第三章 聖女の弱点

第98話 無理無理ダメ無理ぜったい無理

 一週間後に貴族の子女が集まる舞踏会ぶとうかいがおこなわれる。

 そのためにわざわざ有名なダンスの講師を学園におまねきした、というのが現在の状況。

 しかし思いもよらぬ大苦戦に、勇輝は絶望するしかなかった。


 この敵は強すぎる。

 まるで歯が立たない。


 なにが聖女だ。

 なにが天才だ。

 自分はこんなにも無力だったんじゃないか。

 世界は広い。

 それは知っているつもりだった。

 だけれども、まさかこんなに辛いことが待っていたなんて。


 もう無理だ。

 この敵にはどんな魔法も勇気も通用しない。

 自分には無理だ。

 降参。ギブアップ。ダメダメもう無理もうイヤだ。


「ブツクサ言ってないでさっさと立ちなさい!」


 金髪ドリルの悪魔がそれでも戦えと命令してくる。

 なんてひどい女だ。

 人にはそれぞれ向き不向きというものがあるのに。


「ゴチャゴチャ言ってないでサッサと立つのよ! ホラ!」


 ふたたび立たされてしまう、絶望的な戦場に。


「手を取って!」


 正面の男と手を取りあう。

 反対の手は男の肩に。

 ここまではまあいい。

 問題は次からだ。


 男のあまっていたほうの手が勇輝の肩甲骨けんこうこつにあてられる。

 瞬間、すさまじい不快感で全身に鳥肌とりはだがたった。


 目の前に男の顔がある。

 キスができそうなほどの至近距離だ。


 この間合いはいけない。

 完全に勇輝の不得意な間合いだ。

 とっさに身体が後ろに下がろうとする。

 だが背中をおさえられていて、首をそらせることしかできない。


「笑って、ホラ」


 金髪の悪魔が無慈悲な命令をくだす。

 それは無理な命令だ。

 ペンギンに空を飛べと言っているようなものだ。

 ザ〇に大気圏を突破しろと言っているようなものだ。

 勇輝にはこういう状況で笑う能力はそなわっていないのに。


(少佐、少佐ーっ!)


 ロボットアニメのワンシーンを思い出し、勇輝は心の中で叫んだ。

 無駄死にだ。無駄死にするやつだこれ。

 無駄死にではないぞとか言われたけど無駄死にになったやつだ。


「笑って!」


 金髪の悪魔はかさねて命令してきた。

 しかたなく、どうにかこうにか実行してみる。

 笑顔。笑顔。


 ニ、ニチャア~。


 自分でもひどい笑顔になっているのがよく分かった。

 相手の男はとても悲しそうな顔をしている。


 すまないと思う。

 勇輝だってきずつけたくてやっているわけではないのだ。

 だが無理。どうしても無理。

 男と顔面近づけるなんて、生理的にまったく受け付けないのだ。


 ハア~。


 周囲のご令嬢たちが、いっせいにため息をついた。

 勇輝一人のせいでせっかくのレッスンがまるで進まない。

 完全に足手まといになっていた。


「しかたがないわね。

 貴女はもういいわ、休んでいなさい」


 金髪ドリルの悪魔、マリアテレーズ皇女殿下は疲れた顔でとうとうあきらめた。

 ようやく苦行から解放されて、勇輝は力なくイスに腰かける。


 まさかの大惨敗だいざんぱい

 こんな目にあう日が来ようとは。


「まったく、ダンスひとつ踊れないなんて、ねえ?」


 少し離れた場所から、自分を嘲笑ちょうしょうする声が聞こえてきた。

 誰が言ったかは知らない。

 確認する気にもならない。

 周囲からチクチクと非難の視線が突き刺さる。


 はりむしろだ。


 聖女である勇輝もかならず来なさいと皇女殿下に命ぜられて参加したこのレッスン。

 まさかこんな辛いめにあうとは思わなかった。


 男と手をつなぎ、背中に手をまわされ、至近距離で笑顔をかわす。

 ダンスを踊るうえで当たり前のこれが、勇輝には耐えられない苦痛だったのである。

 気持ちが悪いのだ。どうしようもなく強烈に。


 勇輝は今でも自分の魂は男だと思っている。

 男と男が顔を突き合わせるなんて、気持ち悪くてしかたがない。

 まして笑みを浮かべるなんて。


「俺、舞踏会なんて興味ねえよぉ……」


 ガックリとうなだれる勇輝にたいして、横から話しかけてくる女の子があらわれた。


「そんなことも言っていられませんよ。

 あなたとの出会いを待ち望んでいる男性は星の数ほどいるのですから」


 長い緑色の髪をした、男装の麗人。

 元第三騎士団長グスターヴォ・バルバーリの孫娘、ダリア・バルバーリだ。

 彼女は皇女殿下や周囲のはからいもあって以前のテロ騒動に関する罪には問われなかった。

 現在は皇女殿下に忠誠を誓い、身辺警護をつとめている。


「来週の夜会を欠席したとしても、またすぐに次の機会が来ます。

 これはけては通れない問題なのです」


 かたい口調でそう言われて、勇輝はゲンナリした。


「……参った」


 目の前ではマリアテレーズ皇女殿下がイケメン講師とともに見事なダンスを披露ひろうしている。

 周囲からさっきとは逆のため息がもれた。

 勇輝がうけたのは失望のため息。

 皇女殿下にあたえられたのは賞賛しょうさん、あるいは羨望せんぼうのため息。


 さすが超上流階級のお姫様。

 こういうシーンでは誰よりも美しく光り輝く。

 あくまで練習だというのに、殿下のまわりだけまるで花が咲いているかのようだ。


 ボケーっと気の抜けた顔でながめていると、踊っている皇女殿下とチラチラ視線が合う。


(ちゃんと見ておぼえるのよ)


 そんな意志が伝わってきた。

 さらに気が重くなる。


「練習しましょう、ユウキ様。

 私が男性役をやります」


 ダリアに催促さいそくされて、勇輝は立ち上がった。

 男装の麗人ならパートナーとして最適だ。

 二人は教室のすみっこに移動して、円舞曲ワルツの基礎から練習をはじめる。


「1、2、3。

 1、2、3。

 足元を見ないで、胸をはってください」


 注意されて胸をはると、目の前にはダリアの顔。

 さっきとは違う意味で緊張するが、嫌悪感はない。


「そうです。笑ってください。

 1、2、3。

 1、2、3」

「1、2、3。1、2、3」


 ぎこちないが、どうにか笑う。


「1、2、3。

 1、2、3」

「1、2、3。

 1、2、3」


 足元がフラフラして生まれたての小鹿こじかのようではあるが、ようやく練習らしい練習になってきた。


「ダリア」

「はい?」


 つい、聞きたかったことを勇輝は口にした。


「騎士団長の爺さんは、いまどうなっているんだ?」


 ピタッ。


 ダリアの動きが止まった。


「あ、ご、ごめん。余計なことを言った」

「いいえ、平気です」


 さすがにくもった表情で彼女は答えた。


「今はどこかに幽閉ゆうへいの身です。

 裁判がはじまるまではまだ時間がかかるのだそうです」

「そうか」


 死者のみちびきによって旧第三騎士団の面々にも多少の温情がかけられているという話は、勇輝にも伝わってきている。

 だがさすがに首謀者であるグスターヴォ元団長は減刑げんけいされないだろう。

 未来はすでに閉ざされていると言っていい。


「辛い思いをさせちまったな」

「いいえ!」


 ダリアは怒りもうらみもない、んだまなざしで勇輝を見つめた。


「祖父は言っていました。

 騎士の突撃に迷いがあってはならないと。

 私たちは力のかぎり自分をつらぬきました。

 後悔なんてありません」

「なるほど、あの爺さんなら言いそうなセリフだ」


 自分も見習おう。

 勇輝はそう思った。


「さあ練習しましょう。

 ダンスは淑女しゅくじょの大事なたしなみです!」

「はは、淑女ねえ……」


 なんとも困ってしまう勇輝であった。

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