ほろ酔い創作語り~思いつき創作論を断定口調で書いてみる~

戸松秋茄子

キャラクターとは幽霊である

 キャラクターとは何なのか。幽霊みたいなものと考えてみる。


 キャラクターは過去のどこかの時点で死んでいるのだ。そこで変化の余地を失う。何らかの未練に縛られこの世に留まる地縛霊と化す。


 その未練がキャラクター性であり行動原理であり一貫性なのだと考えてみる。


 過去が明かされることもある。明かされないこともある。いずれにせよ、何らかの経験がキャラクターをひとつの形に固定してしまう。


 感情はある。迷いもある。


 しかし、キャラクターの根幹をなす未練(行動原理)の強さには叶わない。幽霊とはそういうものだから。


 生きている人間はそこまで安定した存在ではない。行動原理から外れることもあるし、そもそも行動原理なんてものがないこともある。


 しかし、キャラクターは違う。未練が呪縛のように彼ら自身を縛り付ける。その未練の解消=成仏が物語と言えるかもしれない。


 言うまでもなく、キャラクターも元は生きた人間である。しかし、生前の出来事はすでに過去であり記憶である。そして――これは生きた人間も同じだが――、回想される記憶は後付けの一貫性に貫かれているものだ。だから、過去も一貫したものに見える。


 しかし、実際はそうではなかったのだ。キャラクターも生前は揺らいでいたのだ。


 よって、キャラクターの主観と実際との間にはギャップが生まれる。それを表現するかいなかは作者の判断に委ねられているが――


 あるいはキャラクターは現在においても揺らいでいるのかもしれない。


 生きた人間として存在するのと同時にキャラクター/幽霊としての自己認識があるのかもしれない。


 両者の間にはやはりギャップが生まれる。


 これらのギャップを強調する手法がいわゆる信頼できない語り手と呼ばれる技法だろう。


 キャラクターという幽霊じみた存在に、生身との矛盾を突きつける。幽霊など存在しない。存在するのは生きた人間だけだと突き付ける非情なリアリズム。それが信頼できない語り手の技法と言えるかもしれない。

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