ディストピア世界が壊れる頃、私たちは化け物だった
砂鳥 二彦
第1話
自分の肉や骨、内臓が潰れる音を聞いた人間は少ないと思う。だってそんなのは死ぬときぐらいだからだ。
私は約50メートルの高さがある場所から飛び降り、薄く水の張った地面をぶち破るように激突した。
なぜそうなったかと言えば、私の親友の葉山水無月が私を殺そうとしてきたので、それから逃げるためだった。
「いったあ」
私は頭蓋骨が半分に割れ、折れた肋骨が肺に突き刺さったせいで口いっぱいに血を飲み込みながら、骨や内臓各所を破裂させてもなお生きていた。
それどころか身体の損傷は見る見るうちにべちゃりべちゃりと回復し、自分の身体が壊れた余韻は水面に浮かぶ血糊(ちのり)だけになっていた。
「やっぱり私は化け物なんだ」
私は水無月から告げられた言葉を反芻(はんすう)していた。
親友の葉山水無月、彼女は同じΖ(ゼータ)地区の13番作業所で用途も分からない部品を永遠と作る苦行を共にする仲間だった。
なのにあの日、企業の広報用テレビがレジスタンスに乗っ取られて企業の支配体制が崩れたと報じられた時、事態は一変した。
「そう、分かったでしょう。私たちはスワンプマンと呼ばれる化け物。だってそう信じたから飛び降りられたのでしょう?」
私が飛び降りた場所、50メートル先の上方から水無月がそう語り掛けてきた。
私は水無月の言葉を否定するように声を荒げた。
「信じたわけじゃない。ただ、そうせざる得なかっただけだよ」
「そう言っちゃって。ナナはいつも私のことを信じてくれるじゃない」
水無月はそう言うと、散歩をするような気軽さで空中にとんだ。
私は慌てて後ずさりすると、私が全身を預けるように不時着した場所へ水無月が落ちてきた。
ただし水無月は私と違い、まるで氷上に着地するスケーター選手みたいにシンッと音もなく落ちてきたのだった。
「私はアナタが好きよ。ナナ」
水無月の突然の告白に、私はドキリとする。しかしそれは愛情による胸の高まりではなく、恐怖によるものだった。
「岩見ナナ。ラストナンバーズ7号。そして私の良く知るナナ。愛おしい。とても愛おしいわ」
水無月の目には明らかな狂気の色の愛情が宿っていた。それは普通の愛ではなく、べたりとした執着心のようなものだった。
「じゃあ、何で私を殺そうとするの?」
「何故って、当たり前じゃない」
水無月は機械がきしむように口角を吊り上げる。
「私がナナを大好きだからに決まってるじゃない」
そうしていると、水無月の後ろから大きな破裂音を立てて何かが落ちてくる。
その正体は私と水無月のかつての同僚だった女性だった。しかも1人ではなく、次々と、計5人の身体が自由落下してきたのだ。
落ちてきた5人は私と同じく身体を一部崩壊させつつも超再生で身体を戻していく。その5人もまた、私や水無月と同じくスワンプマンと呼ばれる化け物なのだった。
「スワンプマンの同一性、って知ってる?」
水無月は薄い水面の上をしたりしたりとこちらへ歩いてくる。
「スワンプマンはね、泥と雷でできた生き物なの。だけどそれは沼の近くで雷に打たれて死んだ人間の生き写し、精神と肉体を全く同一とした死人の代用品なの」
水無月がゆっくり近づくと、私は後ずさりする。けれどもその後ろの先は滝が広がっており、高さは先ほどの飛び降りの比ではなかった。
「そして私たちは人間の形から生まれた全く別の化け物。人間の振りをし、味方の振りをし、敵の内部に入り込む工作員。それが戦前の私たちの役割だったの」
水無月のそんな暴露に、私は怯えるしかなかった。
「そんなの知らないよ。私はただのナナ、子供の頃から水無月と一緒で、お父さんと死に別れたお母さんがいて――」
「それにお母さんも小さい頃に死に別れ、野垂れ死にしそうなときに企業に拾われた。ありきたりなゴーストストーリーよね」
「ゴーストストーリー?」
「簡単な話よ。それは他人に刷り込まれた偽の過去よ。思い出して、お母さんの顔はどんなのだった? お父さんの写真は見たことある? 子供の頃遊んだ記憶は? 私以外の記憶はある?」
私は逆に水無月から質問されて慌てる。言われてみればお母さんの顔はのっぺらぼうで思い出せない。お父さんの顔も知らないし、子供の頃どこで遊んだのか、何をしたのか思い出せない。
「私も似たようなものよ。ナナ、私たちにはアナタと私しかいないの。だからね」
水無月は右腕を振り払うように掲げる。するとその右腕は大振りのナイフのような凶器に変わった。
「死んで、ナナ」
刃物となった右腕を振りかざし、水無月は私に走り寄ってくる。それはまるで思春期の女の子が想い人に駆け寄るような、そんな華麗なステップだった。
「止めてよ!」
私は普通の両腕で顔を庇う。だがそんな防御で身体を守れないのは分かり切った話だった。
やられる。私がそう感じた時、突如として爆風ともに水無月の身体が吹き飛ばされたのだった。
「生存者1名、敵性生体兵器6名発見!」
水無月が転がった逆方向、私の左側のゲートから複数の人間がフォーメーションを組みながら迫ってきていた。
人間、そう人間だ。普通の衣服の上に防弾ベストを着ており、バズーカ砲や銃を携えていた。
私が知る限り管理者や管理AIとは違う見慣れない格好。そんな人たちが誰であるかは想像できた。
水無月を敵性生体兵器と言い、攻撃してきたのはレジスタンスの一員だ。
「伏せてな! お嬢ちゃん」
乱暴なその物言いは男性のものではなく女性の甲高い声だった。
私が身を庇うように姿勢を低くすると、周囲を薙ぎ払うような弾幕が張られた。
それに呼応するように水無月以外の元同僚たちも身体を変形させる。まるで枯れ木のように肉体を伸ばす者や、水無月のように腕や脚を武器に変形させる者もいた。まさに百鬼夜行の様相だ。
「スモークグレネード!」
レジスタンスの誰かが缶のようなものを私たちの方向へ投げると、白い煙が周囲を包み込む。
急な視界の喪失に私はどうすればいいか迷うが、その答えは向こうからやってきた。
「歩けるかい。お嬢ちゃん」
白い煙の中を突き破り、駆け寄ってきたのはガスマスクを装着した短い茶色髪の女性だった。
身体には防弾のジャケットだけではなく、機能性のあるミリタリーブーツ、黒いタンクトップに青い作務衣というあべこべな格好。それに身長は低いくせに私よりも胸やお尻が大きく、私はややムッとした。
「大丈夫です。歩けます」
「おっとそんな敬語を使わなくていいよ。まあ、今はここから離脱しなきゃ――」
ガスマスクの女性がそう言いかけた時、煙の中から新たな影が現れる。
それはレジスタンスの人間ではない。
「っく!」
ガスマスクの女性は素早く腰から拳銃を抜くと、確認もせずにトリガーを引く。
拳銃の乱射は狙いが甘く、煙から現れた私の元同僚の肩とつま先を弾丸がかすめる。そのうえ拳銃はあっという間に残弾がゼロになったらしく、スライドが上がっていた。
「やっぱり当たりゃしない。これはまずったか」
ガスマスクの女性が拳銃を捨ててナイフを取り出そうとするも間に合わない。
異形になった私の元同僚は容赦なく巨木のような腕を振るい、ナイフを弾いてしまったのだ。
「くっそ! ここまでか……」
ナイフを取られてはガスマスクの女性も次の手段はなく、繰り出される巨大な拳を受けそうになる。
私は、そんなのはダメだと思った。
そう念じた時、私もまた人間ではなく化け物だと自覚したのだった。
私の腕が一瞬で大樹の根のような鞭となった。
腕の鞭は巨大な拳をからめとって軌道を逸らす。その甲斐あって襲い掛かってきた拳は下を向き、地面を穿ったのだった。
おかげで元同僚の動きが一瞬止まる。
「ごめんっ!」
私は脚を四足歩行の獣のように切り換えると、強かに目の前の元同僚の顔を蹴る。これには元同僚も堪らず、姿勢を崩して後ろへとのけ反り返ったのだ。
「さよなら!」
私は獣の足のままガスマスクの女性を担ぎ、見当をつけて走り出す。そうすればすぐにも白い煙を追い越し、私たちはレジスタンスの目前へと到着していた。
レジスタンスたちは突然2人が煙から飛び出したのに驚くも、ガスマスクの女性はすかさず命じた。
「撃て! ありったけの武力を叩きこめ!」
私という障害が無くなり、レジスタンスたちは諸々の武器を持って煙に弾丸や砲弾を撃つ。
そうなれば白い煙越しに血しぶきが舞い、戦闘は圧倒的にレジスタンスたちが有利となった。
「撤退するわよ」
水無月の声がかすかに聞こえる程度に響くと、白い煙の中から気配が消える。そして煙が晴れて視界が開けると、そこには1体の元同僚の死体だけが残っていた。
元同僚の死体は人間のそれではないが、人間と同じ赤色の血液を流し、滝の先へと流れていく水に体液を溶け込ましていた。
だがしばらくすると、身体は灰のような色の粘液となり、全身は水に流されてしまった。
「あ、ありがとう。助かったよ」
私がレジスタスの人々にお礼を言うも、怪訝(けげん)な顔を返された。
何故ならば、私の身体はとても人間に見えない身体の変形をしていたからだった。
「あっ」
私は自分の姿に気付き、気まずそうにレジスタンスの前で立ちすくむのであった。
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