恋愛協定

あお

第1話 出逢い

 ――クラス替え。それは学生にとって、世界そのものが変わる瞬間だ。

 教室が移動し、先生が変わり、仲の良い友人と分かれ、そして恋に出会う。

 ここ二月北中学校でも、三人の男子生徒に春がうごめいていた。


 新学年の四月。

 その月末にもなれば、生徒は互いに気の合う仲間を見つけ、グループを作っているのが普遍的な光景だ。

 例にもれずここ二年三組の教室でも、二人の男子が友情を育んでいた。

「なあ、次の国語って漢字テストあったっけ?」

 尋ねたのは安藤辰巳。身長は二年生男子の平均ほどで、元サッカー部ということもあり、体つきは良い。少し奥手な性格で仲良くなった友人としか話せない。

「あるにきまってんだろ。あのオバサンが漢字テストやらないなんてありえねぇ」

そんな辰巳に応えたのは橋本祐希。辰巳よりも少し背が高く、切り分けた前髪は爽やかさを演出しているが、女たらしの性格で女子からの評判はよろしくない。ただ一点、誰にでも気軽に話すことのできるコミュ力は、クラスの中心人物になり得るほど長けている。

「祐希は去年もあの人が国語だったのかぁ。災難だね」

「ちがいねぇ。二年もあのババアなんて、俺なんか悪いことしたのかなぁ」

 本気で思案顔になる祐希を見て、辰巳はゲラゲラと笑い出す。

 二人はクラスの隅っこで、それでも確実に友情を深めあっていた。

「お前も笑ってる暇ないだろ。漢字の勉強やってんのかよ」

「あ……」

 辰巳はいまの時刻を確認する。国語の授業まで、あと五分だった。

「やっべぇ!」

「はははっ! じゃあ俺は高みの見物させてもらうわ。がんばれよ」

 目をひん剝き、必死に漢字を覚えようとする辰巳を見て、祐希はゲラゲラと笑っていた。


 一〇分後、漢字テストは滞りなく行われ、辰巳の顔は少し青ざめていた。次はしっかりやらねばと内省していると、左隣の女の子がひっそり声をかけてきた。

「(ねぇねぇ、今日教科書忘れちゃって……見せてくれない?)」

 女の子は辰巳をぐっと下から見上げている。本人に自覚はないだろうが、上目遣いと呼ばれるそのいじらしい表情は、辰巳の心をわしづかみにしていた。そのため、辰巳が彼女に答えるまで数秒の時間があった。

「(あ、あぁ。いいよ)」

 そういうと彼女はニコッと笑い、自分の机を辰巳にくっつけてきた。

(やばい。なんだこれ。心臓バクバクする。なんだ、これ)

 辰巳にとってこれが初めての一目惚れとなった。

 授業は近代作家の物語で、いつもは解説される物語に面白みを感じていた辰巳だが、今日は全く頭に入ってこない。黒板しか見つめていない、黒板しか見つめられないのに板書の手すら動かない。

 コンコン――

 机をたたく音が聞こえて、反射的に体をびくつかせる辰巳。隣からはクスクスとこぼれ笑いが聞こえてくる。

 辰巳が机を見ると、広げてあったノートの上に、可愛らしい丸文字が羅列されていた。

〈はじめまして。私は渡邊春華。教科書見せてくれてありがとね〉

 春華は〈ありがとね〉という文字に指を置くと、辰巳に視線を合わせてほほ笑んだ。そしてまだ何も書かれていない空白部分を優しく叩く。〈なにか書いて〉というメッセージだろう。

 辰巳は、

〈はじめまして。僕は横山辰巳です。よろしくお願いします〉

と、少し揺らいだ字で答えた。

 春華が再び何かを書きだす。

〈横山くんね、よろしく。漢字テストできた?〉

〈全然ダメだった。渡邊さんは?〉

〈わたしもー。テストあるなんて知らなくてさ。横山くんたちが話してるの聞こえて、こっそり焦ってた〉

 恥ずかしそうに笑う春華。横目でそれを見る辰巳だが、平静を装い目線を自分の手に移す。

(だめだ。かわいい。しかも僕の話が聞かれてたなんて。ちょっと嬉しい)

 二人は授業が終わるまで、ノートにびっしりと互いの言葉を埋めあっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る