終章

運命の相手は、幽霊だ 1

 病室を訪ねる者は、大きく二分される。

 看護師か、警察かだ。


 とくに警察は真っ先に訪れ、聴取をして引き返していった。より有力な証言を引き出したいのか、こちらの機嫌取りのように世間話を挟むから退屈で仕方がなかった。

 僕から言えることはすべて伝えた。もちろん、秘匿すべき事項は秘匿して。

 状況だけ見れば僕が主犯だと勘違いされてもおかしくなかった。警察本部ではなく病院を優先してくれたのは、おそらく管理局の口添えあってのことだろう。そのため最低限の恩返しのつもりで黙秘権を行使した。


 ともあれ、警察はもういない。たまに様子を見に来る看護師も数分前に顔を見せた。しばらくはひとりで過ごせる。

 僕は湿布だらけの手足を観察した。昨日の今日だ、骨折したわけでもないし、入院はさすがにやり過ぎでは? なんて思ったのだけど……。

 全身に殴打のあと。全身がバキバキで歩くのすら満足にできるか怪しい。念のため入院しておいてよかったと、今では安堵している。

 看護師の話では明日には退院できるとのこと。幸い捻挫もしていないようで、すぐに日常生活に戻れるだろう。


「……」


 窓の景色を眺める。高めの位置なので、ベッドからは空の青色と浮かぶ雲だけが映る。

 返してもらった携帯は沈黙していた。

 『リラ』を開いたけれど、どこにも端紙のいた形跡はない。世間を騒がせていた黒いプロフィール――不具合も、ばったりと途絶えている。暇な時間を見染目よろしく情報収集にあててみたが、今日の『リラ』は不穏な動きは見られない。

 世間は平穏を享受していた。


 それが安心できると同時に、寂しい。

 端紙リオの幽霊は、泡沫のごとく浮かび上がった影法師に過ぎない。けれど確かに存在は残っていて、記憶がしっかりとあるから間違いない。長い夢を見ていた、なんてことはないから大丈夫。

 ただ、この喪失感はどうしようもない。

 口うるさく指示していた彼女は、もういない。それを理解したつもりでも、頭は彼女の影法師を探してしまう。帰宅してやるべきことも、思い描いたこれからの生活も、物足りなさがあった。


 ――と、ふいにコンコン、という音が思考を遮った。

 軽めのノックは、看護師のものでも警察のものでもない。「どうぞ」と促すと、恐る恐るといった風に見染目クミカが顔を覗かせた。


「お邪魔しまー、す……」


 視線が僕を見つけた途端、僕はたじろいでしまった。

 だって、詩島ハルユキは彼女を傷つけた。巻き込みたくないという理由はあれど、酷い仕打ちをしたのは変えようのない事実だ。もうこうして顔を合わせることはないと思っていた。

 だというのに、こいつは見舞いにきた。

 見染目の背後から霧島ソウタまで入ってきたとあれば、頭痛が襲う。

 僕はしかめ面で出迎えた。


「なによ、その顔。あんたのために来てやったってのに」

「さすがに酷ぇんじゃねぇか? 一応見舞いのつもりだぞ」


 二人揃って文句を言う。文句を垂れ流したいのはこっちだというのに。


「僕は見舞いされるほど重症じゃない。なぜここへ来た」


 なぜ、という疑問の意図を、二人は顔を見合わせて読み取っていた。

 僕と彼らは傾いた違う世界を生きる。そう誓ったし、何より合わせる顔がない。理由はなんにせよ、僕は非道な選択をしたのだから。

 しかし、ソウタは一蹴する。


「たしかに、オレはもうおまえの親友じゃあない。オレたちにとって詩島ハルユキは忌み嫌うべき相手で、馴れ合いは間違っている」

「だったら、」

「だが――終わったんだろ?」

「……、」


 終わった。

 騒動は収まり、もう死者とマッチングすることもないだろう。端紙リオは、自身の罪過を引き継いでいた片踏マナを殺した。生きている人間と死者を結びつけんとする幽霊は居なくなった。


「ああ。終わった。終わって、しまった」


 喜ぶべきこと。これが正しい結末。だけどどうしても気に入らない。胸の内側にぽっかりと空いた穴を、虚しさが支配する。残像が時おり浮かんでは消えて、幻聴が耳をかすめては風だと気づいて、落胆を繰り返した。

 僕を導く存在がなくなっただけで、詩島ハルユキの居るべき現実がどこか彼方へと消えてしまった気がする。ここに生きているのが不釣り合いに感じられる。


「じゃあ、あの端紙って女は?」


 消えた。

 消えてしまった。

 そうか。だからこの二人は、「もう悪にならなくていい」と都合の良い方便を携えてやってきたのか。寄り添うと決めた女がいなければ、離れている意味はないと、そう言いたいのか。

 ……気に入らないけどそのとおりだ。

 僕は一緒に背負うと決めた彼女を失った。


「端紙は、最後の最後で約束を破ったよ」

「……」

「……」


 二人が神妙な顔をする。

 僕は思い馳せるように窓の外を見あげた。身体の痛みより心の傷みのほうが何倍もジクジクと突き刺した。


「端紙のやつ、僕の抱えた責任とか、見染目に対する罪とか、そういう他人のモノは半分背負ってくれたくせに、自分のモノは全部ひとりで持っていった。並んで歩く未来という綺麗で輝かしいモノだけ僕に押しつけて……勝手に、行ってしまった」


 病室に沈黙が流れる。

 膝の上で握り込む拳だけが、ぎゅ、と音を立てた気がした。


 そんな空気を、見染目は見染目らしく割る。


「そ。厄介なのが消えてくれて清々した」

「ちょっ、見染目」


 ソウタの声に反省の色も見せず、見染目が立ち上がる。

 激昂する気力もない僕を見て、何を考えているかも知れない顔で口をひらいた。


「明日。屋上で待ってるから」


 一方的にそう残して、彼女は病室を去った。

 ソウタも背中を追って退室する。あちらは順調のようでひと安心だ。



「屋上、か」



 ボソリとこぼした一言が、静まりかえった病室に消えた。

 青い背景。

 さっきまで見えていた雲はどこかへ流れていて、もう見つけられなかった。


 ああ……こうしているのは、あの日々が夢だったように感じられてイヤだ。

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