第四話 喪服の男はトリガーを引き、〝ひとりばこ〟は開かれる

 背丈せたけが二メートルもある大男だった。


 筋骨隆々きんこつりゅうりゅうとして小山のごとき体躯たいくは、上等な仕立ての喪服をパンパンに膨らませている。

 薬物でもキメているかのように、しっかりと見開かれた双眸そうぼうが、嫌でも印象に残った。


「だれ?」


 ほとんど無意識に。藍奈の前へ進み出ながら問う。

 男は答えない。

 代わりに向けられたのは、黒光りする金属塊だった。


 拳銃。


 あねさんのところで腐るほど見た、大陸産の黒星デッドコピー

 だが――威力は本物と遜色そんしょくない。


 オカルトなどより、よほどわかりやすい死と暴力の具現。

 一目でわかる危険が、男のゴツゴツとした手には握られていた。


 身構えるあたしなど一顧いっこだにせず。

 男は、藍奈だけを見て、告げる。


砥上とがみ藍奈あいな。〝ソレ〟は、形而下けいじかにあってはならないものだ。渡せ。渡せば、手荒な真似をしないで済む」

「あー、ちょっと無視しないでよ、おにーさん」


 そんなにあたしは魅力が無い?


「ていうか、まるで嫌々って口ぶりじゃん。あれかな、おにーさんもこの箱を開けたい口だったり……?」

「半死人が戯言ざれごとを吐いたな。俺が、箱を開けたいか、だと?」


 底冷えするような、絶対零度の言の葉とともに、銃口がこちらを向く。

 こめかみを、冷や汗が滑り落ちた。ないはずの肝がちぢむ。

 喉が、空唾からつばを飲む。


「……逆だ、いまだそのときではない。なにより現状では決して、その箱は開かない」

「開かない?」


 意外な言葉に、わずかながら動揺してしまう。

 男は感情の読みにくい声音で、言葉を並べる。


「世界は〝それ〟をおそれている。因果いんがが逆なのだ。箱が人を殺すのではない、。それすらも解らず封印しようなどと……笑止千万しょうしせんばん


 笑いもせずに吐き捨てて。

 男は藍奈へと、手を伸ばす。


最後通告さいごつうこくだ。渡せ。箱の中身を有効活用できるのは、いまや俺だけだ」


 隠すつもりもない殺気さっきとともに、言葉と銃口と、事実上存在しない選択肢が突きつけられる。

 沈黙が場を支配した。

 ヒグラシの声と、潮騒しおさいすらも、迫る夕闇ゆうやみには遠く。


「……渡しません」


 誰かが言った。

 巫女が、告げた。


「この〝ひとりばこ〟は、私が封印します。貴様のようなものには、絶対に渡したりしません。まして人殺しの道具になど――」

「ひとりばこだと? 見定めることすら出来ないのか、砥上藍奈。おまえの姉が泣いているぞ?」

「貴様ァッ!」


 声を荒らげる藍奈。

 だが男は取り合わない。まるで、大人と子どものように受け合いすらしない。


「これは〝天岩戸あまのいわとの残り火〟だ。かのモノの死が、どれほど疆界面きょうかいめんを揺るがしているのか、知覚できたか? 衣装を真似て、姉に、ホンモノの巫女にでもなったつもりか? それほどまでに劣るのか、砥上藍奈の全霊ぜんれいは?」

「悪しき! さいがないことなど、百も承知。ニセモノバッタモノのそしりは覚悟の上! けれどどちらにせよこの箱は、断じて貴様のものではありません!」

「ならば……さいなくしんなく遺骸いがいもてあそんだむくいだ。みじめさの果てでちるがいい」

「――っ!?」


 あたしは、一瞬たりとも男の動きを見逃さなかった。

 だというのに男は、現れたとき同様、くもかすみのように消え去って。

 そして。


「きゃっ!」


 突如背後に現れた男が、藍奈を突き飛ばす。

 彼女のそでの中からまろび出た箱が、地面に落ちる。

 男は、彼女へと銃口を向けて。


「藍奈!」


 身体は、咄嗟とっさに動いていた。


 銃声。

 灼熱しゃくねつが、胸を貫いた。


「――――」


 もとから限界だった身体が、断末魔だんまつまをあげる。

 傾斜けいしゃし、崩れ落ち、地にまみれるおのれ

 軽度の混乱と、意識の混濁こんだく

 えっと、あたしは、なにをして……?


「ニッカポッカ……? ――架城かじょう日華にっか!?」


 意外なものを見た。

 人が死んでも動じなかった巫女が、あれだけ必死こいていた彼女が。


 今日会ったばかりの他人が撃たれたぐらいで、取り乱していた。

 あたしの身体にすがり付き、小柄な巫女は、涙ぐむ。


 ああ、そうか、あたしは――彼女を、かばったのか。


「最悪、だ……」


 ドクドクと流出していく熱量は、確実な死を想起そうきさせる。

 素人にも解る致命傷ちめいしょう

 あたしは死ぬ。

 借金も返せず、仕事もまっとうできず、誰かの代わりになって死ぬ。


 ……けれど、不思議と後悔はない。

 ただひとつ、これじゃあ藍奈が胸を張れないと。

 彼女のやりたかったことを、やり遂げさせてあげられないと、それだけが心残りで――


「ずいぶん待たせてしまったな、夢唯子ゆいこ


 男が誰かの名前を呼びながら、箱へと手を伸ばした。

 その指先が触れる寸前。

 あたしの。


 海のように広がるあたしの血液が、男よりもすこしだけ早く、箱に届いて。


『――――』


 そうして、架城日華はたのだ。



 ――箱が開く、瞬間を。

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