第二話 八万尺様の護仏壇(ごぶつだん)

八万尺様はちまんしゃくさまは、文字通り八万尺ほどもある神様ですじゃ」

一尺いっしゃくが約三十センチであることを考えると……二千四百キロメートルほどの巨人ということになりますね。それは、いくら見上げても顔が見えないのも道理どうりでしょう」


 いつもの注釈癖ちゅうしゃくへきがうずいたのか、藍奈が唐突に口を挟んできた。

 八百万やおよろずとか、八百屋やおやとか、八十八夜はちじゅうはちやとか、たくさんという意味のたとえなんだろうけど、それにしてもべらぼうに大きいと言うことになる。


「八万尺様は、独特どくとくな〝声〟で目をつけたものをおびき出し、首を吊らせると言われておりますのじゃ」

「独特な声ってのはなんだい、村長さん?」


 春原すのはらあねさんが問うと、村長さんはゆっくりと首を振った。


「それは呪われたものにしか解らないのですな。この村で不敬ふけいなことをしたものだけがたたられる。ですから、わしらは信心深しんじんぶかく生きてきたのですじゃ。ほれ、ここに来るまで、どの家も犬を飼っておりましたじゃろ?」

「あれも信心の一環いっかんだってのかい?」

「いかにも。犬が吠えれば、悪いものは遠ざかりますじゃ」


 そうなの? と藍奈に視線でたずねれば。

 そういうこともありますと、曖昧あいまい首肯しゅこうを返される。


「だいたい話はわかったけどさ、おじいちゃん。じゃあなんでこの――」

丈治ジョージ。このヴァカは丈治だ」

「そう、丈治さんは仏壇ぶつだんの前からうごけないの?」


 あたしの問い掛けに答えたのは、村長さんではなかった。

 本人こそが、悲鳴とともに泣きついてきたのだ。


「き、聞こえるんでさ! 仏壇から遠ざかると、あの不気味な声が……!」

「……一張羅いっちょうらが」


 顔から出る、ありとあらゆる粘液をこぼれさせながら抱きついてくる丈治さん。

 ニッカポッカに体液のあとが出来てしまうが、弱っている人を邪険じゃけんにすることも出来ず、あたしは丈治さんの頭を撫でてやる。


「な、情けねぇ……それでもアタシの舎弟しゃていか!」

「はじめて意見が合いましたね。これはしき」


 姐さんとか藍奈とかにぼろくそ言われているが、だれだって命を狙われれば多少なりとも心細くなるものだろう。


「しかし。ふん、声ね。だったら、聞いてみようじゃあねぇか、その声ってやつを」

「え――? ちょ、姉御あねご!?」


 むんずと丈治さんの首根っこを掴んだ姐さんは、その場にいた誰もが予想できない行動をとった。

 丈治さんを引きずって、屋敷の外へ出て行こうとしたのだ。


「な、なにをやっているですじゃか!?」


 村長さんが慌てて止めようとするが、姐さんは止まらなかった。

 口元に獰猛どうもうな笑みを浮かべたまま、丈治さんを縁側えんがわから、外へ放り出そうとして――


 そのときだった。


 ぽ、ぽぽ、ぽぽぽ――ぽん。


 奇妙な。

 本当に奇妙な音色が、響いた。


 声……と呼ぶにはいささかがありすぎる。

 破裂音に近いようでいて、しかしもうすこしふところが深い。

 聞き覚えがあるようで、ないような、奇っ怪な音が屋敷中に響き渡って。


「はン!」


 姐さんの口元の笑みが深くなる。

 藍奈が身構え、丈治さんは悲鳴を上げて。

 そして、あたしはた。


 ぽ、ぽぽぽぽ――ぽん。


 立っている。

 足までしか見えない女性が、立っている。

 白いワンピースの女だ。


 /違う、これは〝赤い〟のだ。


 ドアの隙間から見えるだけで、三メートル以上あるだろうか?

 だが、見上げればそんなものではなかった。


 屋根より高い。

 空よりも高い。

 どれほどあおいでみても、顔が見えない。

 顔どころか、胸までしか見えない。


 おとがいが、自然と空を向く。

 首筋に、荒縄あらなわが巻き付くようなひりつく感触。

 脳が勝手に想像する、絞首刑こうしゅけいさまを。

 首の骨が、ミシリと嫌な音を立てて――


目星めぼしはつきました。ニッカポッカ、失礼」


 スパンと、足が滑った。

 藍奈に足払いをかけられたのだとさとったときには、あたしは転んでしまっていて。


 ……だから、助かった。

 するりと、首筋からなにかがほどけていく感覚。


「あ、あのまま見上げていたら、あたしは……」

「死んでいたかもしれませんね」

「……! そうだ、丈治さん! 大丈夫!?」

「おう、こっちは無事だ」


 見遣みやれば、気絶したらしい丈治さんを引きずって、姐さんが仏壇の前へと戻ってくるところだった。

 ハッと庭に目をやるが、もうそこに、八万尺様の姿はなかった。


煙草たばこ魔除まよけだっていうが、案外くねぇ。火がついたままのがらを庭に投げてやったら、やっこさん、煙のように消えやがった」


 どうやら、姐さんが撃退してくれたらしい。

 外では、たくさんの犬たちが吠え立てていた。


「……最悪だ」

「ヴァーカ。こういうのはな――楽しくなってきやがった! っていうモンなのさ」


 まるで獲物を前にした肉食獣のように。

 姐さんが、つややかな舌なめずりをした。 

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