第6話 クマさんは高い所が苦手らしい。
クマさんと一緒に、スリッパを履いて209号室から廊下へ出る。
部屋のドアにはカギがついていないので、戸締りの必要もない。
2階の廊下は片側が壁ではなく、食堂の上の空間が吹き抜けになっていて、ここから下を見るだけで、食堂の込み具合が分かるようになっている。
まだ6時になったばかりで、食堂は空いているようだ。
「2階の廊下は、見晴らしがいいですね」
「先輩は、下を見ても怖くないんですか?」
僕が感想を口に出すと、クマさんは1歩下がったところから質問してきた。
言われてみれば、この
ポロリちゃんの身長でも普通に下が見えるくらいの高さしかないので、女子の平均身長よりも背が高い人には柵が低く感じられるのだろう。
「柵は少し低いようですけど、下を見ただけで落ちる事はないと思いますよ」
「でも、人が集まって満員電車みたいになったら、誰か落ちちゃいますよね?」
「あー、ネットにそんな動画がありましたね。あれは、怖かったです」
狭い廊下に生徒達が殺到して、吹き抜けから何人も落ちてしまう衝撃動画。
たしか、海外の学校で起きた事故だったと思うが、どこの国だったか……。
「先輩、そんな動画を見ちゃったんですか? 私、絶対にムリです」
「クマさんは、高いところが苦手なんですね?」
「はい。怖いので、そっち側は歩けません」
「了解しました。クマさんと一緒に廊下を歩くときには、必ず僕が食堂側を歩きますから、安心して下さい」
「ありがとうございます……あっ、ちょっと待って下さい。先輩と2人きりのところを誰かに見られると恥ずかしいので、こっちから行きたいです」
僕が廊下を左に進もうとすると、クマさんは逆方向を指差した。
左は、2階の廊下を歩いて、201号室の前にある南階段を下りるルート。
右は、210号室と211号室の間にある、東階段を下りるルートである。
2階の廊下を歩くよりも、先に階段を下りて1階の廊下を歩くほうが、他の寮生と出会う確率は低そうだ。
「そうですね。誰かに見つからない限りは2人きりですし、僕も、かわいいクマさんと2人きりのところを、誰かに邪魔されたくはないですから」
――ぱんっ。
クマさんは、恥ずかしそうに下を向き、無言で僕の肩を叩いてきた。
女子と2人きりという状況に慣れている僕に対し、クマさんは、男子に耐性がないようだ。これは、きっと「照れ隠し」というやつなのだろう。
「あははは、いいツッコミですね。――では、こっちから行きましょうか」
「うん、うん」
顔を上げた後、大きく2回
きっと、僕も同じような顔をしているのだろう。
「先輩は、どんな女の子が好きですか?」
「そんなの、かわいいクマさんに決まっているじゃないですか」
――ぱんっ。
「――あだっ!」
1階の廊下を歩きながら、クマさんに、また肩を叩かれてしまった。
この、怒っているのか喜んでいるのか分からないような笑顔は、実にいい。
「もっと真面目に答えて下さい」
「あっはっはっ……生娘寮に住んでいる女の子は、みんな好きですけど、やっぱり、僕の事を好きになってくれる子がいいですね。片思いだと辛そうですから」
「うん、うん」
クマさんは、納得してくれたようで、大きく2回頷いてくれた。
「あと、付き合うなら、年下の子で……できれば、2年生の子がいいですね」
――ぱんっ。
「――あだっ!」
クマさんに、また肩を叩かれてしまった。
これは、きっとクマさんが2年生だからだ。
「先輩、さっきは、お姉さまの事も好きだって、言ってました」
「5年生同士で付き合えたとしても、相手の子が婚活を始めたら、すぐに別れることになって、寂しいじゃないですか」
実際、6年生の先輩方は、ほぼ進路が決まっていて、この時期に、まだ嫁ぎ先が決まっていない6年生は「売れ残り」と呼ばれてしまうらしい。
「先輩も5年生ですけど、婚活はしないんですか?」
「そうですね……僕はオトコなので、急ぐ必要はないと思っています」
「どうして、3年生や4年生じゃなくて、2年生がいいんですか?」
「僕はクマさん達と同期生なので、2年生の子が一番、話しやすいんです。3年生や4年生からは『先輩』と呼ばれてはいますけど、ここでは僕のほうが後輩ですから」
「そうだったんですね。私、先輩は、ちっちゃい子が好きなのかと思ってました」
「確かに僕はミャーちゃんに懐かれていますし、ポロリちゃんとも仲良しですけど、
ミャーちゃんとは、5年生の担任である
マー君こと新妻
クリさんは5年生の中では小柄だが、そこまで「ちっちゃい子」ではない。
見た感じ、3年生のチカナさんやアイシュさんと同じくらいの
「あっ……この事は、お姉さまにはナイショでお願いします」
「分かりました。これは2人だけの秘密にしておきましょう」
クリさんなら、この程度で怒る事はないと思うが……まあいいか。
「優嬢新聞の号外です。どうぞ、ご覧になって下さい」
クマさんと2人で食堂前のロビーに入ると、体操着姿の小柄なクラスメイトが、弱々しい声で校内新聞を配っていた。
「ナコちゃんのお姉さまが、新聞を配っているみたいです」
「そうですね。僕が、もらって来ましょうか。――
新聞を配っていたのは、広報部の5年生、遠江
料理部の2年生、
「甘井さん、申し訳ございません。今回はエイプリルフールの号外という事で、過激な見出しになってしまいました。裏は取れておりませんので、事実と異なる点があっても、どうか気を悪くなさらないで下さい」
「
「寛大なお言葉、ありがとうございます。では、こちらをどうぞ」
受け取った新聞の見出しは「ダビデ乱交」。
記事の内容は、こんな感じだ。
「3月31日の消灯後、生娘寮の101号室から、大音量の甘い声が聞こえてきた。
アマアマ部屋とも呼ばれるこの部屋には、ダビデさんと、ダビデさんの交際相手である一般人女性のNさんが同居しており、水曜日の夕方に、高い確率でNさんの甘い声が聞こえてくることは、生娘寮では公然の秘密となっている。
しかし、今回の甘い声はダビデさんと熱愛中であったはずのNさんの声ではなく、Nさんの姉であるMさんの声だった。
アマアマ部屋には、ダビデさんの妹であるPさんも同居しており、妹達に気付かれないように、消灯後に2人だけで――というのは、おそらく不可能である。
そこで、我々広報部が出した結論は、以下の通りだ。
『アマアマ部屋では、昨晩、乱交パーティーが行なわれたのではないか?』
アマアマ部屋の4名は、全員が仲良しであることが広く知られており、精力絶倫と
本日はエイプリルフール。信じるか信じないかは、皆さんの判断にお任せしよう」
この記事には、クマさんもドン引きだと思ったのだが――
「昨日の『あの声』は、ネコのお姉さまの声だったんですね! すごく気持ちよさそうな声だったので、私、興奮しちゃって、昨日の夜は全然、眠れませんでした」
――クマさんは、昨晩の謎が解けて嬉しそうな顔をしていた。
天ノ川さんの「あの声」は、どうやら103号室にまで届いていたようだ。
食堂の入り口では、クリさんとポロリちゃんが、楽しそうに会話をしていた。
「クリちゃん先輩、お兄ちゃんとクマちゃんが来てくれたの」
「おー、2人で並んでると、なかなか、いい感じだね。結構お似合いかも」
――ぱんっ。
「こらこら、姉を叩くなって」
ポロリちゃんが僕達に気付き、クリさんが感想を述べると、クマさんは、お姉さまに対しても、先程と同じような反応を示していた。
「えへへ、お兄ちゃんは、もう、クマちゃんと仲良しなの?」
「お陰様で。――2人とも、もう、仕事は終わりなんですか?」
「食事休憩だよ。そろそろアマちゃんとイヨが来ると思って、待ってたんだけど」
「お待たせしてしまって、すみません」
「ご飯は、4人で一緒に食べたほうが、おいしいと思うの」
「そうだね。――それじゃ、4人で一緒に食べましょうか」
「うん、うん」
今日の夕食は餃子定食。
4人で券売機に並び、同じ食券を買う。
カウンターで餃子定食を受け取ると、クリさんが真っ先に、今までアマアマ部屋の4人が使っていたテーブルの、
「ミユキさんに、この席は譲ってもらったから。イヨは私の前の席ね。アマちゃんとポロリちゃんは、今まで通りの席でいいよね?」
「このテーブルまで押さえてくれるなんて、さすが、クリさんです」
僕達3人は、クリさんの指示に従い、それぞれの席に着いた。
僕の正面の席にはポロリちゃんが座り、左隣の席にはクマさんが座る。
「私は、アマちゃんのカノジョの姉、つまり、ダビデさんのカノジョの姉だからね。ミユキさんから引き継いだ『おいしいポジション』だよ」
斜め前の席に座るクリさんは、得意げな顔を見せてくれた。
「あははは、天ノ川さんとクリさんには、頭が上がりませんね」
「あのっ、私が、ダビデ先輩とお付き合いできるのは、明日からですよね?」
「はい。クマさんがよろしければ、僕は、そのつもりですけど」
「えへへ、2人が付き合っても、ポロリとも今まで通りに仲良くしてね」
「そうそう、アマグリ部屋も『仲間外れは禁止』だからね」
アマグリ部屋が、結成初日からこんなに仲がいいのは、天ノ川さんとネネコさんと今ここにいる3人のお陰だ。
新たなルームメイト達の笑顔を眺めながら、餃子を美味しく頂くことにしよう。
「それじゃ、私とポロリちゃんは、持ち場に戻るから。アマちゃん達は、先に部屋に戻って、お風呂にでも入っててね」
「はい。お先に入らせて頂きます」
「えへへ、クマちゃん、またねー」
「うん、うん」
クリさんとポロリちゃんが調理場に戻り、またクマさんと2人きりになってしまった。クマさんとは、まだ付き合っていないのだが……まあいいか。
「では、クマさん、一緒に部屋に戻りましょう」
帰りは、食堂の裏口から出て、すぐに東階段なので、209号室は近かった。
お風呂の準備はクマさんがしてくれたそうで、すぐに入れるらしい。
「先輩が、お風呂に入る前に、一緒に歯を磨いてもいいですか?」
「もちろんです。一緒に餃子を食べたら、一緒に歯を磨かないと」
餃子は、みんなで一緒に食べれば臭くないが、歯も一緒に磨かなければ、磨いていない人がニンニク臭くなってしまう。
ここは2人で一緒に歯を磨くのが正解だろう。
僕は、着替えとタオルと男性用のシャンプーを用意してから洗面所へ向かう。
買ったばかりの歯ブラシは、まだ体操着のズボンのポケットの中だ。
目隠し用に取り付けられている
この部屋の洗面所に入ったのは、今回が初めてだが、どこから説明したらいいのか分からなくなってしまうくらいに、情報量が多い。
「クマさん、いつの間に洗濯まで済ませていたんですか?」
「あっ、これは先輩方の洗濯物です。夕食後に取りに来ると言ってました」
物干しロープは、上段と下段に2本ずつ張られており、そこに女性用の下着類が、ずらりと干してある。
上段に干してあるものは、比較的派手で、サイズも大きい。
一方、下段に干してあるものは、比較的地味で、サイズも小さいようだ。
僕は、クマさんとクリさんの下着だと思ったのだが、そうではないらしい。
「つまり、引っ越し前に住んでいた先輩方の洗濯物――という事ですね」
「そうです。干してある服以外の消耗品は、自由に使っていいそうです」
「消耗品というのは、ここにある歯磨き粉とか――ですか?」
「あと、シャンプーとか、コンディショナーとかも、譲ってくれました」
「それは助かりますね。とりあえず、先に歯を磨いちゃいましょう。――ところで、クマさんの歯ブラシって、普段から紫色なんですか?」
「いえ、今朝、売店に買いに行ったんですけど、私が使っていたオレンジの歯ブラシがなかったので、沢山あった紫にしてみました」
……そうですよね。やっぱり「流行の色」って訳じゃないですよね。
「すみません。実は、僕も同じ理由で、クマさんと同じ色の歯ブラシを買ってしまいました。紛らわしくて、ごめんなさい」
クマさんが紫色の歯ブラシを買ってくれた事は、とてもありがたいのだが、同じ部屋で同じ色の歯ブラシを使うとなると、識別できなくて不便な気がする。
「あはっ、先輩も同じ色なんですね。私は、ちょっと嬉しいです」
――ああ、なんだろう。この罪悪感は。
クマさんの笑顔に曇りが無いところが、逆に痛々しい。本当にごめんなさい。
「僕もクマさんとお
「私の歯ブラシには、熊の絵が描いてありますから、大丈夫です。間違えません」
クマさんは、嬉しそうに歯ブラシに描いてある熊の絵を見せてくれた。
「それって、クマさんが自分で描いたんですか? さすが美術部員。上手ですね」
「この、熊のマークが入っているものは、私のですから。名前を書く代わりです」
クマさんは、ニコニコしながら、歯ブラシに歯磨き粉を付け、歯を磨き始める。
僕は、クマさんから歯磨き粉を受け取り、自分の歯ブラシに付ける。
そして、2人で洗面台の鏡に向かって、横に並んだまま、一緒に歯を磨いた。
鏡越しに見えるクマさんのおっぱいは、歯ブラシの動きに合わせて、ぷるぷると左右に揺れ、それを見ているだけで、僕の心は満たされていく。
これはきっと、今日の夕食を餃子にしてくれた、料理部の皆さんのお陰だ。
ご愛読特典:優嬢学園お嬢様名鑑⑥
「ろりくま」の第6話を最後までご覧下さって、誠にありがとうございます。
今回は、「ろりくま」からの読者様に向けて、第6話で新たに本文中に登場した、お嬢様2名と幼女1名を、ご紹介いたします。
遠江 美耳 とおとうみみみみ 5年生の出席番号7番。身長151㎝。
初登場は「ろりねこ」第49話。「ろりくま」では広報部の副部長を務める。
小柄で無口で控えめ。ミミさんと呼ばれているが、実名はミミミである。
104号室から208号室に転居。広報部副部長。妹は大間名子。
大間 名子 おおまなこ 2年生の出席番号4番。身長170㎝。
初登場は「ろりねこ」第49話。体が大きく、2年生では最も背が高い。
昨年の寮の運動会では、ミチノリとペアで「フープの営み」に出場している。
104号室から208号室に転居。料理部所属。姉は遠江美耳。
新妻 雅 にいづまみやび 新妻先生の長女。身長85㎝。
初登場は「ろりねこ」第36話。「ろりくま」では、もうすぐ満2歳になる。
通称ミャーちゃん。最初に覚えた名前が「だびで」で、ミチノリに懐いている。
新妻先生の自室である112号室に在住。兄は新妻優。妹は新妻幸。
上記以外にも優嬢学園のお嬢様方が多数登場する予定です。
お気に入りの子が見つかりましたら、フォローしてあげて下さい。
それではまた。ごきげんよう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます