第7章 摂取しますか?

 インターホンが鳴って玄関のドアを開けると、宅配便の配達員が立っていた。領収書にサインか印鑑をするように頼まれたので、ドイツ製のボールペンで格好良くサインをすると、持っていた箱を手渡された。ドアを閉めてリビングに戻り、僕はその箱をテーブルに置く。現在も例の古文書の解析作業中だったから、置かれていた紙類のいくつかが宙に浮かび、重力の影響を受けてまたはらはらともとの位置に戻っていった。


「それ、何?」荷物を指差してリィルが尋ねてきた。


「荷物だよ」僕は答える。


「いや、そんなことを聞いているんじゃなくて」


「じゃあ、箱だよ」


 座ったまま、リィルは上目遣いで僕を睨みつける。なかなかにセクシーで、なかなかにキュートな表情だったが、彼女のベストショットになるポテンシャルを秘めているようには思えなかった。


「僕に訊かれたって、知らないよ」僕は澄ました顔で答える。「開けてみないと、中身は分からないだろう?」


 箱はガムテープで蓋の部分が閉じられていたので、僕は鋏を使って切り込みを入れた。中には空気の入ったビニール製の緩衝材が入っており、その下にスチール製の缶が入っていた。正方形をしていて、両手でないと持てないくらいの大きさだ。裏返してみると、賞味期限が記載されたシールが貼られている。表示を確認すると、中身はビスケットのようだった。


 送り主は僕の友人だった。けれど、もちろん、僕の方からこのような品を注文したわけではない。基本的に飲食物を配達してもらうことはないし、彼に注文を依頼することもない。何かのプレゼントのつもりかもしれないが、特に思い当たる候補はなかった。


「へえ、よかったじゃん」勝手に缶の蓋を開けて、リィルが呟いた。「きっと、仕事のお茶請けのつもりで送ってくれたんだよ」


 その可能性もないとは言い切れない。僕たちはその友人から仕事を紹介してもらっているからだ。彼は様々な依頼を集約する仕事をしていて、僕たちもその中から仕事を引き受けている。だから、彼が僕たちの現状を把握していること自体は不思議ではない。


「そんなこと、するかな」缶の中を覗き込みながら僕は言った。「お茶請けなんて送って、何になるっていうんだろう」


「君さ、何になるっていう言い方、おかしいよ」リィルは僕を見て話す。「別に、特別な意味があるとは限らないじゃん。単なる思いつきで、ぽんっと送ってきただけかもしれないし」


「彼に限って、そんなことはない」


「なんで、ないって言い切れるわけ?」


「理由はないけど、なんとなく」


「適当すぎるよ」


「それを言ったら、こんな贈り物を何の疑いもなく受け取る方が、適当だよ」


「美味しいものを送ってくれるんだから、親切心からに決まっているじゃん」リィルは僕の意見を一刀両断する。「じゃなきゃ、こんなにいい品を送ってくるはずなんてないし」


 僕の意見も、リィルの意見もともかくとして、彼がものを送ってきて、僕たちがそれを受け取ったことに変わりはないから、とりあえず、荷物は手もとに置いておくことにした。彼には定期的に仕事の進捗状況を報告するので、そのときにどういうつもりなのか聞いておこうと思った。


 ビスケットが入った缶をキッチンに運んで、僕は再びリビングに戻る。ついでにコーヒーをカップに注いで、それを飲みながら作業の続きをした。


 古文書の解析は、ついにほかの資料も参照する段階に進んでいた。それを「進んでいた」と表現するのが適切なのかは分からないが、少なくとも、僕は進捗には違いないと考えていた。


 それまで問題にしていた一冊の本だけでは、成果が得られない可能性が高いと判断したのだ。考察しても何も思いつかないし、探し回る当てもないから、何の手がかりも得られない。まだ手をつけていない資料がいくつか残っていたので、そちらを先に当たってから、あとでまたその本に戻ってくることにしたのだ。


 しかし、それは表向きの理由でしかなかった。実は、僕には気がついたことがあって、それが成果に繋がる可能性があると考えていた。だから別の資料を消化する作業を先にすることにしたのだ。僕が何かに気がついたことに、今のところリィルは気がついていない。指摘されたら素直に答えようとは思っていたが、彼女はだらだらと資料に目を通しているだけで、そんな気配は微塵も見られなかった。


 例によって、リィルはルーペを使って古文書を読んでいる。見た目だけはベテランの考古学者という感じだが、それっぽいことをするほど、本当のそれからは離れていくというのが、世の理のように思える。本物の探偵は、ベレー帽も被らなければ、優雅にパイプを吹かしたりもしない。サラリーマンと同じようにスーツを来て、サラリーマンと同じような足取りで犯人を尾行するのだ。


「それさ、何のためにやっているの?」ついにルーペの二刀流を始めたリィルに、僕は質問した。


「よく見えるようにするため」リィルは端的に答える。「ほら、凄いよ。こうやって重ねがけすると、文字もより大きく見えるようになる」


「それはよかったね。おめでとう」


「文字が大きく見えるのって、面白いなあ」リィルは一人で話す。「普通に読むのとは違う趣がある。まるで蟻になったみたい」


「蟻は文字なんか読まないよ」


「読むというより、文字の上を歩く感じだよね。……文字の上を歩く。なんか、慣用的な表現って感じでいいなあ」


 リィルはベレー帽も所持しているので、ルーペとセットで使えば、本当に探偵みたいに見えるかもしれない。コスチュームとしては格好良いが、その格好で表を出歩いたら、職務質問を受けるに違いない。


「で、何か、新しい発見はありましたか、ホームズ先生」


 僕が質問すると、リィルは声色を変えて答える。


「現在調査中である。暫し待たれるがよい」


「暫しって、どのくらいですか?」


「うむ、そうだな」リィルは一度頷く。「ざっと、三百光年というところだろうか」


 僕は手もとにある資料に集中する。今見ているものには、所々英語で表記されている部分があった。翻訳書の類だからだ。この手のものは読むのが大変だが、読んでいて面白いのも事実だ。言語を比較するのは興味深い。言語は一定のルールのもとに成り立っているが、そのルールの在り方が言語によって異なる。これは世界の捉え方が違うということでもある。使用する言語によって、世界が違って見えてくるというのは、驚くべきことだろう。目の前にあるのは一つの同じ世界なのに、捉え方や表し方によって、人によって世界は別のものに姿を変えるのだ。


「私さ、もう飽きちゃったよ、この作業」


 いつもの口調に戻って、リィルが言った。


 脳の領域の数パーセントを使って、僕は口を開く。


「昨日も同じことを言っていたよ」


「だって、つまらないんだもん」リィルは後ろに倒れた。「あああ。やっぱり、内に篭っているより、外に出た方が楽しいなあ」


「出ればいいじゃないか」


「そんな言い方しなくてもいいじゃん……。私だって、充分頑張っているんだから。もう少し褒めてくれてもいいんじゃない?」


「話の前後関係がおかしいよ。頭が回っていない証拠だね。いや、意図的にエネルギーを使わないようにしているのかな?」


「言葉を紡ごうとすると、意外とエネルギーを消費するからなあ」


「全然意外じゃないと思うけど」


「でもさ、私たち、普段から、それを当たり前にやっているわけでしょう? 何も考えずに話しているんだから……」


「言葉を使わない人もいるけどね」


「どこに?」


「ここに」僕は自分を指差す。


「使っているじゃん」


「うん、そうだね」


「え、何が言いたいの?」


「別に」僕は首を傾げる。「何も言いたくないけど」


「普通、思考って、順番には展開されないものだよね」頭を使っているのか、いないのか、リィルは普段口にしないようなことを口にする。「出力するときに順番に並べるだけで……。つまり、二度考えているってことだよね。一度自分の中で考えたことを、外に出すときにもう一度考え直すというか。だから余計にエネルギーを使うんだろうなあ」


「面倒なら、考え直さなければいい」僕は意見を述べる。「自分の中で出てきた通りの順番で、外に向かって出力すればいい」


「だろにだってだなならまる」


「え?」僕は思わずリィルを見る。「それが、自分の中で出てきた順番?」


「無理だよ、そんなの」リィルは笑った。「君はできるわけ?」


「だから、僕は言葉を使わないから」


「はいはい。素晴らしいね、おめでとう」


「他人のネタを使うのは、愛情表現か、そうでなければ皮肉だね」


「私ね、昔、自分で言語を作れないかと思って、試したことがあるんだ」


「昔って、どのくらい昔?」


「それでね」リィルは僕の質問を無視する。「自分で表記法まで作るのは難しいから、日本語の平仮名と、アラビア数字だけ使うことにしたんだけど、これが、もう、ごちゃごちゃになっちゃって、やめちゃった」


「歴史がないと成り立たないよ。現役選手は、苛烈な戦いを勝ち抜いてきたんだから」


「たとえば、今から、『リンゴ』という言葉が、ミカンを表すとするでしょう? でもね、私たちの頭には、すでに『リンゴ』はリンゴを表すという回路が出来上がっているから、無理なんだよね。英語を勉強していると、そういう感覚に陥ることがあるじゃない? 発音は日本語に似ているのに、意味が反対だったりとか……」


「まあ、母語ではない言語を習得するのは、誰だって難しいものだよ」


「そうなんだよなあ……。なんで、一種類しか習得できないんだろう」


「それで充分だからじゃないかな」


「でも、現代ではそうはいかないじゃん。二つとか、三つ使えた方が、アドバンテージは高いわけでしょう?」


「一つも使えない状態と、一つは使える状態を比較するんだよ」僕は考えながら話す。「まったく使えないと、コミュニケーションが成り立たないけど、一つでも使えれば、翻訳するなりして、とりあえずコミュニケーションは成り立つ。動物の能力は、とりあえず、というところで留まるようにできているんだろうね。たとえば、指が六本あれば便利だけど、五本でも、とりあえず、色々なことができる。うん、つまり、生き物は最低限の能力の集合体なんだ」


「じゃあ、言語自体はどうなの?」寝転がったまま目だけこちらに向けて、リィルは僕に尋ねる。「言語の場合、新しい言葉が頻繁に生まれるじゃない? それはどう説明するわけ? 必要最低限という観点からでは、説明できないと思うけど」


「データとしては小さいからかな……」手もとに目を向けたまま僕は話した。「言葉が一つ増えるくらいなら、大した負担にならないのかもしれない。新しい言語を丸々身につけようとすると、莫大な時間と労力が必要になるけど、言葉一つくらいならどうってことはないだろう? でも、指が一本でも増えたら、個体が消費するエネルギーの量は大幅に増加する。地球上に存在するすべての人間がそうなれば、総計で莫大な量になるだろうね」


「うーん、なんか、ぴんとこないけど……」自分の両腕を頭の下に敷いて、リィルは応える。「まあ、理屈で考えようとしても、無理なのかな」


「理屈以外に、何で考えるわけ?」


「こうやって、考えているときにも、言葉を使っているわけだし……」


「うん、そうだよ。その前提に立って、僕たちは考えているんだから」


 リィルと話している内に、何だかお腹が空いてきたので、僕は先ほど届いたビスケットを食べることにした。文字情報を処理するくらいでは、あまりエネルギーは消費しないみたいだ。やはり、物を相手にするのと、人を相手にするのでは、後者の方が負担が大きいのだろう。僕が対人の仕事を選ばなかった理由もそこにある。


 ビスケットは様々な種類があったが、どれも同じ形で、四つの小さな正方形が集まって、一つの大きな正方形を形作っていた。隣り合うものは色が異なるようになっている。度々目にする形状だが、なんという名前なのか僕は知らなかった。ビスケットの名前など調べたことがない。調べようかなと思っても、食べ始めると味の方に意識が向いてしまって、美味しさに浸っている内に調べることを忘れてしまうのだ。


 一枚齧ると、ビスケットの味がした。ちなみに、僕はビスケットが何からできているのか知らない。たぶん、この手のものはすべて粉からできているのだろうが、何の粉が使われているのか分からなかった。小麦粉か、あるいは薄力粉だろうか。いや、薄力粉は小麦粉の一種だったような気がするが……。


「どう? 美味しい?」


 飲食のしないリィルが、僕に尋ねてくる。


「うん、まあ」


「美味しいの? 美味しくないの?」


「美味しいよ」僕は素直に答えた。「でも、味覚がちゃんと機能しないから、僕の意見なんて当てにならないよ」


「何、味覚が機能しないって」


「味音痴なんだよ。知っているだろう?」


「味が分かるだけましだよ」リィルは口を尖らせる。「私なんて、味の概念が分からないんだから」


「うん、そうだね」僕は適当に頷く。「理解できない概念があることを、理解できるって不思議だなあ」


 ビスケットには色々な味があった。どれも同じ種類だが、味の組み合わせが異なる。ココアとバターの組み合わせや、抹茶とバターの組み合わせがあった。どういうわけか、ココアと抹茶の組み合わせはない。一方は必ずバターになっている。


 ビスケットを食べながら、ビスケットとクッキーの違いは何だろう、と僕は考えた。見た目も全然違わないし、食べ比べても味の違いは分からない。そもそも違いはあるのだろうか。少なくとも、ご飯とパンほどの違いはない。新聞紙と分身くらいは似ているかもしれないが……。


「感覚が分からないって、どんな感じなの?」ビスケットを頬張りながら、僕はリィルに尋ねた。


「どんなって……。普通に、何も感じないってだけだけど」


「その感覚が分からない」僕は考えを述べる。「たとえば、手が麻痺していても、ものに触れたら、触れたことは分かるだろう? たとえ、それがどんな手触りなのか分からなくても」


「うーん、私には、もともと味覚がないから……」リィルは上を向く。「じゃあ、夢を見ている感じとでも言えば、伝わるかな? 夢の中で走っているみたいな……。夢の中では、いくら走っても疲れないでしょう? つまり、その世界では疲れを伴わないものとして認識されているわけで」


「うん、余計に分からない」


「まあ、たぶん、分からないんだよ、私にならない限り」


「でも、分かりたい」僕は少し笑って言った。「やっぱり、自分には理解できないと言われるほど、理解したくなる」


「よかったじゃん。私と一緒にいる理由ができて」


「理由がなくても、一緒にいるよ」


 僕はリィルを見つめる。


「気持ち悪い」


 リィルは暴言を口にした。


「酷いじゃないか」僕は抗議する。「思っていることを、素直に口にしただけなのに」


「思っていることを、素直に口にしたら、気持ち悪いんだよ」リィルは意気揚々と話す。「ああ、今、トイレに行きたいとか、王子様とデートしたいとか言ったら、気持ち悪いでしょう?」


「そうだよ。人間って、もともと気持ち悪い生き物なんだから」


「私、人間じゃないし」


「比喩だよ」僕はコーヒーを飲んだ。「普段は意識していないだけで、人間は気持ちの悪い形をしているじゃないか。ぎょろりとした目が二つあって、鼻には二つも穴が空いていて……。唇も妙に分厚いし。手や足なんか、指が五つも付いているんだよ。頭にも毛が無数に生えているし。それを簡略化したアニメの絵なんて、もっと気持ち悪いよ。もとが気持ち悪いのに、無理に美化しようとするんだから」


「でも、普段は意識しないわけでしょう?」


「ときどき意識する」


「それは、君がそういう人だからだよ」リィルは言った。「そうそう。つまり、気持ち悪いのは人間じゃなくて、君ってこと」


「失礼すぎる」


「うーん、でも、気持ち悪いと分かっていても、自分の好きな人は綺麗に見えるから、不思議だよね」


「そういうときは、生物学的な目で見ているからだよ。いや、生物学的というよりも、本能的と言った方が正しいかな」


「そういうふうに、プログラムされているってこと?」


「でも、僕にも、君にも、そのプログラムは必要ないはずだ」僕はビスケットの個包装を開ける。これで四枚目だった。「それなのに、どうして、僕たちにはそのプログラムが残されているんだろう?」


 僕のその一言で、リィルは黙ってしまった。それが禁句だったわけではない。リィルも考えているのだ。彼女自身にも関係のあることだからだろう。


 僕もリィルも人間ではない。人間をモデルに作られているだけだから、都合の良い部分は残し、都合の悪い部分はオミットすることもできたはずだ。しかし、実際にはそうなっていない。いや、作り手にとっては、これでも都合の善し悪しを判断をした結果なのかもしれないが……。


「……どうして、私たちは、彼女がいる方に向かっているのかな?」


 リィルが疑問を口にする。彼女というのは、僕とリィルの作り手のことだ。


「分からない。それすらも、プログラムされているからかもしれない」


「それでいいの?」


「僕には分からないよ」僕は軽い口調で答えた。「君はどう考えているの?」


 僕が尋ねると、リィルは下を向いて考え始める。僕は彼女の考えている顔が好きだ。そうしている彼女の顔が、一番ベストショットになる可能性が高いように思える。


「実は、何も考えていない」リィルは答えた。「ただ、目の前にある課題をクリアしようとしているだけで……」


「僕も同じだよ。だから、その結果として、彼女のいるところに辿り着くのなら、それはそれでいいんじゃないかな。たとえ、それが定められていることだとしても」


「でも、それじゃ生きている感じがしない」


 リィルの言葉を聞いて、僕は笑った。


「生きている感じなんて、普通しないものだよ。僕たちは好き好んで生きているんじゃないんだから。生かされているんだ。生まれてしまったから、仕方なく生きているんだよ」


「それは、私たちが人間じゃないから?」


「人間だって同じだろう? 生き物は皆そうだ。動物も、植物も、自ら望んで生まれたんじゃない」


「星も?」


「星?」僕はリィルを見る。彼女の突拍子もない発想の中で、状況に即したものに直面するのは久し振りだったから、反応するのが少し遅れてしまった。「ああ、そうだね。物理的なプログラムが先にあるから、星も生まれたんだろう」


 リィルは黙り込む。彼女が黙ったから僕も黙った。


 僕は立ち上がり、テーブルの上の資料を眺める。それから、いくつかをグループに分けて、整理した。こんなふうに、人生の様々なイベントも都合の良いように整理できたら良いが、そうはいかない。もちろん、纏まりがないから面白いというのもある。煩雑さと面白さは表裏一体だ。纏めようとする人間の意思があるから、学問は成り立っている。


「私たち、何を考えているんだろうね」リィルが口を開いた。「こんなこと考えて、馬鹿みたい」


「でも、考えている最中は、馬鹿みたいだとは思わないだろう? それが重要なんだよ。宇宙がどのように生まれたのかを考えたって、何にもならない。でも、考えることが大事なんだ」


「こういうことを考えたあとって、いつも、ああ、自分って馬鹿なんだなって思うんだ。なんか、恥ずかしいことをした気分になるというか」


「そんな自分を、認める能力が求められるね」


「自分を認めるのは、苦手だからなあ」


「そうなの?」不思議に思って僕は尋ねる。「けっこうな自信家だと思っていたけど」


「自信はあるけど、それすらも疑わざるをえないような状況になるでしょう? それでも自信があるって言えるかどうか……。私は、そこまで安定していないと思う」


「へえ、いいことを聞いた」


「君は?」


「僕?」


「君は、自信家じゃないの?」


 資料を纏めながら、僕は答える。


「僕は、努力家だから」


「努力は自信には繋がらない?」


 彼女の言葉を聞いて、僕は笑った。


「繋がらないね。むしろ、努力するほど、自信がなくなっていく」


 携帯端末に電話がかかってきて、僕は表示を確認して応答した。かけてきたのは、この仕事を僕たちに紹介した友人だった。ビスケットを送ってきた張本人だ。


「やあ、久し振り」応答ボタンを押すと、電話の向こうから彼の声が聞こえた。「どう、調子は」


「普通だけど」僕は素っ気ない態度で答える。


「なるほど。苦戦しているようだね。彼女と二人で目を回している姿が、目に浮かぶよ」

 僕はその場で一度目を回してみる。目と一緒に首も回りそうになった。


「あのビスケットは、どういうつもり?」僕は気になっていたことを尋ねる。「何か、プレゼントを贈るようなイベントがあったっけ?」


「あれね、僕の手作りなの」


「え?」


「いや、嘘」友人は笑った。「うちに眠っていたから、毒味してもらおうと思って送ったんだ」


「毒味? まだ、賞味期限は先だったはずだけど……」


「僕ね、ビスケット恐怖症なんだ」友人は楽しそうに話す。「今まで、ずっとクッキーばかり食べてきたから、ビスケットを見ると、失神してしまいそうになるんだ」


 僕は溜め息を吐く。


「悪いけど、冗談に付き合っていられるほど暇じゃない」


「いやいや、まだ続きがある」僕が通話終了のボタンに触れようとしたのを察知したのか、友人がそれを引き留めた。「一時間後にそちらに行くから、ビスケット、残しておいてよ」


「え? 来るの? 今から?」


「ビスケットを食べに行くだけだから、長居するつもりはないよ」



「どうして、自分の手もとに残しておかなかったの?」


「じゃあ、一時間後に」


 僕の指摘を無視して、友人は電話を切った。

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