第二話 箱には大災害が封じられている!?

『おじょうちゃん、あけさせてよ』


 老人の手が。

 にゅっと横合よこあいから、〝箱〟へと伸ばされた。


 轟音ごうおん

 ――血の花が、いた。


 駅ビルの屋上から落下してきた看板が、老人と周囲の何人かをひとまとめにして、押しつぶしていた。

 割砕わりくだかれたアスファルトの破片が、あたしの頬をかすめる。

 だらりと流れ出す血液。


 箱に反応しなかった人々が、飛び散った血肉を浴びて、半狂乱はんきょうらんとなる。

 看板の下では、突き出された腕が、ピクリピクリと痙攣けいれんしていた。


「……へー」

「この状況で眉ひとつ動かさないのですか。なるほど、役には立ちそうですね。行きますよ、おまえ」


 箱を丁寧にしまい込んだ巫女が、あたしの手を引いて走り出した。

 藍奈は近場に止めていた軽トラをゆびさし、


「運転はできますか」

「免許持ってたよ。売っちゃったけど」

「……しき」


 声だけで不快感を伝え来る彼女を無視し、あたしは運転席に滑り込んだ。

 投げ渡された鍵を受け取り、即座に車を発進させる。


「目的地は?」

県境けんざかいの廃神社と言ったでしょう」

異萬里峠いまりとうげの?」

「そう。そこにある星見ほしみの井戸へ、この〝ひとりばこ〟を投げ入れれば仕事は終わりです。時間厳守、夕暮れまでにです」


 ほんの数年前まで内陸だった海岸線を、法定速度から三割増しでかっ飛ばす。

 思いついた疑問を、隣へと投げてみる。


「ひとりばこって、なに?」

「おまえ……開けたいのですか?」


 氷点下ひょうてんか警戒心けいかいしん

 けれど、あたしはヘラリと笑って、敵意を受け流す。


「開けたいとは思うよ。でも、それ以前におっかない。なんかその箱、〝刺々とげとげしい〟感じなんだよね」

「棘……?」


 巫女は首をかしげた。

 当然だろう。

 箱は、使い込まれた飴色あめいろで、むしろ角は丸くなっていたからだ。


「それでさ、藍奈あいな

「呼び捨てですか、れしい」

「あたしのことも呼び捨てでいいからさ。大事なのは、なんでさっきみたいなことが起きたのかってこと」

「初仕事だと聞いています。だから、サービスで答えてあげましょう。それはですね、ニッカポッカ」

「そっちかぁ、そっちを呼び捨てかー」

「……〝ひとりばこ〟には、災厄さいやくが封じられていて。触れればみな、たたられるからです」

「でも」


 藍奈は触っているじゃない?

 当然の疑問を受けて、しかし彼女は口をつぐんだ。

 しばしの後、


「私は、形而けいじ疆界学きょうかいがく学徒がくとですから」


 と、説明になっていない説明が返ってくる。

 誤魔化ごまかされたかと身構えたが、しかし巫女は、箱自体についての解説をやめてはいなかった。

 桜色の上唇をちろりと舐め、巫女は饒舌じょうぜつに語りはじめる。


「〝ひとりばこ〟は孤独を嫌います。そして、周囲に自らを解き放つよう――ふたを開けさせるための暗示を放ちます。蓋を開けずとも、開けるという意志が作用しただけで、災厄は反応し、人が死ぬのです」

「嘘ばっかり」


 あたしは、鼻で笑って告げる。


「知ってる? オカルトの九割はインチキなんだよ? だから信用できない」


 確かに人が死んだ。

 それは由々ゆゆしきことだ、看過かんかできない。

 けれどそんなもの、常識的に考えれば不幸かトリックによるものだ。


「欠片もそうとは思っていない顔では、説得力などありませんよ。それに、残る一割は本物と認めているではありませんか」

「…………」

「おまえ、訳ありでしょう。オカルトこちら側とは言いませんが、厄介を抱えているのでは?」

「……じゃなかったら、こんなバイトやらないよ」


 あたしはため息を吐き、おどけたように笑ってみせる。


「それで、どのくらいの災厄? 十年前の海水面上昇ぐらい?」


 かつて、世界を激変させた大災害があった。

 海水面が上昇し、国土の多くが奪われ、この街とて半分は水底みなそこへ沈んだ。

 四季が乱れ、命のいとなみも変貌へんぼうした。

 けれど、なにより深刻だったのは――


「あれがなくなったことより、ヤバいの?」


 天をあおぐ。

 窓の外に広がる蒼穹そうきゅう

 だが、そこにお天道様てんとうさまの姿はない。あるのはただ、巨大な虚無の穴。


 伽藍堂がらんどう


 十年前をさかいに、世界は太陽を失い、そしてバランスを欠いた。

 常識の欠落けつらくと、異常の跋扈ばっこを許した。


 それは、人類未曾有みぞうの大災害だろう。大災害であることを、誰にも否定は出来ないだろう。

 だというのに、


「それ以上です」


 巫女はたやすく、断言する。

 決しておとるものではなく、また、生易なまやさしくもないと。


呆気あっけにとられるのは理解します。たかだか人間が死んだぐらいで大げさなというのでしょう? 悪しき、おまえはスレています」

「…………」

「逆に考えてください。箱を開けようとするだけで人が死ぬ。もしも〝ひとりばこ〟が完全開帳かいちょうされれば……おそらく国が滅ぶでしょう」


 その事実を知っていようがいまいが、箱の〝中身〟が放つ妖気に当てられて、誰もが蓋を開けたくなってしまうのだと、彼女は繰り返す。


「あー」


 だから、こんなみょうちくりんなバイトが成立するのか。

 それだけ危険だから。

 ならば。


 ――これは、あたしにとって、おあつらえ向きの職業だ。


「おまえ……急に精気が戻りましたね。棺桶かんおけに片足を突っ込んでいるように見えましたが」

「そう?」

「腐ったドブ川色の目をしていたくせに、いまは瞳に光があります」

「理由は、明確だよ」


 ひとつは危険だからこそ、見合った対価があると信じられたから。

 もうひとつは、もっとずっとシンプルな理由。


「ひとつ教えて。どうして藍奈は、大勢の前で箱を取りだしたの?」


 もしもあのとき、彼女が箱を出さなければ。あるいは誰も死ななかったのではないか?

 この疑念は、早々に解消しておく必要があった。

 だから、率直そっちょくに問う。

 巫女は。


「簡単です。おまえが使えるかどうか、試したかったのです」

「――――」

「判定はき。どうやら運搬うんぱんにんぐらいは耐えられそうだと判断しました」

「にゃははは――最悪だ」


 この仕事も、この女も。

 そのちいさな手が震えていることに気がついたあたしも!


「だから気に入ったよ」


 死んでいた心が動き出す。

 純粋な金銭よりも、彼女が行動した理由こそが、あたしをふるい立たせる。


 国家滅亡とはかりにかけて、この女は最低限の犠牲を選んだ。

 己一人で手に余ると考えて、助力を求め。結果として、あたしのような見ず知らずのボンクラから力を借りることをよしとした。


 信用など出来ないだろうに。

 試して出る被害を容認ようにんすれば、自身の心が傷つくと解っていただろうに。


 ――あたしは、この巫女に、胸を張って仕事をやり遂げさせたいと、強く思った。


「〝やるべきこと〟と〝やりたいこと〟が重なるとき、ひとは世界の中心に立つ――」

「なんですか、それは?」

「なんでもない。ただののろいみたいなもんだよ」


 そうだ、なんでもない。

 これまでもそうしてきたように、これが人生最後の仕事になるとしても、彼女の尊厳そんげんまもりたいと強く願う。

 その気概きがいが、アクセルを目一杯踏みつけさせる。


「おまえ、スピードの出し――ぎっ!?」


 藍奈が、悲鳴のような抗議こうぎを上げようとした、そのときだ。


 上からの衝撃が、車体を揺らす。


 ハッと顔を見合わせるが、時すでに遅し。

 窓ガラスが砕け散る。


『それ、あけさせてよ……』


 腕をあらん方向に曲げた血まみれの中年女が。

 ニタニタと笑いながら、藍奈へ――箱へと手を伸ばす。

 反射的に急ブレーキをかけようとして――警笛けいてき


「う、うっそでしょぉおおおおおおおおおおおおおおおおお!?」


 ほんの十年前まで陸地だった場所は、いまや海そのものだ。

 その蒼海そうかいを切り裂いて、こちらへと突っ込んでくるのは――タンカー!


 逃げ出す間もなく、警笛を鳴らしまくる巨大質量が道路を粉砕して。


「こんな死に方は最悪だって!!!」


 車が潰される瞬間、あたしは本心から叫んでいた。

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