第3話 波乱の幕開け

 その日、ダーミッシュ伯爵家の広い家族用の居間では、一家が勢ぞろいして、テーブルの上に置かれた一通の招待状を囲んでいた。後ろには、家令のダニエルが控えている。


「どうしてリーゼロッテに王妃様から招待状が……」

 家長であるフーゴが、薄い水色の目をすがめてうめくようにつぶやいた。


 伯爵夫人である妻のクリスタならともかく、義娘むすめのリーゼロッテは社交界デビューも終えていない。つき添いに母親や親族の女性が一緒に来ることは許されるが、あくまでリーゼロッテへの招きであることが、招待状には明記されていた。

 ブラオエルシュタインは一年の半分以上が雪に閉ざされる北国だ。短い春の訪れとともに茶会が開かれるのは通例であったが、今回のお茶会開催は数日後。あり得ないほど急な招待だった。


 フーゴとクリスタは、王家が王太子殿下の花嫁候補を探していることを知っていた。なんでも、王太子殿下は気難しく、お眼鏡にかなう令嬢がなかなかみつからないそうだ。

 殿下とつりあいの取れそうな妙齢の令嬢からはじまって、未亡人にまでお声がかかっているらしい。そういう噂はずいぶん前から貴族の間に流れていた。最近では、婚約者がいる令嬢や、果てには既婚者にまで手を広げているという。

 リーゼロッテにも婚約者がいる。あの噂は本当だったのだと、フーゴとクリスタは、無言で目を見合わせた。


「お断りすることはできないのですか?」


 もうすぐ十歳になる義弟おとうとのルカが、かわいらしく小首をかしげる。ルカは亜麻色の髪に水色の瞳をもつ美少年だ。姿かたちは、母親のクリスタにそっくりである。

 リーゼロッテは養子であったため、実の母親譲りのハニーブロンドの髪に緑の瞳をしている。ダーミッシュ夫妻と似ていないのはそのためだった。


 養子であっても、ダーミッシュ夫妻にとっては、リーゼロッテはかけがえのない大事な娘である。婚約話がなければ、ルカとリーゼロッテを結婚させて、ずっと手元に置きたいと思う程に、ふたりはリーゼロッテを溺愛していた。


「王家からの招待をお断りするのは不敬にあたる。よほどのことがない限り欠席はできない」


 よほど、とは生死にかかわるほどのこと、ということである。実際にリーゼロッテはぴんぴんしている。今日も五人前の朝食をぺろりと平らげ、食後のデザートを三回おかわりした。婚約者である公爵経由で、リーゼロッテが病弱だという噂が嘘であることも、王家にはバレているかもしれない。

 仮病もまたしかり。今回欠席したとしても、王子の婚約者探しが目的なら、また招待をうけるかもしれなかった。


「かといって、リーゼロッテをひとりで家の外に出すのは心配だ」


 そこで、この家族会議である。社交界デビューはどうあっても避けられないが、準備は進めているもののまだまだ先だとたかくくっていた。夜会であれば、ダーミッシュ夫妻や親戚のフォローがきく。

 しかし王妃の離宮で開催されるお茶会には、男性であるフーゴは立ち入ることはできないし、運悪くクリスタは足を捻挫してしまっていた。


 ルカがそばにいると、リーゼロッテは不思議と転ばなくなるのだが、招待されていない弟のルカが同行できるはずもなかった。

 急なお茶会の招待に、どうやってリーゼロッテの身の安全を図るか、頭が痛いところである。リーゼロッテ的には、自分の身より周りの安全の方が問題であったが、親バカな夫妻とシスコンの弟にとっては、リーゼロッテが何百万倍も大事であった。


「わたくし、ひとりで行ってまいります」

 静かに聞いていたリーゼロッテが、口を開いた。


「行かないという選択肢がないのなら、穏便おんびんに行く方法を考えなくてはなりませんわ」

「リーゼをひとりで行かせるのは、穏便とは言わない」


 すぐさまフーゴが反対する。


「もちろんエラを同行させますわ。エラは男爵家の令嬢ですし、社交界の経験もあります。足を痛めているお義母様かあさまに無理をさせる方が、よほど穏便ではないですわ、お義父様とうさま


 フーゴは妻のクリスタのことも溺愛していた。クリスタを盾にすれば、否とは言えないのだ。


「でも、わたくしもリーゼひとりでは心配だわ。せめて、親戚の誰かに付き添いをお願いできないかしら」


 クリスタがため息交じりに言ったが、お茶会まで数日もない。王城に上がれるような身分の親戚女性はいるにはいるが、高齢だったり、身重であったり、遠方に住んでいたり、すぐにひきうけてくれそうな人物は見当たらなかった。


「僕が同行できればいいのに。いっそのこと、僕が侍女の格好をして義姉上あねうえを守ります!」


 一瞬、ルカの女装姿を想像して、それはありかも、などと考えてしまったが、「未来のダーミッシュ伯爵に女装などさせられません」とリーゼロッテはあわてて反対した。


「とにかく、エラとわたくしで行ってまいります。王城へは日帰りできる距離なのですよね? お義父様」

「ああ、行きは早めに出発するとして、お茶会だから、夜会と違って帰りもそう遅い時間にはならないだろう。しかしだな……」


 いまだ渋ろうとする父親にリーゼロッテは畳みかけるように続けた。


「でしたら、馬車の中でわたくししっかり眠りますわ。眠り薬の量を調節して、着く頃に目覚めるようにすれば、行き帰りの道中は安心です」


 何やら物騒な発言だが、これには理由があった。歩く破壊神のようなリーゼロッテだが、眠っている間は、きれいさっぱり何事もおきなくなる。

 これは経験則であったが、子供のころ馬車で移動すると、リーゼロッテが目覚めているときは、馬車に物がぶつかったり、虫が飛び込んできたり、脱輪したり、いろいろとトラブルが起こったが、リーゼロッテが眠ってしまうと、不思議なくらい道中が平和になったものだ。日常でも、リーゼロッテが眠っている間は、一切何事も起きることはない。


「だが、食事はどうするんだい? 窮屈なドレスではそれほど食べられないだろうし、王妃様の前でリーゼロッテの可愛いお腹の虫が鳴ったりしやしないか心配だよ」

「王妃様にご挨拶が済んだら、体調がすぐれないことを理由に、すぐおいとまするようにいたします。そうすれば、角も立たないでしょう? 実際に具合が悪くなるでしょうし……」


 お腹の虫は令嬢の誇りにかけて鳴らさないようにいたします、とリーゼロッテはつけ加えた。

 具合が悪くなる、の一言に、リーゼロッテ以外の一同が渋面になる。


 リーゼロッテは、日常生活でも午前中は比較的体調がいい。午後になるにしたがって、体が重くなりトラブルの回数も増えるのだ。

 リーゼロッテ自身は、体調が悪いというより、体が重くなると感じている。風邪をひいたときのような体調不良ではない。重い荷物を背負わされたような、物理的に重いという感覚である。


(例えていうなら、ド〇ゴンボールの精神と時の部屋ね。重力何倍、みたいな)


 午前中はなんとなく寝不足で、午後は重労働を課せられ、それを食べ物で補っている。リーゼロッテにとってはそんな感覚だった。それに、昔から夢をよく見るリーゼロッテは、いくら寝ても寝た気がしない毎日を送っていた。


「日にちがありませんし、わたくしはさっそく準備にとりかかりますわ」


 リーゼロッテがゆっくりとした動作で立ち上がると、横に座っていたルカも立ち上がり、ついと手を差し伸べた。

「義姉上、お部屋までお送りいたします」

 ルカの小さな手を取り、リーゼロッテ微笑んだ。

「ありがとう、ルカ」

 ルカは慣れた手つきでリーゼロッテをエスコートしていく。


 そんな二人の姿は、伯爵家では見慣れた風景だった。小さな騎士と可愛い姫君を見送ったあと、フーゴは悲しそうにため息をついた。


「もうすぐリーゼも十五歳か。ずっとこんな日が続けばいいものを……」


 リーゼロッテが十五歳になったら、いつでも婚姻は可能になる。公爵家が望めば、リーゼロッテをすぐにでも手放さなくてはならないのだ。王家が決めた公爵家との婚姻を、下位の伯爵である自分がどうこうできようはずもなかった。


 クリスタはそっと夫の手を取ると、にっこりと微笑んだ。

「例えお嫁に行ったとしても、リーゼはずっとわたくしたちの大切な娘ですわ」

「ああ、そうだな」


 もともと公爵家の姫だったリーゼロッテを、何の後ろ盾もない一介の伯爵家がまかされたのだ。これほど名誉なことはない。


 リーゼロッテに関しては、王家からは余計なことは詮索しないよう言い含められていた。リーゼロッテが背負う運命がいかほどの物なのか、フーゴには推し量るすべはない。

 フーゴとクリスタは結婚して八年間子宝に恵まれなかった。ふたりがあきらめかけていた頃、リーゼロッテの養子縁組の話が王家からやってきた。フーゴはおおいに戸惑ったが、クリスタは純粋に喜んでいたようだ。


 三歳のリーゼロッテは天使のように愛らしい少女だった。よく転ぶ子供だったが、聞き分けがよく、沈みがちだった領地の屋敷が、リーゼロッテの存在で随分と明るくなったのを覚えている。

 間もなく、クリスタの懐妊がわかり翌年ルカが誕生した。ふたりはリーゼロッテが幸せを運んでくれたと思っている。


 本当の娘だと思って今まで大事に育ててきた。ただただ、フーゴは、父として、リーゼロッテの幸せを願わずにはいられなかったのである。


     ◇

「お嬢様、ドレスはいかがなさいましょう? 公爵様からいただいたドレスはいくつかございますが……」

「袖を通すだけで卒倒しそうだわ」


 困ったように眉を下げて、リーゼロッテはため息をついた。

 リーゼロッテはまず外出しないので、よそ行きのドレスなどほとんど持っていなかった。普段は、屋敷の中で転んでも大丈夫なように、動きやすいシンプルなドレスばかりを好んで着ている。


 お茶会の開催は数日後、今からドレスを仕立てている時間はなかった。決死の覚悟で公爵のドレスを着るか、既製品で乗り切るか。

 しかし王妃の招待のお茶会に既製品で行くとなると、ダーミッシュ家の名誉にかかわるだろう。見る人が見れば、どこで仕立てたドレスかなどはすぐにわかってしまうのだ。


「ではお嬢様、三年ほど前に遠縁の方の結婚式のためにあつらえたドレスはいかがでしょう」

「まあ、あのときのドレスね。結局出席は断念したから、着られなかったのよね」


 リーゼロッテは自分のせいで結婚式が台無しになったらと不安になり、結局は直前で出席をやめたのだ。人生の晴れ舞台を、遠縁の子供にぶち壊されたら、自分だったら絶対に嫌だ。


「だけど、三年前のドレスよね。……サイズがあうかしら?」

「まずは合わせてみてはいかがでしょう。手直しして着られるかもしれませんし」

「そうね、エラは裁縫が得意ですものね」


 エラは手先が器用だった。リーゼロッテなどは、初恋の人ジークフリートに贈ろうとハンカチに刺繍を刺し始めたが、やるたびに自分の指を刺して、一年かけてようやく刺繍が完成したほど不器用だった。

 できあがったハンカチはジークフリートに贈ってみたものの、刺繍の出来栄えも微妙だったため、今でも贈ったことを後悔しているリーゼロッテだった。その点エラは、売り物かと思えるような見事な刺繍を披露してくれた。


 とりあえずエラにそのドレスを探しに行ってもらうことにした。

「お嬢様、お持ちいたしました。こちらでございます」


 エラが持ってきたのは、パステルグリーンの可愛らしいデザインのドレスだった。早速体に当ててみる。


「やはり裾の長さは足りなさそうですね。そこはレースや同系色の布をあしらえば問題ないと思います。胸元も少し襟ぐりを開けて、もう少し大人っぽく見せるのはどうでしょう」

「まあ、ステキね、エラ。でも実際に着られるか、試着してみないと」


 三年たてば、肩幅やウエスト、胸まわりも当然きつくなっているだろう。リーゼロッテは、エラに手伝ってもらって、そのドレスに袖を通してみることにした。


 屋敷の中で着ている普段着のドレスは機能性重視だ。コルセットはつけず、脱ぎ着も簡単である。エラに背中のボタンを外してもらうと、肩から脱いでドレスをするりとそのまま落とした。

 手触りのいいやわらかい生地のドレスは、すとんと抵抗もなく足元に落ちた。幼児体形のおかげで、ひっかかるところは皆無だ。


(十四歳ってもう少し発育がよくなかったかしら……?)


 そう思いながら、リーゼロッテは薄い肌着のみになったぺたんこの胸を見下ろした。申し訳なさ程度にあるふくらみの間に、何か文様のようなあざが丸く見える。このあざは、生まれつきのものだ。

 ここブラオエルシュタイン国では、リーゼロッテのような生まれつきのあざは、守護神である青龍の祝福として、とても喜ばれるものだった。


(この意味ありげなあざも、ラノベっぽいと言えばラノベっぽいけど)


 いくら祝福と言われているとはいえ、こんなところにあざがあるのは見られたくないと思ってしまうのが乙女心だ。胸の開いたドレスは一生着られそうにない。


(それは、あざのせいであって、断じてこのぺたんこの胸のせいではないわ)

 リーゼロッテは、自分をそう納得させた。


「お嬢様、今回は正式なお茶会ですから、コルセットはなさった方がいいかと思います」

 エラに言われて、リーゼロッテはコルセットをつけてみた。背中の紐を締められていき、呼吸が圧迫される。


「もっと締めるのが一般的ですが、お嬢様はコルセットに慣れておられませんので、緩めにしておきます」


 エラはそう言ったが、リーゼロッテにしてみれば、十分苦しい閉め具合だった。しかし、締め終わったコルセットの胸を見て、「まあ」とリーゼロッテは声を上げた。そこにささやかな谷間ができていたからだ。それを見たエラは微笑ましそうに顔を緩めた。


 ふたりでニコニコしながら、三年前にあつらえたドレスに袖を通してみた。エラに背中のボタンを留めてもらいながら、次第にふたりの顔から笑顔が消えていく。


「…………」

「…………」


 ぴったりだった。三年たった今でも、ドレスは今まさにリーゼロッテのためにあつらえられたかの如くぴったりであった。悲しいかな、特に胸まわりが。

 なぜだ。寄せて上げたハズなのに。


「やはり裾は少々短くなっておりますねっ。ウエストは以前より細くおなりのようで、うらやましい限りですっ。胸元も大人っぽくなるように、今流行りのレースとリボンをあしらって、お嬢様にお似合いのドレスに手直しいたしますわっ。お嬢様、このエラにっ、このエラにお任せください!!」

「……ありがとう、エラ」


 一ミリたりとて成長していないその胸に、一切触れようとしないエラに、リーゼロッテは力なくお礼を言った。

(そのやさしさがかえってツライ……)

 心の中では滂沱の涙であった。


「リーゼ、ドレスは決まったの?」

 クリスタがリーゼロッテの様子を見に部屋を訪れた。


「まあ、お義母様。足を痛めてらっしゃるのにご無理をなさってはいけませんわ」

「ダニエルがいるから大丈夫よ。それより、ドレスはフーゲンベルク家からいただいているのでしょう? どれにしたの?」

 ちょっとウキウキした口調でクリスタは聞いた。


「奥様、それがあいにくと、公爵様から頂いたドレスはどれも冬物か夏物で、今の時期に合うものがなかったのです」

(ナイスよ、エラ!)


「あら、そうなの? でも、そのドレスは数年前にあつらえたものではない? ちょっとデザインが子供っぽくないかしら」

「そこはわたしにおまかせください、奥様。お嬢様の魅力を最大限に輝かせるドレスに仕立て直して見せます!」

「でも、あと数日しかないし、やっぱり公爵家から贈っていただいたどれかにしてはどう? 確か、薄いブルーのドレスがあったわよね。今の時期になら、合わないことはないのじゃないかしら?」


 義母のその言葉にリーゼロッテは慌てたように目を潤ませる。


「お義母様、わたくしどうしてもこのドレスが着たいですわ。はじめて仕立てていただいたドレスですもの。こちらでお茶会に出席したいのです」


 両手を胸の前で組んで、リーゼロッテは懇願するように言った。

 クリスタは三年前、リーゼロッテがはじめてのよそ行きのドレスに、とてもはしゃいでいたのを思い出した。そして、結婚式に欠席してちょっと落ち込んでいた姿も覚えている。


「リーゼがそう言うなら……そうね、そうするといいわ。エラ、大変だと思うけど、リーゼのためにお願いね。いつもの仕立て屋にも連絡して、手伝いに来てもらえないかきいてみるわ」

「ありがとうございます、お義母様!」


 公爵からのドレスなど着ることはできないリーゼロッテは、心の中でガッツポーズをした。


「アクセサリーは、このペンダントにします。着飾るようなお茶会ではないでしょうし」

「あら、先日素敵な首飾りと耳飾りをいただいたと聞いたけれど?」

「奥様、あちらは夜会などにふさわしい豪華なものでした。昼間のお茶会には少々につかわしくないかと……」


(ナイスよ、エラ!)


「まあ、そう。……では、それはリーゼロッテの社交界デビュー用だったのかしら。公爵様はリーゼロッテのデビューためにドレスを仕立ててくださっているそうよ」


(ピンチよ、エラ!)


 リーゼロッテは顔を青くしたが、今は数日後のお茶会を乗り切る方が先だった。



 ――そして、とうとう王妃のお茶会の日を、迎えるのであった。

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