028 峰岸晴喜

「晴喜くんのことが、好き」


 と、畑中は言った。まず思ったのは、その晴喜って奴は、俺のことなのか? ということだった。念の為、振り返ってみる。自転車に乗った主婦らしき女性が、俺を追い越していった。うん、あの人はどう見ても「晴喜くん」ではないな。


 じゃあ、やっぱり……?


「ぷっ、」畑中が吹き出す。「アハハ。どこ見てんの。晴喜くんは晴喜くんのことに決まってるでしょ」

「……俺?」

「そうだよ。ほら、こっち見て」


 そう言って、畑中が俺の両頬に触れた。


「畑中なずなは、峰岸晴喜が好きです」

「……」

「黙ってないで、なんか言ってよ」

「……えっと、その、あれだな。こういう時、普通、なんて言ったらいいんだ」

「うーん。まずは、ありがとう、じゃない?」

「じゃ、じゃあ……。…………。ありが、とう」


 じゃあってなんだよー、畑中がそう言って笑った。


 ダメだ。可愛い。俺には耐えられないほどの「可愛いの暴力」だ。ノックアウトしちまった。もう立ち上がれそうにないぜ。一方で、勃ちそうなのに。って、最低のジョークを思い浮かべてる場合かよ。


 この瞬間でもよく分からん。俺は、どうして畑中とこういう関係になれたんだろう。遠目で眺めながら「今日もロリ巨乳、最高〜」と陽平に言うのが関の山だった一ヶ月前からは考えられない状況だ。


 好き、って言われた。好き? マジで? 俺のことが?


「え、つか、なんで?」


 思わず、訊いてしまった。畑中がまた笑う。


「そういうところ。が好きなの」


 わっけわかんねー。そういうところって、どういうところ?


「ほら。答えは?」


 答えは、って。なんで、に対する答えは? そっちが先じゃない?


「ほぉら」

「…………」


 畑中とずっと、目、合いっぱなし。てか、か、顔が近い。ち、近えよ、マジで。キスすんぞ。ついでに胸揉むぞ。俺はやると決めたらやる男だからな?


 ……なんつって、誤魔化している場合じゃないんだろうな。


 畑中は、本気らしい。俺をからかっている様子はない。ということは、「俺のことが好き」って言ったのは俺が好きだからであり、「付き合えるよね」と訊いたのは付き合いたいからであり、要約すると「俺のことが好きだから付き合いたい」ということになる。


 そういうことに、なっちまうんだよな。


「…………」

「……ダメ?」


 畑中が首をかしげる。俺は、また、黙っちまう。


 ダメなわけない。付き合えるなら付き合いたい。俺だって、畑中のこと、抱きてえって思ってるし。


 いや、それ以上に──。


「畑中のこと、俺も、め、めちゃ、めちゃくちゃ……良い匂いだと思ってる」

「はぇ?」


 じゃなくて。


「ちがっ、あの、アレだ。……好きだ。俺も」


 本心を言った。


 好きだった。抱きたいという気持ち以上に、俺は畑中のことが好きになっていた。好きって言われたから好きになったんじゃない。もう、ここ二週間くらい、ずっと、俺は畑中のことばっかり考えていた。授業中はつい見ちゃうし、大好きなセクシー女優じゃヌけなくなったし、だからと言って畑中でヌくなんて最低すぎてあり得ねえと思っていたし、だから俺、今めちゃくちゃ溜まってる。あ、いや。話の着地点がオナ禁って……最低だ、俺って。


 とにかく、頭の中は、畑中のことばかりだ。


 でも……いや、だからこそ。


 俺は、思っちまうんだよな。


「……けど、」


 俺はつい、下を向いてしまった。


「俺ばっかり、幸せになるわけには、いかねー」

「え?」


 ぽろっと、漏れ出す、もう一つの本音。


「……ごめんな。畑中には関係ないことなのに」

「……うん。……なに?」


 畑中の声がか弱くなる。悲しませてしまったかもしれない、と慌てて、前を向きなおす。


「いやっ。違うんだ。ノーじゃない。ノーじゃないんだ。むしろ、イエス。超キリスト! 踏み絵めちゃくちゃ拒否るしピッカピカに磨くぜ、今の俺ならよぉ」

「意味わかんない」

「ハハッ。だよなぁ!?」


 わーってるよ、今のギャグ、めちゃくちゃつまんねーよな。


 つって無理やりに声を明るめても、畑中は寂しそうな顔のまま、俯いてしまった。


 ……ダメだ。ちゃんと、言おう。


「畑中」

「……ん」

「俺、畑中と付き合いたい」


 畑中の顔がもう一度、俺へと向く。


「でも。…………」


 でも、なに? 畑中が呟くように、訊く。


「…………。俺、陽平を置いて、幸せになれねーよ」

「…………」


 ぽかん、と口を開けたまま、畑中は俺を見つめていた。


「畑中さ。陽平と楓ちゃんになんかあったのか、って訊いてきたこと、あったろ?」

「……うん。あった」

「今だから言うけど。……なんかあった」

「うん。……やっぱり」

「あの二人さ。もしかしたら、もう、友達にも戻れねーかもしれねーんだ。……陽平さ、楓ちゃんのこと、好きだったのに」


 つい言ってしまって、後から「やべ」と思った。


 でも、畑中はこういうこと言いふらすタイプじゃねーし、茶化すことだってしないだろう。そういう安心感があった。


 から、俺は続ける。


「それで、陽平は、落ち込んでんだよ。自分がしたこと、後悔してる。後悔なんてしなくて良いのにさ、してんだよ」

「……うん」

「そんな陽平に、何もしてやれねえ俺が、あろうことか彼女作って幸せになるなんて……許せないんだ。陽平が、じゃなくて、俺が。……分かるか? この感じ」

「……全然、わかんないや」

「へへっ」

「……なにその笑い」


 おかしいな、笑えば大抵のことは誤魔化せるハズなんだけどな。


「でも、」畑中に笑顔が戻った。「分かろうと、思った」

「……え?」

「晴喜くんの、そういう、無駄な優しさ。一周回って超失礼な、友達思いなところ。分かろうと、思った」

「無駄、ってなんだよ」

「無駄じゃんか。……晴喜くんは、晴喜くんの幸せを願わなきゃいけないのに」

「ま、だよな」


 畑中の言うことはごもっともだと思う。言い返す気なんて、さらさら無かった。


「けどね。岡崎くんの幸せも、晴喜くんの幸せだって言うんだったら、納得できる。晴喜くん、力になってあげて、って思う」

「……ありがと」

「ううん」


 わかったよ、と畑中が頷いた。


「……もうちょっと、待つよ」

「え?」

「付き合うの。もうちょっとだけ、待つ。晴喜くんの気が晴れるまで、とことん、岡崎くんの為に……岡崎くんの幸せのために、生きて」

「畑中」

「なぁに?」

「……お前、めちゃくちゃ良いやつだな」


 へへん、と畑中が鼻を鳴らした。


「いい彼女になる自信、ありますよ?」

「ぜってぇなるよ、お前」


 好きだ。


 マジで、好きだ、と思った。


 畑中の横にいつでもいられるようになりてぇ、そう思った。


 だから、


「なあ」

「ん?」

「俺……、陽平に、言えなかったこと、言うわ」


 俺はスマホを取り出した。


 すぐさま、チャットアプリを立ち上げて、陽平のトーク画面を開く。


「正直さ、今日まで、俺、あんま触れないようにしてたんだわ。楓ちゃんのこと。……でも、よくないよな。それ、優しさじゃない、って思った。背中を押してやんなきゃ、って」

「うん、そうだね」

「問題を先回しにしてんじゃねーよ、って喝いれてやんなきゃ」

「そうだね」

「自分の気持ちに正直になれよ、って励ましてやんなきゃ」

「そうだよ」

「俺は畑中のことが好きだ!」


 俺の言葉に、畑中が目を丸くした。徐々に、頬が赤く染まっていく。


「……こういう風に。だよな?」

「……ばか」


 そして、それから。


 俺は、陽平に、伝えたいことを、伝えた。


『なぁ、陽平。やってからする後悔と、やらないでする後悔。どっちがいいと思う?』


 続けて、


『俺はさ、後悔しない方がいいと思う』


 送信して、画面を畑中に見せる。


 彼女は、ふふっ、と吹き出して、


「……ほんと、意味わかんない」


 そう言って、俺の胸に、コトンと頭を落とした。


 俺は、また、思う。


 幸せであって欲しい。

 お前の幸せは、俺の願いなんだから。

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