第7話 籠の中の乙女
「それで、ジークヴァルトの小鳥は、王城にとどまることになったのね?」
目の前でひざまずいて
「恐れながら王妃殿下。リーゼロッテ・ダーミッシュ伯爵令嬢は、ハインリヒ王太子殿下の庇護の下、ジークヴァルト・フーゲンベルク公爵閣下がお世話をされることとなりました」
「あらそう、つまらない」
王妃は手に持った扇を、ぱたりとたたんだ。
「公爵閣下がしばらく王太子殿下の護衛を外れるため、当分の間、不肖わたくし目、カイ・デルプフェルトが、ハインリヒ様の護衛を務めさせていただきます」
カイの言葉に、そう、と王妃は興味なさげに返した。
「あの子は……、ハインリヒは、今どうしているかしら?」
「王太子殿下は……おそらく、殿下の奥庭にいらっしゃるのではないかと……」
「ああ、そうね」
ハインリヒのことだ。今頃は、おもいきり癒しを求めていることだろう。
始終、恭しい態度を貫いていたカイは、ふいに顔を起こしたかと思うと、王妃の目を無礼にもじっと見つめた。
「ときにイジドーラ様。リーゼロッテ嬢は、イグナーツ様のご息女なんですよね?」
その気安い問いに、王妃は目を見開いた。
「あら、そうね。どうして気づかなかったのかしら」
昼間目にしたハニーブロンドと緑の瞳は、ラウエンシュタイン家の特徴ではないか。
茶会の時、あの娘はずっと目を伏せていたが、あそこまで見事に緑の瞳を持つ者は、ブラオエルシュタイン国ではそうはいなかった。あの令嬢は、マルグリットとイグナーツの娘だったのだ。
イジドーラとマルグリットは社交界デビューが近く、ふたりとも公爵家の令嬢であったため、何かと比べられることが多かった。マルグリットの見事なハニーブロンドと、自分のくすんだアッシュブロンドが話題にされ、たびたび悔しい思いをしたものだった。
イジドーラはマルグリットが嫌いだった。だが、彼女はもういない。
あの令嬢にマルグリットの面影はあっただろうか? ふと思って、イジドーラ王妃は首をひねった。
所作の美しい娘ではあったが、どうも顔が思い出せない。昼間にはあれだけまじまじと観察したというのに、あるのはぼんやりとしたイメージだけ。
人間観察に長けたイジドーラにしてはめずらしいことであった。
「解せないわ」
たたんだままの扇を口元にあて、イジドーラはつぶやいた。
そのとき、王妃に目通りを求める者の来訪が告げられる。
「恐れながら王妃殿下。ハインリヒ王太子殿下のお言葉を届けに参上
頭をたれてその者は続けた。
「アンネマリー・クラッセン侯爵令嬢を、今日一晩、王妃殿下の離宮にて保護していただけないかとのご伝言です」
「アンネマリー嬢はリーゼロッテ嬢の
リーゼロッテ嬢を心配して王城に居残ったみたいです、とつけ加えながら、灰色の髪の少年、カイは、王妃の許可もなく立ち上がった。
「あらそう」
カイの無作法ぶりを気にとめた様子もなく、王妃はしばらく考えをめぐらせた。
イジドーラとカイは、叔母・甥の間柄である。ときおり、王妃様と家臣ごっこをして遊ぶのが、ふたりのブームだった。
まわりの者は、もう慣れたとばかりに静観している。要は、諦めたのだ。
「いいわ、滞在を許可します。クラッセン侯爵令嬢は、星読みの間に通しなさい」
その王妃の言葉を聞いて、後ろに控えていた王妃付きの女官が目を見開いた。
「恐れながら王妃様。星読みの間にお通しするなど……」
女官の震える言葉に、王妃は重ねるように言った。
「問題ないわ。丁重にもてなしなさい」
「あれ? イジドーラ様的には、アンネマリー嬢なんだ? 確かに彼女、ハインリヒ様のドストライクですけど……」
カイのその問いに答えはせず、イジドーラ王妃はうすい水色の目を細めて、人の悪そうな笑みを浮かべた。
「ときにカイ。ハインリヒの今後の予定はどうなっているかしら?」
「ハインリヒ様のご予定ですか?」
朝の王議会出席は毎日あるが、最近の大きな予定といえば、宰相との歓談を兼ねた昼食会や、王都での新しい橋の着工のための式典への出席、司祭枢機卿の誕生日を祝う会の出席など、その他こまごました公務がいくつかあった。カイにそれを聞くと、「そう」と言って、王妃はまたしばらく黙り込んだ。
こういった時の彼女は、頭の中で策略をめぐらせている。気分のおもむくまま好き勝手やっているようで、その実、計算高く行動していた。
カイは、そんな叔母が好きだった。かっちりと型にはまった自由のない身分にいながらも、思うままに生きるイジドーラがまぶしくもあった。巧妙かつ狡猾で、そのくせ、失敗も多い。その失敗すら楽しんでいる節がある。
「決めたわ」
王妃は閉じていた扇を再び開いた。
「ミヒャエル司祭枢機卿のもとには、わたくしが赴きます」
「えぇっ? でも、イジドーラ様、あのハゲデブオヤジのこと、すんげー毛嫌いしてるじゃありませんか」
王妃の言葉に、カイはびっくりしたように言った。
「いいのよ。ハインリヒには休息が必要だわ」
主に疲れさせているのは、王妃本人なのだが、そこに突っ込む者はいなかった。
「そのかわり……シネヴァの森の奥底に、かわいい子猫が迷い込んでしまうかもしれないわ……」
王妃は、カイに向かって意味ありげな視線をよこした。つられてカイが、いたずらを思いついた子供のような顔になる。
飛び込んできた子猫を逃がす手はない。だが、もう少し算段を整えなくてはならないだろう。最大限の注意を払わなければ――かわいいハインリヒが、悲しむことのないように……。
「カイ。そのときは、くれぐれも……ね?」
イジドーラとカイは、見つめ合ったまま、どちらともなく不敵な笑みをうかべる。
「仰せのままに。王妃殿下」
カイは恭しく腰を折り、イジドーラに頭をたれた。
◇
ぱちっと目が覚めると、そこには心配そうにのぞき込んでいるエラの顔があった。見知らぬ天井が目に入る。あのあと王城の客間に通されて、着替えもせずに少し眠ってしまったようだ。
「ああ、お嬢様。ご気分はいかがですか? お腹はすいておりませんか?」
おろおろとしているエラに、リーゼロッテは微笑みかけた。
「大丈夫よ、エラ。ごめんなさい、心配をかけたわね」
ふかふかのベッドから体を起こして時計を見ると、夕刻を少し過ぎた頃、お屋敷での晩餐の前くらいの時間だった。いつもならお腹がく~く~なっている時間帯だ。
「あら……不思議とお腹がすいてないわ」
常に腹ペコなのも、あの異形のせいだったのかもしれない。数時間眠っただけなのに、やたらとすっきりしている。万年寝不足を感じていたリーゼロッテにとっては、久しぶりの感覚だった。
リーゼロッテの胸元で、ペンダントの石の青が揺らめいた。
(……これも守り石のおかげなのかしら?)
「お嬢様、この石は……?」
エラが不思議そうに石をのぞき込んだ。リーゼロッテが大事にしていたペンダントは、もっとくすんだ青銅色だったはずだ。
「ジークヴァルト様に石を綺麗にしていただいたの」
公爵の名にエラの表情がひきつった。
「エラ。今日、ジークヴァルト様とお会いして、わたくし、ジークヴァルト様を誤解していたことに気がついたの」
あわてて言葉を紡ぐ。
「ジークヴァルト様は、とてもお綺麗で、力強いお方だったわ」
綺麗なのは瞳の色で、力強かったのは頭部をつかんでいた大きな手なのだが。
王子殿下に聞いた龍の託宣のことを、エラに話すわけにいかなかった。エラの心配が解ける程度のことを話して、リーゼロッテは、はにかむように笑った。
大切な主人の久しぶりの心からの笑顔に、エラはぱあっと顔を明るくした。
「まああ、それはようございました!」
エラは公爵に目通りしたことはない。毛嫌いしていたのはリーゼロッテが悲しい顔をするからであって、公爵本人に恨みがあったわけではなかった。
リーゼロッテがジークヴァルトを受け入れるのであれば、否はなかった。リーゼロッテを幸せにしてくれるのなら、公爵が本物の魔王だったとしてもエラは受け入れたことだろう。
そのときリーゼロッテがいる寝室の隣にある、居間の扉がノックされた。この客室には、客を出迎える居間と、侍女が控える小部屋、そして奥にこの寝室があった。
「わたしが見てまいります。お嬢様はもう少しお休みになっていてください」
そういうと寝室の扉を閉めて、エラが部屋を出ていった。しばらくして戻ってきたエラが、来訪者はアンネマリーだと告げた。明日にしていただきましょうか? と、寝起きの主人を伺うようにエラは問いかけた。
きっと心配して王城に残っていてくれたのだ。お茶会が終わってから、何時間もたつ。心細かったかもしれない。
「いいえ、お会いするわ。きちんとお礼を言いたいの」
アンネマリーなら、ちょっと乱れたこの格好で会っても問題ないだろう。しわになったドレスを形だけ手で伸ばして、おろした髪は手櫛で整えた。
居間に行くと、アンネマリーが腰かけたソファからすぐに立ち上がった。
「ああ、リーゼ、思ったより顔色がよくて安心したわ」
「アンネマリー様、ご心配をおかけしました」
アンネマリーにぎゅっと抱きしめられる。
「様はいらないわ。昔みたいに名前で呼んでちょうだい」
「はい、アンネマリー。大好きですわ」
はにかむリーゼロッテに、「なにこれ、可愛すぎるわ」とアンネマリーはさらに強く抱きしめた。するりとリーゼロッテの髪を梳くようになでる。自分の毛量の多いくせっ毛と違って、リーゼロッテの蜂蜜色の髪は艶やかで、いつまでも触っていたいくらいほど触り心地がよかった。
アンネマリーはわざと家の馬車を帰して、王城にとどまったのだという。時間も遅いので、アンネマリーも王城に泊めてもらうことになったそうだ。ソファに座って、紅茶を飲みながら話を続けた。
「でも、この部屋とは離れた客間のようなの」
アンネマリーは、調度品が豪華で無駄に広く、とてもきらびやかな客間に通された。急ごしらえに提供する部屋には思えなかったのだが、明日には帰る身。あまり深いことは考えなかった。
「どうしてもリーゼに会って安心したかったから、無理を言ってこちらに案内してもらったのよ」
そう言うと、アンネマリーはリーゼロッテの手を取った。
「明日は一緒に帰りましょう? きっとみんな心配しているわ」
アンネマリーの言葉に、リーゼロッテはどう説明しようかと逡巡した。王子の命で、いつまでかはわからないが、当分は王城から帰れないのだ。
「アンネマリー……そのことなのだけれど……わたくし、しばらくこのまま王城に滞在することになったの」
エラも初耳だったようで、驚きに目を見開いている。
「その、王子殿下の命で……、きちんとお父様にも連絡が行っているはずよ。だから、心配しないで……?」
上目づかいでそう話すと、アンネマリーは怒りに満ちた表情をしていた。タレ気味の目をつり上げてもいまいち迫力に欠け、かえって可愛らしく見えた。
「王子殿下の命令ですって!? いったい何があったというの、リーゼロッテ!」
肩を揺さぶられ、リーゼロッテの頭がかくんかくんと前後した。
「そうでございます、リーゼロッテお嬢様! 王子殿下と言えば、女嫌いで有名な方です! それなのになぜっ」
同じようにエラも、怒りの表情でリーゼロッテに言いつのった。
「はっ、もしかして、公爵様の婚約者であるお嬢様に王子殿下が嫉妬をして、嫌がらせをしようとされているのでは……!?」
「そうよ、エラ! 王子殿下は公爵閣下に懸想して、リーゼに嫉妬の炎を燃やしているのだわ!」
ふたりの中で、王子の男色説が確定事項になりつつあった。ハインリヒの名誉のためにも、リーゼロッテはあわててふたりを押しとどめるように言った。
「そんなことはないわ! ハインリヒ王子殿下は思慮深く、とてもおやさしい方だったわ、本当よ!」
リーゼロッテが声を荒げる姿など、エラはリーゼロッテに仕えてから一度も見たことがなかった。その様子におかげで、エラは少し冷静になった。
「……本当に嫌がらせなどはございませんか?」
エラの言葉に、リーゼロッテはこくりとうなずいた。
「お噂と違って、王子殿下はよく笑われる方だったわ」
むしろ笑いすぎなくらいである。
「それにわたくしの相談にも、親身になってのってくださったの」
詳しくは言えないのだけれど、とリーゼロッテはすまなそうにつけ加えた。
「……だからといって、王城にとどまらせる意味がわからないわ」
アンネマリーはなおも言いつのる。彼女の王子嫌いは筋金入りのようだった。リーゼロッテは仕方ないとばかりに、言葉をつづけた。
「それに、わたくしも……王城で婚約者のジークヴァルト様のおそばにいられるので、その、とてもうれしいの。普段はお会いできない方だから……」
ジークヴァルトのそばにいたいのは、早急に異形の問題をなんとかしたいからなのだが。
「王子殿下にもいろいろとご協力して頂けることになって」
恋する乙女を装って、リーゼロッテは軽く頬を染めた。ジークヴァルトに胸のあざに口づけられたことを思うと、演技でなくとも頬が赤く染まった。
「リーゼは公爵閣下を怖がっていたように見えたけど?」
お茶会での様子をみていたアンネマリーは不思議そうに言った。先ほどエラに話したのと同じように説明すると、アンネマリーはしぶしぶ理解はしてくれた。
「リーゼがそういうなら……わかったわ。命令じゃどうしようもないものね。でも、何かあったらすぐ連絡をちょうだい。絶対よ」
そのタイミングで、アンネマリーの迎えがやってきて、用意された客室に戻るよう促される。
「じゃあ、わたくしは明日、先に帰るわね。リーゼも無理しないで、何かあったらすぐ手紙をよこすのよ」
アンネマリーは、念を押してからリーゼロッテの客間を後にした。
そして、戻った先の客間でアンネマリーは、第三王女の話し相手を務めるよう、王妃から命がくだったことを伝えられた。
こうしてアンネマリーも、王城に滞在することを余儀なくされたのである。
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