Episode 04

018「不誠実な童貞野郎」「最低の響きだな」

「陽平。青春の全てが詰まっている場所を知ってっか?」


 峰岸が、ヘルメットを深く被り直して、言った。


「ズバリ、甲子園だよ」


 バットを握り、真剣な眼差しを前方へ向ける。覚悟の決まった瞳だった。


「男たるもの、あの場所に立ちてえだろ。というわけで打つぜ、俺は。一球一球が、甲子園に繋がってるからな」


 峰岸が息をのみ込む音が聞こえる。緊張感が、ネット越しの僕まで伝わってくる。


「打てなきゃ、終わりだ。そういう真剣勝負なんだぜ、これは」


 のはいいけれど。


「峰岸」

「なんだよ」

「大見得切るのはいいけどさ……残念ながら」


 一球目、鋭い球が放たれる。峰岸がバットを、思いっきり振って──


「ここ、バッティングセンターだぞ?」


 ──見事なまでに、空振った。


「おまけに、帰宅部じゃん」

「俺に現実を突きつけるな!」


   ***


 放課後。最寄駅から歩いて十五分のところにある、バッティングセンター。


 三百円で二十球を五周、計百回の素振りを終えた僕らは、ベンチに座って缶ジュースを飲んでいた。


「アレだな。意外と当たんねーもんだな」


 峰岸が汗を拭いながら、言った。


「まあ、生まれて初めてバット触ったしな。そりゃそうだろ」

「だが、俺は諦めん!」


 缶ジュースを飲み干し、高らかに宣言する峰岸。


「甲子園に立つ、その日まで!」

「じゃあ先に入部届けを書くべきじゃねーかな」

「バカだな。少年漫画の世界では大抵、エースポジはスカウトされるだろ?」

「ああ。少年漫画の世界ではな」


 彼が、まあな、とケラケラ笑った。そしてすぐさま、立ち上がった。


「っしゃぁ。休憩終わり!」

「なに、もう打つの?」

「ああ。未来のスラッガーには、休んでる暇はねえのよ」

「ずっと疑問だったんだけどさ、そのキャラ何なん? 昨晩、野球漫画でも読んだん?」

「いいや。去年の『熱波甲子園』の録画、観直してた」


 そう言いながら、室内一番奥の打席へ向かって、走り出す。扉の上には、「百三十キロ」の表記。ここに来てから峰岸はずっと、一番速い球が出るそこばかりチョイスしている。野球やったことないクセに。


「あほんだら。メジャーリーガーのハチローいるだろ? アイツが三千本安打達成した時の名言、知ってっか?」


 知らない、と素直に答える。


「『僕は今日、三千本安打を達成したけど、六千回以上の失敗があります』」


 峰岸が、機械に百円玉を投入した。


「つまりだな。挑戦あるのみ、っちゅーことよ」


 そう言って、彼は性懲りもなくバットを思いっきり振った。またも、空振りだった。


「……峰岸」

「なん?」

「ポテンシャルのねえやつがする挑戦は、ただの徒労だぞ」

「自分の可能性に見切りをつけるのはッ」またも空振り。「ッ……。まだ早すぎんだろうが」


 呆れ半分、清々しさ半分の息を漏らす。こいつはどこまでもポジティブでいいな、と思った。


「どこまで本気?」

「百パー本気」

「甲子園行く、ってのも?」

「この際だから言うけど、それは百パーの冗談」

「なんだよ」

「でも、百三十キロを打てないとは、一ミリも思ってないね」


 空振り。三百円分のボールは、またもや一球も前に飛ぶことなく、終了した。


「ま、だからさ。元気出せよ、お前も」

「…………は?」


 峰岸が僕の顔を見て、言った。唐突な話題転換だな。コイツの悪いクセだ。


「一球、空振っただけなんだからよ。果敢に挑み続けて欲しいもんだぜ」


 思わず、笑いが溢れる。


 コイツの言っていることが、バッティングの話じゃないことに、僕はすぐに気づいた。その内容は、言わずもがな、昨日の話。


 楓に振られた僕を、彼なりに励ましてくれているのだろう。


「お前には、あと5999球も残されてるってことを、覚えといて欲しいわけよ」


 その発言。ハチローの名言に掛けて言っているのだろうが、


「通算六千回告れってか?」

「そうすりゃ、三千回も付き合える」

「2999回の破局も前提なのな」

「ちげーよ。三千回の破局だ。恋人は皆、必ず別れる運命にある」

「卑屈すぎるだろ、お前」


 ひとしきり、冗談を飛ばしあう。なんとも心地の良い時間だ、と思った。


 コイツと話していると、安心する。


 昨日、バカみたいに凹んでいたのが、まるで嘘のようだ。


「ほら、お前も打てよ」


 扉を開けて、僕を手招く峰岸。


「もっと遅い球じゃねーとヤだ」

「弱気だねえ。好きなヤツとのデートを経て、デカい男になったと思ってたんだが、見込み違いだったか」

「まあ、全てを失って帰ってきたもんで」

「安心しろ。まだ俺がいる」


 ……サラッと恥ずかしい事を言うんだよな、峰岸。


 しゃーねえ、と心でボヤいて、僕は百三十キロの打席の中へと、入っていった。どうせ打てないんだから、どこを選んでも一緒だし。


 峰岸に言われるがまま、ちょっくら、挑戦すっか。


「いいか、陽平。ワン、ツー、スリー、のリズムで振るんだ。そうすりゃ、当たる」

「だからお前、一度も当ててねーじゃんか」


 峰岸が、扉から外へ出て行く。硬貨を投入。バッターボックスに立ち、前を見据える。


 球を待つ。その間、僕は後ろから聞こえる峰岸の声に、なんだか鼓舞されてしまっていた。


 コイツの言葉は不思議だ。どんな支離滅裂な言動でも、信じてみるか、という気分にさせられる。ひとえに、峰岸の人格ゆえなのだろう。


 裏表がないから疑いようがないというか。すべてを曝け出してくれるから、受け止めざるを得ないというか。


 それと同時に、ふと、思う。


 僕は、峰岸にすべてを曝け出していないよな。


 自分のプライドを守るために、どこかで自分勝手に「伝えること」と「伝えないこと」の線引きをしている。なんだか、そんな自分が浅ましく思えて仕方ない。


 そんな事を思ってしまって、つい、一球目を見逃す。


「おまッ、バカ! バット振らねーと当たんねーんだぞ? 知ってっか?」

「わーってるよ」


 答えて、二球目。空振り。


「ワン、ツー、スリー、ドン、のリズムだっつってるだろ! ちゃんと言った事守れよ!」

「お前、さっきと言ってること……」三球目、見逃し。「……ちげーじゃん」

「ドン、のタイミングで振るって意味だよ! そんくらい汲み取れよな、相棒!」


 相棒……その言葉、軽々しく使うよなあ、峰岸。


 四球目、空振り。


「なあ、峰岸」

「んだよ?」


 五球目、空振り。


「そいや、言ってなかったんだけどさ」

「なにをー?」


 もう一度、バットを握り直す。上がった息を整えるように、深呼吸。


 それから、峰岸に背を向けたまま、


「5998球」


 僕は、そう言った。


「え? なにが?」


 峰岸が、アホみたいな抜けたトーンで聞き返した。僕は、言葉を続けようとした。その前に、一発、またもや空振り。


 彼が僕を信頼してくれていること。僕に、裏さえも表かのように曝け出してくれること。そういう誠実さ……と呼べるかどうかは怪しいけれど、ともかく、彼の潔い性格に、正面から向き合っておこう、と思ったのだ。


「残っている球。5998」


 僕も正面から、伝えられることは伝えておこう、と思ったのだ。


「……どういう意味?」

「楓に、二回フラれてる、って意味!」


 そう言うのと同時に振ったバットの端に、ボールが当たった。ビックリした。


「うげっ!」峰岸が声を上げた。

「……それ、どっちへの反応?」

「百三十キロの球に当てたことの方」

「楓の件は?」

「んー別に」またもや気の抜けた声だった。「話してくれてサンキュ、って感じ」


 つい、笑みが溢れる。


「じゃ、他には? 隠してること、まだまだ沢山あんだろ、お前」

「僕を何だと思ってんだ」

「不誠実な童貞野郎」

「最低の響きだな」


 じゃあ、と僕は、ワン、ツー、スリー、のリズムを取りながら、


「昨日の話なんだけどさ──」


 ドン、のタイミングで、思いっきりバットを振る。


「──セーラー服の女子に、会っ、た!」


 八球目。


 自分でも、信じられなかったけれど。


 偶然。たまたま。奇跡。が起きた。


 打球が、大きな弧を描いて、前方へと飛んでいった。


   ***


 そう。

 それはもはや、偶然。たまたま。奇跡、と呼ぶほか無かった。


「君と逢う日は、いつも雨だね」


 昨日のこと。


 雨が地面を叩きつける音に紛れて、彼女の細い声が、僕の耳まで届く。


「私が雨女なのか、はたまた、君か。それとも──」


 首を傾げて、言う。薄い唇が、つり上がる。


「──やはり、運命のメタファーなのか。どう思う、さくらん?」


 びちこが、言った。

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