No.42:元に戻るだけ


 翌日、終業式とHRが終わると、教室の中は浮足立った。

 なにしろ明日から夏休みだ。

 教室の中で、皆別れを惜しんだり、夏休みの計画を立てたりする声が聞こえる。


「宝生君、お願い。1枚だけ」


「帰る」


 そんな中、美濃川さんの甘ったるい声と、宝生君の氷のような声の攻防が聞こえてきた。


「そ、そんなこといわないでさぁ」

「宝生君、明日から夏休みだよ。しばらく会えないんだし、ね」


 取り巻きの浜辺さんと有村さんの必死の声も聞こえてくる。

 どうやら美濃川さんは、夏休み前に宝生君と2ショット写真を撮りたいらしい。


「ったく……1枚だけだぞ」 


 あまりにもクドいお願いに、宝生君も最後は折れたようだ。

 美濃川さんと2人で、教室の窓辺に並んで立つ。

 美濃川さんは満面の笑みで、宝生君の胸のあたりに頭をつけてピースしている。


「笑ってー、はいチーズ」


 有村さんの構えたスマホから、シャッター音が聞こえた。

 その瞬間、美濃川さんと視線が合った。

 彼女の口角が上がったのが見えた。


 私はなんだか教室にそれ以上いたくなかった。


「柚葉、帰ろ」


 柚葉にそう声を掛けて、教室を出ていく。


「え? ちょ、待ってよ華恋」


 柚葉は慌てて私を追いかけてくる。

 私は頭の中がぐちゃぐちゃになっていた。

 高2の夏休みは、最悪のスタートとなってしまった。


        ◆◆◆


 私はモヤモヤとした中で、夏休みを過ごした。

 できるだけいろいろなことは、考えたくなかったが……どうしたって、宝生君のことが頭から離れない。


 一人で冷静になって考えてみる。

 はたして私は宝生君と、どうなりたいんだろうか。


『あんたね、物事には釣り合いってもんがあるの』


 美濃川さんの低い声が、私の頭の中でこだまする。

 でもその通りなんだ……私と宝生君とは、決して釣り合わない。

 少なくとも、こんなボロアパートに住んでいるような女の子は、宝生君の隣にはふさわしくない。


 それに……もっと基本に戻って考えてみよう。

 いま私にとって大事なことはなんだろうか。

 

 それはせっかく特待で入学できた英徳高校を卒業することだ。

 そして国公立のできるだけ良い大学に入ること。

 このことが、なにより優先されることだ。

 それが脅かされるような状況は、絶対避けないといけない。


「でも……」


 それは美濃川さんの脅しに屈することを意味する。

 私と宝生君が友達でいようとそれ以上の関係でいようと、美濃川さんは関係ないはずだ。

 私は心の中で葛藤する。


 私は大きなため息をついた。


「やっぱり……しばらく距離を取ろう」


 そうした方がいい。

 父親の借金の状態も気になるが、美濃川さんを刺激するのはよくない。

 美濃川さんのお父さんはPTA会長。

 もし変に騒がれたりしたら、どんな影響が及ぶのか不透明だ。


 宝生君に会えないのは寂しい。

 でももし縁があるのだったら……高校を卒業してからでも会えるはずだ。

 今はそれで我慢するしかない。


「宝生君……」


 二人で会うのはやめよう。

 そう決心した瞬間、私にどうしようもない寂しさが押しかかる。

 

 あの低く優し気な声。

 バツが悪そうに視線をげ、照れる仕草。

 私が知らない世界を、いろいろ教えてくれた。

 それに……。


『お前だって、十分可愛いぞ』


 そのまま恥ずかしそうに、うつ向いてしまったその横顔。

 泣いていた私に寄り添って、そっと背中を撫でてくれた手のぬくもり。


 全部忘れないといけないの?


「ちがうよ」


 忘れなくていい。

 思い出にすればいいんだ。

 3か月ちょっとの間だったけど、楽しかった。

 一緒にマクドも行ったし、食事にもいった。

 豪華なシートで映画も見た。

 二人っきりで、一緒に花火を見た。


 楽しかった宝生君との思い出。

 それでいいじゃないか。

 そっと胸にしまっておこう。


 これからは友達、ただのクラスメート。

 そうよ、元に戻るだけよ。


 私は必死に自分に言い聞かせた。

 心の奥底で、どうしようもなく反発する自分を押さえつけるように。

 溢れ出す涙を、押さえつけるように。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る