7 対話
ラリーに語りかけてきたのは、仮想都市ディラックの代表と名乗る男だった。
用件はこうだ。
〈可能な限り多くの、十億単位の実世界の人間を、二十四時間日以内にアップロードしたい。そのシステムを開発して欲しい〉と。
ラリー・フィッツジェラルドは、まずリカコに相談した。
「なるほど、仮想都市ディラックは、人類の仮想化を急速に進めようというのね」
「そうなんだよ。彼らは国連がなんらかの物理的な攻撃を仕掛けてくると知っている。それを防ぐためには、もっとたくさんの人を仮想化することが必要になっているんだろう。最終的には、地球上のリソースを彼らの住処であるグリッドの維持と改良に集中させたいと考えているわけだからね」
「なるほど」
「最初にポゴリン共和国プロジェクトに呼ばれたときから思っていたんだ。私は単に、脳インプラントの専門医でアップローディング技術の権威というだけで呼ばれたわけではない。それだけの理由なら、もっと若くて独創的な研究者が腐るほどいるからね。あえて理論派で研究者気質の私である必要はないんだよ」
「億単位の人々の仮想化するためのシステムには、ラリー博士の独創的なシステムが必要だったんですよね。私が選ばれたのも同じ理由ね。ディラックは、ポゴリン共和国の全国民仮想化のための開発プロジェクトがはじまったときから、この目的のために動いていた」
「そうなんだ。フリクサスがずっと指摘していたんだよ。別のアップローディング案件が同時に動いているのではないかって」
「目指すは、全人類の仮想化……」
「そう、私たちは最初から、そのプランの実現に誘導されていたんだ。XTCは、つまりディラックの誰かだ」
「……それならそれで、私にいい考えがあります」と、リカコはニコリと微笑んでいった。
「どだい無理なんですよ。国連の長老連中みたいな利益優先の人たちが対策を考えたところでね。みんな考えてるのは自国のいまのことばっかりで、人類が向かう未来なんてまったく理論的に考えられる訳がないんですからね。それなら、国連決議とディラックの目論見の両方を無効化する方法を探ったほうが簡単なんですよ。ディラックは、ある意味少し急進的な思想に取り憑かれています。まあ、軽いカルトみたいなもの。進みすぎた人類はちょっと面倒なんですよね〜。彼らの言い分もある程度は考慮しながら、後先考えられない状態になっている国連の御老体にも少し譲歩させる。そんなこと無理って思ってるでしょ? ところが私の対話型AIがあれば、できちゃうんですよね〜」
「なるほど、さすがリカコ博士だ。じゃあ、そのプロジェクトを進めましょうか」
「今回の事態を収拾するには、『ドリームチーム』の力が必要だと思うんですよね。もちろん、フィサリス博士とライラック社には、最強の量子サーバを拠出してもらわなきゃ、ですね」
「なるほど。それでは、全員招集ということで」
「ええ」
*
ちょうど、そこにシーオ223からのメッセージが届いた。彼女も同じことを考えていたのだ。ラリーとリカコにはそれが嬉しかった。シーオ223は、座標496に会議室をオープンして広大なワークスペースを展開し、ドリームチームのメンバーに招集をかけていた。
「496。完全数。縁起がいいわ」とリカコ。
ワークスペースに同時に出現したフィサリスはライラック社最大のパワーを持つ量子サーバを用意した。
「お嬢さん、『ドア』は解放でいいんだよな」
「フィサリス博士。また、超弩級のサーバね。とりあえず、時間がないからセキュリティはいらないですよ。そのかわり、例のサーバと『量子もつれ』の状態にしてくれてますよね。あなたが、仮想都市ディラックに納品した量子サーバですよ」
「やっとそこに気づいてくれたんだね、お嬢さん。ウチの会社だって、別に悪気があってディラックの話にのったわけじゃないんだ。このサーバは、いまディラックの量子サーバと『量子もつれ』の状態にしてある」
「完璧ですね、博士」
「いい訳させてもらうが、ディラックは、仮想化分野で経験豊かなチャゾコンサルティングと組んで、ポゴリン共和国の仮想化を進めるのがベストだと考えていた。だが、チャゾ社の記憶スキャニングには、XTCがいった通り二千万人もの人々を不安なく仮想化することに関する問題があった。それで、我々が協力したってわけだ。お嬢さん、これが、『ワイダニット』の答えなんだよ」
「わかってるわ、フィサリス博士。これで私に仕事がこなくなったらライラック社で雇ってもらうんだからね」とリカコがニコッと微笑む。
輝く光の奥に、広大なワークスペースが広がる。
フィサリスとライラック社のエンジニアが、リカコの仕様データをもとに驚くべき速度でプログラムを書きはじめている。
リカコが提示した「いい考え」はこうだ。
それは、仮想都市ディラックと実世界の国際連合との間の和解を促すことだ。といっても、各国の老人たちが意思決定を握る国連は旧来の強引な軍事力を信じており、ディラックは仮想世界こそが人類の進むべき進化の姿だと考えている。
国連が物理的にグリッドを停止すれば、ディラックをはじめとする数千万人の仮想化人格は滅び、一旦は、実世界に主導権が戻りそうなものではあるが、その後の経済、産業、技術、教育、医療、などすべての文明と科学は、ざっと二百年以上も後退することになる。AIやロボットが生産を担い、ほとんどの人々がベーシックインカムで暮らすことができる現在にあって、その後退は致命的だ。老人たちはそれに気づかない。
一方、進歩のスピードが速すぎる仮想都市の人々は、急進的な科学技術の進歩を望むがあまり、実世界という基盤がなくては仮想世界が成り立たないという重要なことをないがしろにしてしまっている。
もちろん、グリッド経由でロボットを使えばエネルギーの生産も、ソフト、ハードの維持も仮想世界だけで完結できないことはない。だが、それらを維持しているのは実世界の辛うじて保持されている「倫理」という脆弱なものだ。実世界が主要なサーバを攻撃すればそれですべてが終わる。反対に仮想世界からすれば、ただただ歳ばかり重ね、労働もしない、考えもしないような役立たずの人間たちを、ただただ生かしておくのは、無駄としか考えられないという段階にきている。
二者の間にあるのは、互いに正体を憶測するしかないなかで、相手を自分たちの敵としてしまう考え方だ。それは、柔軟にその間を取り持つ対話AIがあれば解決する、とリカコは経験上知っている。必要なのは、不信感を取り除き、相手の真意をくみとり、こちら側に親身に対応してくれる対話AIだ。
ディラックの住民たち一人ひとり、実世界の住民一人ひとり、すべての人格に対し最適なパートナーとして振る舞うことができる対話AI。それを、実世界と仮想世界、二つの人類を結びつけるノードとして用意できれば、ほとんどすべての問題は解決するし、それぞれの立場も役割も尊重しあえるはずだ。
*
すべての人格サンプルに対し、それぞれ親身に柔軟に対応するAIをデザインできるのは、人格と色彩の特殊な共感覚を持つリカコ・スミタニだけだ。それを使ってディラックの情報処理速度に負けないスピードで仮想化人格の脳に叩き込むアップデートの技術を持つのはラリー・フィッツジェラルドだけ、そして、そのAI開発に必要な天文学的なデータ処理を行うシステムを開発できるのはフィサリス・コトウとライラック社だけ、プロジェクトのタスク管理と論理サポートをこなすことができるのはシーオ223だけ。
結局は、ドリームチームにしか解決できないのだ。
*
共有ワークスペース上にタスクリストが表示される。数万、いや数十万の工程だ。作業は膨大だ。徹夜になるだろう。だが、ひとつずつ処理し、少しずつ構築していけばいい。二十四時間の猶予はあるのだから。構築されるAIは量子テレポーテーションによって仮想都市ディラックの基幹AIをその住人たちが気づかないように書き換えていくだろう。その結果、仮想都市は少しずつ実世界に対する攻撃の手を緩めていくだろう。同時に、国連の意思決定AIをシーオ223がクラックしている。それにより、国連は頑固な老人の思考を緩め、譲歩と思いやりをもった対話を根気強く続ける勇気を持つことだろう。
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