第12話
少年、
制服の上着に、千夜から返してもらった手紙を入れる。
自然と足は、神社の参道へと向かっていた。
杉木立を進むと、苔むした灯篭が並ぶ。次第に、霧が立ち込めてくる。いつの間にか、観光客や参道を掃き清める地元民はいなくなっていた。
灯篭の間から、鹿が出てくる。道案内らしい。後についていく。立ち止まり、顔を向ける。先には、朱色の回廊が連なっていた。鈴の音が聞こえる。鹿に礼をして、ここで別れる。
鳥居を抜けると、古びた屋敷が現れる。玄関の前に立つ。
「
カラカラと音を立てて、扉が開く。和服を着た娘がお辞儀する。通された部屋では、子供が丸くなって寝息を立てている。
「京終静保さんですね」
「はい」
寝ぼけ眼で枕にしていた座布団に座り直す。
「あなたは、おしやさんですね」
息がつまる。この時になってようやく本来の役割を思い出したのである。重圧に、目を細める。俯いた先、小さなてのひらがある。
「ラムネ、食べますか」
「いただきます」
舌の上で、小さな星が弾ける。元気を出してください。そう、目の前の幼子に励まされているのだ。温かさに、息を吐く。太ももの上で、拳を握り直す。
「息子さんの件で、事後報告に参りました」
小さな肩がはねる。緊張が走る。
「あの子は、大丈夫でしたか」
「ええ、大丈夫です。依頼は、完了しました。ただ少し膝とてのひらをすりむいてしまったようですが」
両目から涙があふれ出る。それは、宝石となって畳に転がる。
「いいです。いいです。私みたいになってしまうより、どんなにいいことか。あの子も、知ったでしょう。生きているから、けがをする。けがをしたら、痛い。だから、きっと知ったでしょう。私は、もういない。あの子は、もう私とは違うところにいるのだと」
母親なのだ。確かに、この幼子は、あの半ズボンをはいた男の子の母親なのだ。
「あの子は、どうして電車に飛び込もうとしたのでしょうか」
「私の真似をしようとしたのです」
獣が、己を指し示す。依頼人は、仔狐の姿をしている。しかし、確かに息子はヒトであった。廊下に控えている和服の娘に目を遣る。
「静保さんの身体は、木端微塵になりました。それで、ちょうど同時期に亡くなったこの子の身体を静保さんにあてがったのです」
頭をかく。
「確か、人形というのでしたね」
「嫌ですわ」和服の娘が、意地悪い笑みを見せる。「
仔狐は、目をそらした。
「
和服の娘は、頷き去る。
「宮下という名前は、御宮の下で暮らすのがいちばんという意味らしいのです」
屋外で、風に吹かれながら語る。
「あれ、でも、あなたは」
「私は、お嫁に行きましたから」
振り向き、にこりとする。
「茜さんは、ご自分が人形であることを気に病んでいるのです。茜さんは、生前、あまり優秀な狐使いではなかったようですね。それで、どうも修行で命を落とされたようです。でも、茜さんの言う一人前になるためには、狐に呼ばれなければならないのです。狐に深く愛されたために、また嫉妬もされる。狐は、ヒトとひとつになりたいと願う。そうして、ヒトを死に追い込むのです。大抵、無理に殺そうとしますから、ヒトは抗います。だから、どうしても酷い死に様になりがちです。ねえ、良いことなどひとつもないのですよ」
宮下の家では、ただの人間のことを人形と言う。狐の姿こそが、理想の姿なのだから、ヒトの姿は仮の姿であるということだ。それどころか、ヒトの姿であることは、蔑視の対象ですらある。
では、千夜はどうか。
千夜は、ヒトの姿をしている。人形だ。
しかし、千夜は狐を使わない。それなのに、人形。つまり、宮下の家とは、違うルールが適用される。
翻って考えてみよう。通常、ヒトに向かって人形と呼ぶようなことはほとんど無い。ただ、ヒトと呼べばいい。
人形。人の形。
「おしやさん。おしやさんのところの、お人形さんは、どうしていますか」
「仕事で、けがをしたので、今は休んでいます」
仔狐は、居心地悪そうである。
「気にしないでください。仕事ですから」
「いえ、いくらお仕事とはいえ、小さな子供にけがをさせるのは、あまり気持ちのよいことではないだろうなと思いまして」
道理である。しかし、千夜は、理由を知っている。仔狐の言うとおり、死んでしまうよりは、けがをするほうがいいに決まっている。
それでも、自分はなんと愚かなことをしてしまったのだろう。
俯き、前髪を掴み上げる。
「意地の悪いことを、口にしました」
仔狐が前足を上げて、立ち上がる。
「千夜に、あなたに、息子さんに。私は、世間を知らなかった」
仔狐が駆け寄る。足元で、頬ずりする。
「それが、普通です。たとえば、此岸に置いてきた息子は、母の世間を知りません。そういう訳で、どうにも相容れなかったのです。まあ、狐に呼ばれたのですね。それでも、狐は知恵を働かせただけです。いくら息子から本当のことを指摘されたからといって、外へ飛び出してはいけなかった。怒ってはいけない。狐はその一瞬を決して見逃さない」
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