第10話 公爵家の企み(裏)
ここは我が公爵家の一室。普段は騎士団長なんて役職やっているが、屋敷に帰えればただの気の良い一家の主人。
先日一族の不祥事で少々王都を騒がせてしまったが、それも偶然居合わせた姉妹のお陰で解決の糸口が見えた。現在は逃亡中の
「旦那様、少しよろしいでしょうか?」
「どうした、二人揃って」
丁寧に揃えられた公爵領の書類を確認していると、やってきたのは妻のフローラと執事のローレンツ。
この二人は度々この部屋を訪れるが、二人揃ってというのは正直あまり記憶にない。ローレンツが訪れるのは仕事がらみであり、フローラが訪れるのは屋敷の事か茶会などで仕入れた情報などを伝える為。それがここ最近、なぜか二人揃ってこの部屋を訪れる事が多くなった。その原因は現在この屋敷で預かっているアリスという少女。
フローラの話では地方にある騎士爵家の出身らしいが訳あって独立。その道中の乗合馬車で偶然出会うのだが、彼女がいなければ自分たちの命はなかったと聞けば、夫として感謝の末に何か礼を用意しなければいけないだろう。
それなのにあの姉ときたら、明日着る服と下着が欲しいと言ってきたのだ。
これには流石の私も驚いた。明日着る服という事はドレスの類ではないだろうし、下着と言ってもかかる費用はたかだか知れている。これでは公爵家として示しがつかないと、こちらから追加の礼を押し売りしたのは初めての経験だった。
結局姉の仕事をローレンツが探すという事で一旦は落ち着いたが、フローラとユミナが随分姉妹を気に入ってしまい、どうやらこのまま簡単には手放す気はないようだ。
まぁ、あの堅物のジークが初めて女性として意識していたと聞けば、父親としても気になるところではあるのだかな。
「実はアリス様の事でお話があるのですが、その前にディオンの処遇をご相談させてただいてもよろしいでしょうか?」
「ディオンか、あいつが犯してしまった罪は見過ごせぬが、何とかならんか? 料理人の見習い時代から長年公爵家に仕えてくれたのだ。今回の一件も元をたどれば兄上が関わっておるのだし、聞けば息子を人質に取られておったというではないか」
今回フローラ達がの乗る乗合馬車が襲われた原因、それはいま名を上げたディオンが関わってくる。
父の時代から長年公爵家に仕え、若くして料理長を任されるほどの腕を持ち、私とも若い時から付き合いがあるディオンは、今回息子を人質に取られた事で山賊達に脅されてしまった。
その結果こちらの囮作戦がバレてしまった訳だが、最終的に山賊の狙いが分かり、ディオンは自身と息子の身を犠牲にしてまで、騎士団に知らせてくれたおかげで素早く救出へと向かう事が出来たのだと、現場を指揮した騎士長からそう報告を受けている。
「旦那様のお気持ちはわかりますが、やはり公爵家に関わる施設には置いておけませんし、内容が内容ですので公爵家からの推薦状もはやり……」
ローレンツの立場としてもやはり難しいか。
ディオンが公爵家を売ったという噂は既に広まりつつある。本人が直接騎士団に名乗りを上げたのだから口止めは難しかっただろう。
そんな人間をいまだ公爵家で雇っていると知れば、あの当主は使用人が悪事を働いても許してもらえると勘違いをし、今後悪意ある者が公爵家の人間に近づくとも限らないし、他家に推薦状を書くにしても、今度は公爵家そのものに不信感を抱かれてしまう。
「やはり難しいか……」
私にとっては心の許せる数少ない友人の一人ではあるのだがな……
「そこでご相談なのですが」
「ん? 何かあるのか?」
「はい。まずはこちらを」
「なんだこれは、菓子か?」
一瞬ディオンを救う手立てがあるのかと期待するも、差し出されたのは白いクリームの様なものが載ったお菓子。
それをフローラとローレンツに促されるまま一口食べると。
「ほぉ、美味いな。私にとっては少々甘すぎるが、女性達にはうけるのではないか?」
この季節では珍しい程よい冷たさ、口に入れた際の口触りもいいし、白いクリームは口に入れるだけで溶けてしまい、生地の方も味わったことがないほど柔らかい。
私個人の好みを言うなら、もう少し甘さを控えて大人のほろ苦さが欲しいところではあるが、甘い物に目がないユミナやフローラには丁度いいのではないだろうか。
「どこで買ったのだ?」
「驚くかもしれないけれど、これアリスちゃんが作ったのよ。それも本人は味を確認する為につくった試作品として」
「はぁ? あの少女が? 私はてっきりディオンの代わりに、高級菓子店から引き抜きの話を聞かされるかの思ったぞ」
「やはり旦那様もそう思われますよね」
おいおい、あの少女の確か16歳だぞ。王都でもその年齢で働いている者はいるが、所詮は何の技術も持たない見習い未満だ。あのディオンでさえ皿洗いから見習い期間を終え、ようやく一人前へと成長していったといのに、それがわずか16歳の少女が高級菓子店顔負けの物を作ったのだという。
「間違いないのだな?」
「複数の料理人たちが側で見ていたという事なので間違いないかと」
「ふむ」
これはもしやとんでもない原石を見つけたのかもしれない。
どの時代にも歴史を築いた賢人という者達が存在する。それは学者であり、政治家であり、時には騎士達でもあるわけなのだが、その中で最も埋まりやすいのが料理人達だと言われている。
その理由は至って簡単。レシピさえわかれば誰にでも簡単に真似が出来てしまうから。
例えば最近王都で流行っているパスタだが、最初は片田舎で食べられていた郷土料理だったものを、たまたま立ち寄った王都の料理人が、試しに売り出したのがキッカケだと言われている。
結局王都でパスタを売り出した店の方が有名になってしまい、今ではだれも片田舎で食べられている郷土料理だとは思われてもいない。
この場合、地方で郷土料理を生み出した者も評価されるし、田舎の郷土料理を高級料理にまで押し上げた者も評価される、つまりはその辺りがあやふやなってしまうのだ。
「それでローレンツ、お前は一体何がしたい? このままアリスを公爵家の厨房に入れたい訳ではあるまい」
「もちろんです。今後アリス様を公爵家に迎える可能性があるのなら、やはりここは世間を認めさせるほどの実績が必要でしょう」
「確かにな」
名家のご令嬢ならいざ知らず、地方の騎士爵ともなればどんな陰口を叩かれるかわかったもんじゃない。その程度で公爵家が揺るぐはずもないのだが、アリス本人は相当ストレスに感じることだろう。
「そこで相談なのだけど、アリスちゃんにお店を持たすというのはどうかしら?」
「店?」
「えぇ、ローレンツとも話したのだけれど、このケーキをこのまま地に埋もれさすのは勿体ないわ。それにまだ試行錯誤をする余地はあるみたいだし、聞けばいろんな種類も作れるそうなのよ」
「ほぉ、他にもまだ作れるのか」
確かに店とスタッフさえ公爵家で用意すれば、アリスが店を開く事も出来るだろう。この菓子もまだ完成品ではないという話しだし、試作を繰り返しながらフローラが茶会で振舞えば、オープンと同時にそれなりの人数は押し寄せるはず。
しかしフローラもローレンツも面白いことを考える。
これほどの菓子で店を出すとなると、味と珍しさで一躍王都中で有名になるだろう。普段から暇を弄ぶご婦人にはいい話のネタになるし、店のオーナーが16歳の少女となれば、陛下が取り組む女性軽視の改善の声も再び盛り上がるかもしれない。
「いいだろう。それで店の運営は誰に任せる?」
「その事なのですが、アリス様にお願いしては如何でしょうか?」
「アリスに? だが経営の知識などあるまい?」
「えぇ、ですがそこは私が直接教育すればいいことですし、アリス様の可能性を公爵家で縛るのはどうかと思いまして」
「つまりローレンツはアリスの店を公爵家から切り離すと考えているのか?」
「左様でございます」
ふむ、いささか不安ではあるところだが、ローレンツがここまで認める人間など見たこともない。
公爵家としても今更利益を求める事もないだろうし、仕事を斡旋すると言った手前、店を開いて責任をすべて押し付けるというのもおかしな話だ。ならば店ごと与え、あの少女の成長を促すのも悪くないのかもしれない。
フローラも随分とアリスの事をかっておるし、ユミナなんぞ姉と呼んで懐いておる。そして今回ついにローレンツまでもが特別扱いをし始めおった。
これは私もそろそろ見定める時が来たのかもしれん。
「ローレンツ、今探しているアリスの仕事はどうなっておる?」
「いくつか良いお声は頂いておりますが、奥様に止められておりますので」
「すべてキャンセルさせろ。そして明日からお前自身がアリスの講師となって教え込むのだ、場合のよっては商会の方に連れ回しても構わん」
「畏まりました」
「フローラ、空き時間にアリスの礼儀作法を見てやってくれ。それと妹の方だが本人達と相談して学園に通わせてはどうだ? なんだったらユミナと同じ学園に通わせても構わん」
「そうね、アリスちゃんは妹を溺愛しているもの。学園に通わせるのも夢だと言っていたから喜ぶんじゃないかしら」
もし二人が言うようにアリスを今後公爵家に迎えるのなら、今から教育しておくのも悪くはない。それに貴族相手の商売になるだろうし、今後パーティーや茶会などの機会も多くなってくるだろう。
妹の方は手厚く扱う事で、多少公爵家に恩義を感じてもらえればいい。少々16歳の少女に使うには姑息な手だが、繋ぎ止めて置きたいという考えは私も共感出来る。
あとは肝心の店とスタッフの方だが……
「店の方は公爵家が管理している屋敷が幾つかあったであろう。その中から一番立地が良い場所を選ぶと良い。内装の工事の方はアリスの希望を聞きながら進めてやれ、あとはスタッフの方だが」
「旦那様、スタッフの一人としてディオンとその息子を採用したいと思います」
やはりそういう事か。
ローレンツの事だからこのままディオンを見捨てないだろうとは思っていたが、よもやここで出してくるとは。
長年公爵家の料理場を預かって来たディオンの腕前は誰もが認めるところ。今回の一件で公爵家では雇い入れられなくなったが、独立したアリスの店でなら問題はない。寧ろ即戦力として力になってくれるだろう。
あいつもフローラ達を救ってくれたアリスには随分感謝しておったし、息子を一緒に働かせれば、同じような過ちは二度と繰り返す事ないだろう。
「私からも良いかしら? アリスちゃんの身の回りのお世話役として、カナリアを付けたいのだけれど」
「カナリアをか? だが彼女はお前のお気に入りだろ?」
「そうなのだけれど、あの子随分アリスちゃん達に後ろめたさを感じちゃってるのよ」
その報告は受けている。
聞けば山賊達に襲われた際、カナリアは人質になっている姉妹を見捨てようとしていたのだと。
だがこの行為は公爵家に仕えるものとしては正しく、ローレンツもまた同じような教育を施している。少し残酷な話には聞こえるだろうが、こればかりは彼女を責める事はできないだろう。
「だがその話は直接本人達に謝罪したと聞いているぞ」
「そうなのだけれど、アリスちゃんなんて答えたか知っている? 悪いのは山賊達であって、カナリアは悪くないって言ったのよ」
聞けばアリスはカナリアの謝罪に対し……
『えっ、でもそれってカナリアさんは悪くないですよね? 結果的にエリスを助けようとしてくれたわけだし、私がカナリアさんを助けたのだって、カナリアさんがいてくれれば心強いなぁ、程度のものだったんですよ。だったらお互い貸借り無しでいいんじゃないですか? 悪いのは全部私のパンツを踏みつけたあのスキンヘドです、カナリアさんは悪くないですよ』
だそうだ。
こう言われてはカナリアの方もスッキリはしないだろう。
これがもし馬鹿なご令嬢ならば、散々罵詈雑言を並びたてた挙句、近くの物を投げつけたりして暴れるのではないか。
「まぁ、本人が望むのなら止めはせんが。取り敢えずは公爵家からの出向扱いでいいだろう」
「えぇ、そのつもりよ。カナリアにはアリスちゃんの護衛と、あと悪い虫を近づけさせないよう指示するつもり」
「……」
まったく呆れた、フローラはよほどアリスの事を気に入っているのだろう。
これでも私は公爵である前に一人の親、娘や息子の幸せを望むし、着飾るしか脳がないどこぞのご令嬢達など、公爵夫人は務まらない。
そう考えるとフローラは自分の後となる公爵夫人の座を、アリスに託しても問題ないと判断したという事か。
しかしあの子なんと心が強い少女なのだ。命を落としかけたというのに、その原因であるフローラ達を一切責めず、許しを請うカナリアまでもアッサリと受け入れてしまった。
もし二人を気遣っての言葉なら、ここまでフローラは入れこまないだろうし、その言葉に嘘偽りがないからこそ、カナリアも未だに気に病んでいるのだろう。
これは面白くなってきたな。果たしてアリスはどう化けるか、今から彼女の成長が楽しみだ。
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