都会の緑

もりかわ 

プロローグ

都会の緑


夏のコンクリートジャングルは灼熱地獄だ。

太陽から注がれる熱をめいっぱい吸収した真黒な地面が都会の空気をぐらぐら煮立たせる。車の排気ガスはいつもより重く、肺に酸素を送り込むのに苦労する。昼休憩を終えた道みちのサラリーマンは、あえぐように口を開閉しながら各々のオフィスビルに吸い込まれていく。

彼らのうんざりした顔を眺めつつ自分の姿に思いを馳せる。おそらく似たようなものだろう、何ならもう少し精気が欠けているかもしれない。


「昨日」の仕事が終わったのは日付が変わった3時間後で、当たり前のように会社で睡眠をとった。今朝も外回りの予定が2件入っていたので帰宅せず会社から出発した。先ほど2件目を終え、現在は昼食を食べる店を探している最中だ。

幸い、残りは夕方に1件のみなので時間に余裕がある。

疲労と暑さで枯れた食欲が再び湧き出るような何かを探して、コンビニのアイスコーヒー片手に夏の新宿をアテもなく歩いた。




—————————————




日陰を求めて大通りを少し外れた路地に足を踏み入れると、ふいに石造の鳥居が現れた。鳥居の先には石段が続き両脇には木々が繁っている。先ほどとはうって変わって深い緑に囲まれた空間はいかにも涼しげであった。

しばし逡巡していたが、時計をちらと確認してから石段に足をかけて鳥居をくぐった。


やっとのことで一ノ鳥居まで登れば参道が現れ、その奥には社殿が見える。都会の喧騒はすでに遠く、新緑に囲まれた境内の空気は静かで涼しい。手前の手水場で手を洗う。冷えた水は気持ちが良かった。本殿の前に立ち、気持ちばかりの賽銭をして手を合わせた。

最後に二礼して振り返るといつの間にか少年が立っていた。


「あ、ごめんね」


参拝に来たものと思い道を譲るが、動くそぶりはない。きょとんとした顔でこちらを眺めている。見たところ10歳位で着古した白いシャツと短パンを身につけていたが、足元は裸足だった。

私が再び何か言う前に、横から猫の鳴き声が聞こえた。見れば一匹の三毛猫が狛犬の後ろから顔を見せている。少年は弾かれたようにそちらへ駆けていってしゃがんだ。猫は仰向けになって腹を見せる。彼が撫でてやると気分が良さそうに喉を鳴らした。

それはあまりにも和やかな光景だった。しばらく眺めていると子供が再びこちらを向き「なでる?」と尋ねてきた。虚をつかれ一瞬言葉を失うが、軽く頷き彼の側にしゃがみこむ。猫は好きだった。

 

三毛猫は随分と人馴れしているらしく私が撫でてもその伸びきった身体が緊張することはなかった。


「ここの神社の子?」


猫の耳の辺りを擽りながら聞けば少年が頷いた。


「無事に生まれますように、っておねがいしたの?」

「え」


意図が掴めず猫から顔をあげると、少年の大きな目がまっすぐこちらを見ていた。


「さっき。手を合わせていたとき。」

「........ああ、」


先ほど祈願した内容のことを言っていたのか。合点がいったが、また別の疑問が浮かぶ。私は確かにそう祈ったが、なぜわかったのだろう。

そうして、もしや、と思う。


「ここって安産祈願の神社だったりする?」

「そういう人がおおいと思う。」


なるほど、それで見当がついたのか。

それにしてもありがたい巡り合わせである。私の願いはこの神社の得意分野だったというわけだ。


時折そよ風がふくと神社を囲む木々の葉がおだやかに音を立てる。ひときわ大きなクスノキの上部が風に揺らされていたかと思うと、徐々に揺れが広がって樹全体がさわさわと波打つ。


大人しく撫でられていた猫は、いつのまにか目を閉じてうつらうつらしている。


「歳の離れた姉がいてね、今度一人目を産むの」


第一子出産は特に大変だということを聞いて神社を見るたび祈っている、そう言うと少年は納得した様にうなずいた。


姉の妊娠がわかった時、当然ながら両親は甚だ喜んだ。もちろん私も嬉しかった。が、安心する思いの方が先に訪れたのを記憶している。同性のみが性愛対象である自分は子を生むことができない。そのことへの罪悪感が姉の出産でいくらか和らぐように思われた。そしてまた、そんな自身の身勝手さに腹が立った。

別にその埋め合わせというわけではないが、機会があれば無事の出産を祈願するようにした。疾うに30を過ぎている姉は20代で産むよりずっと負担が大きい。神社に足を運んでは、どうか母子ともに健康であれと願う。


「生まれる前からみんなに大事にされて、その子はしあわせだ」


やわらかな頰をゆるませて少年が微笑む。

つられて私も微笑んだ。


赤ん坊が生まれたら、目一杯かわいがってやろうと思っている。妊娠の話を知って目を輝かせた恋人のことを思い出して胸が暖かくなる。「おばさん二人で猫可愛がりしてあげよう」二人ともまだ学生の雰囲気が消えてないくらいなのに、そんなことを言って笑いあった。

仕事でも生活でもよく悩む。不安も葛藤も多い。

でも新しく誕生する子には、なるべく安心して伸び伸びと生きてほしいと願う。だから自分も堂々と生きて自由で自信のある、信頼できるおばさんとして、子供の模範の一人になりたい。


優しく流れる時間の中で身を置いているうちに、ここのところ少し荒んでいた心が凪いでいくのを感じる。そう言えばこうやってゆっくり話したのも久々かもしれない。今週末は最近会えていなかった彼女と会おうか。疲れていたら一緒に家でゆっくりしてもいい。


ふと時計を確認する。そう言えば昼がまだだった。


「そろそろ行かなきゃだ」

「ミケもお腹すいたかな、ごはんにしようか」


「ごはん」の言葉に反応してぱっちり目を開けた猫に思わず笑ってしまう。私は軽く屈伸して立ち上がり、少年と猫に挨拶をしてから鳥居の方へ歩き出す。


鳥居の前で振り返ると、こちらを見ていた彼が小さく手を振った。猫は視線を向けつつ思いきり伸びをしている。私は口元が緩むのを感じながら手を振り返した。


鳥居をくぐって石段を下り、元来た道を帰る。相変わらず緑のないオフィス街は熱に揺れていたが、今は灰色の上に広がる蒼穹の鮮やかさの方が印象的だった。





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