第13話 歓迎の裏で 2

 とりあえず言えるのは、勇輝はまず確実にこの国の人間ではないということ。

 そしてあの短気で落ち着きのない性格は演技ではなかろうということぐらいだ。


「今日一日ずっと彼女を監視しておりましたが、どうも私の思い過ごしであったようです」

「……つまり悪意ある侵入者ではないと?」


 はい、とランベルトは胸をはって肯定する。


「その根拠は何でしょうね?」

「暴飲暴食でつぶれるような人間に密偵はつとまりません」


 そう言いながら、ランベルトはつい口元がゆるんでしまうのをおさえ切れなかった。

 あのベロベロに酔っ払った能天気な笑顔。

 まるで幼女のような無警戒さだった。


「なるほど」


 ヴァレリアもつられて苦笑してしまった。

 勇輝を敵対勢力のスパイだとして疑うのは少々難しい。

 なぜなら彼女は実にありとあらゆる面において目立ちすぎるのだ。

 こんな女に密偵スパイなどつとまらない。


 そして流言飛語りゅうげんひご世論よろんをあやつる工作員という線もなかろう。

 知性も色気も感じられない小娘の言動に、どれほどの説得力があるというのか。


「し、しかし、あれがすべて演技だったという可能性もあります!」


 クラリーチェがやや興奮しながら反論した。

 確かに正論ではある、が。


「本当にそう思っているのかい、さっきはずいぶんにぎやかだったね?」


 ランベルトに茶化ちゃかされて、クラリーチェは顔を赤くした。


「あ、あ、あれはっ、礼儀知らずの酔っ払いにマナーを教えてあげただけですっ!」


 クラリーチェは興奮のあまり、くわえていたハーブスティックをポロリと落としてしまった。


「あっ!」


 そのムキになった様子がおかしくて、二人はまた笑う。

 笑われたクラリーチェはさらに顔を赤くした。


「もうっ、二人ともからかわないで下さい!」


 落とした棒を拾ってポケットにしまう彼女に向かって、ヴァレリアは軽く頭を下げた。


「……では密偵ではないとして、彼女の正体は何だと思いますか」


 ヴァレリアの声色が元に戻ると、二人の態度も引き締まった。

 だが彼らは同時に表情をくもらせ、首をひねる。

 ランベルトが言った。


「それは、今の段階では分かりかねます」


 なぜ彼女はあんな場所にいたのか。

 性別が変わったというのは本当の事なのか。

 異世界から来たというのは真実なのか。

 そしてなにより、あのあかい瞳はまるで……。


「あの瞳の色はまるで聖エウフェーミア、かの紅瞳こうどうの聖女のようでしたね」

「っ!?」


 心の中を読まれたかと思ってランベルトはぎょっとした。

 だがすぐに考えすぎだと気付く。

 あの宝石のように紅い瞳を見れば、誰だって彼女の事を連想れんそうするに違いないのだ。


 東方の守護者、魔王討伐の聖人、紅瞳の聖女エウフェーミアの事を。


「ユウキさんの手は、まるで赤ちゃんのように柔らかでした」


 ヴァレリアは右手を閉じたり開いたりして、その感触を思い出していた。


「人間の手には、その方の人生が現れるものです。

 あなた方騎士の手には剣だこがあり、私の手にはペンだこがあります。

 農夫の手には農具のたこがある事でしょう。

 使用人の手はガサガサに荒れ、職人の手はぶ厚く傷だらけになっているものです。

 しかし……」


 冷たく光る青い眼で見すえられて、配下二人は背筋がうすら寒くなった。


「あの方の手は奇妙でした。

 まるで生まれたての赤子のように柔らかくて、しみの一つも無くて。

 これをどう思いますか?」

「さ、さあ、本人が言うように不真面目な学生だった、という事でしょうか。

 ペンだこもできないくらいに……」


 その周到しゅうとうさに寒気を覚え、ランベルトの声はかすかに上ずった。

 こういうお人なのである。

 なにげない会話のひとつひとつにも意味がある。

 わずかな接触からも情報をしぼりだし、そして相手は調べられた事に気付きもしない。


 勇輝とヴァレリアが握手をかわしたのは「しばらく我が家に滞在してはいかがですか」と提案したときの一瞬だけである。


 あんなわずかな行動が、自分の素性を探る行為であったなどと気づける者が、はたしてこの世にいるのだろうか。


 もし仮にあのアイザワユウキという少女が悪意を持って聖都に侵入してきた人物だったとしたら、いまごろ彼女は拷問ごうもん部屋で悲鳴をあげていたに違いない。


 それを思うとこの主君の存在は頼もしくもあり、同時に恐ろしくもあった。


「彼女の語る異文化が、この国の発展につながる可能性もありますからね。

 それに今後の彼女の生活も心配ですし、もうしばらく我が家に逗留とうりゅうしていただく事にしましょう」


 これはつまり『監視を継続しろ』という遠回しな命令だ。


『はい、承知いたしました猊下』


 ランベルトとクラリーチェは、同時に深々と頭を下げた。


「あらあら、またそんな事を」

「えっ?」「は?」


 急に主君の気配が柔らかくなったので、二人は顔を見合わせる。


「猊下はやめてくださいと、先ほども言ったばかりですよ」


 あっと息をのんで、二人は訂正した。


『承知いたしましたヴァレリア様』


 眼を伏せていても、彼女が慈愛に満ちた表情で見つめているであろう事がひしひしと感じられる。

 ヴァレリア・ベルモンド、彼女こそランベルトたちの冷徹なる主君、そして最も敬愛する二人の養母であった。

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