No.27:マドレーヌ
「はぁー……疲れた」
「ああ、集中してたせいか、疲れたな」
90分の予約時間を終え、市立図書館の休憩室で椅子に座ったまま2人とも伸びをしていた。
テーブルの上には、いつも通りボトルの紅茶と缶コーヒーだ。
「なんか、いつも買ってくれるよね?」
「そうか? ていうかあれだけの資料を作ってくれたんだ。成功報酬だろ?」
「……じゃあ遠慮なく、頂くね」
彼はいつもと同じ動作で、紅茶のペットボトルのキャップを空けて私に手渡してくれた。
こういうところが、女慣れしてるなぁ……と、いつも思ってしまう。
「それにこれも美味いぞ」
テーブルの上には、今日のおやつのマドレーヌが置いてある。
私が昨日、焼いたやつだ。
「そう? よかった。甘さ足りなくない?」
「いや、ちょうどいい。それにこの風味……紅茶が入っているのか?」
「そう。アールグレイティーを茶葉ごと入れてるの。風味豊かでしょ?」
「ああ、アールグレイか。どうりでいい香りがするわけだな」
これは私のお気に入りだ。
紅茶も焼き菓子も好きだから、合体させたものがまずいはずがない。
「ところでさ、宝生君今日渡したやつ以外の教科って、大丈夫なの?」
「ん? ああ、まあ大丈夫だろ。数学と英語は、毎回満点近いからな」
「ウソ!?」
ちょっと待って。
「1年最後の年度末の数学のテストあったじゃない。めっちゃ難しかったやつ。平均点がたしか40点台の」
「あったな。俺は満点だったぞ」
「は? ウソでしょ?」
「嘘言ってどうする」
あの数学は鬼難しくて、皆ブーブー文句を言ってたのに。
私でさえ、80点台だった。
「じゃあ英語は?」
「英語は満点を逃した」
「マジでそういうレベルなの?」
「数学は昔から得意だな。英語はそれこそ小学校低学年から家で仕込まれてるから、自然とできるようになる。俺はどちらかというと、会話の方が好きなんだが」
「会話って……いままで使うことなんてあったの?」
「ああ。海外からのお客さんが来たり、パーティーとか出ると外国の人たちも多いだろ? だからそういうときに話せないといけないから、小さい頃から叩き込まれるんだよ」
「へぇー、やっぱりセレブは違うんだね」
「というか、まあ好きか必要に迫られるものは、どうしたって得意になるわけだ。逆に好きでもなく必要でもないものは、全く身につかない。古典なんかいい例だ」
「そっかなー。私は古典とか嫌いじゃないけど」
「マジでか?」
「うん、源氏物語とかさ、平安当時の恋物語なわけじゃん。結構奥が深いよ」
「それでも興味がわかないな」
「ねえ、じゃあ今度数学教えてよ」
「まあ……月島には必要ないと思うがな」
話しながら彼は、どんどんマドレーヌを消費していく。
こうやって食べてもらえると、作り手としては嬉しい限りだ。
「ねえ、昨日思ったんだけどね。いや、バイト中から思ってたんだけど」
「ん?」
「昨日私たちファミレスで、ドリンクバーでずっと粘ってたのね。あれって、やっぱりお店側としては迷惑だよね」
「そうとも言い切れないな。問題は時間帯だ」
「時間帯?」
「そう。そもそもドリンクバーの原価って、いくらぐらいか知ってるか?」
「え? 全然検討もつかないや」
「物にもよるが、平均すると1杯20円程度だ」
「マジで?」
「ああ。果汁100%ジュースがあれば少し高いが、それを置いているところは少ない。逆にコーヒーや炭酸飲料系は10円台。だからドリンクバーだけで元をとろうとすると、かなり無理がある。逆に言えば店側はそれ単体では損はしないんだ」
「そうなんだね」
「昼間の空いている時間帯で従業員の手を煩わすことがなければ、それほど迷惑じゃないと思う」
「なるほど、そうだよね。私のバイト先でも、暇な時だったら長居されても気にならないもん」
「ただピーク時間とか、他の客が待っているのに居座られると、店としては収益機会を失う。だからそれは迷惑だ。たとえ何か注文したとしても、そういう時間帯は食べ終えたら次の客のために席を譲る。まあそれがマナーだろう」
「そういうことだよね……宝生君、やっぱりいろいろと勉強してるんだね」
「ある程度はな」
本当に彼は知識豊富だ。
それも実務に基づいた、世の中の生きた情報を知識として吸収している。
私にはすごく新鮮に映った。
マドレーヌは残り2個になった。
宝生君は一つ手に取って頬張ると、最後の一つを私に勧めてくれた。
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