第55話 奇跡の聖女

 ――リンゴーン、リンゴーン……。


 遠く離れた教会のかねが鳴りひびく。

 そしてそれに共鳴するかのように、違う方角からも鐘の音が聞こえてくる。


 ――ガラーンゴローン、ガラーンゴローン……。


 そしてさらに違う方からも。


 ――ガーン……ゴーン……ガーン……ゴーン……。


 鐘の音は四方八方、あらゆる方向から鳴り響いてきた。

 そして鐘の音と共に、魔力を込めたある種の『意思』が空間にち、あふれていく。


 ――ゴーン……! ゴーン……! ゴーン……!


『何だこりゃ、いのり、か……?』


 ――カラーン、コロ-ン、カラーン、コローン。


 この場にいた人間たちが感じ取ったのは、愛するものの無事を願う祈りの波動だった。

 それも一人や二人ではない。

 聖都に住まう百万をこえる人々の祈りが、この生き地獄の中心点に凝縮ぎょうしゅくされていく。


 ――カァーンン……カァーンン……。


『鐘の音に乗せて、魔力をここに集めているってのか。

 そのために聖都中の民衆を教会に避難させた……?

 何のために?』


 すさまじく膨大ぼうだいだが、害意のある力ではない。

 だがあまりにも強力な魔力の波動に、騎士たちも、そして魔王ディアボロスに夢中だった悪魔ディアブルの群れまでもが騒ぎはじめる。


 ――ギィン! ギィン! ギィン! ギィン!


 ――ボーン……! ボーン……! ボーン……!


 ――キーン、コーン、カーン……。


 ここは全ての音が集まる中心。

 そして全ての魔力が集まる中心だった。

 いくつもの鐘の音と祈りがぶつかり合い、混ざりあい、巨大な渦巻うずまきとなる。


『何だこりゃあ!?

 お前一体なにするつもりだ!?』


 不覚にも動揺しているリカルドに、勇輝は妙に落ち着きはらった態度で答えた。


「本当は、ちょっと想像がついているんでしょ?」


 勇輝は軽く笑っていた。


「怒りや憎しみは悪魔ディアブルになる。

 悲しみや苦しみは魔王ディアボロスになる。

 じゃあ、愛や正義は何になる?

 聖都中の魔力をかき集めて、聖女が何を呼ぶと思う?」


 勇輝は右拳を天に突き上げた。

 民衆の祈りの波動が、すべて彼女の上空に収束しゅうそくしていく。


「そんなの、決まりきっているだろ!」


 空が輝きはじめた。

 光はどんどん大きく、まばゆくなっていく。


「ベアータ、お前らが本当に天国へ行ったっていうなら、この声が聞こえるな!」


 天をあおぎながら、己が殺した強敵の名を叫ぶ。


「これが、この光が俺の力だ、俺の正義だ!

 俺はお前が憎んだ人間の心で、お前らのイカれた正義をぶっ倒す!」


 激しい光は空をおおい、まるで太陽のように明るく聖都を照らした。

 この現象は、理屈の上では魔王ディアボロスが噴出してきた時と同じである。

「人の世」と「人の世ならざる世」の境界線となっているふたを取り払ったのだ。

 空をおおう光の彼方かなたから、誰もが待ち望んだ救いの手がついに姿を現したのだった。


 彼らは人とよく似た外見をしていた。

 そして背中から大きな白い翼を生やしていた。

 全身は神々しい光に包まれ、手には黄金の手槍と盾を持っていた。


『……神よ』


 誰かが思わずこぼしたそのつぶやきは、おそらく聖都中のあらゆる人が口にした言葉であっただろう。

 勇輝が開いた光の門から、幾千いくせんもの天使が舞い降りてくる。


 それはまるで神話をえがいた絵画だった。

 火炎地獄と化した地上。

 光り輝く天上から舞い降りた天使の軍団。

 そして天と地の狭間はざまで天使を待ち受ける魔王と悪魔。


 遠く離れた場所でこの戦いを見守っていたものたちは、まさしく伝説的な名画としてこの光景を見たに違いない。

 天使と悪魔はたがいににらみ合い、そしてどちらからともなく戦いを始めた。

 天使のやりが次々と悪魔を串刺しにし、消滅させていく。


 ――ウウウウウ……。アアアアアアアア……。


 魔王はずいぶんとその身体を傷だらけにして、今も変わらず泣き続けていた。

 天使たちは魔王の身体に触れると、その泣き声もろとも光の粒子に変えて消し去っていく。


『奇跡だ、これはまさに、何という奇跡だ!』


 誰がそう叫んだのか、いちいち確認する者もいない。

 皆が同じ意見であり、どんなに言葉をかざっても内心の感動を表現しきることはできない。

 それからほんの数分の内に、なげきの魔王はすっかりこの世から消え去った。

 一千年間たまり続けた人々の涙は、一滴たりとも残さず浄化されたのだ。


 魔王を浄化した天使たちは、群れを分けてそれぞれ四方しほうの空へと飛んで行く。


「まだ聖都に侵入していなかった敵も、あいつらが全部たおしてくれる」


 勇輝は恍惚こうこつの表情で語る。


「やっと終わったよ、全部」


 勇輝はフッと力が抜けてその場に倒れた。

 限界をこえて肉体を酷使こくしし続けていた結果、とうとう力尽きたのだった。

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