絶望と希望の間で紡ぐ物語。
ボンバイエ
第1話 プロローグ
パソコンの明かりだけが真っ暗な部屋を照らす。
カタカタとキーボードを叩く音が音楽の様にリズムよく響く。
リズムよく響いた音が不意に止まる。
「う~ん。」
腕を上げ背筋を伸ばすと、同じ姿勢で固まった背中の筋肉が伸び、少しだけ気持ち良くなる。
「ふぅ~。」
吐息が漏れる。
本人が思っているよりも、体は悲鳴を上げているのか、ちょっとした背伸びでも気持ち良くなる。
「これは重症だな。」
自分の症状を感じて、そんな感想が口からこぼれる。
彼は昼間デスクワークをしており、夜はこうして趣味の物書きやゲームをする日々を送っている。
一日の睡眠時間は平均3時間。
今は、一人暮らしをしているので誰も彼の行動を止めようとする者が居ない。
彼は壁掛け時計をチラリと見る。
針は4時43分を指していた。
齢43になろうとする者がそんな生活を送るには理由がある。
本来なら、家族と過ごし寝ている時間である。
しかしながら、彼には家族と呼べる存在がいない。
いや、いなくなったという方が正しい。
元々、親族と呼べる存在は核家族化世間の様子に倣って疎遠になっており、両親と弟しか居ない。
更に、その両親と弟とも絶縁状態になっている。
理由は彼が独り身になった時に発生した彼の行動によって引き起こされた。
彼が独り身になった理由。
それは家族との死別である。
彼には妻と三人の子供が居た。
近所でも評判の妻。
将来を有望視されていた子供達。
裕福では無くとも幸せな家庭。
彼はそれを持っていたのだ。
そしてある年の夏。
彼は家族を旅行へと連れて行く事にした。
彼は愛する家族を車に乗せ、期待に胸を膨らませ旅に出る。
その彼の自慢の家族たちを乗せた彼の運転する車に、飲酒運転をした男が乗る大型トラックが突っ込んでくるという最低な事件により一瞬で彼は彼の自慢の家族を失う事になった。
彼の失望が如何に大きかったのか、想像に難くないであろう。
先ず、最初に彼は飲酒運転した男に対して憎しみを募らせた。
失意を憎しみで埋めようとしたのだ。
彼の憎しみは大きく深くなった。
それだけ彼の失意が、失望が大きかったという事であろう。
気が狂ったかのように、連日テレビに出て相手を徹底的に罵った。
ある時、その出演時に第三者の者が仲裁的な発言をした事に対して言ってしまった。
『てめぇらは分からねぇ!一生俺の思いは分からねぇ!ぜってぇ、アイツは殺してやる!!お前らみたいな偽善者はそうやっていつも俺を憐れむ素振りをするが、心の奥底じゃ、俺を馬鹿にしてんだろ?!この糞メス豚が!!お前みたいなのに金を出してくれる男に腰でも振ってろ!俺の気もちを分かった様にいうんじゃねぇ!!』
彼がその言葉を発した相手は飛ぶ鳥を落とす勢いのあるアイドルだった。
その事が、世論と呼ばれる世間によって、飲酒運転をした運転手から彼を的にすり替えた。
有る事無い事が週刊誌に書かれ、ネットに住所が拡散され、彼のプライバシーは無くなった。
テレビはその週刊誌を元ネタにして面白おかしく彼をこき下ろした。
世間をお騒がせする彼を、両親と弟は遠ざけ離れていったのだ。
彼は飲酒運転をした者だけに留まらず、世界を憎む事になった。
自分以外は全て敵となったのだ。
そして、事件の決着が裁判であきらかとなると、世間は彼を忘れていった。
世間を騒がせた一般人として忘れさられていく。
その事に彼は何も感じていなかったし不満もなかった。
だが、彼は更に絶望する事になってしまった。
裁判の結果が、彼の求めるモノと違い過ぎたのだ。
飲酒運転は自動車運転過失致死傷罪の7年以下の懲役もしくは禁錮、または100万円以下の罰金か危険運転致死傷罪の1年以上の有期懲役しか今の法律では罰せられなかったのである。
絶望は全ての行為を拒絶する。
絶望は生きる意味を見失う。
そんな彼を不憫に思い、雇入れてくれたのが今の会社の社長である。
しかし、彼は社長がしてくれる好意からの行動すらもどうでも良かった。
ただ、そのおかげで生きる事が出来ている。
生きている状態はかろうじて保つことが出来ていたのだ。
しかし、彼の絶望は大きすぎた。
仕事は最低限でありやる気をみせる事も元気よく働く事も出来なかったのだ。
人付き合いをせず、最低限の仕事しかしない上に助けようとする人さえも遠ざけてしまい常に1人になってしまっていた。
そんな彼は現実世界から逃げる事を選んだ。
それが小説の世界であり、ゲームの世界である。
その世界に居る時だけは、彼は絶望から逃げる事が出来たのだ。
そんな彼を誰が責める事が出来るであろうか?
辛うじて脳が生きる選択をする為に、彼にその行為をおこなわせているのだろうから。
しかし、そんな彼もやはり限界だったのかもしれない。
睡眠時間三時間をずっと続けてきたから脳が壊れてしまったからかもしれない。
だが、少なくとも、今の彼は幸せそうな顔をしている。
彼の目の前には、彼の自慢の家族が居るのだから。
写真から出て来たかのようなその出で立ちは当時のままである。
「お前ら、何処行ってたんだよ?探したぞ?」
『ごめんね。なかなか来れなくて。』
妻は彼に申し訳なさそうに答えた。
彼は妻を見てやっぱり美人だと強く思った。
愛した妻。
溺愛だと言っても過言ではない。
あの事件以来、笑顔になれなかった彼の顔は自然と笑顔になっていた。
『でも、これからはずっと一緒ですから、安心してください。』
『そうだよ。父さん。』
『父さん。よく頑張ったね。』
『父さん。お疲れ様。』
彼の自慢の子供達も彼を労わる言葉をかける。
彼は嬉しくなりさらに顔がほころぶ。
「ああ。本当に疲れたよ。もう父さんもそっちに行って良いよな?」
彼は最後の最後で、家族と出会えたのだ。
それが例え、彼の脳が見せた幻であったとしても。だ。
そして、彼は『生』を捨てた。
もしかすると、彼の脳が『生』を諦めたのかもしれないし、彼を救いたかったのかもしれない。
そのどちらだとしても、彼の心臓は鼓動を止め、脳も活動を止めたのは事実だった。
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