ハルジオンが牙を剥く 6

「端紙ぃぃぃぃいいいいいいいッ――!!!!」


 甲高い叫びがあたりを支配する。

 びりびりと鼓膜を揺るがすソレは、振り下ろされる刃のしらせだ。


 ふらりと体勢を立て直した私の脳天へ向けて、雷のごとく閃光が襲いかかる。


「――、」


 俯瞰するように、鋭い視線を向ける。

 地面に向けられていた注意を敵に移動する。それだけで雷は透明な壁に阻まれた。

 弾け、飛び散り、折れ曲がる。

 逸れた矛先は紙切れの絨毯が敷かれた地面を穿ち、引き裂かれた羽毛布団のようにあたりを爆発させた。衝撃は数にして三つ。右斜め前方、数歩ぶんの後方、そしてすぐ左。視界に白い雨が降り注ぐ。焦げた紙切れは舞い上がり、宙を埋め尽くしていた。

 その中で、私は一歩も動かない。

 雨を割ってジェットの如く飛び込んでくる小柄な少女を見据える。肉薄する影、握られたナイフが伸びる。


「おまえが……! おまえがッ……!!」


 突き出された切っ先を、身体をひねり避ける。顔のすぐよこをかすめ、長髪が切り裂かれる。ピッと頬に熱い感触が走り、空気のぜる音が耳元を過ぎる。


「全部全部全部、おまえがはじめたことでしょうッ!」


 そのまま刀身を振るい、首を狙う片踏マナ。それを右手で掴んで押しとどめ、握り込んだ手から赤い血液が滴る。

 彼女は髪を乱れさせ、服もあちこちが破けていた。きっと自分の白いワンピースも焦げと赤色で汚れていることだろう。

 だがそんなものを後回しにするほど私たちは意識を釘付けにされていた。


 マナの憎しみと夢への渇望で満ちた瞳が、私を至近距離で睨む。

 憤りを増幅させ、激しく胸を上下させた。


 私はそれを真正面から受け止めた上でにらみ返した。

 真っ当な感情だ。彼女には、全てを始めた私へ怒りを向ける権利があった。しかし、それでも、と私は吐き捨てる。


「たしかに私の罪です、それは……! ですが、ゆえにこそ今ここにいる。過ちを正すために、罪を償うために立っている。討論はムダです、私は何があってもあなたを消すッ!」

「どうしてよ! なんであんたが邪魔すんのよ! おまえだってあの男とともにはず、じゃなきゃこんなことにはならなかった!」

「ええ、そうでしょうね、……っ、あなたの創ろうとしている世界は私の本心からの願いです。同じ存在であるあなただから引き継いでくれていたのかもしれない。でも――やはりあなたとは相容れない!」

「チッ!」


 マナが舌打ちする。

 身体を回転させ、伸びた刀身を担ぐようにして振り回す。薙いだ風で紙片が舞い上がる。視界のすぐ横を切っ先が過ぎる。

 身を逸らして回避すると、私は飛び退いて距離をとった。


 片踏マナが吠える。


「本心からの願いを叶えてなにが悪い! 私はもうひとりには戻りたくない……もうおにいにあんな顔はさせられない! ひとりだけの家族を、手放すことだけはしたくない! それすらも許さない現実なんてどこに価値があるの!」


 私だけの正義を言い放つ。


「たしかに理想ですね、それは。幽霊である私たちにとって、生きている彼らは光です。繋がりたいのも理解できる。そんな現実があればいいとも思う。けれど、今の端紙リオには別の夢ができた」


 わなわなと震わせて、殺意がオーラとなり彼女に集まった。


「この……ずや……!」

「あなたのように自分を変える気もなく世界を呪うのは、私の価値観の敵です。私は変わる。変化を求めるのが生きている者だけの特権でないのなら、それくらいは許される。愛しの人と繋がれないのなら、世界を呪うくらいなら、私はいくらでも姿形を変える」


 わなわなと身体を震わせるマナに向かって、私は身構えた。


「あなたを巻き込んだこちらの罪です。片踏マナ。あなたは私自らの手で――殺してあげる」

「このわからずやぁぁああああっ!」


 闇雲に突進してくるマナ。

 手でいくつもの操作をほどこし、『リラシステム』データの貯蔵庫をめちゃくちゃに荒らす。

 ここは密閉された空間と相違ない。彼女は自分たちの存在するこの場所を歪めた。

 バゴン! と空き缶が潰れるように、重々しい衝撃音が響き渡る。

 周囲の本棚は崩れ落ち、壁に穴が空く。

 空は割れたガラス、地面は隆起して陥没した。

 

「くぅ――ッ!」


 散乱するガラスを手に取って、振り下ろされたマナの刃を受け止める。

 勢いを殺すことはできず、踏ん張る足が後方へと押しやられる。

 超特急を止めるようなものだった。大地に突き立てた靴が擦れ、火花をまき散らす。ページの床をかき分けて引かれる線はレールのように真っ直ぐ。埋め尽くす崩壊の轟音に、金切りの叫びが混ざる。

 至近距離。衝撃と割れる瓦礫に包まれて。

 焼き切れそうな意識のなか、私とマナは睨み合っていた。




◇◇◇




 殴り合いの末、片踏キョウの身体が霧のように消えた直後。

 僕は痛む全身にむち打って、立ち上がった。

 そこもかしこも痛んで泣きたいくらいだったが、無視できない異常が起こってはじっとしてられない。


 どこか遠くから響く音は、地震のような速度で迫っていた。それはあっという間に巨大になり、知覚できる情報世界を振動させる。

 次の瞬間。


 斜めに突き刺さっていた塔が――砂埃を吐き出し、折れた。


 視界の先、ちょうど真ん中から爆発が境界を割る。

 染めていた青い空が重々しい音とともに破裂。ダイヤモンドダストのように破片をまき散らし、赤い背景を覗かせる。高層ビルの倒壊を目撃したようなものだった。

 この場所全体が崩れ始めているのかとも思ったが、その認識はすぐに改められる。

 ズンッ、という揺れが足元をふらつかせた。

 僕は堪らず手を着き、ハッと顔をあげる。

 何かが、周囲を巻き込み壊しながら暴れていた。本棚も壁も、何もかもをもろともせず破壊するその様は、突貫工事のドリルだ。こんなに滅茶苦茶にして、蓄積されたデータは大丈夫なのだろうか。などと思ったが、そんなことも言っていられない。


 砂埃を巻き上げる暴れ馬は、ちょうど僕のすぐそばを通りかかったと思うと、一際大きな爆発を起こした。


「っ!?」


 隕石の衝突を目の当たりにした気分だった。

 爆風に吹き飛ばされる紙片の嵐を、腕で顔を守りながら耐える。が、あまりの勢いにバランスを崩してしまい、背中から後方に倒れ込んだ。

 一瞬のできごと。目まぐるしく変化し襲った天災がごとく衝撃が、すぐ目の前に来たのだ。現実だったら間違いなく死んでいたほどの威力なのは疑いようがない。


「げほっ、けほっ」


 咳き込み、薄く目蓋を持ち上げた。

 ……徐々に、視界を埋め尽くす砂埃が晴れていく。

 僕は尻餅をついたまま目を凝らした。原因が停止したおかげか、轟音が休息にナリを潜めていく。細めた視界には、二対の蠢く影だけが浮かび上がった。


 ガラス片を踏みしめる音と、ぱらぱらと紙片が舞い落ちる音が支配した。

 辺りに立ちこめた煙が、少しずつ消えていく。


「――、」


 破壊の限りを尽くす原因の姿を見て、僕は目を見開いた。


「端紙っ!」


 全身ぼろぼろ、砂と血の色で汚れた彼女が息を切らしていた。左腕をだらりと垂らし、片膝で身体を支えている。カシャン、と赤に染まったガラス片が、手から滑り落ちた。

 気怠げな身体を奮い立たせる。

 僕は端紙に駆け寄り、今にも倒れそうな彼女を支える。よく見ると、片目が塞がっていた。血を滴らせ、途切れ途切れの呼吸が息苦しさを物語っている。汗を浮かばせ、じっと先を睨んでいた端紙だが……おぼろげな瞳がふと僕を捉え、光を戻した。


「詩、島……さん」

「しっかり」


 肩を貸して、立たせる。


「ま、だ」

「え?」

「まだ、大丈夫、です」


 僕を弱々しく突き放す端紙。

 待て、と言いかけた口が、しかし閉じられた。


 彼女がよろよろと目指す先のもうひとりを見て、思わず息を呑む。


「なん、で、よ……!」


 悔しさ、苦しさ。怒りと底なしの恨み。けれど今にも泣き出しそうな目をした少女が、立ち上がろうともがいていた。

 肩口から真っ赤に染まっているせいか、片腕だけを地面に突き立てている。


「どうして、いつもいつも、私ばかり……!」


 涙を浮かべて、血の色を混ぜた眼孔が睨めつける。

 その視線の先は、端紙だけではない。唖然と見届けている僕にも向けられた。

 胸の奥が痛んだが、それを苦しげに抑える。


 端紙は何も言わず、ゆっくりと歩みを進める。

 おぼつかない足取りで、一歩、また一歩。


 と、端紙はふいに僕の名前を呼んだ。


「詩島、さん」


 疲労感が表われた声音だった。けれどそれ以上に、なんだか嫌な胸騒ぎがした。


「私、あなたのこと、愛してます」

「……今それを言うのは、やめてくれ」


 まるでお別れみたいじゃないか。

 冗談でもそんな嬉しい言葉は口にしないでほしい。そういうのは、空気を読んで言うものだ。決してこんな場所で使うものではない。


「ふ、ふ、……ふ」


 かすれた笑い。

 僕は耐えきれず、数メートルしかない距離を詰めた。片踏マナへと近づくその背中に腕を伸ばした。

 行かせてはいけない気がした。ここで別れたらそれきりな予感があった。だって彼女が不穏なことを口走るから。


 しかし、伸ばした手のひらは、空を掴んだ。


 『リラ』のデータで構築されているこの空間でも、僕は端紙とふれ合うことはできなかった。

 それがこの場所での特性なのだろうか。それとも、彼女の存在が薄れた結果の透過なのだろうか。

 どちらにせよ、僕は端紙リオを止められない。

 その事実が残酷な現実を突きつけた。絶句して、立ち尽くした。


「端紙……」


 最後のあがきのつもりで、名前を呼ぶ。

 でも、振り返ってはくれない。


 ぽた、ぽた、と血の跡が続く。

 紙片の絨毯に染みこんでいく。


「ごめんなさい、詩島さん」

「やめろ、やめてくれ……!」


 叫ぶように追いかける。追いついても何もできなくて、ただ付いていく。止まってくれと願いを言葉にして。

 なのに、端紙は聞こえていないふりをした。


「ほんと、ごめん、なさい。私はまた、あなたをひとりにしてしまう」


 マナの前で端紙がしゃがみ込む。膝をついて、彼女の抵抗する左腕を払いのけた。


「はし、が……っ、てめっ、ヤ、メ……!」


 ひどく残酷な光景だった。

 端紙は華奢な腕で首に手をまわした。

 僕はぼうぜんとそれを眺めるしかできない。


 非道な行い。チカラを込める端紙の横顔が歪む。

 嗚咽をこらえるように息を吐き出す。不快感というよりも、終わってしまうことへの哀しみに溢れていた。


 閉じられた目から、涙が流れ落ちた。血と混ざって、ぱたた、と床に跳ねた。


「私、またあなたに救われた。できるなら、同じ未来を歩みたかった。できそうに、ないけど」


 その言葉はウソではない。ウソではないとわかってしまう。

 首にまわした端紙の腕を伝って、マナの身体から紫の何かが流れ込んでいた。

 呪詛のようにまがまがしい色は端紙の身体に移り――


「ご、ぼっ……げほっ」


 明らかに良くないモノだ。

 毒を飲んだようにえずく姿に、イヤでも限界なのだと悟ってしまう。信じたくなくて、僕は首をよこに振った。


「は――しが――」


 片踏マナの身体は、ぐったりとして光を放ち始めた。

 未だに抵抗する左腕は、端紙を引き剥がそうと二の腕を掴んでいた。さらに腕が力んだ。

 終わる。

 終わってしまう。

 それでいいのか、と問うもうひとりの自分がいる。どうしようもないじゃないか、と叫ぶ自分がいる。


「端紙っ」

『はい、なんでしょう。詩島さん』

「――っ!」


 声が、ザラついていた。


 古い電話ごしで聞く声に似ていた。彼女の二度目の死を理解した。もうなりふり構っていられない。

 不可能だと分かっていても、彼女には諦めないでほしかった。

 だから、ずっと彼女が抱えていた夢を示す。


「君ははるを手に入れるんだろう! いいのか、ここで逝ったら、もう二度と叶わなくなるかもしれないんだ!」

『……。そう、ですね』


 思い出したように、端紙は動きを止める。

 でも一瞬だけだった。再び、絞める首にチカラを込める。


「どうして!」

『どうしてって……やだな、から、ですよ。詩島さん』

「――、」


 バチッ、と電気が光る。

 マナの首元から漏れる光が一層強くなる。


 僕は目を細めた。

 光のなかで、端紙がわずかに振り返った。


『ごめんなさい、また頼っちゃいましたね。でもありがとうございます。おかげで罪滅ぼしは達成できました。それに、一番の願いも叶えてもらえた。もう万々歳ですよ』


 眩しすぎて、腕で影をつくる。

 もう顔も見えない。ざらついて、色を失っていく声だけしか聞こえない。


「端紙! 待って!」


 消えてしまう。

 消させないと約束したのに、僕にはもう手が届かない。


「僕は、君との未来を――!」


 いろんな約束があったのに、端紙はごめんなさい、と破った。

 何もかもを背負うって決めた。僕らは他人を傷つける罪を半分ずつ背負うと誓った。なのに、格好つけて彼女は消える。


『――詩島さん』


 僕の名前を呼ぶ声がする。

 真っ白で、焼けるようで、何も感じられない。

 手探りで探しながら走った。

 感触があるわけもなく、僕は泣きながら光のなかを探し回った。


「端紙、端紙、端紙!」


 追いかけて、追いかけて。

 意識をかき集めて、彼女の姿を求めた。


 ここに置いてはいけない。この忘れ物は、今を逃せば二度と取り返せなくなる。

 だから行かないで。

 行くな、行くな。



 ――僕のハルジオン。



 記憶がなくたって、僕は君を想っていた。

 日記に綴られた文字を通して。

 駆け抜けるような日々の中で。

 そして目の前に現れてからも、ずっと君を見て、想っていた。


 詩島ハルユキも、今の僕も、端紙リオを愛していた。



 だっていうのに。


 声は。

 どうしようもなく優しく、見送るように、僕を帰した。



『いつかまた、私をみつけて』



 泣きながら、僕は忘れまいと心に刻んだ。

 春の野に咲くような君が、牙を剥いた勇姿を。





◇◇◇




 目を覚ます。


 なまりのように重たい身体。

 それがさらに気怠く、気持ち悪くなっていた。心身共に疲労は限界で、身を起こすだけで吐きそうだ。

 ぐっとこらえて、僕はあたりを見渡した。


「――っ、」


 眩しい。

 視界の隅では、青い服の警察官に取り押さえられ呻く、片踏キョウがいた。


 暗い部屋の四角い箱は依然として稼働している。

 冷たい床の感触が懐かしい。

 でも、状況は一変している。


 入り口を塞いでいたはずの隔壁はなくなり、僕の周囲を複数の白いライトが取り囲んでいた。

 細めた目が、キョウを取り押さえる人影と同じ服装を捉えた。


 ――ああ。

 現実に、戻ってきてしまった。


 僕は警戒する彼らを無視して、携帯を取り出そうとした。

 そこに端紙リオがいることに、一縷いちるの望みをかけて。


 ダン、と痛みが走る。


 次の瞬間、僕はキョウと同じく、床に押さえ付けられていた。

 確認することさえ許されなかった。


 床を滑った携帯に腕を伸ばして、ノドが一言だけ、名前をこぼした。



「……端、紙」

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