第18話 愛しい人へ

「ねえ、エラ」

 移動中の馬車の中で、リーゼロッテは向かいに座るエラに声をかけた。


 公爵家の馬車は揺れも少なく、座り心地がとてもよかった。お茶会へ行くときにリーゼロッテは睡眠薬を飲んで眠っていたので、他と比べようもなかったが、馬車の中は思った以上に快適だった。

 窓から外を見ると、馬に乗ったアデライーデが、馬車の横を並走している。ふと目が合うと、アデライーデはリーゼロッテに艶やかな視線をよこしてきた。

 頬を赤らめながらエラに向き直ると、リーゼロッテは意を決したようにエラに尋ねた。


「ねえ、エラ。わたくし、子供のころから公爵家へお手紙を書いていたでしょう?」

「はい、わたしがお屋敷に奉公にあがった時には、もう何年もお書きになっていたようでした」


 リーゼロッテの問いに、エラは頷いて答えた。エラがダーミッシュ家にやってきたのは、リーゼロッテが十歳の時だった。


「それがどうかなさいましたか?」


 不思議そうにエラが聞くと、リーゼロッテは深刻そうな表情をした。


「わたくし……公爵家のどなたとお手紙を交換していたのかしら?」


 エラは聞かれた意味がわからず、「公爵様だと伺っておりますが」と首をかしげた。


「その公爵様は、ジークフリート様? それともジークヴァルト様?」


 リーゼロッテがそう聞き返すと、エラはぱちぱちと瞬きしながら答えた。


「ジークヴァルト様かと」

「初めから? 今の今まで?」

「はい、そのように聞いております」


 エラが伯爵家に来る以前のことは定かではないが、エラがリーゼロッテの侍女となったとき、すでにリーゼロッテは公爵家からの手紙を心待ちにしている状態だった。

 家令のダニエルからは、その手紙の主は、婚約者である公爵家の跡取りだと教えられた。


「でも、ようございました。あんなに公爵様からのお手紙を心待ちにされていたお嬢様が、公爵様が爵位をお継ぎになったとたん怖がるようになられて、ずっと心配しておりましたから」


 それは手のひらを返すかのようだった。贈り物はおろか、喜んでいた手紙まで見たくもないとおびえるリーゼロッテに、エラはずっと心を痛めていた。

 公爵が爵位を継いで結婚に現実味が増し、怖くなったのだとエラは思っていたのだが。最近のリーゼロッテの様子を見て、エラはすっかり安心していた。

 エラはいまだ公爵の威圧感に恐怖を感じるが、リーゼロッテがやさしい人だと笑顔を見せるようになったので、急な王城滞在も悪いものではなかったとエラは思っていた。


 慣れない王城で、エラはリーゼロッテを守るのに必死だった。王城勤めの使用人たちにうまく取り入り、情報を引き出して、リーゼロッテの味方になりそうな相手とはできる限り親しくふるまった。

 おかげでそれなりに親しい相手ができ、夕べは世話になった人たちへの挨拶や、帰郷の準備で走り回っていたエラであった。

 ようやくお屋敷に帰れることになって安堵していたエラだったが、目の前で顔色を悪くしている自分の主を見て、その顔を曇らせた。


「リーゼロッテお嬢様、馬車に酔われましたか?休憩をいれてもらいましょうか?」


 心配顔のエラの言葉にリーゼはかぶりを振った。


「いいえ、大丈夫よ。ちょっと驚いたことがあっただけなの」

 リーゼロッテはそのまま黙り込んだ。


(本当に文通相手がジークヴァルト様だったなんて……)


 リーゼロッテは、その事実に打ちひしがれていた。なにしろ、ジークフリート宛だと思って書いていた手紙には、今思うととても恥ずかしいことを書いていたのだから。


 幼少期、よく転ぶリーゼロッテは、マナー講師としてある夫人にいろいろと教えてもらっていた。転ばない歩き方から、こぼさない紅茶の飲み方、日常生活を安心安全に過ごせる立ち居振る舞いを教わった。

 その中には手紙の書き方なども入っていて、リーゼロッテはその夫人に「愛する方へ送る手紙のしたため方」を享受してもらった。

 教えてもらった手紙の書き出しはこうである。


《愛しい人へ》もしくは《わたくしのあなたへ》

 ちなみに手紙の結びは、《わたくしはあなただけのもの》であった。


(子供になんてこと教えるのよ、ロッテンマイヤーさん)


 ロッテンマイヤー呼びは脳内のみのものだった。夫人の長い名前が覚えられなかったからだ。

 子供の頃も日本での知識はもちろんあったが、異世界の文字や言い回しは年相応に覚えたてだった。当時は意味もよくわからず、拝啓や前略、草々、かしこ的な扱いで、それなりの年齢になっても、もはやテンプレートのようにその書き出しと結びを手紙に書いていた。


 そんな内容の手紙をジークヴァルトのもとへ、何通も 何通も 何通も 届けていたのだ。


 文字を覚えたての当時ジークフリートの綴りがわからず、適当にあなたでごまかしていたのがいけなかった。返事の手紙の署名は例のごとく『S.Hugenberg』で、ジークフリートでもジークヴァルトでも、どちらともとれるのも原因だ。

 なぜ、フルネームで署名しないのかと、リーゼロッテはジークヴァルトに逆恨みに近い感情を抱いた。ジークヴァルトの事だから、どうせ面倒くさいなどの理由だろう。


 ジークヴァルトが公爵位を継いでからは、社交辞令オンリーな手紙しか送っていないが、二年前以前は、会えない婚約者にあてた恋文のような内容だったはずだ。


(恥ずかしすぎる……!)


 あのジークヴァルトにむかって、わたくしのあなただの、どうして言えようか。

 リーゼロッテは頭を掻きむしって、そこらじゅうをごろごろと転げまわりたい心境に駆られていた。

 淑女としてそんな振る舞いはできようもなく、リーゼロッテは脳内で悶絶しつつ、住み慣れた屋敷へと到着したのであった。


     ◇

「おお、わたしの可愛いリーゼ」


 屋敷に着くと、義父母のフーゴとクリスタが出迎えてくれた。使用人たち一同も、屋敷中の者たちがエントランスホールで並んで待っていた。リーゼロッテがいなかった一カ月は、屋敷中が暗く沈んでいるかのようだったのだ。


「お義父様、お義母様、ただいま帰りました」


 優雅に礼をとったリーゼロッテに、一同は顔をほころばせた。

 フーゴとクリスタに交互に抱擁され、リーゼロッテは後ろに控えるアデライーデをフーゴに紹介した。


「お義父様、こちらの方はアデライーデ様、ジークヴァルト様のお姉様でいらっしゃいますわ」

「お初にお目にかかります、フーゴ・ダーミッシュでございます。勅命の件は連絡を受けております。任とはいえ、道中、娘の護衛をしてくださり感謝いたします」


 伯爵がアデライーデに礼を取ると、アデライーデはやんわりとそれを制した。


「しばらくは娘の警護を続けていただけるとか。こちらに滞在中、ご要望がありましたら何なりと申し付けください」

「わたしは王の勅命でリーゼロッテ嬢の護衛を任された身。そのような気遣いは不要に願います」


 騎士の礼を取ると、「勅命の件で伯爵と少し話がしたいのですが、よろしいでしょうか?」とアデライーデは続けた。


「もちろんです。ダニエル、アデライーデ様をわたしの執務室にお通ししてくれ」

 ダニエルは腰を折って礼を取り、アデライーデを案内していった。


「リーゼロッテ、お前をずっと抱きしめていたいけど、わたしは少しアデライーデ様とお話ししてくるよ」


 フーゴは残念そうに言ったが、リーゼロッテはそんな義父の様子を気に留めるでもなく、少し興奮気味に言った。


「お義父さま、わたくし確認したいことがございますの。ジークヴァルト様にいただいた贈り物を見て参ります」

 それだけ言うと、エラを連れて自室の方に去って行ってしまった。


「あらあら。子供が親の手を離れるのは早いものね」

 その背を微笑ましそうに見送って、クリスタは残されたフーゴを見てくすくすと笑った。


 エラがいたとはいえ、一カ月もの長い間、知り合いもいない見知らぬ場所で過ごしたのだ。どんなに心細かっただろうと、ふたりは心配していたのだが。大事な娘は家族以上に大切なものを見つけてきたらしい。


「わたしの可愛いリーゼが……」


 情けない声を出す夫にクリスタは「はいはい」と返すと、アデライーデを待たせてはいけないからと、その背を強引に執務室へと向けたのだった。


     ◇

 リーゼロッテは久しぶりの自室を見回していた。寝台とテーブルとソファ以外何もない、質素な部屋だ。

 屋敷内の廊下に、ちらほら異形たちがいたが、この部屋にはいないようだった。廊下の異形も、ジークヴァルトの守り石のおかげで、リーゼロッテに近づいてくることはなかった。


 リーゼロッテが転ぶこともなく歩いていると、ハラハラと見守っていた使用人たちは驚きの表情をした。今までさんざ迷惑をかけてきたことに心の中で謝りつつ、リーゼロッテは何食わぬ顔をして屋敷の中を優雅に移動していった。


 リーゼロッテは、まず自室の横の衣裳部屋に置いてある机の引き出しを開けてみた。この衣裳部屋は今まではリーゼロッテが足を踏み入れることはなかったが、守り石を持っている今は問題なく入ることができた。

 机の引き出しの奥から、シンプルな木の箱を取り出す。その木箱の蓋を開けると、少し黄ばんだ封筒の束が入っていた。初恋の人のジークフリートからだと思って、大事にしまってあった思い出の手紙だ。


 一番上の封筒を取り出し、その中の便せんを確かめる。そこに書かれた署名は、やはり王城で見たジークヴァルトの筆跡と同じものだった。

 箱の一番下の封筒を取り出し、同じように便せんを開いた。黄ばみが強いので、中でも古い手紙だろう。幼い筆跡だったが、やはり本人を思わせるクセのある署名が書かれていた。

 その手紙は、全部で十五通ほどだった。どの手紙も、承知した、とか、問題ない、とか、そんなそっけない内容だった。


(まんまジークヴァルト様じゃない)

 リーゼロッテは改めて呆然とした。


「リーゼロッテお嬢様?」

 後ろからエラの心配そうな声が聞こえた。


「大丈夫よ、エラ。この一カ月、エラはわたくしのためにかんばってくれたでしょう? 今日はゆっくり休んでちょうだい」


 そう言うとエラは首を振った。


「いいえ、わたしはお嬢様のおそばにおります」


 エラはリーゼロッテのことになると、頑固になる。仕方ないと思ったリーゼロッテは、苦笑いで答えた。


「じゃあ、ジークヴァルト様からの贈り物を確かめに、一緒にきてもらえるかしら?」

 リーゼロッテがそう言うと、エラは二つ返事で了承した。


「お嬢様、こちらがドレスやアクセサリー、小物などの部屋で、こちらがその他の贈り物を置いた部屋となります」


 エラは、ジークヴァルトが公爵家を継いでからここ二年の間、どんどん増えていく贈り物を保管するための部屋へリーゼロッテを案内した。この部屋には入ることはおろか、贈り物のひとつもその目で確認していないリーゼロッテだった。

 まずはドレスの部屋から足を踏み入れる。そこは几帳面なエラらしく、きれいに整理整頓されていた。


「こちらのドレスは、公爵様が爵位をお継ぎになってはじめて贈られたドレスでございます。こちらはお嬢様が十二歳のお誕生日に頂いたもので、こちらは……」


 贈り物の数々に、リーゼロッテは呆気に取られていた。

「待ってちょうだい、エラ」

 説明を遮る主人に、エラは素直にその口を閉じた。


「これは本当にジークヴァルト様が、全部……?」

「はい、頂いた順番に目録も作っておりますので、ご確認なさいますか?」


 リーゼロッテは絶句した。贈り物のたびにお礼の手紙を書いていたものの、実際にもらったものを目の前にすると、リーゼロッテは良心の呵責を感じてしまった。


(うう、怖かったのは事実だけど、こんなにたくさん贈ってもらっていたなんて)


 アクセサリーなどは、今からでもありがたく使わせてもらえそうだ。しかし、ドレスは?

 そう思ったが、三年前のドレスが着られたぐらいだ。二年前に採寸したドレスも楽勝で着られるだろう。


(幼児体型バンザイね。今ほど寸胴体型に感謝したことはないわ)

 自分で言っていて悲しくなったが、今まで放置されていた贈り物は、これからしっかり使わせてもらおうとリーゼロッテは思った。


(まあ、どうせ、使用人が選んだのでしょうけど)


 贈られた品々は上質で、どれもリーゼロッテの趣味に合うものばかりだった。とてもあのデリカシーのないジークヴァルトが選んだとは思えなかった。


「そうだわ、エラ。一番最近に贈っていただいた首飾りと耳飾りはどこにあるかしら?」


 リーゼロッテが聞くと、エラは部屋の奥から上質そうなベルベットのケースを取り出した。

 今、首に下げているペンダントの守り石は力が長持ちしないため、領地に戻ったら、それを身に着けるようにジークヴァルトに言われたのだ。力を込める石にも、質に差があるとジークヴァルトは説明してくれた。


 エラに差し出されたケースを開けたリーゼロッテは、中身を確認すると、死んだ魚のような目になってそのままそっと蓋を閉めた。


(ヴァルト様……普段使いするには、あまりにも豪華すぎです)


 今下げているペンダントは、寝るときやそれこそ湯あみの時もずっと身に着けている。入浴中に異形に襲われるのはまじ勘弁である。

 新しく贈られた首飾りは、以前エラが言っていたように、夜会にふさわしい豪華で繊細な作りをしたものだった。大きな青い守り石だけでなく、他にもたくさんの宝石がちりばめられている。


(こんなゴージャスでファビュラスなもの、寝ているときにつけられないわ)


 何かあったらすぐ連絡するようにジークヴァルトに言われたが、こんなにもすぐに何かあるとは思わなかったリーゼロッテだった。


(まずはアデライーデ様に相談してみようかしら……?)


 アデライーデも龍の託宣や異形の者のことは承知しているので、何か困ったことがあったら遠慮なく相談するよう言われていた。こういうことは女性の方が話しやすいと思い、リーゼロッテは後で彼女に聞いてみることにした。


 アデライーデは、異形を祓う力も持っている。ダーミッシュ家は力あるものが一人もいないため、アデライーデが異形対策としてしばらく伯爵家に滞在することになっていた。

 それが王の勅命だと聞かされたリーゼロッテは、王城の廊下で会ったディートリヒ王の瞳を思い出す。金色の、すべてを見透かされてしまいそうな、そんなこと思わせる瞳だった。


 ジークヴァルトは王城に詰めて王太子の警護や政務の補佐を行う一方、公爵領主を務める多忙な身だ。王城から騎士をつけてくれたのは、そんな事情をくみ取ってのことだろう。

 わざわざ女性騎士、しかもジークヴァルトの身内を派遣してくれた王の気遣いに、キュプカーの言うように、王はやさしい方なのだとリーゼロッテは思った。


 次にリーゼロッテは、もう一つの贈り物専用の部屋を覗いてみた。

 ドレスや小物以外の贈り物と聞いて、一体何があるのか足を踏み入れる。

 そこには鏡台や繊細な置時計、文机とそのお揃いの椅子、シェード付きのランプ、絵画や花瓶など、お姫様の部屋が作れるのではないかというような可愛らしい調度品で埋め尽くされていた。どれも統一感のある、立派な作りのものだった。


「エラ、わたくし、このようなものをジークヴァルト様から頂いたことは聞いてないわ」


 呆然と問いかけるリーゼロッテに、エラは申し訳なさそうに答えた。


「こちらは旦那様に、お嬢様には伝えないよう言われておりました」


 以前の生活では、リーゼロッテのこれらの調度品は危険すぎて部屋に飾ることはできなかっただろう。なまじ、リーゼロッテ好みの可愛らしい調度品だったから、義父はリーゼロッテが落ち込まないよう気を使ったのかもしれない。

 リーゼロッテは義父に頼み、これを部屋に運んでもらおうと心に決めた。今のリーゼロッテなら、問題なく生活できるはずだ。


(でも、どうしてどれもわたし好みのものなのかしら?)


 質素な生活を受け入れつつ、せっかく令嬢に生まれ変わったのだから、やはりお姫様のようなインテリアにあこがれていたのだ。

 ジークヴァルトにあらためてお礼の手紙を書こうと、リーゼロッテはそう思った。


 そんな時、扉がノックされる音が部屋に響いた。エラが扉を開けると、そこには義弟おとうとのルカが息を切らしたように立っていた。


義姉上あねうえ!」

「ルカ!」


 ふたりはひしと抱きしめ合った。


「まあ、ルカ。あなた少し背が伸びたのではない?」

「義姉上が一月ひとつきもおられないからです」


 ルカは少しすねたように言う。可愛すぎて食べたくなる。ルカは天使のような男の子だ。


「家庭教師の先生はもうお帰りになったの?」

「はい。義姉上がお戻りなる日まで、授業をつめこまなくてもいいのに」


 ルカは可愛らしい唇を尖らせた。


「ふふ、わたくしがいなかった間のことをたくさん話してちょうだいね」

 リーゼロッテのこの言葉に、ルカは満面の笑みで頷いた。


「義姉上、お部屋までお送りいたします」


 ルカが優雅に手を差し出すと、リーゼロッテは淑女の礼を取ってその手を取った。リーゼロッテが転ぶことはもうなかったが、ルカに手を引いてもらって歩くのは久しぶりでうれしくなる。

 ここ一カ月はジークヴァルトがこの手を引いていた。ルカの小さな背をみやり、戻ってきたんだという安堵を感じると同時に、なんだかさびしいようなもの足りないような、そんな不思議な気分にもなった。


(あ! ルカ、そこはあぶないわ!)


 廊下を進むと、ルカの足元に小鬼がいることにリーゼロッテは気がついた。

 咄嗟に手を引こうとするが、ルカは小さな足でその異形をぎゅむッと踏んだ。すると異形は、驚いたようにすっとんで逃げて行ってしまった。


 さらに進むと、数匹の小鬼が廊下を遮るようにうろうろしている場所にさしかかる。リーゼロッテがハラハラしながら歩いていると、ルカはおもむろに立ち止まった。


「義姉上、少しお待ちください」


 目の前の空間を、ささっと手を払うような仕草をしたルカは、「虫がいるような気がしたのですが、わたしの気のせいでした」と言って、再びリーゼロッテの手を引いて歩き始めた。

 先ほどルカが手を払った時、廊下を遮っていた小鬼たちはぺしぺしと弾き飛ばされ遠くへ飛んで行ってしまった。


 リーゼロッテの部屋までの間、異形にいくつか遭遇したが、ルカは踏んだり蹴ったり叩いたりして、それらをあっさりと追い払っていた。

 しかもルカは、異形が全く見えていないのに、無意識にそれをやってのけているようなのだ。


(ルカが手をひくと転ばないわけだわ)


 ダーミッシュ家は無知なる者の家系だと、王子殿下は言っていた。異形が干渉できないとはこういうことだったのかと、妙に納得したリーゼロッテだった。


     ◇

「……娘の病気は完治してはいないのですか?」


 フーゴが心配そうにアデライーデに聞き返した。

 リーゼロッテは王妃のお茶会で、めずらしい病にかかっていることが判明して、王家の保護をうけたことになっていた。

 王城への滞在は、異形によるさわりをやまいに置き換えて、治療をうけていたということにしたのだ。


「医師の見解ではいずれ改善するとみられていますが、まだ時間はかかりそうとのことです。リーゼロッテ嬢は、幼少期からよく転ばれていたとか。そういった症状はよくなっているはずですよ」


 アデライーデの言葉に、フーゴは安堵の息を漏らした。


「いずれ、公爵本人から申し入れがあると思いますが、リーゼロッテ嬢が成人したら、治療の継続も兼ねてフーゲンベルク家で保護させていただくことになるかと。これも王の意向です」


 アデライーデがそう言うと、フーゴはとうとうその時が来てしまったと絶望的な顔をした。

 ふたりは婚約関係にあるものの、実際に婚姻を果たすタイミングは王家の指示待ちと聞かされていた。王からゴーサインが出たとなれば、伯爵ごときが否とは言えない。


「ご安心ください。王はまだ婚姻までは考えておられぬようです。リーゼロッテ嬢はこれから社交界デビューも控えておられますし」


 その言葉にフーゴは再び安堵した。

 この一カ月、リーゼロッテがいない屋敷は暗く沈んでいた。部屋から滅多に出ない娘だったが、こんなにも存在感があったのだと、父であるフーゴも驚いたくらいだった。


「我が弟は不器用な奴ですが、嘘だけはつかない男です。必ずリーゼロッテ嬢をお守りするとお約束します」

 そう言って、アデライーデはフーゴに微笑みかけた。


 フーゴはリーゼロッテの義父として、フーゲンベルクの若き公爵とは月に一度は面会してきた。

 公爵はリーゼロッテに会おうとはしなかったが、それはリーゼロッテの生家であるラウエンシュタイン家の意向だった。

 ジークヴァルトはずっと、頑なにそれを守り続けていたが、今回の王城滞在は、王子殿下の命だったため、公爵も従わざるを得なかったのだろう。

 公爵はアデライーデが言うように不器用そうな青年だったが、リーゼロッテに気遣いをみせる様は確かに誠実と言えた。


「こちらこそ、世間知らずでふつつかな娘ですが、どうぞよろしくお願いいたします」


 フーゴは深々とアデライーデに頭を下げた。

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