまえにしてはよく出来ました。及第点きゅうだいてんをあげましょう」

「でも、それとチケットになんの関わりが?」

「先の言葉の通りなら、ここは現世でも冥界でもない場所です。それはルールが違うと言うこと。おそらくこの場では、想いが形になるのでしょう」


 想いが、形に。


執着しゅうちゃくと言い換えてもいいですね。現世を想えば、現世行きのチケットが。死者を望めば、冥界行きのチケットが発券されるという仕組みだと、私は考えます」


 たぶん、その理屈は正しい。

 事実として、あたしたちも一枚ずつ、チケットを持っていた。

 藍奈のやつになにが描かれているのかは知らないけれど、自分のは解る。


 あたしはポケットをまさぐり、まだ切られていないチケットを取りだした。


「……なぜ、〝おさつ〟が描かれているのですか?」

「…………」


 藍奈の疑問に、あたしは答えなかった。

 答えるまでもなかった。

 本質なんて、どれだけぬくもりを得ても変わらない。

 あたしは。



 ――まだ、借金を返すためだけに、生きている。

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