喪失

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喪失

喪失                   小田 晃

(プロローグ)

 寒さでブルっと震えた拍子に目が覚めてしまった。気のすすまぬままベッドから抜け出し、入念に顔を洗い、髭を剃り、髪を梳かし、テーブルに昨夜用意しておいたクロワッサンを二つ、ぬるめに温めたカフェ・オレとともに腹に入れた。これが最後に口に含む朝食だと思うと、カフェで口にするたいしてうまくもない、いつもの食事が幾分愛おしく感じられるのが不思議だった。もう一度洗面台に向かい歯を磨き上げ、1週間前に出来上がってきた仕立てのよいスーツの内ポケットの奥底には、ベレッタ銃を注意深くしまい込んだ。9mm弾だが自分の頭を吹き飛ばすには十分だろう。何年も前になるが、明子に臓器移植するために、自分の命を棄てようとして、ツテを使ってフランスから密輸入した同じ銃を手にしたかったのである。その時日本に持ち込んだベレッタは、明子に脳死状態で膵臓を移植出来ないことが分かった後、病院の前を流れる川に投げ捨てた。

 フランスで永年軍需産業との付き合いがあった淳一にとってベレッタをフランス国内で手に入れることは大した苦労を要しなかった。ベレッタ92に拘ったのは、明子のために自分の頭をぶっ飛ばそうとして手に握りしめたときと同じ感触を味わいたかったからである。弾倉に弾丸を15発詰め込んで連射出来る優れものだが、淳一が必要とするのは1発だけだった。しかし、弾倉にはきっちりと15発の弾丸を詰め込んだ。あの時と同じ重さを感じたいという想いがそうさせた。

 今日も一日パリの街をコートの襟を立てながら歩きまわり、疲れたら目に入ったカフェで軽い食事をとり、エスプレッソに砂糖をしこたま入れて呑み干す。淳一のルーティーンだ。夕方になり、辺りの日が陰り始めた頃、遊覧船に乗り込んだ。セーヌ川の豊かな水量を感じながら、ミラボー橋に近づくのを心待ちにしているのだ。淳一は自己の存在自体がほどけるように軽くなり、セーヌ川の川風と同化していくのを一瞬でも感じ取りたいのである。そのとき、オレはすべてから解放されるのだ。オレの行為を誰がどのように評してもそんなことはどうでもいいことだ。これがオレの行き着いた結論なのだから。

 淳一はスーツの内ポケットからベレッタを取り出し、強くこめかみに当てた。冷たい銃口の感触がむしろ心地よかった。

その一瞬の後、ミラボー橋の下で一発の銃声がとどろいた。

(1)

 山崎淳一は、1960年生れの、両親が神戸の地方公務員の一人息子である。地方公務員と云えども、共稼ぎともなればそれなりに裕福な家庭環境のもとで育ったということになるのだろう。両親ともに、もともと地元の人間で、神戸のある国立大学時代の同級生どうしで学生結婚をし、卒業後は二人して神戸市役所職員になったというから、たいして珍しくもない男女の組み合わせだったのだろう。母親の方が上司というカタチの定年退職だったが、淳一とは違い、おっとりとした性格の父は母に仕事上の嫉妬心は抱かなかったように見える。深い内心の想いまでは分からないにしても、定年後の二人はここぞとばかりに海外旅行に行きまくり、現在はマレーシアに移住して暮らしている。

 両親は時折思い出したように帰国するが、ネット社会でもあり、大した用事もないのにかなり頻繁にスカイプで顔を合わせているので、帰国した折に実際に会って食事などしてもそれはありふれた日常の延長線上の出来事のように感じてしまう。ネットは人間から懐かしさや思慕の念などの、人間の基本的な感情を限りなく希薄にしていくのか?と時折感じることがある。仮想空間はやはり現実とは異なる次元なのだ、という想いがどうしても私には拭えない。ネットは仕事上もありがたい存在だし、若い時代から世の中を利便性という点で一変させてくれた、という意味で価値があったが、同時に人と人との在り方そのものが変わってしまったことを淳一は心のどこかで、何かが間違っているのではないのだろうかと、誰にも通じない叫びをあげている。自分の内奥の叫びが単純な過去へのノスタルジアから生じているとは思えない。正直、淳一にはこの世界に対する違和感を拭い切れなかったのである。多分、淳一の年齢にしては異端だっただろう。

(2)

 商社に就職したての頃の仕事は重工業系列のインフラ事業に関わるプロジェクトをかつて旧ソ連に属していた国々に売りまくることだった。鉄道事業に関わるもの、石油系のパイプライン建設等、日本の伝統的な重工業会社が自民党政府を動かしながら、政府に恩を売りつつ会社自体は、大きな中間マージンをぶんどる仕事内容だった。大規模な仕事だと云う認識はあったが、実のところ淳一にはたいした興味は湧かなかったのである。淳一が京都の国立大学出身者で、入社した東京の大手商社の上司が自分の得意分野の後継者に淳一を育て上げようとしていたことが、淳一の仕事内容を決定づけたと言っても過言ではない。当時の上司は前田正一といい、淳一の大学の先輩にあたる人だった。

 旧東側諸国にインフラ事業を売り歩き、その仕事が一段落して淳一が日本に帰国出来たのは28歳のときだった。上司の前田の紹介で見合い結婚した中山沙也加は、本社の受付係の美人だった。フランスに赴任するまでの二年間を東京の社宅に住み、新婚生活を送る間、仕事がどれだけ忙しくても毎日のように沙也加を求めずにはいられなかった。自分は沙也加を愛しているのだ、と感じることが出来る、淳一にとっては心穏やかな二年間だった。沙也加とは文字通りの夫婦になれたと淳一は思うのだった。一人息子で、決して社交性があったとは言い難い淳一にとって、家庭以外に外の世界を見る心のゆとりはなかった。そんな淳一が抱き得る夫婦の原型は自分の両親でしかなかったのは当然のことだろう。共働きの公務員どうしの、大した野心を持たない両親の間に出来た子どもに、それ以外の規範になり得る対象があるはずもなかった。そして、結婚したから分かることもある。両親は、離婚することもなく、現在はマレーシアで豊かな?老後を送っているが、それでもなお、淳一は二人の関係性に不可解さを拭い去ることが出来なかった。それは次第に不可解というより、敢えて云えば愛という要素をはぎとってしまったからこそ成立する夫婦関係というものではなかったのだろうか?淳一は、心の底に滓のように溜まった証明しようもない感情からいまだに抜け出せないでいる。

(3)

 入社したての頃、任される仕事が自分の性格には合っていないのではないか、としばしば感じた。それを裡に秘めて淳一は任された仕事には真剣に向き合ってきたのである。上司で自分に目をかけてくれる前田の期待に応えることが自然に仕事の業績を上げた。淳一は自分に向きもしないことを、個性的な器用さと真面目さで乗り切ってきたに過ぎないのだ、と自己評価していた。剥いて言えば、会社という組織に身を置き、仕事をこなすというのは、案外こういうことなのかも知れないと淳一は心密かに思っていたのである。当然のように社内では淳一は仕事が「デキル」男として認識されるようになっていくのである。そのことで上司の前田に対する義理も立つようになった。

 勤勉さと負けん気の強さで仕事の成果を上げたことが認められて、ヨーロッパの、小さいが、その地の支店の副支社長としてフランスに赴任した時、淳一はまだ30歳になったばかりだった。

(4)

 淳一がフランス支社の副支店長に命じられた極秘任務は、フランスの核兵器製造技術の現況を探ることに加えて、日本の防衛省が極秘に進めている自国の原子力発電所開発技術を核武装に転化・応用するための技術開発を日本へ導入出来るかどうかの可能性を探ることだった。淳一が生まれた1960年に、フランスの本格的な核実験が開始されたことを考え合わせると、淳一はフランスでの任務が何らかの因縁によるものではなかろうか、という想いを心のどこかで自分を納得させる材料にしていたと思う。日本の核武装の長期的な内々の計画に参画出来れば、淳一が勤務する総合商社にとっては長期安定型の利益を生み出すことが出来る。そして巨大利権の獲得に繋がる密やかな一大プロジェクトだったのである。

 任務の負荷の大きさだけなら耐えられる自信はあったが、自分に課せられた利益追求のもたらす将来の可能性の意味を考えると、心の中に暗い闇が広がりつつあることに、淳一は醒めた気持ちとある種の絶望感とがないまぜになり、暗黒の闇のさらにその深淵の中に沈み込んでいくような恐怖感に襲われ、真夜中に覚醒し、酒の力をかりて眠りにつくことが多くなっていった。そしてその精神的混乱の極みが、いつしか自分の存在そのものの終焉に繋がるのではないか、と怖れた。

(5)

 日本の慣例に従えば、人事異動は3月末から4月に行われるのが通常の姿だったがが、淳一が妻と伴に日本からフランスに向けて旅立ったのは真冬の11月であった。妻の沙也加は自分でも憧れていたのだろうか、フランス転勤を歓んで受け入れていたようだ。急な転勤だったので、沙也加は簡単なフランスの日常会話を独学で身につけ、後は現地のノン・ネイティブ対象の語学学校に通う算段までつけていた。そういう妻のどちらかというとうきうきとした様子を見ていると、自分に課せられた任務がかえって重荷になるのを払拭出来ないまま淳一は日本を後にしたのである。

 商社マンとしての通常業務をこなしながら、その間隙を縫って、フランス政府、日本政府、日本政府に取り入った淳一の勤務する商社間で秘密裡に取り交わされた契約に従って、彼は核開発施設、原発開発施設、大小の核兵器製造施設をしばしば訪れる日々を送ることになった。

(6)

 沙也加が子どもを強く欲しがるようになったのは、フランスに赴任した当初からだった。産むならフランスで産みたいと淳一に懇願するようになり、それはこれまで見たこともない沙也加の頑迷な一面でもあった。おそらく、フランスと日本の国籍のどちらかを、成長した子どもが選ぶときの姿を想像することが彼女の心を高揚させたに違いないし、彼女なりにフランスの教育に関心も高かったのだろう。沙也加は日本のお嬢さん学校の一貫校に通う過程でいっときひどく虐められた体験があり、それが自分の子どもを日本で教育させたくはない、と頑なに思わせたのかも知れない。

 私の真意は沙也加との子どもが心底欲しかったのである。同時に沙也加への愛が深まれば深まるほど、自分が妻にも秘匿しなければならない仕事がどのように子どもに影響するのかが怖かったのだ。まったくの杞憂かも知れないと思いたかったが、どれほど緻密に設計された防御服を身につけても、日々浴び続ける放射能の量は通常の許容値を常に遥かに超えていたことを淳一は自覚していたのである。特に原子力発電所から排出される劣化ウランでつくる核兵器製造工場は、原子力発電所と比較にならないほど放射能対策がずさんだった。恐怖感に駆られるのと同時に、一体自分は何をやっているのだろうか、と煩悶することが多くなっていった。この頃、沙也加の子づくりの欲求が、私の気分と背反するように強まっていったのは人生の皮肉としか言いようがない。さらに淳一の記憶の奥深くに眠っている自分の親子関係のあり方が、明確なカタチを結ばないまま、心の中で、滓のように子どもを育てることの怖さとして増大していくのであった。

(7)

 本当のことが言えず、日々沙也加の気持ちをはぐらかす夫に対して不信感が深まるのは当然の理である。沙也加にしてみれば、果たして夫は自分を愛しているのか?そんな自問の機会が徐々に増えていったのは自然の成り行きだろう。沙也加は家に閉じこもることが多くなっていった。その頃の沙也加の様子を見ていると、フランス社会に馴染もう、という気力さえ失せてしまっていたように見える。淳一は、自分が一体どんな仕事をしているのか、つい、打ち明けたくなる瞬間を何度やり過ごしたことだろう。

 淳一が妻を求める時に、沙也加は常に夫が避妊具を忘れないことを恨むようにさえなった。特に排卵日に当たるときには沙也加は夫の要求を敢えて受け入れることさえなくなっていった。妻に拒絶されるとき、妻の身体の状態が子どもを授かる用意が出来ているときなのだ、と淳一にも分かるようになった。想えば二人にとって残酷な行為を愛情がありながらとったものである。自覚的な拒絶のされ方が何度となく重なっていくうちに、沙也加の気持ちが自分からどんどん遠ざかって行っているのではないか、と淳一は怖れた。そんなことが続いていると、二人の夫婦としての性的営みそのものが疎遠になるのは当然だった。同時に夫婦としての心の交流自体が沙也加の方からぶった切られているように淳一には感じられるのだった。こういう状況のもとであってもなお、妻に仕事上のことや自分の家庭環境のことを相談出来ないもどかしさに淳一は打ちひしがれた。

淳一から話しかけても、沙也加は意図的にまったくすれ違った返事を返すようになった。こうして夫婦生活は実質的に破綻したも同然となった。それでも淳一は仕事を投げ出すわけにはいかず、沙也加はその頃、フランス語を個人レッスンで習うようになった若い青年とレッスン以外でも一緒に過ごす時間が次第に長くなっていった。

(8)

 妻との心の距離間が広がるにつれ、淳一は孤独の只中で生きているようなものだ、と思うようになっていった。自分が手掛けている仕事そのものに意味を見出せないまま、秘匿事項だけが膨らんで、沙也加とも心を割って話せなくなってしまった。いまの沙也加の自分に対する態度は己が招いたものだ。それに淳一の律儀さが仕事上の秘匿事項を自分の生活のあらゆる要素の上位に置いてしまったのだ。全ての責任は自分にあるのだ、と言い聞かせながら辛い日々を淳一は耐えた。

 そのような日々の積み重ねの中で、沙也加はしばしば家を空けるようになった。理由は親しくなったフランスのマダムの家に泊まりにいくということだったが、沙也加はウソが下手だった。あるいは事実を淳一に知らしめるためのわざとらしい誇示だったのかも知れない。むしろそう解釈する方が、沙也加の言葉の裏側に隠されたことが淳一には透けて見えるようだった。フランス人の同僚から沙也加とフランス青年のかなりおおっぴらな逢瀬の様子を聞かされることはなかったが、心ない陰口やゴシップもどきに報告したがるのは、必ずと言っていいほど同僚の日本人たちだった。

 沙也加と私との、心身ともにとどめようもないほどの大きな距離感が出来てしまってから半年も経たないある日に帰宅すると、アパルトメントから沙也加の生活の痕跡らしきものがすべて消えていた。大型のスーツケースが消え、沙也加が日本に帰国したことを物語っていた。

(9)

 沙也加が帰国してから1カ月がほどなく過ぎようとしていた。淳一は決して楽観はしていなかった。むしろ自分の短い結婚生活の終わりが迫っていることを肌身に感じながら一日一日を過ごしていた。しかし、淳一が仕事の手を抜くことはなかった。それが会社のためでもあり、同時に日本の国防のためでもある重要な仕事に自分は就いているのだ、と心の中で自分に言い聞かせた。淳一はこのようにして、現実から逃げていたのである。

 そんなある日、郵便ポストに沙也加から自分宛に封書が届いたのである。中には離婚届けと、沙也加からの手紙が添えられていた。沙也加の手紙を、時間をかけて読み通した。沙也加は手紙の中で語っていることはあまりに正当で淳一には離婚を拒否することなど出来はしなかった。沙也加は手紙の中で次のように語っている。


 ―淳一さん、あなたとしっかりと話し合って出すべき結論であることなのに、このように一方的にお手紙で私の意思をお伝えすることの非礼をお許しください。あなたからすれば、私は少しばかり裕福に育てられた世間知らずの女に思えたことでしょう。それでもあなたは私を愛してくださいました。あなたの愛に疑問を抱いたことは一度もありません。また、あなたを妻として裏切ったこともありません。あなたはきっと私が個人レッスンを頼んでフランス語を勉強していたソルボンヌ大学の学生さんと恋に落ちたと思っていらっしゃるでしょうが、そういうことはなかったのです。私の中の、あなたのお仕事上の秘匿事項に対する、ある種の嫉妬というか、抵抗の証としてあなたを困らせてやりたかったのです。いま冷静に考えればなんと浅はかなあなたへの反発の仕方だったのだろう、と反省しています。ほんとうにごめんなさい。

 帰国してから、あなたが私がお願いしたことをあれほど頑なに拒む理由が分からなくて、そしてあなたという律儀な個性が、私にすら話せないことを抱えながらお仕事をしなければならない、その理由を、あなたから聞き出すことなど出来るはずがない、と悟った瞬間から、自分は淳一さんにはふさわしい妻ではないのではないか、と思い始めました。私がフランスで幼い夢を抱いていたことと、あなたが胸中に秘めて明かせぬことの乖離間の大きさがどれほどのものか、と考えさせられました。

 実は帰国してからすぐに私たちを引き合わせていただき、仲人までしていただいた前田部長に、離婚しようかと思っているとご相談に伺いました。あなたの将来に出来るだけ不利なことにならないように、どうしても私がフランスに馴染めず、今後も商社マンとしての淳一さんが諸外国に行くにしても私には到底そのような生活が出来そうにないことと、そんな自分がいかに不甲斐ない人間であるか、そしてこれ以上淳一さんに迷惑をかけたくないのだ、ということを告白的に語りました。

 前田部長は、淳一さんを大抜擢したことはいまでも正しかったと思っているが、彼の沙也加さんへの深すぎる愛ゆえに、子どもを持つことに慎重になり過ぎたのだろうとおっしゃいました。淳一くんは一切語らなかっただろうが、私の責任上、沙也加さんには詳細には明かせないが、ざっくりと話をする義務があるね、とおっしゃって、淳一さんが私の子どもを授かりたいという要求を当面は退けようとした理由が漠然とですが、私なりに理解出来ました。

 淳一さん、私はあなたを夫として、そして人として愛し、尊敬しています。けれど、問題なのは私の方なのです。諸外国を股にかけて仕事をする商社マンであるあなたの足かせに私はなってしまう人間です。表面的な恰好よさばかりを見ていただけのバカな女でしたし、たぶん、私はこれからも変わることが出来ない女なのです。私はあなたの子どもが欲しかった。でもあなたは結果を慎重過ぎるほどに考える方です。私があなたのもとにもどれば、あなたを困らせるばかりでしょう。それに、私のような人間は、あなたが怖れていた結果が出てしまったら、それに耐えられない情けない人間であることも、改めて自覚することとなりました。淳一さん、私はあなたのもとを離れます。むしろ私の方から離れなければならないと思うのです。もともと一人娘だった私に両親が願っていた田舎の造り酒屋を、養子さんをとって守っていくことくらいが、私のような平凡な女に出来る精一杯のことだと気づきました。私の勝手な申し出をお許しいただき、離婚届にご同意してはくださいませんか?そして、それを送り返していただければ幸いです。遠いところから、淳一さんのご活躍を願って筆をおくことにします。


 これが私と沙也加とのはかない別れとなった。離婚届けを受け取り、必要事項を書いただけの、事のはじまりから何もなかったような離婚劇だった。淳一の心の中で、何かがポキリと折れた音がした。折れた心を持ち堪えさせる唯一の安直な方法は、自分に課せられた仕事の意味を考えることを遮断することでしかなかった。それ以降の淳一はこれまで以上に仕事に没頭した。二国の大国が絡んだビジネスだ。それがたとえ淳一にとって耐えがたいものであっても、仕事の内容を他言せず、その成果だけを日本に持ち帰ることしか考えなくなった。自分の仕事を関係国も会社も、世界平和のための手段だと言おうが、自国の武装のためと捉えようが知ったことか!そういう呟きの中で淳一はフランス支社の副支部長の仕事を滞りなく、効率的にこなしていく毎日となった。

(10)

 淳一にとって仕事をしているより、休日の方が辛かった。何よりフランス人たちの夏はバカンスを長期間とってパリから離れるのが通常であり、パリの街は海外からの旅行客で賑わっている。その環境の中でパリのアパルトメントに留まって、むしろ海外からの観光客がひしめく中で長期休暇を過ごすことが、淳一のバカンスの日々のやり過ごし方だった。想えば、自分も仕事はしているもののパリの長期滞在者に過ぎないのだから、暑い夏こそ強い日差しの中を散策し、セーヌ川の水量の豊かさを愛でていればよいのだと、どこまでも自分が、外部者としてのパリ在住の人間だということを言い聞かせた。一人の生活者として、淡々と生き、仕事を続ければよいのだ。フランス現代哲学お得意の、洞察ある「観察者」ではなく、淳一は文字通りの表層的観察者として、パリの生活者になろうと努力した。淳一は心のどこかで、コアーとしての思想から周縁的思考へと現代は流れつつあるのかも知れないと浅い知識を紡ぎ合わせることで仕事上の自己矛盾に対峙しようとしていたのかも知れない。

 ある日の夕暮れ時に、照り輝いていた太陽も幾分陰りを見せ、涼やかな風がセーヌ川から頬を撫でるように微妙に吹いてくる中を、淳一は無意識に川沿いを歩き疲れるほど歩いてしまい、気づいたらオルセー美術館に到達してしまっていた。オルセー美術館に来てしまったのなら、ここを訪れる人々が作品のすばらしさにも関わらず、敢えて話題にしないのがクールベの「世界の起源」という作品だ。それだけでも観て帰ろうか、と淳一は思い、入場券を買った。

クールベはお気に入りのモデルの美しい女性器だけを、あるいは美しい女性器を起点にした女性の豊かな下腹部や乳房の艶めかしい膨らみを描いてみせた。クールベの創作意図に当時の政治的反骨精神が潜んでいようといまいと、そんな要素とは無関係に淳一はこの絵が好きだった。オルセー美術館を訪れる殆どの鑑賞者にこの種の美的感覚が汲み取れる人はいない、と淳一は思う。これまで何度もこの作品の前で、自信過剰の女たちが自分の股を大びらきに晒して話題になったことがあるが、クールベが何故「世界の起源」を描くに至ったかの経緯も想像力もない女性たちが起こした、「どう?私のヴァギナの方が綺麗でしょう?」と言わんばかりの人騒がせ事件は、さすがに昨今は起こったということは聞かない。しかし、そのようなこととは別に、「世界の起源」の前に男の自分が長く思索にふけりながらいることが憚られるのは如何にも不条理ではある。

 周囲を気にしながら「世界の起源」を眺めていると、人の気配に気がついた。小さな舌打ちをしながら何気なく横を見ると、日本人らしき、多分30代にさしかかろうとしている女性が、しきりに「なるほどクールベって凄いわ。」と呟きながら写真を連写しながら撮っているではないか。フランスの美術館は写真撮影が許されているが、一眼レフまで持って来て、これほど熱心に美術館の絵画を撮影している女性に出会ったことがない。彼女にはまわりのことが殆ど目に入っていない様子で、淳一が隣に立っていることにさえ気づいていないのかも知れない。彼女が写真家なのか、写真家気どりなのかという詮索などはどうだっていいか、と、淳一は思った。ともあれ、芸術に夢中に向き合っているこの女性の姿が淳一の心を捉えたことだけは事実だった。

(11)

 沙也加が帰国し、離婚して以来、淳一は人に対して積極的に話しかけることが仕事以外では極端に少なくなっていた。淳一はお隣の女性のことは気にはなったが、そのままクールベの絵の前から立ち去ろうとしたその瞬時に、写真を撮り終えたのか、彼女の方から声をかけてきたのである。

 「私、ルーブルなんかよりオルセーの方がよほど好きで、フランスに立ち寄ったら必ず、まずはクールベの「世界の起源」の前に来るんです。クールベのモデルさんを描いたのでしょうけれど、女の私から申し上げるのもお恥ずかしいのですが、女性の性器がこれほど芸術的で、魅惑的に描かれたことはないのではないか、と思うのです。それに陰毛の毛量も、この絵をすばらしく際立たせているわ。この絵に関しては、政治的なメッセージ性があるとか何とか言われていますけど、私にはそんなことはどうでもよくて、ただただ感動するのです。人間の性的営みはここからはじまるのですし、また貴重な命の起源でもあるわけでしょう?そんなことを考えると何だか私は女として、何より人間として救われますもの。」とこの女性は一気にまくし立てた。淳一は彼女の話を聞きながら、ひと言も発せずただ彼女の顔を眺めていた。

 「あら、ほんとにごめんなさい。あなたのお邪魔をしたばかりか、私、自分の勝手な妄想じみたことを一方的に喋ってしまって。どうしたらいいのかしら?とりあえず、私、桜井明子と申します。一応フリーの写真家ですけど、主に日本の料理雑誌やファッション雑誌を手掛けています。絵を撮るのは私のまったく勝手な趣味です。ほんとにお騒がせしました。申し訳ありませんでした。」

 機関銃のように喋るが、それでいて彼女の言葉には女性のしとやかさがあった。まじまじと彼女の顔を正面から見てみると、30歳を前にしているであろう、円熟した色香が漂っていて、淳一の心は桜井明子という女性に釘付けになったのである。使い古された言葉で言えば、まさに一目惚れだった。

 「ご紹介恐れ入ります。申し遅れましたが、私は山崎淳一と申します。日本の商社マンです。こちらの支店勤務で雑用係のような仕事ばかりをしています。一人ではパリから離れたバカンス地に行く気も起らず、こうして偶然オルセーにやって来たのですが、桜井さんとおっしゃいましたか、あなたのような素敵な方とこうしてお話出来るなんて夢にも思っていませんでした。私にも幸運というものが訪れることがあるのだと思っています。」

 「あら、お上手ね。山崎さんはそんなふうに女性を口説くのかしら?ほんとに礼儀知らずなもので、申し訳ないのですが、私、あなたに口説かれたとすでに思っておりますの。こういう雑な女はお好きではないのでしょうけれど。」

 「あなたが素敵だからこそ、私にも幸運というものが訪れることがあるのだ、と申しました。そろそろ夕暮れ時です。もしよろしかったら、お食事でもご一緒していただけませんか?」

 「はい、歓んで!そのお誘いの言葉だけをひたすらお待ちしていましたから。」と桜井明子は美しい笑みを浮かべて淳一の目を眺めていた。いや、彼女の淳一を見つめる視線は、心の奥底まで響くかのような強いまなざしだった。この瞬間、淳一はさらに桜井明子に釘付けになった。

(12)

 二人はオルセー美術館を出ると、直ぐにタクシーに乗り、オペラ座まで、と淳一は運転手に告げた。

 「山崎さん、フランス語お上手ね。私のフランス語なんて殆どカタカナ訛りだもの。カッコイイです!」

 「仕事でもう5年もこちらにいますから。それに同僚は殆どフランス人ばかりで、僕にとっては生活言語ですから。フランス転勤を会社に命じられたときの約束では、転勤も終わり、今頃は妻と日本で暮らしているはずでした。お会いしたばかりで、ぶしつけな話なのですが、私のフランス在住が延びたのは妻と離婚したからです。どうせ独り者なのだからもうしばらくそちらで働け、という会社側の無慈悲な命令のためです。どうですか?笑えるでしょう?」

 「淳一さんは、会社にとってなくてはならない人なのよね。プライベートなことには立ち入れないにしても、あなたでなければ出来ないお仕事をなさっているのは、鈍い私にも分かることですから。」

 桜井明子は、タクシーの中の会話の中で早くも自分のことを淳一さんと呼びかけた。たぶん、たいした想い入れのない女性なら礼儀をわきまえない人だ、と決めつけるのだろうが、明子(そう、自分も声にならないところですでに明子と呼んでいるのだ!)に自分の名前を呼ばれると、懐かしい心地よさで包まれる感覚に襲われた。別れた妻に対しても抱いたことのない心境だ。これはいったい何なのだ?

 タクシーがオペラ座に着くと、たくさんの恋人たちが階段に座り、腕を組んでいるカップルが普通で、女性の方に腕をまわして濃厚なキスをしているカップルも相当数いる。オペラ座の階段は勿論のこと、パリの街中は整然とした雰囲気はあるにせよ、道路の隅々にはタバコの吸い殻が無数に投げ棄てられているような、無造作で無秩序な美しさで覆われている。淳一はそういうところがとても気に入っていた。

(13) 

 淳一が明子を案内したレストランは、オペラ座から歩いて5分くらいの距離にある、だいぶ前に海外旅行者向けに舵を切った、24時間営業のかつてのフランス料理の名店だった。料理の味は名店というプライドを捨てた店が陥る最も悪い典型のような店になっている。素材の質を落として、たとえばフランス家庭料理を売りにすれば庶民も楽しめる店になっているはずだが、ここはかつての装飾品や店の運営方式のカタチにこだわるあまり、中途半端な高級?フランス料理店というものになってしまった店だと淳一は思っていた。しかし、何故か淳一は進むべき道を間違えてしまった、この三流フランス料理店が好きだった。淳一にしてみれば、料理の味はお話にならないにしても、名店だった頃のフランス料理店の雰囲気を金で買えるという意味で、しばしば出入りしている店だった。

 定義通りの名店は通りの反対側の高級ホテルの一階にあったが、明子を敢えてここに案内したのは、自分の日常の一端を手短に彼女に知らせたいという想いからだった。明子も何度もパリには訪れている女性だ。高級フランス料理店が通りの向こうにあることくらい知っているからこそ、淳一はここに来ることの意味があると思ったのである。パリの日常の自分を知ってもらうためにも。

(14)

 明子が最初に発した言葉は、「素敵なお店ね!」というはしゃいだ声色のそれだった。淳一の意図をすべて見透かしたかのような声色に淳一には聞こえたが、明子の表情からは素朴な感情しか読み取れなかった。もし、明子が装っているなら、彼女はなかなかのやり手だ。オレが好きになってはならない女なのかも知れないと淳一は心の奥底で呟いた。

 ありふれた味のオニオングラタンスープを食べながら、明子は「これ、ほんとにおいしい!」という言葉を淳一に投げかけた。淳一は、自分の日常生活の一端を、この店の常連客であることを明子にすぐさま告白した。そして、「僕は敢えて生牡蠣をオーダーしないよ。食あたりして君に苦しい思いをしてほしくないからね。そのかわり、少し奮発して、うまい白ワインを頼んでお腹いっぱい食べましょう!」と言った。明子は、うん、うんと頷いた。淳一は彼女の所作の一つ一つに心魅かれた。この人は美しい、と心底思った。ちょっとした拍子に、自分の極秘任務について愚痴りたくなる瞬間が何度も訪れ、それを堪えるのがむしろたいへんだった。妻だった沙也加に対しては、内々の任務も含めて、いくら軽い事柄であっても仕事上のことは、決して話そうとは思わなかったのに、である。今日出会ったばかりの明子にオレはすべてを打ち明けたくなっている!一体どうしたことか?この数年の仕事上の重さに耐えられなくなってしまっているのか?あるいは、この目の前の女性に理屈抜きで心底惚れてしまったのか?

(15)

 ワインのボトルが二本空く頃には、淳一の方は隠密裏に進めている仕事以外のことは殆ど(日本政府の核兵器開発技術のことも、何故明子の前ではそうなるのかは分からないが、つい口をついて出てきそうな告白の誘惑を抑えるのがやっとだった。)明子に話し、明子も淳一以上に素朴に仕事内容の、多分すべてを語り終えていた。

 彼女はお茶の水女子大で写真にとりつかれてしまい、引手数多な大企業の就職の内定を蹴り、写真の専門学校に入りなおしたのだと言う。お茶の水女子大からの写真専門学校への再入学に、物分かりのよかった両親にもさすがに反対された。淳一自身は関わったことはなかったが、知悉している大手企業の重役の父と専業主婦との家庭の裏事情を想像してみたくもなる。それも一人娘が手堅い就職先を蹴って、写真家になりたいという申し出は、彼女の家庭環境からすれば、大抵は反対される選択肢でもあるだろう。

 「明子さんもずいぶんと勇気ある決断をなさいましたね。フリーランスの写真家ともなると、第一線でお仕事し続けることはたいへんでしょうね。美術館でのお話ですと、お料理本やファッション関係の雑誌のお仕事を続けておられるとのことですが、明子さんにはやはりそれだけの才能があるのですね。うらやましい限りです。僕のような平凡な会社員からすると、特にそう感じますね。すばらしいです。」

 「正確に言いますと、仕事をし続けてはいませんね。いい写真が評価され続けるのは至難の業で、勿論、大手の出版社にはお抱えの写真家が必ずいますから。ですから、フリーランスというと聞こえがいいかも知れませんが、殆どは私の方から自分の写真やアイデアの持ち込みをして、折り合いがついたらお仕事が頂けるという程度の仕事の仕方ですよ。ですから、生活の足場はグラグラです。で、ストレス解消のために、何か月かに一度くらいは海外にでも出ないと気持ちが荒んでしまうのです。いろいろな国に行きましたが、やはりフランスはいいです。特にパリは写真家というと自分の中で違和感がありませんので、写真を生業にしている身としましては、ここにあるものすべてが私にとって大切な素材です。その意味で、私、ここがすごーく気に入っています。」と話す明子の表情は生き生きとしていたし、ワインのせいか、幾分高揚した感じが淳一の心を揺さぶった。

(16)

 食事の最後のエスプレッソに、淳一は小さなカップに茶色の角砂糖を入れてスプーンでかき回し始めたら、明子はそうですよね、エスプレッソは思い切り甘くして頂くものですよね。東京の私の友達なんてみんな真っ黒なエスプレッソをお砂糖を入れずに、まるでドクダミを呑むみたいに一気にグビッと行くわけです。まあ、その顔ったら!それまでおいしく頂いた料理が小さなエスプレッソカップで全部パー!だ、いう表情がおもしろいわけですよ。私はエスプレッソに角砂糖をバサッと入れて呑みます。みんなはそんなことすると太るでしょう?と注意されるわけですけど、せっかくのおいしいお料理の大事な〆ですからね、大事にいただかないと。

 こういう開けっ広げなところが淳一の心をさらにやわらげた。オレは離婚して以来、いや結婚して以来か?こんなに心穏やかに過ごしたことがオレの過去にはまるでなかった気がする、と思いながら改めて明子の美しい顔に惹きつけられた。

 「あまり遅くなったら、あなたの休暇が台無しでしょう?あなたの泊まっているホテルまでお送りしますよ。ほんとにお食事まで付き合っていただいて感謝しています。ありがとう、明子さん。」と言い終わるやいなや、明子は淳一の言葉に重ねるように言った。「淳一さん、私たち、今日初めてあんな偶然にお会いして、こうしてお食事したら、陳腐な言い方ですけど、あなたをずっと前から知っているような気がするの。私のホテルに来ていただいても一向に構わないですが、何せシャワーしかないひどいホテルです。あなたさえ私のことが嫌じゃないのなら、私、あなたの家に泊まってもいいのよ。こんなことを平気で言える女じゃないことくらいは淳一さんなら分かってもらえると思うから勇気を出して言っちゃった!」と明子は陽気さを装っていたが、表情は自分が受け入れられないときのことを想像してか、弱々しい表情の中からすがるような視線を送ってきたのである。淳一は、彼女の瞳の奥のか弱いが固い決意のようなものを感じ取ったのか、明子の手をとり、オペラ座の近くの自分のアパルトメントまで彼女を案内したのだった。

(17)

 淳一のアパルトメントは、所属企業が海外資産の一つとして所有している5階建ての建物だった。オフィスへは徒歩圏内であり、淳一一人には広すぎる間取りだった。フランス市街らしく、古いアパルトメントの原型を止めながらの改修を施した、風格ある建物である。螺旋階段の中央部に蛇腹式のドアがついたエレベータがあり、二人は5階の淳一の部屋にエレベータで昇っていった。二人ともかなり酔っぱらってもいたし、螺旋階段はよく出来たものだが、5階まで昇るとなるとなかなかやっかいで、淳一は普段からこのエレベータを使っていた。二人は互いに支え合いながらエレベータから降り、淳一の部屋に入った。明子の「なんて素敵なお部屋なの!」という言葉を遮るように、淳一は明子の唇を奪った。軽いキスではなかった。二人のキスは濃密で、互いの舌を絡ませながらいつまでも相手の小さな体内の感触を確かめているかのような、長く、切なさをともなうようなキスだった。淳一の孤独感の深さと明子の孤独と不安感とがないまぜになって、性の饗宴に至るには長すぎるくらいの切ないキスであった。

 断ち難い想いをかき消すようにして躰を離したのは淳一の方だった。彼女に飲み物を出すために彼はキッチンに向かった。彼女はガスウォーターがほしいと言った。同じものをコップに入れ、彼女をソファに誘った。

 互いにガスウォーターを一口啜り、それがまるで初めから定められてでもいるように、二人は互いを求めあった。淳一は明子の肌のきめ細やかさを自分の舌の感触で味わい、明子の躰中に余すことなく舌を這わせた。彼女の繊細な体臭というよりも淳一を魅了して止まない微香が彼の中に眠っていた、殆ど獣的欲情とも云える性を明子に対してあからさまにぶつける勇気(自分にこんなことが出来るのかという、驚愕に近い感覚を味わったという意味で)が自分を突き動してくれ、どん欲な性の欲動を明子に投げかけたのだ。明子の愛くるしい顔の表情と符合するかのような柔らかで細い首筋と、肩から腕にかけての繊細過ぎるほどのたおやかさに反抗するかのように放漫に突き出した乳房を淳一は揉みしだき、肌色と調和した薄紅がかった乳首を舐めまわし、ときに軽く噛んだ。明子の躰は淳一の愛撫のすべてに鋭敏に反応した。女の愛液がこんなにも愛おしく、自分が求めていたものだった、ということに明子との狂おしいほどの交歓によって淳一は知らされたのだった。淳一は迷うことなく明子の体内で射精した。別れた妻との交接で決して避妊具を忘れたことのなかったことがウソのような本能のままの性を明子の体内に放ったのである。放射能のことを言い訳にしていたかつての自分は、子どもなどほしくなかっただけだったのだと悟った。行為の後、二人はソファの上で気を失うように抱擁し合ったまま眠りに落ちた。

(18)

 汗が冷えて淳一はぼんやりした感覚のまま目覚めた。時計を見ると、真夜中の3時を少し過ぎたところだ。明子は穏やかな眠りの中にいる。明子の躰にそっと毛布をかけ、淳一は小さなランプの明かりの中から自分の下着を探り当て、それを身につけるとキッチンに向かい、ガスウォーターに氷を入れ、そこにウィスキーを少量垂らして口に含んだ。冷たい感触が喉を通り越していく過程で淳一の意識は徐々に覚醒してきた。

 ―明子を抱いたとき、オレは決して彼女との交歓に酔いしれて避妊を忘れたわけではない。避妊することそれ自体が思い浮かばなかった。しかし、それは明子に対する無責任な気持ちからではない。むしろ、いまのオレにとって明子は誰よりも大切な存在だ。離婚した沙也加よりも。

 こうして自分の中の矛盾した意識の本質に淳一は直面させられることになった。果たしてオレは原子力関連のいくつかの任務から浴びる放射能ゆえに、沙也加の子どもが欲しいという願いを叶えてやれなかったのだろうか?自分の放射能被爆量は、まったく安全とは言い難いが、それが子どもに及ぼす影響がどれほどのものか?単なるオレの大した根拠のない杞憂が沙也加の願いを遮ったのだろうか?こうした疑問が淳一の深く閉ざされた記憶と感情の扉を徐々に開けてしまうことになったのである。

(19)

 ハイボールを入れたグラスを持って窓際まで行った。フランスの夜は東京などとは比べ物にならないほどに、真っ暗ではないが、たとえて言えば茫洋としたものに感じられる。パリの真夜中の街に目をやりながら、幼い頃の自分の家庭のことに思いを馳せる。

 両親は神戸市の上級公務員だった。共稼ぎという環境の中の一人息子だった淳一は、平凡な家庭で普通に育てられた。と、自分で整理していたが、あれは本当に普通と言える家庭環境だったのだろうか?両親は一人息子のオレを家族団らんの中で、和やかに育てたのだろうか?いくら考えてみても、はっきりとした像を結ばないのである。淳一は徹底的に自分の過去を疑ってみることにしようと決意した。それがたとえ自分の意に反して思い出したくもない結果だったとしても、どこかで自分の過去のリアルな姿が「視えない」状況を解き明かすことがオレにとって重要なことなのだ。それはこれからの自分の未来にとって避けて通れない課題なのだと自覚するのだった。そのための鍵をオレに握らせてくれたのは、今夜こうして深くむすばれた明子の存在があってのことなのである。明子と沙也加を比べるというよりも、恐らくは自分で創り上げた虚像の自我像しか沙也加には見せることも出来なかったし、虚像の自分の考え方でしか将来の家庭の姿を視ようとはしていなかった気がする。沙也加を犠牲にし、明子から手渡された鍵で過去の扉を開き、過去の自分の実像をしっかりと見据えるときが来ているという想いの中で、静かにハイボールを喉の奥に流し込んだ。

(20)

 私の中の最も幼い頃の記憶を辿ってみる。あれは確か私が5歳の頃の記憶の底に埋もれた出来事だったと思う。父の書斎から、日頃の父からは想像出来ない怒号のような声が聞こえて来る。母親の居直ったような返答の声と、聞いたことのない、多分父や母よりも若い男の困惑したような声。話の内容は5歳の私にも分かるような単純な内容だった。私は二階の自分の部屋にいると思っている両親と一人の男との間で交わされる会話は、大人どうしの直截的な話の内容だった。5歳の自分に男と女の絡まり合った関係の内実が分かったとは到底思えないが、少なくとも父と母の間に自分の知らない男性が介在し、それは母に関わる関係性だということであり、そのことに対して父が怒っているのだろうと幼い私は理解したのだ、と思い返す。

 そのことがあって以来、男と女のことが分かる年齢になってからも、何度か同じようなことが何人かの異なる男性と母との交情が原因で揉めている様が蘇る。つまり私の両親の夫婦としての関係性は完全に壊れていたのである。それでも仮面夫婦としてお互いに定年を迎えて、恐らくは今頃になってお隣さんどうしのような間柄としてマレーシアのクアラルンプールで暮らしているらしい、という推測だけは出来る。私にとって見逃せないことは、永年に渡る仮面夫婦の一人息子として、両親の深い愛情を感じたことがなかったということである。仮面夫婦の子どもに対する愛情は、どこまでも自分たちの誤魔化しの愛情の延長線上にしかなかった。私は子どもの頃から冷え切った夫婦が、どれほど無意味で不条理な日常を送っているかを嫌と云うほど知らされた。だからこそ、私の中の他者に対する愛情は決して理屈を超えた情念には昇華することの出来ないものになってしまった気がするのである。

 私には幼い頃から、人を愛するとはこういうことだ。こうでなければならないという理屈上の似非らごとだと思っていたフシがある。だからこそ、別れた妻の沙也加に対して、子どもを欲しがる気持ちを仕事上の理由を盾にして、ぶった切ったのである。沙也加は上司からそれとなく私の仕事内容を察したようだが、何より私の中の愛情には言葉には現し難い他者に対するどす黒い怨嗟が入り混じっていることを肌感覚で見抜いたのだと思う。沙也加が離婚を決意したのは、私の本質を見抜いたからだろう。私の側に選択肢はないのは当然だった。また、彼女を引き留める努力もしなかった。両親の二の舞はまっぴらだという気持ちが勝ったのだと思う。自分から別れる理由をつくっておきながら、私はどうしようもなく孤独だった。送付されてきた離婚届けに必要事項を書き入れ、最後に自分の名前を書き終わってから、私は孤独の底から這いあがることなど生涯出来ないのだ、と自分に言い聞かせた。

(21)

  ―オレはあんたたちの子どもとしてこの世界に産み落とされたくはなかった!大して広くもないにしても、当時の流行り言葉としての「中流家庭」が建てる典型的な庭付き一戸建て住宅は、オレにとっては孤独の、象徴的な広すぎる空間でしかなかった。小学校から帰って、夕暮れ時から真っ暗闇の夜のとばりに包まれる頃、オレは寒々しい独りぼっちの時間を持ち堪えるのがやっとだった。両親がそろって帰宅することなどなく、二人とも一様に出来るだけ遅く帰ることを意図しているかのように、戦後永らく続いた企業戦士たちのような帰宅時刻に帰って来る。オレは作り置きの冷凍庫から餌のような食事を電子レンジで温めて食べ終わり、独りテレビを観ながらウトウトし始める頃だ、玄関に人の気配がし始めるのは。当然人の気配は毎晩二度別々に感じられるのだ。しかし、時間をずらせて帰宅した二人は、申し合わせたように、「勉強は終わったのか?」とオレに問いかける。勿論、勉強などしていなくても「やったよ、しっかりと!」と答え、心の底で、勉強しておまえらのようなおとなになるのかよ?とオレは心の奥底で毒づくのだった。オレだってあんな家に早く帰りたくない。だからいつも図書室か、誰もいなくなった教室で宿題を済ませて時間を潰した。放課後友だちと遊んでも、彼らが下校してからオレは独り、図書室か教室に帰る。それがオレの当時の生活のスタイルだった。強がっていたが、心の中には常に冷たすぎる風が吹きすさんでいた。オレはひどく孤独だった。独りぼっちの意味をオレほど知り尽くしているやつなんかこの世界に誰一人いないと思っていた。

(22)

 「淳一さん、大丈夫なの?こんなところで寝ちゃって。風邪ひいていない?」遠くの方で明子の穏やかな声が聞こえてきた。淳一は、窓の外を見ながらロッキングチェアに座ったまま眠っていたらしい。朝日が眩しかった。その眩しさの中に明子の美しい顔がぼんやりと見えた。「夜中に目が醒めちゃってね、ここから窓の外を眺めながらウィスキーをチビチビやっていたら眠り込んでしまったみたいだね。」と淳一は幼い頃の思い出したくもない夢から醒めたら明子がいることに言い知れぬ喜びを感じていた。明子がどのように育ったのかはまだ分からないが、彼女は孤独の意味が理解出来る女だと淳一には思えるのだった。彼女が傍にいてくれることで、気分が高揚していくのが分かった。

 「そうだ、明子さん、今日は天気もいいし、予定は立てずにセーヌ川沿いを散歩しようか?そしてお腹が空いたら目についたカフェにでも入ればいいんだし。明子さんはいいアングルがあったら遠慮なくカメラのシャッターを切ったらいい。そういう君の姿を僕は見ていたいんだよ。どうだろうか?君に抜かせない予定があれば無理は言わないけれど。」

 「それ、いい!淳一さんがそう言ってくださるなら、私、カメラ抱えてバッチリ撮りまくるわ。ポンヌフ橋からシテ島を眼下に見下ろしている淳一さんの横顔も撮りたいのよね。昨日からそういう光景が私の頭の中にすでに出来上がっていたから。私たちって、通じ合ってるよね。そうでしょう?淳一さん?」

 二人は地下鉄を使うのももどかしい気分で、タクシーをひろい、ポンヌフ橋を目指した。橋の手前でタクシーから降り立った瞬間に、淳一は明子が自分の存在の一部というより、自分の半身あるいはそれ以上の存在なのだということに気がついた。少なくとも明子のいまの気持ちはどうあれ、淳一にとって明子は自分の気持ちを支配出来る人だと思い知らされた。そして、そのことが決して自分を呪縛するものではなく、淳一がこれまでずっと求め続けてきた、男女の愛を超えた「人間の絆」のごときものだったのである。淳一は深い幸福感の中にいる気がした。そう実感出来ることが心底嬉しかった。

(23)

 ポンヌフ橋から見下ろすセーヌ川は、フランスに赴任する前に想像していたイメージではなかった。想像の中のセーヌ川は、水量が少なく、のっぺりとした流れの川だった。たとえて言えば、川岸から対岸の川岸まで歩いて渡れそうなくらいのイメージ。それが淳一の想像上のセーヌ川の姿だったのである。しかし、現実のセーヌ川は滔々と流れる勢いのある川だった。到底歩いて対岸に渡るなどというのは笑止の沙汰に入る想像でしかなかった。水量の多さでは、学生の時に訪れたロンドンのテムズ川と比べても見劣りすることはないが、テムズ川のそれは、どちらかというとどんよりとした黒に近い色合いで、淳一にはお世辞にも決して美しいとは思えなかった。セーヌ川は、透明度などという尺度が入る余地もないほど、川が流れるという当然のありさまが美的で芸術的だと感じられるのだった。明子と出会うまでの淳一の、たった独り世界に投げ出されたような孤独感を癒してくれたのが、セーヌ川だったのである。だからこそ、生きていく意味も感じられず、くたびれ果てたらこの川に飛び込みたいと心密かに淳一は思っていたのである。

(24)

 ポンヌフ橋からシテ島に繋がる階段を降りていく途中で、手を繋いだ明子の横顔をふと見やった。彼女の肩にかかるくらいの長さに切りそろえた髪が、穏やかな風になびいて色白の高い鼻孔の上を撫ぜている。美しい!と思わず叫び出しそうになったが、辛うじて堪えた。そして更なる意味深長な言葉を、いまは封印しなければならないのだ、と固く誓った。明子のことはオルセー美術館で偶然に遇い、話をするうちにこれだけ心通じ合える女性はいないのだ、という想いに駆られ、恥も外聞もなく、食事に誘い、自分のアパルトメントに誘って、今朝を迎えたのである。明子のことは何も知らないに等しいのだ。明子にしても私のことは雑な職種以外のこと、話の過程で離婚経験があるということくらいしか知らないのだ。

 いまはじまったばかりなのだ。急ぐな!後先を考えず、急いで結果的に明子を不幸にするな!と淳一は自分に言い聞かせながら、シテ島から運行しているバトームーシュ・クルーズのチケットを買い、二人で船に乗った。1時間ほどのクルーズだが、左岸、右岸ともにパリを象徴する建造物に淳一は毎回目を奪われる。これは何度乗っても、いつも同じ感覚を覚えるのがむしろ不思議なくらいなのだ。「明子、どう?君も何回も乗っているのだろうけど、僕はこれに乗るたびに胸躍るから不思議なんだよ。」「淳一さん、私、これが初体験。すばらしいわ。淳一さんと同じ気持ちよ。これからも何度も乗りたい!」という明子の弾んだ声を聞いて淳一は安堵し、より深い絆を感じるのだった。

(25)

 明子の1週間という休暇は夢のように過ぎた。彼女は一日も予約したホテルで過ごすことはなかった。ホテルからキャリーバックを淳一のアパルトメントに持ち込み、新婚夫婦のように過ごした。明子と短い期間過ごして、自分は沙也加の喪失感によって孤独を味わっていたのではないことだけは明らかになった。興味深いことに明子との短いながらも二人の生活の中で、沙也加は如何に自分にとって必要としない存在であったのかが諒解出来た気がするのである。勿論、沙也加にとっても同じことが言えるのだろう。そうでなければ、オレは沙也加に何ほどかの癒しを得るために、仕事上語り得るギリギリの線まで語り聞かせたことだろう。しかし、そういう限界線のずっと手前のところで淳一が二人の会話を押し止めたのは、沙也加なら、淳一の仕事上欠かせないことを止めてほしいと懇願したに違いないからだ。オレが自分の会社でのし上がっていくためには不可欠な任務を、沙也加ならその意味が分かったとても、オレに会社で冷や飯を喰わされるハメに陥るか、辞職するしかない選択肢を突き付けたに違いない。

 ともあれ、明子との最初の抱擁の日に長い夢を見て、自分の中を支配している孤独感の実体に気づかされた。それは取りも直さず両親の不仲の只中に置かれた、いや実質的に棄てられた子どもの頃の自分の、この世界に対する疎外感と呪詛から来ているものだということに、自然に気づかされたのだ。明子こそ、両親からは決して与えられなかった人間の体温を持った絆の意味をオレに知らしめ、性的関係性によって男女の絆が深化することを気づかせてくれたのだ。最も人間臭い行為の中に、オレが必要とするすべてを込めて与えてくれたのが明子という女なのだ、と淳一は心底悟ることになったのである。

 彼女に与えられた休暇の1週間はあまりにも短かった。「4カ月働いて、私、またパリに来る。あなたがもし東京にお仕事で一時帰国するときがあったら絶対に連絡をくださいね。」と明子は出発の日の朝に感情を抑えることが自分に出来る最大のことでもあるかのように、ごく事務的に淳一に語った。淳一は、頷いただけで言葉が出ないまま、自分の車で彼女をシャルル・ド・ゴール空港まで送った。車を彼女が降りようとするとき、淳一は言葉に詰まった。オレはまたこの人と離れてしまえば、孤独の淵で生きていかねばならないのか?という心の声を聞きながら、明子を車から送り出し、そこから離れようとしたその刹那、明子が抱擁してきた。長い濃密なキスがこれからの自分たちの未来を創るのよ、という明子の声にならない心の叫びを聞いた。

 どうやって自分の部屋に帰りついたのかも分からないまま、明子はすでに機上の人になってしまったのだ、という現実を噛みしめていた。

(26)

 二年間、淳一と明子は同じようにパリで生きた。時をともにしたというより、二人は文字どおり二人の時間を生きたのだ。邂逅と別れ、希望と絶望の果て、その交互の繰り返しがほぼ1週間から10日後にやって来るのを覚悟しながら、二人は淳一がフランスでの任務が終わり、日本に帰国出来る日を心待ちにしていた。三年目、ようやく淳一の任務が解かれ、東京本社に帰ることが決まった夏に、明子とこれまでと同じように、パリの住人たちが殆ど残っていないパリの街を優雅に歩いた。

しかし、明子は歩きながら淳一に深刻な表情を見せて、「淳一さん、パリに来る直前にね、私少し体調を壊してしまって病院に短期入院したの。その時にいろんな検査をされて、すい臓がんだと宣告されちゃった。ステージ4だって。手術したって助かる見込みはないね。私なりにいろいろ調べて理解したの。そして自分の死を受け入れることにした。淳一さんとは絶対に神さまが会わせてくださったのね。私、クリスチャンでもなんでもないんだけれど、何だか心の底からそう思えた。手術もしない。抗癌剤も呑まないし、放射線治療も受けない。そう決めた。多分、苦しいときもあるからモルヒネ系の痛み止めの呑み方は主治医の先生から真剣に教わったの。淳一さんとお別れするのが私、一番イヤ。辛くて、哀しくて、痛み止めのお薬で眠らされているとき以外は、絶対に眠らないの。あなたといる世界から離れたくないから。たとえ、パリと東京という距離があっても同じ地球上に生きているんだもの。同じ空気を吸っていることになるでしょう?」

 明子の告白を聞いたとき、淳一は膝から崩れ落ちた。皮肉なもので、明子の言葉を聞いたのは、かつて楽しげに話をしながらポンヌフ橋を歩いていたちょうど同じところあたりか。偶然というより、明子がここで真実を伝えたかったのだろう、と淳一は思った。淳一は膝から下の感覚がなかった。膝をついたまま、淳一は泣いた。人はよく他人の目を憚らずに泣けるものだ、と思っていた自分が誰もが振り返るほどに大声で泣いた。「チキショウ!こんなことがあってたまるか!明子、オレの腎臓をやる。オレは死んでもいい。誰かの代わりに私が替わってあがられたらいいのに、なんてあんなのはみんな偽善的な嘘っぱちだ。オレは君にオレの腎臓をやるよ。腎臓移植をしよう。免疫的に合うかどうかの検査をしに行こう。東京へ今すぐに帰ろう。」可能ならば、オレはこの人の体内でこの人の腎臓として生き続けるのだ、と淳一はリアルに思ったのである。 

 明子を自分のアパルトメントに残して、日本に帰る前にやるべきことがあった。自分の腎臓が明子に適合するのかどうかを病院ですぐに調べてもらう。万が一にも適合したら、オレは明子の主治医に自分の意思を伝えてから、病院内の発見されやすい場所で看護師の巡回の隙間をぬって、自分の頭をぶち抜く。これがオレの計画だった。       フランスでは、これまでの5年間、オレは表の商社マンとしての仕事をし、本業としての裏の仕事を、日本政府からの依頼でフランス政府の認知を受け、自分の所属する商社が原子力開発と武器生産のあり方をリサーチしてきたのだ。オレにとっては、外交ルートで拳銃を日本で受け取るのは難しいことではない。イタリア製のベレッタ92なら世界中の軍隊で使われている。密かに武器生産の会社かベレッタの一丁や二丁入手するだけの環境にオレはいる。大丈夫だよ、明子。オレは君の体内で生き続けたい。それがオレのいまの唯一の希いであり、望みなのだ。君にはこのことは絶対に知らせない。誰よりも反対するのは明子、君だからね。フランスでの5年間の仕事が、一丁の銃を手に入れ、外交ルートを使って密かに、そして確実に日本に持ち込むために存在したのかと考えると明子のことがありながらも、ふっと皮肉な笑みが無意識にこぼれた。銃はオレたちが日本に着いた1週間以内に指定の場所に確実に着く。オレはこの5年間の仕事で得た人脈のすべてを総動員して、確実に銃が自分の手元に届くようにしておいた。このことに要した時間はわずか2時間ほどだった。

(27)

 外出先から明子が待つアパルトメントに帰ると、ベッドに臥せっているのかと思いきや、彼女は明るく、シャンソンの何かのメロディーを口ずさみながら、キッチンでオレの食事を作っている最中だった。

 明子に食欲があるわけもない。作りながら時折襲い来る嘔吐感に堪えていたはずだ。膵臓がんは、重篤に至るまで気づきにくい病だと聞いたことがある。体調も日々アップダウンが激しいのだとも聞いたことがある。いまが少しでも明子の体調がもどっていることを願うばかりだ。少なくとも淳一にいま出来ることはそれくらいのまったく有効とは無縁の、心配と推測だけでしかなかった。淳一は心の底で叫んでいた。明子、君にぴったりの腎臓をオレが持っていたら、その時はオレからの最大のプレゼントをするよ。がんばれ、明子!死なないでくれ!

 明子がテーブルに出してくれた食事は、すべてが日本食だった。材料は明子が厳選したものをあらかじめ今夜に合わせて空輸してくれたのだろう。魚の苦手なオレのために和牛のステーキとそれをカツレツにしたもの。フランスではいつでも食べられる野菜サラダを敢えて避けたのか、むしろおでんに近い具材を関西風の出汁で煮込んだもの、それに厚揚げの網焼きの上にたっぷりの生ショウガをすりおろしたものだった。勿論味噌汁は関西風の昆布とカツオでとった出汁の味付けで、白みそと赤みそのブレンドしたものだった。

 テーブルの向かいで明子がこちらを見て微笑んでいる。明子が病に侵されていないなら、これほどの幸せがあろうか、と小さく呟いてしまった。「なに?こんなのじゃあご不満?」「不満なわけがないだろう、明子!」この二人の短い会話は実際には言葉にならないまま交わされた。オレは涙を堪えることだけに集中した。どれもこれも文句のつけようもないほどうまかったが、オレにとってこの時に最も求められているのは、冷静さを失わずに明子の料理を勢いよく平らげ、その出来のよさを明子に伝えることなのだ。

 「明子、うまかったよ。ほんとうにうまかった。君の料理に勝てる人は絶対にいないよ。」と私は言ったが、真むかえのテーブルの上の皿には、殆ど手が付けられていない料理が美しく並んでおり、その向こうに、明子の朗らかな笑顔が見える。明子、食べられないんだね。こんなにおいしくても食事をもう受け付けないほど病気が進行しているんだね。明子、オレは自分が君のために何をなすべきかを考えて、すべての準備をしてきたよ。君の父親も妹さんも君の免疫細胞に合致しなかった。オレに出来ることは、オレの腎臓を拒絶せずに受け入れてくれる検査結果だけを願っているだけだ。明子、一緒に日本に帰ろう。そしてオレが明子の命の根源になれれば、オレが君の中でずっと生きていられる。こんな幸せなことはないんだ。脳死状態のオレの腎臓は丈夫だと思うよ。一日でも君をこの世界にとどめておきたい。そのためならオレは喜んでこの世界から去る。いや、明子、君の体内で生き続ける。

(28)

 明子が入院しているお茶の水の病院で、オレの腎臓が明子の免疫機能に出来るだけ合うことだけを祈って、病院の待合室で検査結果を待っている。医師にはオレが肺がんの末期であることを告げている。5年間に渡る極秘任務に当たってきたオレにとっては、フランスの権威ある病院の医師に、詳しい状況を伝えずとも偽の診断書を書かせるくらいのことは出来る。フランスの緊急被爆病院システムを裏側から利用させてもらった。オレが脳死状態になるためにこの病院内で自殺しなければならない。この病院の医師にはもしオレの方が先に死んだら、即刻オレの腎臓を明子に移植してほしいと依頼した。明子の主治医はオレの全身のMRIをとりたがったが、すべて拒否した。原子力大国フランスの権威ある病院が、オレを末期の肺癌患者であると診断したことにこの医師はしぶしぶ従った。

―どうか、オレの腎臓が明子の体内で生き続けることが出来ますようにと、オレはただただ祈った。検査結果がうまく出れば、腎臓移植の同意書にサインをし、その場でベレッタ92で自分の頭をぶち抜くつもりだ。腎臓から最も遠くて銃弾で即死出来る箇所は自分の脳みそを打ち抜くことだ。それを打ち砕くことでオレの腎臓を守り、明子は命を永らえさせることが出来るのだ。

(29)

 主治医の報告を受けて、淳一はソファに倒れ込んだ。そして咽び泣いた。自分の感情を抑制する力をまるで失ってしまった。何とかエセ物の冷静さを取り戻してから、明子の病室に戻った。そこには父親と二歳違いの妹の絵里香が小声で明子に話しかけていた。声を出すのもキツイはずだが、明子は気丈に二人を安心させようと受け答えしている。母親は5年前に交通事故ですでにこの世の人ではないことが、明子を二人を安心させるために必要以上に頑張らせているのだろう。

 病室のドアの音の方に明子が顔を向けると、父親も絵里香もこちらを振り向いた。初対面だったが、私も父親と絵里香も明子の存在を介して、自然な何気ない会話が交わされ、二人は病室から出て行った。

私は明子の枕元の椅子に腰を降ろした。すでに食事がとれなくなって、点滴だけで栄養補給を受けていたせいか、明子はかなりやつれて見えた。しかし、彼女の笑みは私にとって十分過ぎる癒しを与えてくれた。体力は殆どないはずだが、点滴に混ぜられたモルヒネによって苦痛は少ないように見えた。

 「淳一さん、先生から聞いたわ。あなたが私との免疫細胞の適合を願い出たということ。それにあなたが末期の肺癌だ申告したということも。主治医の先生は、私に全てを秘密にしておくことも、不自然さが伴うから一応あなたにお知らせしておきますって。それを聞いたとき、私には淳一さん、あなたが考えていることが全部分かったの。あなたの腎臓を脳死状態で私に移植しようとしたのね。あなたは賢い人だから自分の命を棄てるための周到な用意をしてきたのでしょう?淳一さんが病室に入ってきた瞬間、あなたの顔を見て、免疫細胞の適合がうまくいかなかったことが分かったの。私、もう永くはない。あなたもよく分かっているはずです。だからこそ、私のために自分の命を差し出す覚悟を決めてくれたのでしょう?でも、万が一あなたと私が免疫細胞まで一致していたらと想像すると、怖い。あなたが私を残して命を絶った結果、私の命がたとえ一日でも延びたとしてもそんなの残酷過ぎる。あなたの深い愛はとてもありがたいし、私ってどこまで幸せなんだろう、と思うけれど、それはあなたが生きて私のことを心の片隅にでもそっとしまっておいてくれることで、私ほんとに満足なの。あなたと出会えずに今日を迎えていたら、私の人生なんてほんとにつまらなかったと思う。淳一さん、私の命はあと二、三日が精一杯。あなたが、こんな病院のベッドで私を看取ることはないの。あなたはすぐにフランスに帰ってください。そして、会社のお仕事を片付けて帰国して、人生を立て直してほしい。それが私の切実な願いです。私、あなたとこうしてお会い出来て、お付き合いして、あなたとの将来を夢見ることが出来たのだから、ほんとに幸せです。淳一さん、ほんとにありがとう。そしてあなたを心から愛しています。」

 淳一は明子の言葉を半ば聞いたときから、ベッドの上の明子の身体を抱きしめて泣きじゃくった。子どものように大泣きした。自分でも気づかないうちに、明子、明子と叫んでいた。明子からそんなに大きな声を出すと恰好つかないわよ、とにっこり微笑まれた。そんな菩薩のような美しい顔を見て、淳一は明子との別れが迫っているのをしっかりと、リアルに実感した。いや、実感させられたのだ。手術もせず抗癌剤治療も受けなかった明子でも、数日前から食べ物を全くうけつけなかったようで、抱きしめた感触は随分と華奢に感じられた。明子はまるで生きているかのように逝くのだろう、と淳一は自分に言い聞かせるように明子の言葉を反芻していた。

(30)

 明子が亡くなったのは、翌朝淳一が飛行機に飛び乗ってフランスに着いてから二日後だった。フランスに着いて1週間後の真夜中に妹の絵里香から電話があった。姉が安らかに息をひきとったこと、亡くなる直前に小さな声で淳一さん、と呟いて逝ったこと、そして、明子が唯一頼み残したことを絵里香が電話の向こうで呟いた。「違法なことは分かっていますが、淳一さんなら絶対に叶えてくれると姉が言うもので、ご迷惑も顧みずお願いしたいのです。」「分かりました。明子さんはどのようなことを絵里香さんに託されたのですか?」「姉はほんの少量でよいから、淳一さんと乗った遊覧船からセーヌ川に自分の遺骨を散骨してほしいと言い遺しました。どうでしょうか?そんなことが出来るのでしょうか?」「表向きには出来ません。でも、私は明子さんが好きだったセーヌ川に散骨してみせますよ。明子さんと二人で乗った遊覧船の上からね。大丈夫です。私もそれを望んでいたましたから。」「どうするかなあ?ごく微量であっても、郵便で送られて来るなんて明子さんが可哀そうだし。」と言うや否や、絵里香が私、ご迷惑でなければそちらに伺います。持ち物検査や身体に忍ばせるのは見つかる危険性が大きいですから、預け入れるトランクの、私の化粧ポーチの中のクリームの中に混ぜて入れていくつもりですけど、どうでしょうか?」「絵里香さん、それは名案ですけど、クリームごと投げ入れたとしても綺麗な散骨はむずかしい。そうだ、絵里香さん、医者から処方された錠剤を入れるピルケース、それも仕切りなんかがついているものではなくて、ピルケースに見立てた小さな装飾を施した、丸形の絵模様が入ったのが、雑貨屋に売っていませんか?」「はい、私そういうの、持っています。そこに姉の遺骨を少し詰めて着替えの洋服の中に忍ばせます。了解しました!私、明日、こちらを立ちますのでよろしくお願いします。」と絵里香の口調に子どものようないたずらっぽい雰囲気が混じっている気がして、電話の向こうの絵里香に悟られないように潤一は微笑んだ。「こちらも了解です。明子さんの願いを一緒に叶えましょう!」と淳一は明子に先立たれた絶望的な気分を払拭するように、軽妙さを装って絵里子に言った。

(31)

 シャルル・ド・ゴール空港で絵里香を出迎えたとき、淳一は思わず息を呑んだ。彼女が纏っている空気が明子その人かと思わせるほど絵里香は明子とそっくりだった。セミロングの髪は繊細な茶色がかった黒髪だった。サングラスをかけていなかったら、たぶん明子!と呼びかけたかも知れなかった。彼女と簡単な挨拶をし、自分の車のトランクに明子の遺骨の入ったスーツケースを丁寧に入れた。助手席に座った絵里香から明子と同じ香りがした。たぶん、明子のお気に入りの香水と同じものをつけているのだろう。エルメスかディオールだろう。

 絵里香が予約しているホテルまで送り、彼女がチェックインを済ませている間に車をホテルの駐車場に入れた。しばらくロビーのゆったりとしたソファに座り、絵里香が来るのを待っているとロビーの真正面にあるエレベータのドアが開いた。彼女はまっすぐに私の方に向かって歩いて来た。

 まむかえのソファに腰を降ろした絵里香は、はっきりと明子を思い起こさせる要素を身体全体に纏っていた。顔のパーツの一つ一つは、明子のそれと殆ど変わるところがなかったが、各部のほんのちょっとした配列で全体像がかなり違って見える絵画のバリエーションのように、明子との相違点が見える美形の人だった。

 明子のことを話し始めて、絵里香のおっとりとした個性が見てとれた。彼女は父親が経営している会社でOLとして働いているのは明子にはない従順さだったのかも知れない。明子のようなエキセントリックなウィットもユーモアのセンスもなかったが、日常生活を豊かにさせてくれる女性だろうという漠然とした感覚を抱きながら、彼女の声を聞いていた。総じて彼女は明子からアグレッシブなものを剥ぎ取った温和な女性に感じられた。躰の線が女性性の豊かさを主張するように淳一の目を釘づけにしていた。淳一は明子を失った後の喪失感の中でも、明子の妹に、女性の魅力を感じている自分が不謹慎極まりない人間だと自責の念に駆られた。

(32)

 明子が好きだったポンヌフ橋まで案内すると、彼女はいつまでもポンヌフ橋の中央からセーヌ川を眺めていた。まるでセーヌ川が姉の明子その人であるかのように、セーヌ川に語りかけていたのかも知れない。淳一は声をかけられないまま、2時間くらいをやり過ごした。「絵里香さん、そろそろ明子さんが好きだった遊覧船に乗りませんか?そして、明子さんをセーヌ川の一部にしてあげませんか?あるいは私たちにとってはセーヌ川の全部ということになるのかな?」淳一の言葉を聞いて絵里香は口もとに笑みを浮かべ、「そうですね。でも、ほんとうに淳一さんにご迷惑をおかけすることになりませんでしょうか?」「大丈夫ですよ。僕はフランス人なんかに見破られない方法でやってみせますから。」と言うと、絵里香は「はい!」と小さな返答をした。

 シテ島から遊覧船に乗ったときは、まだ辺りは川面からの太陽の照り返しでキラキラとした輝きで満たされていたが、エッフェル塔に近づくにつれ、徐々に周囲の景色は青色に染まってきた。以前明子と同じ遊覧船に乗ったときに明子が言った言葉が脳裏を掠めた。「淳一さん、セーヌ川の夕暮れって、青色なのね。周囲全体がそう見えるのね。」と明子は繊細なことに気がついたのだ。彼女が夕暮れ時の青を好んだのなら、彼女をセーヌ川に帰してやるのは、この時刻しかないと淳一は心に決めた。そして、すでに絵里香から受け取った綺麗な装飾を施したピルケースから出され、明子の真白い遺骨は淳一の右手の中にしっかりと握りしめられていた。遊覧船はすでにエッフェル塔付近から旋回して、帰りの航路にゆったりと舵を切った。ポンヌフ橋の端の下の、一瞬薄暗くなった周囲の光景に紛れて、遊覧船の最後部からそっと明子の遺骨を握りしめた手を開いた。それが明子の遺骨を手放すための淳一の小さな企みだった。誰にも気づかれることなく、明子の細かで白い遺骨はハラハラとポンヌフ橋の下のセーヌ川に落ちて行った。淳一と絵里香だけが分かる荘厳さの中で明子はセーヌ川に帰っていったのである。「明子、オレは君と残りの生涯をずっとともに生きたかった。オレは神など信じない。もともと信じてもいなかったが、筋金入りの無神論者を貫き通してやる!」と唇を噛みしめながら呟いた。シテ島の船着き場に着くと、辺りは景色の色は、青から藍色へと変化しつつあった。明子ならそんなふうにオレに伝えたことだろう。

 ポンヌフ橋を絵里香と歩きながら、絵里香は何度も淳一に礼を述べたようだが、淳一には何も聞こえていなかった。彼はこの時こそが明子との本当の別れになったのだという孤独感の底にいたからである。何とかタクシーを拾い、二人で絵里香が泊まっているホテルまで行くと、彼女は淳一に宿泊しているホテルの二つ星レストラン(絵里香はそんなことは知る由もないだろう)にご一緒しませんか?と誘ってくれた。普段の淳一なら、丁寧にお断りするところだが、どうしても断れなかったのである。恐らく、絵里香の向こうに明子のイメージを視ていたいと思ったからだろうか。

(33)

 高級フレンチを挟んで、絵里香の表情が見える。彼女は姉の意向を叶えたことで、哀しみの中に満足感が漂っているのが淳一には見てとれる。絵里香には、明子のようなカタチの知性はなかったが、絵里香なりの知性と上品な情緒を持った話が出来たことで、淳一の孤独感は独りアパルトマンに居るよりずっと軽くなって行った。同時に絵里香の存在の向こうに明子のイメージを感じられた至福感に浸ることも出来た。明後日にはパリを発つということなので、明日一日、絵里香と一緒に過ごすのもいいのではないか、と思い、「予定さえなければ、僕とご一緒しませんか?」と彼女に問うた。「うれしいわ。でも、淳一さんのお仕事のお邪魔になりませんでしょうか?」「僕はもう帰国のための後始末と仕事の引継ぎをするだけの身なのですから、そんな心配は無用ですよ。明日、10時にお迎えに上がってもよろしいですか?」と言うと、絵里香の表情がほころんだ。一時間ほどの歓談の後、淳一はホテルを後にした。残りの時間は独り明子のことを想いながら過ごすのだ。明子との永劫の離別によって、たぶん、自分には耐えがたいほどの不幸が襲って来るような気がしたが、いまは深くは考えないことにして、シャワーを浴びて明子の好きだった冷えた白ワインのボトルを半分ほど空け、見慣れないテレビ番組を観ながら、いつの間にか深い眠りの中に落ちていった。

(34)

 永い夢の中で、明子が「淳一さんは、自分の命を犠牲にしてまで私に腎臓をくださると決心して、日本に急いで帰国してくれたでしょう?淳一さんの頭脳なら拳銃を日本へ持ち込むことなんて大したことではなかったと思う。私の免疫機能があなたを拒絶しないと分かり次第、あなたは用意周到な人だから、私の病室の外で既に提出しているはずの腎臓移植承諾書を手にして拳銃で頭を打ち抜くつもりだったと私は確信しているの。

 私はあなたと一緒に夫婦として過ごせなかったけれど、私、あなたの至上の愛をもらって死ぬことが出来たのよ。凄いと思わない?ねえ、だからこそあなたに聞いておきたいのよ。絵里香のこと、どう思うの?私よりあなたのお嫁さんには向いていないこと?どうですか?あなたが私の病室に入って来たときから、私には分かっていたの。絵里香はあなたが好きよ。

私がセーヌ川に散骨してほしい、と絵里香に頼んだのは、あなたに絵里香のことをしっかりと見てほしかったから。淳一さん、あなたなら分かるでしょう?私が考えそうなこと。今日、オルセー美術館に連れて行ってやって。そして、私と出会うきっかけになったクールベの「世界の起源」を見せてやってちょうだい。私とはまったく違う反応を示すのでしょうけれど、その反応の仕方が受け入れられるようなら、絵里香と付き合ってあげて。少なくとも私のようなトガッた個性ではないけれど、だからこそ、あなたのいい奥さんになるから。」

 目覚ましの音で、淳一は夢の中の雄弁な明子の話をまるで本当に聞いたかのように目覚めた。要は自分の勝手な想像に過ぎないが、それにしても、明子は絵里香とオレがつき合うことに反対はしないだろう、という漠然とした想いはあった。いまは絵里香の向こうに明子のイメージを視ている自分を否定し切れないが、いずれ絵里香を絵里香その人として認識出来るのではないか、と淳一は思いながら、絵里香を迎えに行く準備をし始めた。

(35)

 タクシーの中で、明子がパリにやって来るのは主にファッション関係のカメラマンとして徐々に認められ始めた頃と機を一にしている。明子と最初に出会ったのは、パリから金持ちのフランス人たちが避暑地に行ってしまい、街に残っているフランス人は一般の生活者であり、それから海外からの旅行者たちだった。明子もありふれた日本からの旅行者の一人だったのである。猛暑の中を、と言ってもいまどきの日本よりもパリの街はかつての日本の真夏を思い起こさせる程度の暑さだ。現代の日本人にとっては、むしろ避暑感覚で夏のパリを歩き回っている気がしないでもない。オルセー美術館の中で何気なく足を止めて見入っていたクールベの「世界の起源」を、シンプルな夏の服装で、脇目も振らずに一眼レフカメラで写真におさめている明子の躍動的な美しさに一目惚れし、惹きつけられ、彼女のペースでその後の時間を過ごしたときのことが、頭の中を高速度のスピードで流れ去った。

 タクシーはホテルに到着した。絵里香はすでにホテルから出て玄関先に止まるタクシーを待っていた。明子と出会ったときの真夏のパリとは違い、路には色とりどりの落ち葉が美しくもあり、同時に街並みの色合いは幾分くすんで見える時期だった。曇天の雲の間から時折さす太陽の光が絵里香の顔の白さを際立たせていた。シンプルさを極限まで追求したような仕立てのよい白のコートの首元から艶やかなショールが風になびき、絵里香という存在を見事なまでに際立たせていた。

 タクシーに気づくと、絵里香は無邪気な子どものように手を振って、こちらに近づいてきた。一緒に乗って行きましょう、という手招きのジャスチャーの意味を理解して、彼女はタクシーに乗り込んで来た。彼女は私が口を開く前に、「お姉さんが淳一さんと初めて出会ったオルセー美術館に連れて行ってくださるのでしょう?姉が生前から淳一さんと出会ったオルセーのある絵のことを何度も聞きましたの。でも、その絵が誰のどんな絵なのかは言わなかった。ちょっとニンマリとした表情になって、それがまるで淳一さんとの誰にも立ち入らせない共通の思い出であるかのように、です。それでも淳一さんがフランスにお帰りになって、姉が亡くなる直前に、淳一さんに頼んでセーヌ川に自分の遺骨の一部を散骨してほしいこと、そしてぜひともオルセー美術館に連れて行ってもらって、私たちが出会った絵の前に立たせてもらいなさい、って笑顔で私に姉は伝えたの。これは私の大切な遺言よ、えへへ、なんて笑顔をつくって。その笑顔は少し哀しそうで、とても美しかった。だから、今日は断然オルセー美術館によろしくお願いします!」と絵里香は明るく言った。

 オレは心の底で、明子、それでいいんだな?と彼女に問いかけていた。決して返事の返って来ない質問を繰り返した。今朝方、オレが勝手に見た夢のような出来事になるかも知れないのに、それでいいんだな?と一方通行の問いかけに答えなどあるわけもないにしろ、淳一は心のどこかで後ろめたさを感じながらも、何故か明子に問いかけることで自分の言動に確信を持てるような気がしていたのである。

(36)

 かつての鉄道の駅を大改修して造ったオルセー美術館は、建物自体が現代から過去が垣間見えるだけで美しかった。オルセーに展示された名画をすべて見終わって、最後に絵里香をクールベの「世界の起源」へと私は誘った。それはまさに明子との出会いのすべてのはじまりの場所だ。

 絵里香の行動は意表を突くものだった。彼女は一眼レフカメラでないにしろ、自分のスマホで何枚も、何枚も様々な角度からクールベの絵を撮り続けたのである。その光景を見ていた私は、最初は姉妹の類似的な感性ゆえの行動かと思っていた。しかし、絵里香のスマホの写真がクラウド上に保存されなかったとしたら、とっくにそれだけで機能不全に陥っていると思えるほど延々と絵里香の撮影は続いた。

 いつまでも終わらない絵里香のスマホ撮影にさすがに違和感を抱き、私は絵里香に近づき、「絵里香さん、どうしたの?落ち着かないのか?」と絵里香の顔をまじかで見ると、彼女は相変わらず撮影を続けながら、顔は涙でぐちゃぐちゃになっていたのである。私は彼女の肩にそっと手をかけ、廊下に据えられたベンチに彼女を座らせた。絵里香は自分のスマホをぎゅっと握りしめたままだった。無言の時間が永遠に続くかと思われるほど、私と絵里香はただベンチで座っていた。私は彼女が語り始めるまで辛抱強く待つ覚悟を決めていた。

 1時間近く経過しようとしていたその時に、絵里香が口を開いた。「淳一さん、ごめんなさい。ご心配をおかけして。私ね、姉の遺骨をセーヌ川に流していただいて、何だか姉がホッとしたんだわ、と思って、哀しみより、不謹慎だと思われるでしょうけれど、むしろ晴れ晴れとした気分になっていました。でも、ここに来て、クールベのこの絵の前で姉がどんな気持ちでファインダーを覗いていたのかが分かるような気がして、それでもどこまでも姉の意識に同化出来ない自分がいて、それが悔しくて何度も何度もスマホで撮り続けました。それでも、自分には絶対に分からない姉がその時、ここにいたと思うと、私、姉のことを心底理解していたと思っていたのに、本当のところは、結局何も分かってやれなかったのかのかも知れないという気持ちになって、涙が止まらなくなってしまって。淳一さん、本当にごめんなさい。こんなはずじゃあなかったのに。私の想像の中では、姉が好んで撮った絵をスマホで疑似的に撮影体験して、姉の気持ちが理解出来ると思い込んでいました。でも、実際は逆で、姉が父や私とは違う人生行路を歩き始めたのは、もっともっと深いところに根っ子があったのかも知れないと感じてしまいました。そうすると私が認識していた姉の明子という人は一体何を考え、どう生きようとしていたのかが、まるで分からなくなって、それと同時に私自身が父の期待どおりに生きてきたこと自体が、姉にどう映っていたのか?という疑問の中に押しやられてしまって、とても哀しくなった。何度問いかけても姉が答えをくれるはずもないわけですし。」

 「絵里香さん、僕ごときにあなたが直面してしまった根源的な問題の答えを見出せるはずもありません。僕に言えることは、そもそも人間って、自分の内面さえ、よく理解出来ないまま日常生活の習慣性に流されて生きているような気がするのです。確かに明子さんが生きた軌跡だけを辿ると彼女は自分で何を求めているかを追求しながら生き抜いた気がします。それは僕だって頭が下がる想いなのです。だからこそ、僕は彼女を愛しました。そして彼女が亡くなるくらいなら、自分の命と引き換えにして彼女に腎臓を提供する決意さえし、その実行のために入念な準備さえ冷静にしました。その意味では明子さんは僕みたいな自己中心的な人間にそんな決意をさせる力を持っていたわけです。それも僕の眠っていた自発性を引き出してくれたのですから、これはもの凄いことです。

 絵里香さんが感じ取ったのは、明子さんがどれほど自由に自分の生き方を貫こうと、彼女が抱えていた孤独感を果たして理解出来ていたのだろうか?そんなことを考える機会すらなかった、ということだったのでしょう?」

 「淳一さんは、私が言葉に出来ないことをこうやってきちんと整理してくださる。私だけでは絶対に分からなかった感情を理念にまで昇華させてくださる。姉が淳一さんを愛する理由がよく分かりましたわ。そうですね、淳一さんが言ってくださったとおりだと思います。」

 「こんなことを言っている僕のことを怒っているかも知れませんよ、明子さんは。僕の勝手な推測ですから。まったく的が外れているのかも知れませんから。でも、これだけは言えると思うのです。人はたとえどのように自由に生きていようが、不自由に生きていようが、自分の生きる領域の中で、個々の孤独と闘いながら生きている。これだけは明子さんも認めてくれるでしょう。絵里香さんがご自身のことを自嘲的に語りましたが、僕自身が会社の命令通りに仕事をしてきただけの人間です。人さまの前では決して言えないことをたくさん仕事という名のもとで行ってきたのです。その意味では絵里香さん、あなたはお父上を支えてこられたのです。絵里香さんご自身の生き方を明子さんは僕に誇らしく語っていましたから、あなたは大いに胸をはって生きていくべきなのです。」

 オレは明子から絵里香が父親の言いなりになっている、とある意味、否定的に告白されたことを記憶しているが、少なくともいまは、明子の絵里香に対する言葉に綺麗な飾りつけをして目の前の彼女に語り聞かせたのである。これもオレの明子に対する深い愛情の表出の一つだと想うことにしたのだ。そしてあながち絵里香に対する言葉の装飾は、装飾としてではなく絵里香のリアルな姿として淳一には感じられるのが自分でも不思議だったのである。ひょっとしてオレは絵里香を愛しかけているのではなかろうか?淳一の心の奥底で、今朝方見た夢の中で明子と語り合ったことが現実になりつつあるのではないか、と思った。同時に自分はなんという身勝手な人間なのか、とも感じるのだった。明子を亡くした喪失感を妹の絵里香の存在で埋めたいと願っている自分は果たしてまともな人間なのか?

(37)

 淳一はその後の数日、姉と歩き巡った場所に連れて行ってほしいという絵里香の要求に素直に従った。そのことがお互いにとって心の慰めになるのかどうかという判断はもはやどうでもよくなっていた。淳一にとって、絵里香は愛おしいリアルな異性となってしまっていたからだ。おそらくは絵里香にも同様の心の変化が起こったように思える。それは淳一にとっては明子との落雷に打たれたような劇的なものではなかったが、敢えて喩えるならばある化学物質と別の化学物質を混ぜ合わせると確実に起こる化学変化のような確実な変容だった。

(38)

 絵里香を飛行機が見えなくなるまで見送った。明子のときはそんなことはしなかった。何故か、そうすることが明子に対する未練を断ち切れないような気がしていたからだ。絵里香の場合は、明子に感じたような、これが永劫の別れになるのかも知れないという、得体の知れない切なさを感じることはなかったが、それは翻って考えると、絵里香とはまた絶対に会えるのだという安心感を持てたからかも知れない。

 絵里香が帰国してちょうど二週間後に本社からの帰国命令が正式に届いた。この5年間、フランスの原子力発電と武器製造に関わる膨大な情報を淳一が日本の本社に送り続けた。日本が軍事戦略に関わる全般をアメリカに依存し、武力に属するものはすべてアメリカから強引に買わされていると国民の多くが思っているだろうが、日本の外交軍事戦略は、本当のところは全方位的に粛々と展開されているのだ。フランスもそのうちの一国に過ぎない。日本では完成品としての武器の製造は出来ない。しかし、主にアメリカから輸入している武器や戦闘機等々に関わる重要な部品は日本頼みなのが実態だ。武力のイノベーションにはその中核たる部品が刷新されなくてはお話にならない。それ仲介役を担っているのが日本の商社だ。主に最新鋭の情報を防衛省に流し、アメリカに新たな武器開発を促しているのは、他ならぬ日本政府が重要な役割を果たしていると言っても過言ではない。日本の保守系の政治家は当然のことだが、官僚たちはこのような内情のすべてを掌握している。それが日本国憲法の裏に隠されたアメリカの番頭国日本の姿なのだ。

 日米同盟がどれほど大切か、という考え方は経済合理性や地政学的見地から見てもそう言えることだが、その一方で日本がすぐにも軍事転用出来るものは十分に整っているのである。すべては外交力如何にかかっているが、日本もアメリカを必要としているにしても、そもそもアメリカ政府が日本の自前の再軍備化を怖れているのが実情なのだ。アメリカが日本から軍をすべて撤退しても、日本は速やかに軍事大国化出来るポテンシャルを発揮出来るはずだ。しかし、それよりも日本が外向きはアメリカの言いなりになっている方がずっとましな世界情勢だと淳一は認識している。だからこそ、淳一はフランスの極秘任務を引き受けた。日本の軍事に関わる問題は全方位的に開拓されてしかるべきだ。何よりも軍事大国としての潜在的ポテンシャルを上げることが、淳一の考える世界平和の姿であり、抑止的な平和均衡のありようだった。   ある意味、言葉遊びに近い国会での近視眼的な憲法改正論議や、一般大衆向けに物知り顔で世界情勢の分析?とやらを語る政治・経済評論家たちと比べると、商社マンである自分の方が余程リアルな国際情勢の姿を捉えているという自負があった。

 ルーツを辿れば世界随一の軍事力・政治力・情報量を持った近現代のアメリカ大統領の殆どが、お坊ちゃん優等生を集めた閉鎖的な大学の卒業生たちなのである。オレのような、地を這うようにして、ビジネスの感覚を持ちながら世界中の政治・経済界の有力者と本音で対峙出来る人間こそが世界の現況を掴めているのだ、と淳一は自分を鼓舞するのだった。

(39)

 淳一に正式に大阪支社への転勤命令が下された。正式には東京本社に所属する自前のシンクタンクの所長という身分だった。商社というビジネスの性格上、世界情勢分析が政治家や官僚以上の高度な分析が出来なければ利益を得るどころか倒産の憂き目にさえ遭いかねないのだ。重要ポストと言えばそう思えるが、どうやら淳一は東京本社とは一線を画すような傍系の仕事につかされたと感じていた。彼は36歳になろうとしていた。シンクタンクの所長としては異例の抜擢ではあったし、世界各国に担当者が必要だったので、数十名の部下を抱えることになった。36歳のシンクタンク所長は自分より若い部下を捜す方が困難な立場であった。年上の部下の力を引き出すのは並大抵ではない。それもシンクタンクに配属される社員は個々に自負するものがあり、実際それだけの能力を持っていた。淳一の所長としてのスタンスは、人は自分の能力を正当に評価されることを何より望んでいることを理解出来る代表者であろうと日々心掛けたことだった。自分が正当に評価されているという自覚を持たせれば、自分の意にそぐわない結論に立ち至っても、部下は心の底から納得しているかどうかは別にして、決定した方針に従ってビジネス展開の青写真を互いに協力して創り上げ、東京本社に淳一が自信を持って出向いていけるようにしてくれるのである。淳一はシンクタンクに赴任後1年にして、自分の思い描く職場を創り上げたことになる。

(40)

 帰国後は、大阪のシンクタンクが新大阪に位置するということで、大阪に住むという手段を捨て、幼い頃から住み慣れた神戸に住まいを構え、新幹線通勤をするようになっていた。新幹線の新神戸駅まで歩いて5分程度のところに2LDKのマンションを借り、新幹線乗り場まで歩き、その後は新幹線で新大阪に短時間の通勤をするようになっていた。三ノ宮のセンター街までは10分も歩けば行けるし、少し足をのばせば旧居留地を通り抜けて、メリケン波止場まで行ける地理的条件には満足していた。

 絵里香が明子の散骨のためにフランスに来て以来、彼女には敢えてこちらから連絡することはなかったが、私が帰国する直前に彼女から電話があり、それ以来彼女とは親密な関係にある。東京と神戸の遠距離恋愛というわけである。直近の東京本社出張の折に、絵里香と彼女の父親と食事することになっている。明子の、いや絵里香の父親とは明子の病室で一度挨拶を交わして以来の再会である。絵里香との結婚を承諾してもらうための食事会になりそうだが、本当に絵里香が楽観しているような話になるのかどうかは、淳一には見当がつかない。様々なジャンルに応用出来る多種多様な化学繊維会社を興し、中堅会社まで押し上げた男だ。娘二人に婿養子をとって跡継ぎにしたい、というのが絵里香の父親の本音だろう。

 淳一のシンクタンクからの情報分析は、本社の重役連中とのテレビ会議で殆どが新たなビジネスモデルに適応される。しかし、時にはテレビや経済紙で無責任な言説を垂れ流している評論家連中の考え方を頑なに主張する重役が出てくる場合がある。特に淳一が代表者をつとめるシンクタンクの分析と真逆な結論を重役の何人かがそれらしく宣う評論家たちの意見に乗っかる場合は、致し方なく東京本社まで出向き、直に顔を合わせて昔ながらの会議をし、プレゼンテーションを丁寧にやって納得してもらう。馬鹿げたことだがこれも淳一の仕事のうちの一つなのだ。それに東京に出向けば絵里香とも会える。悪いことばかりではない、と思うことにしていた。しかし、今回は絵里香に父親がくっついて来る。オレに何かの決断を強いるのだろうか?絵里香と結婚するということは、オレの人生設計が大幅に変わることを内包しているのだ。プレゼンテーションをしながら、この後の絵里香と父親との三人の夕食会で、何が語られるのかに淳一の神経の大半は奪われていた。

(41)

 重役との会議が終わり、絵里香に無事仕事を終えたことを伝えてから、夕食の時間まで会社から一駅離れたスターバックスで、淳一の口には合わないコーヒーをブラックで飲む。というよりはこの場の喧騒と静寂、誰もが無関心を装っている雰囲気の中で淳一は気分が妙に落ち着くのだった。約束の時刻まで二時間はあるが、今日の重役たちとの会議での自分の発言を反芻したり、スマホのニュースを何気なしに眺めたり、果てはスマホにイヤホンを指してグレン・グールドの硬質なビアノ音で「ゴールドベルグ変奏曲」の幾つかのバリエーションの抑揚を楽しみ、ビル・エバンスのジャズピアノが奏でる「いつか王子様が」をマイルス・デイビスのトランペットのそれとを聴いて気持ちを落ち着ける。最後は店を出る間際までバッハの「無伴奏チェロ組曲」を聴く。これはミシャ―・マイスキーの演奏でなければダメだ、と淳一は頑なに思っている。そうこうしているうちに待ち合わせの時刻が迫っていることに気がつき、スターバックスを出て、タクシーを赤坂の高級料亭目指して走ってもらう。

 女将に案内された座敷にはすでに絵里香も父親も席で歓談しているところだった。招待された自分が二人を待たせた非礼を詫び、淳一は絵里香の隣の席についた。真正面には明子の病室でちらっと眺めたあの父親がこちらに柔らかな視線を送っている。淳一にすれば予想外に思えたのは、厳しい査定のような視線が向けられると覚悟していたからである。

 「山崎さん、本日はよく来ていただきました。心より感謝いたします。本来ならもっと早くに明子のことも含めて早くお会いしておくべきでしたが、絵里香からあなたが御社の知恵の心臓部とも云うべき部署の責任者になられたとのことで、少し落ち着いてからお会いした方がよろしいかと勝手に思っておりました。私の方に失礼があればどうぞお許しください。」と語ると絵里香の父親は座布団を横に置き、深いお辞儀をしたのである。淳一にしては予想外の出来事であり、むしろうろたえさせられた。淳一も「こちらこそ至らぬことばかりで。」と言うことしか出来ず、同じように畳に頭をこすりつけるようにお辞儀を返すのが精一杯だった。

 「淳一さんとお呼びしてもよろしいでしょうか?淳一さん、どうぞ頭をお上げくださいな。あなたと病室で短い瞬間でしたがお会いした後、明子からあなたが明子のためにしてくださろうとしたことの概要は聞いています。私もビジネスの表も裏も知り尽くした男です。常人には出来ないことも網の目をかいくぐるようにして可能にしてしまうことも経験があります。それでも淳一さん、あなたはとりわけ優れたお方です。詳細について知らされなくても私には分かります。絵里香があなたのことを好きになるのも頷けます。あの日、病室で明子と絵里香が何を話し合ったのかは知る術はありませんが、絵里香があなたとお付き合いすることを一番喜んでいるのは明子だと思います。」

 「私のようなものが出来ることなどタカが知れています。毎日をただ会社に命じられるままに生きているだけですから。」と淳一は日頃の自分の言動とは異なる平凡な会社員として自分を描こうとしたのである。

 「淳一さんの控えめなご自身のお仕事の描き方は、あなたの卓越した洞察力や行動力を証明していると感じます。まあ、私の会社は中堅どころの繊維会社ですが、実際は日本を代表するいくつかの大手繊維会社がその技術と応用力を売りにしているものの殆ど全てが実質上うちが提供しているものです。私どもが中堅どころでとどまっているのは、ある意味生き残りのための戦略です。そう言えばあなたなら、事の全容をご理解してくださるでしょう?あなたがフランスで恐らくは仕事としてなされていたことのひとつは、何でもないある一つの素材をいかにすれば軍事転用出来るか?というでしょうから。その意味ではうちの会社の繊維製品は、日本の、あるいは世界中の軍備のいくつかの不可欠な要素の一つになっています。勿論世間には公表などされませんがね。その意味ではうちの会社はいまのところ盤石です。むしろ大手企業よりも。私は古い男です。古い男流にあなたにお願いしたいのは、どうしても絵里香があなたと結婚したいのだそうです。ですので、あなたさえよければ娘をもらってやってもらえませんか?うちの会社に来てくださることを結婚の条件などには致しません。勿論、本音はあなたに来ていただいて将来はうちの会社をまわしてくださると、増々私の会社の存在意義は高まるのは経営者としてよく理解していますから、淳一さんが絵里香をもらっていただければうれしいことばかりでございます。」と絵里香の父親は一気に畳みかけて言った。

(42)

 絵里香さんと結婚させてください、と言わんとした、その瞬間、電源を切り忘れた携帯がけたたましく鳴った。こんなときに申し訳ありませんと言い置いて、座敷から離れた廊下で電話を受けると相手は警察からだった。一瞬頭を駆け巡ったのは、明子のことがらみで拳銃を裏ルートで日本に持ち込んだことが明るみになってしまったのか?ということだった。しかし、あれが表ざたになることはない。ならば、どうしてオレに警察から電話などかかるのだろうか?

 電話の向こうの警察官の声は、自分の思い違いでなければ随分とたどたどしく、また気の毒そうな言い方だった。

 「山崎淳一さんの携帯で間違いないですね。あなたは山崎さんご本人でしょうか?」「ええ、そうです。私は山崎淳一本人ですが。」「そうですか~。実はですね、たいへん申し上げにくいことなのですが、マレーシア政府からマレーシアの日本大使館へ連絡があり、いましがたこちらの警察に電話があったのです。驚かないで聞いてくださいね。実は、ご両親がマレーシアの自宅でお亡くなりになったのです。お手伝いさんが発見者だったようです。強盗らしい痕跡はありません。どうやら、お父上の無理心中だったようで。お二人とも絶命して発見されました。まことにお気の毒です。」

 警察からの報告を淳一は冷静に聞いていた。いつかは離婚でもするのではないか、と考えてはいたがこういう結末になることは想定外だった。マレーシアに移住して環境を変えようとした父の試みは見事に裏目に出たのだ。母はマレーシアに行っても父に満足出来ず、若い男を漁ったのだろう。父の忍耐の限度を越した結果だろう。むしろ日本にいて、永年の夫婦としての不調和の結論として離婚すればよかった。マレーシア移住を私に相談されたときの何とも嫌な感覚の結末がこれだったのか。

 電話を切って、直ぐに絵里香たちのもとに引き返し、淳一は、「マレーシアに移住した両親に事故があったようで、すぐにもあちらに行かねばならなくなりました。今夜はこのような立派な席を設けていただきましたのに中座する非礼をどうぞお許しください。」二人は驚いた顔をしたが、父親の方は即座に、「それは大変なことです。今日のことは何にもお気になさらず、すぐに現地に行ってください。そして、ご両親のご無事をお祈りしております。」と気持ちよくその場をとりなしてくれた。「ありがとうございます。こんな大切なときに私事で申し訳ございません。絵里香さん、状況が分かり次第連絡しますから。」と言い置いて、淳一は料亭を後にした。検視が済み、現地警察からのマスコミ発表があれば、すぐに日本でも報道されるだろう。そうなれば絵里香との結婚は消えることになる。それに会社における自分の立場も危うくなるのかも知れない。いや、間違いなくそうなる。淳一は暗い気持ちで、新幹線の乗り場へ急いだ。神戸の自宅で身支度をして、早急に現地に飛ばなくてはならないのだ。

(43)

 マレーシアのクアラルンプール国際空港に降り立ち、タクシー乗り場に着くと、熱帯雨林気候特有の、湿気の多いムッとする暑さが襲ってきた。日本に帰国してシンクタンクの仕事をまる一年こなしてきた。日本の季節は5月の終わりだったが、こちらは乾季の季節だ。おそらく過ごしやすい季節なのだろうが、この地に人生の終焉を定めた両親の気持ちは淳一にはこの時点ではまったく理解出来なかった。

 空港からタクシーで30分ほど走ったところに、両親が住んだ住居に着いた。広々とした土地は芝生と熱帯植物で整えられ、タイル張りの玄関ホールを抜けると、大きなリビングルームから、日本では考えられぬ広さの中庭が広がっていた。中庭が真正面に見える豪奢なソファに深々と座り、淳一はとりとめもなく両親の生活を想像してみるが、和やかな団らんの様子だけがどうしても想像出来なかった。

 予めこちらの住居も含めた生活費がどれくらいかかるものなのか、調べてきたつもりだったが、二人の住居から想像出来る生活実態は、淳一の想像を遥かに超えていることは明らかだった、二人の公務員の退職金と年金を生活の原資にした人間二人が、ここに住み続けれれるような資金力はなかったはずだ。これから現地警察に行き詳細な事情を聞くことになるが、すでにこちらの警察からの電話で聞いた話では、父の無理心中だったらしい。母は父の腹部への長い刃の包丁が根本まで刺さる一撃で、恐らくは即死だったという報告を受けた。しかし、父は倒れ込んですぐに意識を失ったであろう母の躰にさらに数十回刺したようだ。私の幼い記憶の中にも、父に魅力を感じられなかった母が何度も他の男と男女の関係になったことで夫婦喧嘩が耐えなかったが打ち消しがたく残っている。

 父はこのような結末を想定して、初めからこの地で永住し、永眠して骨を埋める気などなかったのではなかろうか?むしろ、このような最期の時を伺っていたのではないだろうか?こちらに来ても若く見える母なら若い男との関係は途絶えたことはなかったはずだ。父の殺傷のあり方には永年の怨念が煮詰まり、崩壊したもののように淳一には感じ取れるのである。母を絶命させた後、父の遺体には何度も首の動脈を切ろうとした、たくさんのためらい傷があったそうだ。結局、父はベッドからシーツを引き剥がし、それを玄関とリビングの境の梁に通し、縊死したと警察から聞いた。オレの頭の中には何故か極彩色の地獄絵図のような光景が浮かぶのだった。その直後、頭を掠めて通ったのは、我がことである。自分の心の中でブツブツと呟いた。「オレは何不自由なく育ったが、それは経済的に豊かだったおまえたちの実質的な育児・教育放棄の結果がオレと云う人間の素地を創り上げたのだ。」と淳一は自分の心の声を振り払うようにして、この忌まわしい殺戮の場から逃れ出た。

(44)

 待たせておいたタクシーに乗り込み、クアラルンプールのホテルに一泊した。あくる日に警察署に変死体として解剖された後の二人の姿を見ることになっていた。

 夜が明けきらぬうちに目を覚ました。食欲などまるでないと思っていたが、予測に反してひどい空腹感を覚えた。ホテルのビッフェ式の朝食が始まる時刻を待ち望んでいる自分のことが、現実の深刻さとの対比からして如何にも不可思議で不条理だと感じられた。さらに日頃食べたこともない量を食べ尽くし、ジュースとコーヒーも残すことなくのみほし、満腹感に満足している自分に気づいたときの爽快感にも戸惑った。自分は大きなストレスを感じているはずなのに、こういう感覚を味わってしまう自分がいることを、淳一は初めて認識した。

 約束の時刻は午後1時だったが、ホテルを午前11時にチェックアウトし、スーツケースをフロントに預け、呼び寄せてもらっていたタクシーに乗り込み、警察署に向かった。幸い英語が通じたので、不便はなかったが、両親との邂逅の時刻を早めてくれる交渉には応じてもらえなかった。淳一は所在なく警察署の粗末なソファに座り、静かに訪れる緊張感の只中にいた。

 午後1時を少し過ぎた頃、一人の警官が「あなたがミスター山崎淳一か?」と拙い英語で話しかけて来た。「そうだ。」と素っ気なく答えると、自分について来るように、と短く言って淳一の前をさっさと歩きだした。一階の端の階段を二人で降りた。死体安置書は決まって地下にある。日本のヤクザ映画で観た光景とさほど変わらない。コンクリート剥き出しの、廊下を少し歩くと上半分がすりガラス張りになっているドアの前に着いた。「ここで二人に出会うのだ。身体をY字型に切り開かれて、死因を特定して家族に本人確認をさせるというわけだろう。ふたりの身体は両肩付近からY字型に切り開らかれ、胸の辺りで直線にメスで切り降ろされた傷を大雑把に縫い合わせられているはずだ。警察にとっては、オレは二人の顔を確認すればそれで用済みなのである。両親が見分けられないような死に方をしていれば、DNA鑑定だけで親子関係だと分かる。変死体の場合の死はあくまで死の意味ではなく、誰がどのように殺したか、あるいは死に至ったのかが問題なのだ。

 両サイドに並んだカートの上の二人の死に顔は対極的だった。母のそれは、無念、残念、驚愕と怖れの表情が見てとれた。それに対して父の死に顔は縊死した後の醜悪さは拭えないにしても、どこか穏やかで満足げに見えた。結婚後当初からはじまった両親の不調和に忍従し続けたのは父の方だ。母が決して他の男との交接で幸せを満たしていたとは思えないが、それにしてもいっときの慰めは数えきれないほど受けたと思う。屈折した愛のカタチは目の前の縊死した父の永年に渡る忍従の結末がその事実をよく証明している。考えても仕方がないが、父はこの計画をいつくらいから考えていたのだろうか?オレには父のような個性が受け継がれているのだろうか?母の男狂いよりも、父の粘着質の個性の方に恐怖を感じた。自分の中に父のような個性のひとかけらも自分に受け継がれていないことを、亡くなった二人の前でひたすら願った。

(45)

 両親の遺体は、あくる日荼毘にふされた。二人の遺骨は日本でもよく見かける骨壺に分けて入れた。日本には出来るだけ少なく持って帰るつもりだ。大半の遺骨は日本の火葬場と同様に廃棄する骨を入れる大きなドラム缶のようなものにドサッと入れられた。クアラルンプールのショッピングモールで小さめのスーツケースを買い、それに遺骨がこぼれ出さないように厳重に梱包した。会社には大体の事情を話して、一週間の休暇をとった。

 これだけの事件を起こしたのだ。日本のマスコミでも事件の異様さ、そして永年連れ添った夫婦としての男が女に無理心中を強いた不可思議な動機と、そこに至るまでの夫婦生活のありよう等々が報じられるだろう。これでオレの会社員人生も、絵里香との結婚話も終わったな、と心の底で呟いた。

 こちらに来て3日後の夜のフライトの際のトランクの預け入れの際、両親の遺骨が入ったスーツケースには「コワレモノ」のシールが貼られた。そのようにしてほしいと頼んだ自分の中で、こんなものは、スーツケースの中でバラバラに壊れ、二人の遺骨が入り乱れ、混沌としていればいいのに、と願っている自分がいたことは否定出来ない。父ならそんな絵模様を望むはずだ、とも思った。父のような個性が自分に受け継がれていないことを願いながら、何故か父の気持ちが身に沁みるように理解出来るのは何故なのだろうか?もう抗うことは止めようと思い、淳一は、飛行機の座席に身を沈めた。

―長い夢を見た。

 父がジュンイチ~!と叫びながら、椰子の木の陰から手を振っている。結局ジュンイチには迷惑をかけてばかりだったなあ。おまえは オレたち夫婦のこのありさまの影響で、ずいぶんと損するのだろうな。ほんとに悪かったと思っているよ。オレたち夫婦は、おまえなら気づいていたと思うが、結婚当初からぎくしゃくしていた。ジュンイチが生まれてからオレたち夫婦も持ち直すかも知れないとずっと思って生きてきた。お母さんが何故オレを嫌うのかが分からなかった。ずっとな。オレは一生懸命に家庭を壊すことなく頑張っているのに、何故認めてくれない?と心の底で思っていた。こんなにおまえを愛しているのに、他の男にしか魅かれないのはどういうことだ、と時には怒りが爆発して、オレたち夫婦は大げんかをよくしたものだ。ジュンイチには見せたくはなかったが、何度もオレたちの醜悪な姿を見せつけられてさぞかし辛かったと思う。こんな結末になってオレはやっとお母さんの想いが分かる気がする。オレは彼女にずっと無言の嫌悪感を投げかけ続けていたのだ、と思う。彼女が他の男をつくるのはオレに対する当てつけというよりも、彼女がオレという存在ゆえに抱く自分に対する嫌悪感に耐えられなかったからだろう。マレーシアに移住を決意したのは、微かにやり直せるかも知れないという希望があったのは事実だが、それよりもこちらに来て彼女の心に起こる化学変化のようなものがどういうものなのかを見たかったからだ。そして日本にいるときと同じことが繰り返されるようになって、オレは悟った。何よりオレが彼女を憎んでいる。彼女を許すことが出来ない、ということを。

 一撃で彼女は絶命したことは分かっていたが、その後何度も刺し続けてしまったのは、憎かったからだ。憎くて、憎くてどうしようもなかった。そして、オレは一番大事なことに気づくことになった。夫婦としての亀裂のきっかけは確かに彼女がつくったのかも知れない。しかし、そもそも事のはじまりからオレは彼女を愛していなかったことを、血だらけになって横たわっている彼女を眼下に見て諒解した。すべての原因はオレにあったのだ、ということに気づいてしまうと、無理心中のつもりが、おかしなことに自死するのが猛烈に怖くなった。オレの遺骸に無数のためらい傷があったのは、死ぬことに異常に恐怖を感じたからだ。これがオレたち夫婦の全容だ。というより、オレという人間の全容と言ってもいい。ジュンイチ、最期までおまえとじっくりと話したことがなかった。ほんとうにすまなかった。オレたちのために、これからおまえに降りかかるだろう数えきれないほどの不幸な出来事に想いを馳せると胸が痛む。もう取り返しがつかない。ほんとうにすまなかったな、と父はマレーシアの自宅の惨劇の後の血まみれの床に頭を擦り付けて、泣きじゃくった。

 飛行機が着陸態勢に入るというキャビン・アテンダントの声で目が醒めた。しばらく夢の内容を辿っていたが、父の心境が、彼がオレに語った言葉どおりのものなのかどうか、両親の夫婦関係のありようが本当はどうであったのか、知る術もないまま淳一は自分の想像力を駆使して整理し、それを胸の中にしまい込むことしか出来なかったのである。同時に、明子の腎臓として彼女の躰の中で生き続けたかったと想う自分がいた。そしてオレは本当に絵里香を愛しているのか?という深い自問をしながらシートベルトを締めた。

(46)

 羽田で入国審査済ませ、手荷物を受け取り両親の遺骨が入ったスーツケースと自分の出張用のスーツケースを両手で引きながら、タクシー乗り場に向かおうとしていたら、たちまち日本の報道陣に取り囲まれた。シンガポールで起こった陰惨な無理心中事件。退屈した多くの日本人の恰好の好奇心の的だ。オレは沈黙を押し通してタクシーに乗り込み、新幹線で神戸の自宅マンションに帰るためにチケット売り場から出て来たところで、また報道陣にもみくちゃにされた。当分の間、オレの両親が起こした事件が日本の茶の間の暇つぶしの絶好の材料になるのだろうと覚悟を決めて、新幹線のグリーン車に乗り込んだ。彼らもさすがに新幹線までは乗り込んでは来なかったので、今後のことを2,3時間じっくりと考えることが出来るはずだ、と思い自分の行末を思い描くことにした。

 亡くなった両親よりも、これからも生きていかねばならないはずの自分の目の前に在るのは、「人生の崩壊」という観念だけだった。会社は辞職しなければならないだろう。好奇の目に晒されるということ以上に、たとえ居座ったとしても会社員としての将来はないだろう。絵里香の父親は、この事件が起こる前ならオレと絵里香とを結婚させ、会社の後継者として認めたはずだ。その申し出を受けるかどうかはオレ次第だったが、もはや選択の余地すらないのだろう。絵里香との結婚も諦めようと心に誓った。携帯には彼女からいくつもの着信履歴が残っていたが、こちらから連絡を取ることは避けなければならない。彼女が神戸に訪ねてきたときもマンションのドアを開けることはなかった。絵里香がオレに愛想を尽かすこと。それが絵里香の父親の望んでいることだ。会社には郵送で辞職願を出した。オレの生活は、自宅に引きこもり、近所のスーパーかコンビニで食料を調達することだけに収斂されることになった。いつしか絵里香からの連絡も途絶えた。生きている実感もないまま、独り呟いた。

 ―明子、これでいいんだよな、絵里香のためにも、これがいいんだよな。オレが明子、君の体内で生きようと目論んだことが叶わなかったときにオレの人生は終わっていたのかもな。両親の遺骨は神戸港にすべてまいた。散骨のイメージには程遠いが、美しい透明な海に帰すには、あの二人の生き方は矛盾が多すぎる。神戸港の油で濁った黒色に近い海の中に帰してやるのが彼らの生き方の終着点としては妥当な仕上がりだ、と思ったからだよ。別に恨みがあってそうしたのではないよ。墓石の必要性も感じなかったし、彼らはどんな辛抱の仕方をしたのかは分からないけれど、二人とも神戸市の公務員生活を定年まで勤め終えた。神戸の海が二人の眠る場所としてはふさわしいと、オレは思ったわけだ。それにオレも近いうちにこの世界を棄ててやるよ。これまで信じたこともなかったが、オレが命を絶ったら、明子、君とまた会えるのかも知れないな。

 淳一は、これまで信じてもいなかった可能性が自分の頭の中に醸成されるのを感じるのだった。

(47)

 ひと月もすると、あれだけ「衝撃的事件」として報道され続けた両親の無理心中事件も、次第に視聴者に飽きられたのか、殆どテレビや雑誌から姿を消し始めた。淳一は、心のどこかで死の準備をし始めていることに気がついていた。生きることは、そもそも淳一にとってしばしば退屈の極みだった。生に光らしきものが輝いた時期があったとするなら、それは明子との短い、いや短すぎる生の交差だったと思う。それにしても、両親の起こした事件のお陰と言おうか、あれが触媒のごとき働きをしてくれたのである。バチっと火花が散るように、淳一の胸の奥底に押し殺してきた退屈感がパンドラの箱から溢れ出た。淳一の裡の、根深い日常性への退屈感が自分に興味をなくさせ、人にも興味を失わせた。意識が空中に飛散し、漂い、そして砕け散った。自分が生きるために為す日常生活上のあらゆる行為が認められなくなった。何とかこの感覚に耐えて自分の生を紡いできたのに、いまや明子の不在が自分の中で取り換えの効かない絶対的なものになり、それに比べれば両親の心中沙汰など起こるべくして起こったとも云える事件に過ぎず、自分の仕事上のキャリアの喪失も、絵里香も、絵里香と築くはずだった未来も、その他諸々のことのすべてが取るに足りないものばかりに感じられるのだった。このときの淳一にとって、死はいつ自分に訪れてもおかしくない、タイミングだけの問題だったと言っても過言ではなかった。

 そんなとき、もう誰からもかかって来るはずのない携帯が鳴った。見慣れない国際電話の番号だった。淳一は重い腰を上げ、電話に出た。というより、長年の会社員としての習性がそうさせたのだ。言葉を換えれば、長期に渡る緊張を強いられた、フランスと日本の橋渡し役を果たしていると思い込んでいた淳一の反射神経のなせる業だったとも云える。

 電話の向こうの声は、明るいフランス語だった。淳一がフランスで仕事上関わった、フランス軍需産業T社の武器開発責任者のアランからの電話だった。アランは慎重かつ情報を重んじる人間だったので、彼が自分の置かれた立場を知らないはずがない。知っているからこそかけて来た電話だったのだと、瞬時に淳一は理解した。二人の会話は当然のことながらフランス語でなされたが、淳一の言語能力は5年間でフランスネイティブ並みの流暢さと理解力を持っていたので、会話はいたって効率的で日本人のように持ってまわった言い方は一切なかった。アランには大きな借りがあった。明子の腎臓移植に自分のそれが適合するなら、オレは病院の片隅で拳銃を自分のこめかみに当て、引き金を引いて脳天をぶち抜き、脳死状態になり、明子の体内で、明子の腎臓として生きたいと真剣に思ったとき、無登録で犯罪に使われた形跡のない、所謂足のつかない銃を調達してくれた恩人がアランその人だった。その後問題の銃が話題に上ることはないまま明子の入院先の前を流れる川に棄てられた。

 「ジュンイチ、こんなときに日本ではどのように言うのかは知らないが、むしろ知らない方がいいのかも知れないとも思いながら、電話している。」

 フランス人らしい理屈の多い話し方だが、彼らは本題に入ると非常に直截的だ。淳一は次の言葉を待っている。

 「ジュンイチ、少なくともいまの日本には嫌気がさしているだろう?君さえよければこちらに来ないか?フランスを拠点にして、君には中東諸国に主にミサイルを売ってほしい。君の能力はよく把握しているから、適任者として私はジュンイチを上層部に推挙したんだ。君との話し合いが先だという、君からの批判は敢えて受けるが、どうなんだろうか?君の才能をもう一度第一線で発揮出来るのは、少なくともいまの日本では難しいだろう?私は君の能力を高く評価している。考えてはくれまいか?時間の猶予はあまりない。最大限せいぜい1週間だ。1週間後に私の携帯に電話をくれないか?淳一、君が私の期待に応えてくれることを信じて待っている。」とアランは言い置いて電話を切った。オレとの一切の交渉事はしなかった。むしろアランはいまのオレの状況をよく掴んでいて、待遇等の交渉事になど私がまったく関心を持っていないことを知っているのだ。彼はそういう男だった。

だからこそ、ずっと前にオレが明子の腎臓移植のことを手短に話すと、「もし君を失うことになれば、私の大損失だ。しかし、君のたっての頼み事だ。私が何とかするしかないな。私ならジュンイチの頼みを叶えてやれるんだから。」と確約してくれて、実際に約束を果たしてくれた大恩人なのだ。

(48)

 アランから電話が来てから5日後にはオレはアランの申し出を受けるという返事をしていた。アランが電話で言ったようにオレには日本にいる動機も興味も必然性もなかった。そして、何よりもオレには中東での大掛かりな武器売買が世界の軍事的バランスを崩すのかも知れないという危惧すら捨て去っていた。そんなことはもはやオレにとってどうでもいいことだったからだ。オレは命の危険を伴うような交渉役を率先して引き受けた。ともかくオレは死にたかった。仕事を装って、死の機会が来ることを願い、敢えて死の危険性の高い交渉の現場に足を運んだ。

 36歳のときに両親の無理心中がクアラルンプールで起こり、メディアの餌食にされて、つくづく日本にいる必然性のなさを思い知らされた。もう日本を棄てる覚悟でフランスの死の商人としての仕事を、自らの死を待ち望みながら滞りなく果たした。皮肉なことに淳一のネゴシエーションの力は混沌とした中東情勢の中で増々洗練され、醸成されていった。淳一が関わった武器輸出はことごとく成功した。フランスは、表向きは世界の武器輸出国としては、第4位ということになっているが、世界中にフランス製とは見極められない武器が溢れるように流通しているのである。そんなことはどこの先進諸国もやっているのが隠された常識だが、淳一が中東市場の責任者になってからは、この分野でフランスはかなり潤ったはずである。死ぬことを願った人間でなければ飛び込んで行けない交渉の場を数えきれないほど潜り抜けた淳一の評価は高まるばかりだった。厚遇に慣れ親しみ過ぎて、身を守ることを考えるようになり、命を落とした仲間を何人も見て来た。命を落とすことは願ってもないことだが、身を守ろうとして見苦しい最期を迎えることは、淳一の、いまとなっては明子と同じ命運を辿るための美学に反することでもあった。だからこそ彼がどのように交渉の成功率が低く見積もられている場にも躊躇なく足を運んだ。なかなか死なせてはくれないな、という呟きが淳一の独り言の常套句になってしまったのは、この仕事を始めて5年目の頃か?淳一は40代の男になっていた。

(49)

 久々にパリの自宅にもどった時、恋人のジャンヌが出迎えてくれた。彼女と付き合ってから2年が経つ。その前に短い恋愛を何度か経験し、ジャンヌとはPACS(フランスの事実婚の一つのカタチ)の関係性で生活している。日本の事実婚は、同棲と同じ扱いであり、一緒に暮らしても社会的保障は何も得られない。それに対してフランスのPACS契約を結んだ事実婚は、従来型の結婚ではないが、簡単に言ってしまえばくっつくときも、別れるときもお互いに了解出来れば簡便なのである。それに、結婚したのと同様の社会的権利と義務を負うことになるから、ジャンヌと他の別れた数人の恋人たちと比較すると、このまま生涯を伴にしてもいいとさえ思えるくらいの関係性だったことは確かな事実である。勿論明子に感じたような精神的緊密度はない。とはいえ、それは日本人とフランス人の論理的組み立て型がどういうわけか、淳一に違和感を覚えさせるからである。淳一は理屈っぽい女性が好きだったが、彼女たちの理屈にはどこまでも自分の論理を貫き通す強靭さがあった。関係性を保ち、仲良く暮らすためには、淳一の方が、理屈が煮詰まってきた段階で折れることが多かった。自分の方が正しいと確信していてもそうしないと収まりがつかないからだった。結婚すれば離婚するにはかなりな手間が必要だ。それに比してPACSという制度は別れもあと腐れがない。ジャンヌは知性も女としての魅力も淳一の心を捉えて離さぬものだったが、彼女と接するうちに精神の構造のどこかで蓄積疲労のごときものが淳一の心を重くしていたのも事実である。

 ジャンヌはアランが私を呼び寄せてくれた軍需産業の分析官だった。彼女は、世界中の衛星をハッキングしながら情報を集めている凄腕の情報解析の専門家だった。私たち二人は、出会うべくして出会ったと言える。二人はすぐに魅かれあった。愛し合っていたつもりだったが、暮らしている時間が長くなればなるほど、二人の知性の、精神の構造の違いがボディブローのように効いて来たのである。私は知らず知らずのうちに彼女との距離間の大きさを感じるようになった。心はいつしか彼女から離れていくのを自覚していた。

 そんなとき、彼女が同じ係の分析官と恋に落ちた。会社の同僚から聞かされ、その事実にオレは納得せざるを得なかったのだ。オレが彼女を愛していたはずだ。しかし、心を離してしまったのは実はオレの方なのだ。ジャンヌがそのことに気づいたのはオレに対する愛ゆえだったと思う。

(50)

 ジャンヌの行動が、オレが記憶の底に葬り去っていたことを、複雑なパズルがハマるようにリアルなものにしてくれた。幼い頃から解き明かせなかった両親の不条理な関係性のすべてが明らかになったのだと感じた。確かに母は父を貶めるように次々に男を変えた。何故父は離婚しなかったのか?答えは一つしかなかった。いまだからこそ分かる。

 父こそ母以外に愛した人がいたのではないか?誰にも理解不能なほどの愛の深みの底にずっと身を隠していたのではないか?母の男漁りは、父への愛がどうしても通じないもどかしさに対する絶望的な自己主張だっただろうが、同時に自分の心の傷口を広げていったのではなかっただろうか?そう確信したのは何の具体的根拠もないにしても、己の愛に対する心情を顧みれば、想像力が真実を上回るかのようにこれが真実そのものなのだと、自分の裡に抗えない力でどっと押し寄せた。父と同じDNAが根強く息づいているとは思いたくなかったが、オレにとっての明子への愛が、父が母以外に本当に愛しただろう女性への愛と同質のものだと感じたとき、自分と自分の家族の全容が視えた気がしたのである。同時に、意味もなく悪寒が全身を走った。間違いなくオレも父とよく似た生の終末と強く共振しているはずだ。これがオレの本質であり、そして父の本質でもあったのだろう。そんなことを止めどなく考えていると、胃がチクチクと痛んだ。

(51)

 ジャンヌはまるでデジャブを見ているかのように、かつての母のように男をつくっては、その男のもとに走り、アパルトメントに帰っては来なかった。そして時折帰宅したかと思うと短いスパンでまた出て行った。その行為が、男が替わったというサインだった。初めて味わう感覚ではない。オレはずっと昔から同じ感覚を子どもの立場で味わってきたのだ。どうと云うことはない。ジャンヌの当てつけもオレは、父が感じたようには感じなかったと思う。オレはただ目の前の出来事にひどく冷静に対処した。ジャンヌにはどのようなことがあっても愛を感じることはない、とはっきりと自覚してからオレがジャンヌを心の底で切り捨てた。ジャンヌと実質的に別れたのは、オレがジャンヌを唾棄(敢えてそう呼ぼうか)してから1カ月後のことだ。同じ会社に所属していてもジャンヌとはまったく部署が異なった。事実婚が破綻することは珍しくもないことのようで、誰からも二人の別れのいきさつについて聞かれたことはない。遠慮がちに遠回しに事実確認をしたアランを除いては。アランも軍事会社の秘密がどのような原因がもとで漏れないとも限らないので、そのために事実を掴んでおきたかっただけのようだ。

オレはまた独りになった。すでに抽象的であり、絶対的な存在となった明子だけがオレの支えだ。が、自分の中のオトコが女を強く求めていた。それはこれまでになく強い衝動的な欲求だった。

(52)

 政府関係者が集うパーティに参加する機会は多くあった。政治と軍事は経済を支える車の両輪のようなものだったからだ。閣僚ではないが、事務方のトップクラス官僚の女房が、オレに誘いの視線を送ってきたのは、ジャンヌと別れてから1週間後のパーティでのことだった。彼女とは何度か別のパーティでも顔を合わせ、軽い会話を交わしている。どこから得た情報かは分からないが、たぶんオレがジャンヌと別れたことを知ったのだ。

 カロリーヌは、夫よりだいぶ年下のようだが、オレよりも少し年上かも知れない。彼女はオレのオトコの関心を惹きつけるのに十分過ぎる魅力を備えていた。カロリーヌは、少なくともオレにとっては直ぐにも唇を奪いたい女性だった。いつものように軽い挨拶を装って、彼女はオレの携帯の番号を知らせるようにオレの耳もとで囁いた。シャンパングラスの下の紙のコースターに走り書きをしたら、彼女は半分に折り畳み、大きく胸元の空いたパーティドレスの胸元に器用に差し入れた。その瞬間、オレは泥沼に嵌まるな、という予感がしたが、むしろそうなってほしい、という破滅的な願望が上回った。

 二日後、カロリーヌから電話があった。夫が担当大臣に付き添って10日ほど留守にするから、今夜予約したホテルに来なさい、という有無を言わせぬ伝達に近い口調だった。パリのオペラ座の近くの高級ホテルだ。彼女から教えられた部屋に辿り着くまで誰にも見られていない、と錯覚させるほどホテルの従業員たちは無関心を装うように訓練されていた。部屋をノックするとすでにシャワーを浴び、真っ白なガウンに身を包んだカロリーヌが出迎えてくれた。片手にはシャンパングラスを持ち、優雅にオレを部屋の中に招き入れた。

 しばらくとりとめのない会話を交わし、彼女は誘いの口づけを交わしたが、やけにあっさりとした挨拶程度のそれだった。その刹那、オレは誤解しているのか?と自問したほどだ。カロリーヌのお遊びに付き合わされているだけなのか?その時、彼女の手が、オレのネクタイをほどいた。あくまで優雅に軽い動作だった。無言で、バスルームを指さした。オレにもシャワーを浴びろという合図なのか、と思い、その指示に従った。バスルームは広かった。広々とした着替えのための場所があり、そこでスーツを脱ぎ、下着まで脱いだときに、カロリーヌが入ってきた。彼女は全裸だった。

(53)

 バスルームでカロリーヌを抱きしめ、ディープに口を吸った。彼女の唾液とオレのそれとが交じり合い、交じり合った唾液を互いに吸い尽くすような濃密な口づけをシャワーを浴びながら飽きることなく交わしたのだった。彼女の躰中をまさぐり続け、ついにヴァギナのヒダをオレの舌が捉えた。カロリーヌの愛液は溢れるようにオレの舌にまとわりついた。オレは彼女の愛液をむさぼるように吸い尽くした。彼女の嗚咽が徐々に高まり、か細い指がオレの首筋をいたわるようにまとわりついた。

 二人は濡れた躰のままベッドに倒れ込み、口を吸い合い、オレの舌は、また徐々に彼女の乳房から下半身へとすべり落ちていった。シーツは愛液でじっとりと湿り、彼女の体内へオレはすべり込んだ。愛液が溢れていたが、オレは彼女のヴァギナの中できつく締め付けられる心地よさを感じた刹那、果てた。まるで童貞のように。カロリーヌはそんなオレの髪を優しく撫でた。その瞬間、オレは再び彼女の中に入った。二人の交接は尽きることなく、一晩中続くことになった。朝方二人はへとへとになりながら、再びシャワーを浴びた。二人の肌が離れることはなかった。彼女はオレを自分のアヌスに導いた。彼女のアヌスの中に入った直後に果てた。彼女はオレのペニスを愛おしむように洗い流し、それを口に加えた。オレは再び勃起し、それから二度彼女のアヌスの中で果てた。よろよろと二人はシャワールームから互いに支えながら出て来ると、ベッドに躰を横たえ、オレはすぐに気を失うように眠りこけた。

 日の光が眩しさを増し掛けた頃、目を覚ますと彼女はオレの頬に軽くキスをしながら、ジュンイチ、お食事よ、とだけ言ってテーブルの上の食事の方にオレの顔を向けてくれた。ルームサービスで頼んでくれたのだろう。オレたち二人は一個の生き物どうしとして、躰が要求するに任せて貪り食らった。それが二人の愛の証でもあるかのように。

 腹が満ちると、オレたちは再び愛の営みにのめり込んだ。二人の粘液が入り混じり、粘液そのものが同体化し、二人は、別々の個でありながら、男と女の融合体のごとく一つになっていくのだった。彼女の乳房の柔らかさを味わい、乳首を弄び、躰はどのような意味でも離れることはなかった。足が絡まり合い、彼女のなめらかな肌がまたオレを何度も刺激した。カロリーヌは好んでアヌスへオレを導いた。彼女の泉のように豊かに溢れ出た愛液がオレを美しい貝殻のようなアヌスの奥深くに到達させ、そこでオレは何度も果てた。愛の営みなどという生半可な行為ではなく、たぶん、幾分かの自制心がお互いに働き初めなかったら、オレたちの命はそのまま果てたのかも知れない。お互いの意に反して、その日は何とか互いの自宅に辿り着けることが出来た。そうでなければ、オレたちが行き着く果ては底なしの、果てることなき欲望の循環の中に留まり続けたことだろう。

(54)

 カロリーヌとの逢瀬は何度となく続いた。まるでこのような愛の営みがお互いの日常の一部にでもなったかのように、二人は愛欲の果てにまで行き着く濃密な営みを繰り返した。逢瀬の綿密な計画は徐々に計画という概念からはみ出して行き、カロリーヌもオレも欲動の赴くままに愛の行為を重ねるようになった。

 カロリーヌの夫はパリ高等師範学校を優秀な成績で卒業した高級事務官僚であり、政界に打って出る男だ。妻を愛していようといまいと、妻の度重なる裏切りは自分の出世を阻む行為だ。自由な恋愛観は特に政治の世界では通用しない。

 ある日、アランから呼び出しがあり、カロリーヌと別れることを宣告され、同時に解雇通告された。アランは、無念そうに「オレにはジュンイチを守り切れなかったよ。政治家どもは汚いな。政府と繋がらなければ生き残っていけないオレたちのような軍需会社はあいつらの意向一つで潰される。カロリーヌの夫の後ろには大物政治家がついていやがる。結局、彼らの要求はジュンイチが二度とカロリーヌの前に姿を現さないことと、君の即刻解雇が会社存続の条件だった。すまないジュンイチ。オレにはこんなことを君に伝えることしか出来ないんだよ。」

 アランが苦しむことはないと、オレは彼の言葉を素直に受け取った。これが当然の結果だろう。頭のどこかで分かっていた気がする。カロリーヌとの愛欲にまみれた世界のどこかでオレは突然死でもしたかったのかも知れない。いずれにせよ、オレは破滅的な結末になることを覚悟しながら彼女との交接を繰り返してきたのだといまさらながら思うのだ。

(55)

 カロリーヌの夫にとっても、オレが会社を辞める理由が明らかになっては困るらしく、アランがオレを手放すために彼からかなりな金額をせしめたようだ。退職に際して、オレの銀行口座には破格の金額が振り込まれていた。いまの生活を変えず、ただフラフラと暮らしても物価の高いパリで3年は生きていけるだけの大金だった。すべてはアランの取り計らいだと思う。

 生きるために出直すことはいくらも可能性があったが、オレは敢えてそうはしなかった。オレにとってもうこれ以上人生の出直しは不必要だったからである。三年くらいはこのまま生きて、これまでの人生の足跡を辿るのも必要か、と思ったのだ。カロリーヌからは何度も何度も時間を問わず電話がかかってきたが、オレが電話に出ることはなかった。どうせ盗聴されているに決まっているし、カロリーヌの夫は自分が会社と取引したことさえ敗北だったと思うようなタイプなのである。カロリーヌにも盗聴しながらも好きに電話させて、オレと会えない苦しさを味合わせたいのだろう。コキュ(寝取られた男)としての彼の最大の復讐だ。妻に対しても離婚させず、これだけのことが出来る彼は、将来、フランスの政治家として生き続けることが出来るだろう、と淳一は心底政治家という存在の怖さを身に沁みて感じた。カロリーヌだけはじわじわと責めるようなことはせず、許してやってほしい、と届かぬ声を上げた。

 淳一はパリの街中を毎日飽きることなく歩き続けた。疲れたらその時々に目についたカフェでエスプレッソに砂糖をたっぷり入れて呑んだ。食事もレストランなどに出向かず、カフェで済ませた。そういう生活が二年半も続いたが、天候に関わりなく、変わることなく同じことを続けた後は、シテ島から遊覧船に乗り、セーヌ川の風に短い時間吹かれることで一日を締め括った。ポンヌフ橋の下を遊覧船が通り過ぎるとき、淳一の胸の奥がいつもチクリと痛んだ。その度に明子が自分の中に棲み続けていることを自覚した。オレの生の、あるいは精神の彷徨を締め括るときがようやく来ていることを淳一はポンヌフ橋の欄干の下で自覚した。「もうこれくらいにしておくか。」と淳一は小さく呟いた。

               完

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喪失 @yasnagano

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