Episode 10

054「いつでもどこでもマグロになれ」「ブふォ」

「か、可愛い〜〜〜〜〜〜〜!」


 畑中はたなかなずなの声が響き渡る放課後。教室には、せっせと学祭の準備に勤しむクラスメイトたちがたくさん残っている。


 一週間後に迫った文化祭。僕たち二年三組は『メイド喫茶』やら『お化け屋敷』やらの王道の企画を差し置いて、『回らない寿司屋』をすることに決まった。教室を丸々寿司屋の内装にして、板前扮するクラスメイトたちが来場者をもてなす、といった内容になるらしい。うーん、なんつーか、渋すぎる。青春は青の季節、しかし僕らは「いぶし銀」の企画を選んだってわけだ。アホかよ。


 で、本日はその衣装合わせがあった。先のなずなの絶叫は、その最中のものだ。僕はその隣に立って、目の前の峰岸みねぎしに視線をやっている。


 ちなみに、なずなは板前コスに身を包んでいた。うーん、贔屓目なしに可愛い。親友の彼女ってのもあるから、あんま妙な視線を向けるわけにはいかないが、でも見惚れてしまう美しさだ。なんだろうな、普段と違う格好をすることによって生まれるエロスってあるよな。


 それで言うと、峰岸の格好もだいぶ「普段とは違う」わけだが、こちらはエロスのカケラもない。仮に板前コスだとしても香らないフェロモンが、この格好だと余計感じ取れないというか、そうだな、


「……俺、女子の可愛いがわかんねーよ」


 と困惑する峰岸本人と、僕の感情は近いかもしれない。

 まあ、一応フォローを入れておこう。


「なに言ってんだ。ただの女子じゃない、彼女だろ。センス、わかってやれよ」


 自分で言っといて、フォローになっているか怪しかった。峰岸もそれを察知したのだろう。両手……もとい、両を広げて、彼は高らかに──


「マグロ姿のどこに可愛さがあんだよ! 馬鹿にしてんだろ!」


 ──声をあげた。マグロのくせにな。


 そーいうわけで、峰岸は絶賛「マグロの着ぐるみ」をまとい中だ。クラスメイトで演劇部の矢馬梨やまなしさんお手製のもので、不思議とクオリティが高い。高いなんてもんじゃない。ゆるキャラみたくデフォルメされているデザインではなく、まさかのリアリティ重視の方向性で完璧な出来栄えだ。なんと魚体特有の鱗のテカリまでもが再現されていて、ちゃんとキモい。そう、キモい。キモいのだ、今の峰岸は。とても峰岸は気持ちが悪い。


「おうおうおう、陽平。俺を罵倒する心の声が聞こえたような気がしたな、幻聴か?」

「被害妄想強すぎだろ。可愛いって、なあ? なずな」

「うん! すっごく可愛い! 似合うと思ったけど、予想以上!」

「ところでなずなの板前コスはすごく似合うな。あ、今のは言葉通りの意味だよ」

「ほんと? 岡崎おかざきくん。嬉しいなあ」

「陽平、いまの発言、『峰岸の方は皮肉だ』って聞こえたぜ?」


 眼前にマグロ姿の峰岸。隣に板前姿のなずな。普段の二人の関係性を思えば、なんだかこの格好がやけに現代アートじみたハイコンテクストなものに見えなくもないな、とか考えながら、


「まあ、でもクラスメイトも喜んでいるんじゃないか? お前がこの役を担ってくれないと『寿司』要素ゼロだからな」


 またしてもテキトーにフォロー。


 とはいえ、実際そうなのだ。誰かが「寿司屋っぽさ」を演出してくれないとコンセプトが崩壊する。


 なんてったって文化祭では、食品衛生上ナマモノを提供するわけにいかない。『回らない寿司屋』のコンセプト自体は学祭運営側の承認を取れたのだが、『生魚の提供』がアウト。つまり寿司が無理だった。で、苦肉の策として「生徒自身が『寿司』になること」でなんとか体裁を保とうとしたわけだ。


 まあ寿司っていうか、丸魚だけど。教室を見渡せば、峰岸の他にリアルな魚の着ぐるみが四体ほど直立している。もれなく全員キモい。


 ちなみに、寿司の代わりに提供するメニューは、シャリの上に塩昆布を乗せた「昆布寿司」なる普通におにぎりの劣化版みたいな何かだ。売れるとは到底思えないが、まあなにも出さないよりはマシだろう。


 とそこで、パシン、と手を叩く音が響いた。クラスメイト全員の視線が、同じ方向を向いた。手を叩いたのは、着ぐるみ製作担当の矢馬梨さんだ。


「はい、以上で衣装合わせを終了します! うーん、みんな最高に似合ってて、当日が楽しみ! じゃあ、今日はこれで解散しますが、衣装は各自で保管をよろしくお願いします!」


 峰岸の視線が、僕の横顔を差した。


「聞いたか?」


 その質問に僕は頷きを一つ返して、


「ああ。よかったじゃん。いつでもどこでもマグロになれブふォ……っ!」


 直後、僕の顔面に右ヒレが激突した。


   ***


 なずなと峰岸、それと僕。三人横並びで歩く、下校路。夏と比べて、気づかない程度に緩やかに陽が短くなっていて、もうすっかり夕暮れ時の真ん中だった。


 オレンジ色の空、左手に立ち並ぶ家々、右側にガードレール、峰岸の手にはリアルなマグロの着ぐるみ。どれをとっても穏やかな日常の風景だ。着ぐるみのウロコ再現の材質が、沈みかかった太陽光を反射して、綺麗だった。ああ、綺麗さ。無理やりいい風に捉えようとしてないぜ、キモいマグロ型の布のことをよ。


「文化祭楽しみだなぁ」


 なずなが、誰に問いかけるでもなく、独り言のように斜め上へと声を飛ばした。その言葉を掴んで、「だなあ」と返事をしたのは峰岸だ。


「せっかくだから、楽しい思い出にしたいよな」

「うん、したい。晴喜くんと過ごす、初めての文化祭だし」

「惚気ちゃってまあ」


 小声でツッコミを入れると、なずなが控えめに笑った。悪びれることもなく、おおらかに惚気続ける様は清々しいことこの上ない。この二人の良いところだ。


 コンビニエンスストアを通り過ぎ、交差点に差し掛かる。頭上には歩道橋がかかっていて、斜め右方向にある目的地に向かうため、峰岸となずなは階段に一歩踏み込んだ。


 そこで僕は立ち止まり「じゃあ、ここで」と右手を挙げた。


「あ、うん。そっか」と先に反応したのはなずなの方だ。「今日もあるんだっけ、例の」


 僕は頷く。


「そうだね。ほぼ毎日あるからなあ」

「大変だねえ。ここ二週間くらい、ずっとでしょ?」

「うん。でも、まあしょうがないってか……土日は無理だからね」


 僕となずなのやり取りに、峰岸は口を挟まなかった。まあそれもそう。峰岸はを知っているから、会話に合流する必要もない。すべて……要するに、この二週間のうちに僕の身に起きた変化と、これからやろうとしていること、それらを峰岸には共有済みだということだ。


「そっか。まあ、じゃ、私たちは行くね。あんま無理しちゃダメだよ?」


 一方でなずなは、断片的にしか知らない。最近の僕が日課のようにしていることと、そのきっかけとなった再会の出来事を、なずなには教えていないのだ。そう、教えてない。


 もっといえば、


「バイト、頑張ってね!」


 ちょっとだけ、嘘を教えている。


 なずなと峰岸の背中が遠くなる。少しの間、後ろ姿を見送ってスマホで時間を確認する。文化祭の準備を計算に入れて、約束の時間を遅くしておいてよかった。余裕で間に合いそうだ。


 僕は歩道橋の階段横を通り過ぎて、そのまままっすぐ歩き出す。


 三本目の十字路を左折、しばらく進むといつもの喫茶店が見えた。看板には『喫茶 某時刻ぼうじこく』と店名が書かれている。


 扉を開け、店内に入る。内装は薄暗くて狭い。カウンターが三席と奥にテーブル席に二つあるだけだ。相変わらず客はゼロで、店員もいない。営業しているのかどうかも怪しい店だ。


 入店音に気づいたのだろう。店の奥でバタバタと足音がした。しばらく待っていると、スタッフルームの扉が開いて、彼女が顔を出した。


「あはっ。いらっしゃい。コーヒーは?」


 待ち望んでました、みたいに満面の笑みを張り付けて、僕の帰宅を待っていたみたいに。


 もちろん、帰宅というのは喩えだが、彼女にとってはあながち的外れでもない。ここは彼女の祖母が経営する喫茶店なのだ。だから、最近僕たちが待ち合わせる場所に都合よく使わせていただいている。


「うん。ホット」

「はーい」


 言って、その子はまた奥の部屋へと入っていく。

 しばらくして、コーヒーカップを手に戻ってくる。


「はい。先輩が世界一好きなコーヒーです」


 なんて、これまたいつも通りふざけたことを言って、


「じゃ、それ飲んだらさ。今日はどこ行く?」


 ここ二週の間ですっかり日課になってしまったそいつの、


 本日のメニュー内容を、その子──悠川未散ゆうかわみちるは、僕に尋ねる。

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