隣にいて
立樹
第1話
今日も夜がやってきた。
デスクの上には、書類の用紙やファイルが積み重なり、二台あるパソコンはまばゆく光を放っている。数字が規則正しく並んでいる画面上を、
「目が、しばしばする。限界か……」
瞬きすると、マウスから手を放した。その手を顔へと持っていき、左右の目頭を親指を人差し指で、ぎゅっと指圧した。
「はぁー」
息を吐き、幾度か目を瞬いたあと、もう一度、画面に目を戻した。
ガランとしたフロアには、パソコンを打つ音だけがひびき、画面から窓へと目を移すと、フロアとパソコンに向かう自分の姿だけが映っている。その窓に小さく映り込む、壁掛けの円形時計は夜の十時を指していた。
いつの頃だったか、隼大は夜が怖くなった。
日が落ちるにつれて、構えるようになってしまった。
家にいると、気が滅入り、居ても立っても居られなくなる。それだったらいっそのこと、会社で仕事をしている方が気が楽だと、最終電車ギリギリまで社内にいるようになった。
そして、今、この時間に社内で一人パソコンに向かっているというわけだ。
数字を目で追えば、頭の中が、数字で一杯になる。計算しながら、先の先を見る。睡魔から逃るように、手を動かし頭を働かすようになった。
眠るのが怖い。
いや、正確には、眠れない自分を認めるのが怖いのだ。
眠ろうと思えば思うほど、眠たいのに寝れないのだ。
睡眠薬は、欠かせない。飲まない方がいいと思っていても、寝れない焦燥感から逃れるために飲む。
気が付けば、最終電車の時刻が迫っていた。それに、ここを閉めるために、警備員が鍵を掛けに来るだろう。
隼大は、軽くため息をつくと、パソコンの電源を落とした。
きっと今日も眠れない。睡眠薬はあっただろうか。記憶の中を探り、戸棚の引き出しを開けた。
――まだある。大丈夫だ。
上着を羽織り、少し肌寒い五月の夜空の下を歩いた。空を見上げれば雲一つない夜空に、半分の月がぽっかりと浮かんでいる。その欠けた月は自分のようだと思った。見たくなくて、それを隠すように手で空を覆った。
「今日も寝れない……か」
そうつぶやいた時、足元を見ていなかったせいか、低い段差にバランスを崩した。
「……っ」
たたらを踏み、よろける隼大の身体を支えるように、腕を掴まれた。誰かと驚き顔を上げると、目の前には、知った顔があった。
「杉山」
「大丈夫ですか?」
「あ、ああ。悪い。助かった」
目の前に現れた彼の名は、杉山
杉山は、同じ部署ではなく、帰り際にであったとしても、頭を下げて「お疲れさん」と声をかける程度。要するに、知人。親しい友人、同僚ではない。
それなのに、なぜ名前を知っているのかというと、入社当初から、注目を浴びている社内随一のモテ男だからだ。こんなに完璧な容姿、スタイルの男がいるのかと思うほどの美男子。しかも、営業成績も上々、人当たりもいい。そんな彼を女子社員が放っておくはずはなく、どこかしこで名前を聞いた。
普段から一人でいることを望む隼大とは反対に、杉山は常に誰かがいた。
隼大は、反射的に周りを見渡した。けれども、近くに立つ人はいない。通行人でさえまばらだ。
「今日は一人なのか?」
「え?」
思わず聞いていた。
杉山は、隼大から手を離し、何を言われたのかよくわからない顔をしていた。
いつもは遠くからしか見たことがない杉山の顔が、今は近くにある。眉を寄せた顔でさえ、渋みが増し、隼大から見ても精悍な顔つきをしている。ここまで、色男だと女性が群がるわけだと納得した。
「川浪さん?」
彼が首をかしげた。
不躾に、魅入っていたことに気づき、「い、いや。すまん」と謝った。
隼大は女性にだって、じっと見つめたことなどなかった。なのに、なぜだか惹かれた。
形のいい唇に?二重のなかにある黒曜石のような瞳に……、いやいや、そんな風に見るのは失礼ではないか。
と、内心で頭を振って、身を正した。
「一人なんて珍しいと思ってきいただけで、意味はないよ。杉山は今帰りか?」
「はい。今日は新規受注のお客様の対応で仕事が押しまして、今です」
きっちり手入れしてあるサラリと艶のある短髪の頭を掻きながら言った。
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