006「バストサイズは?」「幼馴染を何だと思ってんの?」
峰岸が知っていること。
僕が、土砂降りの日に、見知らぬ女子高生「通称・びちこ」から「せくしゃるなおさそい」をされたこと。
「じゃあ、まずは胸の大きさを教えてくれ」
「まずは絶対そこじゃないだろ」
峰岸が知らないこと。
外見的特徴をはじめとした、びちこに関する情報、すべて。
「バストサイズの数字って、マイナンバーにも反映されているくらいだし、個人を識別する上で最も重要視すべき情報では?」
「そんな変態政府が統治している国ならば、今すぐにでも亡命するが?」
「ちなみに楓ちゃんは?」
「しッ、知るかよ!」
峰岸が知っていること。
僕が、楓を好きだということ。
「またまたぁ〜。幼馴染なんだし、知らないわけないだろぉ〜」
「お前、幼馴染を何だと思ってんの?」
「すぐにでもヤれる存在」
「人間をナメすぎだ、峰岸は」
「実際、一回くらいはヤってんだろ?」
「童貞だって言ってんだろ!」
「……そんなこと大声で言って、恥ずかしくないのかね」
「お、お前が言わせたんだろッ!」
「……で? 実際のところ、どうなんよ」
「な、なにが」
「お前ら、いつになったら付き合うの?」
「…………」
「あんだけいつも一緒にいるんだしさ、もう付き合ってるみたいなもんだと思うけど」
「……付き合わねーよ」
「はあ? なんでだよ。好きなんだろ?」
「……まあ……そりゃ…………」
峰岸が知らないこと。
「んだよ。告白してみりゃいいのに。絶対うまくいくって」
「…………」
「賭けてもいいぜ?」
僕が、過去に一度、楓にフラれているということ。
***
「そろそろ真面目に話そうぜ」峰岸が言う。「情報、くれよ」
お前が積極的に話を逸らしてたんだろ、と内心愚痴って、溜息。
「……ぶっちゃけ、あんま覚えてないんだよな」
「でも、ちょっとくらいなら、覚えてることもあんだろ。例えばさ、セーラー服」
「?」
「どんなデザインだったよ?」
ああ、と相槌。確かに、それくらいなら覚えていた。
あの土砂降りの日まで、記憶の中を辿る。
「そうだなあ……」頭の中、ボンヤリと浮かぶびちこの姿を、凝視。「基本、白地」
なるほど、と頷き、スケッチブックに絵を描き始める峰岸。
「半袖? 長袖?」
「半袖だった……と思う」
「ほぉーーーーん!」
峰岸が、嬉しそうに明るい声を出した。筆を動かす速度が速くなる。
「なんだよ」
「いや、お前、めちゃくちゃいい事言ったぜ、今」
「え?」
半袖、っていう情報がそれほど有益だったのか? と訝る。単に、びちこの二の腕を想像して興奮しているだけな気がしなくもないが。
という僕の考えを遮るように峰岸は、
「衣替えだよ」
そう言った。
「衣替え?」
「ああ。普通はさ、うちもそうだけど、衣替えって六月一日だろ。でも、お前がセーラー服に出会ったのは、先週の木曜日だったよな? まだ、五月下旬だ」
「そうか。そう言われると。……で?」
ん? と、峰岸は視線をスケッチブックに落としたまま、返事をした。
「それが、何か?」
「いや、だからさ。つまり、セーラー服が通ってんのは、衣替えが早いか、もしくは自由制服の高校って事になるだろ」視線を上げる。「これで、だいぶ高校が特定しやすくなった」
峰岸の考察に、ハッとする。ハッとしてから、全身の鳥肌が一気に立った。
コイツ、キモすぎる。
本気で見つけ出そうという気概もさることながら、どういう思考回路をしていたらそんな発想に辿り着くんだろう、と考えて気味が悪くなる。普段からネットストーキングとかしてないだろうな。大丈夫だよな?
「で、他は? 襟の形とか、色とか」
「…………」
「言い渋ってんじゃねーよ。くれよ。情報」
「……黙秘権を行使する」
「はあ!?」大きめの声で、抗議が返ってくる。「今更そりゃねーだろ!」
「だってよ、お前、マジで特定しそうじゃんか」
「マジで特定するんだって。言ったろ?」
どんな手を使ってでも、と続けたので、それは聞かなかったことにしてやった。
この勢いだ、犯罪に手を染めかねん。
「あ、分かったぞ。陽平、そいつを独り占めする気だろ?」
「しねーよ! ボケナス」
「ケチなこと言わねえでよ、シェアハピしようぜ。寂しき童貞同士でさあ!」
「仮にも人間相手に、シェア、という言葉を使うな!」
たまに思うが、こいつの倫理観、シンプルに捻じ曲がっているんだよな。まあ、半ばジョークだろうが。
はァ〜、とわざとらしい溜息をついて、峰岸はスケッチブックを閉じた。
それから、机の上に叩きつけるように置いて、
「陽平さ。お前、いっつも重要な事、言ってくれねえよな」
と、吐き捨てた。
「は?」
「楓ちゃんとの進展具合とかさ、勉強関係の悩みとかさ。……もうちょっと、頼って欲しいものだよ、俺は」
「それは、まあ、確かにすまん。……が、この件とは同列に並べないでくれ」
そう言って、スケッチブックを指差す。
僕を言いくるめようとしているのかもしれないが、やり口が下手だ。
「俺とお前は、相棒だろ? 一心同体のはずだ」
「だから相棒になった覚えはねーっての」
「何でも言い合える仲だろ?」
「それは、」そうかもしれんが。
仲は良い。ユーモアの波長だって合うし、信頼だってしているし、何よりもお互い非モテの童貞だし。僕自身、一番心を許しているのは、間違いなく彼だ。
でも、言えないことだってある。何でも言い合える仲でも、何でもは言えない。人間、そういう繊細な線引きをどこかでしているものではないか。
とまあ、直前の言葉に反応して、そういう小難しいことを考えてしまったけれど、この件に関して黙秘している理由は、やはり、ちと違うところにある気がするな。単純に、見ず知らずの女子高生に迷惑をかけたくないとか、そういう一般道徳的な話だろう、これは。
などと思いながら、視線を、峰岸から手元へとズラした。その直後だった。
「去年、俺を救ってくれたのは、お前だ」
突如、豪速球ストレートが飛んできて、僕はつい峰岸の目を直視してしまった。
「…………」
「だろ?」
真面目な表情だった。打って変わって。
先程までの、ふざけ倒していた峰岸とは様子が違った。
「マジで俺は、お前のおかげで生き返れたんだぜ? 精神的にな」
「なんだよ、急に」
「文脈的におかしい話じゃないだろ?」
「や、おかしいよ」
「そうか? 最初から、俺はお前の力になりたい、って話じゃなかったか?」
「……だったか?」
ああ、と峰岸が頷く。
「僕のためじゃなくて、二人のために探し出そう、ってさっき言ってたよな?」
「そりゃあ、俺にも得がある話だからな。が、お前にも得があるのも、また事実」
「…………」
「恩返しがしてーんだよ、俺は。セーラー服、一緒に探そうぜ」
めちゃくちゃな論理だと思った。
突然の話題の方向転換に、僕はつい一年前を回想してしまった。
……あの時の僕は、別に、峰岸を救いたいという立派な正義心から行動したわけじゃない。結果的にそうなっただけで。だから、恩返しとか、そういう大仰なことはやめて欲しいと、心底思った。
けれど、こいつは、本気でやりたがっている、らしい。
目を見れば、分かった。
「……話がつながんねーよ、全然」
僕の発言に、峰岸が、首を横に振る。
「繋がるだろ。なあ、あっさりと童貞卒業しようぜ。陽平」
彼の姿勢が、前のめりになる。
「だからよ」
息を飲む。
「そいつ見つけてさ──」
こいつが、本気で僕の為に行動したいと思っているのならば、それを受け入れるのも、友人としての優しさなのではないだろうか。何でも言い合える仲だ。それはつまり、何でも許しあえる仲だということだ。どんな発言だって、正面から投げ込めるし、受け止められる。そういう仲だということだ。
分かったよ、と心中、頷く。
やってやろうじゃねえの。
僕は、この時、そんなことを思っ──
「──3Pしようぜ?」
「うん。やっぱり、黙秘権を行使します」
***
いつもは楓と一緒の下校路。けれど、今日は、一人。
寂しくはないけれど、不安に心が掻き乱されていた。
峰岸とくだらない話をしている間は忘れられたが、孤独になると、やはり考えてしまうものだ。
あいつと長谷部、付き合っちゃうんだろうか。
一緒に帰るって、そういうことだよな? 楓だって拒否んなかったわけだし。
なんて、またウダウダと女々しい事を考えてしまって、自分に嫌気が差す。
「あーーーーーーーーーーーーーーーーーー」
低い声、地面へと落とすように、未練たらしい感情を吐き出す。
「…………やっぱり」
潮時かもしれない。
昨晩、湧いてきた感情を、反芻する。
そもそも、もう僕の恋は一年以上前に終わっているのだ。楓と恋人になって、でも一ヶ月でフラれて、それからは「幼馴染」だったり「仲のいい友達」だったり、そういう関係でやっていこう、という了解が出来てしまったハズだ。
ならいつまでも引きずるのは、自分を不幸にするだけだよな。
や、分かってはいるんだ。そんなこと。
分かってるんだけど。
「吹っ切れられないから、困ってるんだっつーの」
道端の小石を蹴飛ばす。それはコロコロと転がって、電柱にぶつかった。
「…………」
本当は、こういうことを峰岸に話すべきなんだろう。彼なら真正面から相談に乗ってくれるだろうし。
でもやっぱり、何でもは言えない。
でもやっぱり、誰かに言わないままでは、この未練は堂々巡り。
もしも、と思う。
「もしも、恋を終わらせられる方法があるとするならば──」
そこまで独り言を続けて、すぐ、飲み込んだ。
バカだな。そりゃ、バカすぎる。
──セックスをすれば、前の恋を断ち切れるかもしれない。
なんて仮定は、バカだ。我ながら、何の論理的根拠も無い方法を思いついたもんだ。そんなもの、多分、童貞の妄想だ。性行為を神格化しすぎだ。
……けれど。
「そんな藁にもすがりてえよ……聖母がいるなら救われてえ……」
一人になって思うのは、結局、そういう馬鹿げた欲求だった。
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