コード・グラウンドゼロ
東城
第1話 ドクターエンゾ
オペレーティング・シアター(手術室)で、エンゾが見たものは大きな筒型のガラスケースに入った胸部と頭部だけの人の身体だった。溶液の中に沈んでいるそれは、象牙でできた銅像のような無機質な物体だった。
まだ生きているということだけが人間の象徴だった。
しみだらけの禿げ頭のヤンセン教授はエンゾに伝える。
「君は安楽死の処置をするのは二回目だろう? 処置は君に任す」
今日、この大学病院に運ばれてきた患者だ。推定年齢十六歳、白人、血液型B型。ほとんどの身体のパーツ、臓器など抜き取られている。
検体者がいれば、脳移植で命を吹きかえすことは可能だが、問題はこの少年の精神のことらしい。生命を繋ぎ留めたとしても、このような惨い事件にあった後には普通の生活には戻れないだろうとヤンセン教授は、だらだらと話した。おそらく臓器密売のグループの仕業だろう。
きっと精神にも異常をきたす。
ミーティングの結果、安楽死という方法をとることになった。法医学的検証後、警察にレポートは提出済み。
サイバネ医師のエンゾはさっぱり理解できなかった。
なぜ、少年の身元調査も親族への承諾もなしで、物のようにさっさと処分するのか。
「でも脳移植をしてみるという手段がまだ残っていると思うのですが」控えめな口調で拒否した。
「会議で決まったことだ。すみやかに処分しなさい」
教授は厳しい口調で命令して、白衣を翻しさっそうと去っていった。
「安楽死か」
白い手術室に独り残された。
「これってパワハラかもな」
エンゾは自分の髪に手をやる。丸刈りに近いほど短いのでジョリジョリした。
医師になってまだ三年目なのに神業的器用さと術式の得とくが天才的に早かったので一目おかれていた。
しかし、付き合いが悪く、神経質な研究者タイプで何を考えているのかわからないところがあり、職場では好かれていなかった。
手術台の上の保存液に生命を支えられている残骸と化した、でも微かに生きている少年と
脳、肺、心臓だけしか機能していないだろうが人間だ。
死を選択する前に、いかなる方法を使ってもあきらめず患者を治療するのが医師の勤めだと大学で学んだ。
ガラスのケースの横にある注射器と薬のパス。薬を頸部に注射すれば少年は永遠の眠りにつく。
だが少年の命を奪うことなどできないと直感的に感じていた。それは運命だったのかもしれない。
ガラスケースをキャスターに乗せて白い布を被せる。キャスターを押して手術室を出る。
エレベーターの前でほかの医師と立ち話をしている教授に終わりましたと伝え、裏口に向かう。小さな車輪の回るカラカラという音と天井の青白い蛍光燈の光。ただ出口に向かって何も考えずに歩く。
やっとたどり着いたドアを勢いよく開ける。
夜空には星が見えない。曇りのためではなく、巨大都市ロサンジェルスから空に向けられた人工の光が星を消しているからだった。
シーツに隠されたガラスケースを抱え、車の後部座席に置いた。
キャスターを手術室に戻す。少年の死亡告知書を記入し、事務室に届けると帰宅することにした。
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