第16話 スカート
◇ 11日前(火曜日) ◇
朝ご飯は作ろうと思って居間に向かうと教師はもう起きていて、何かをガサガサやっていた。
「おはようございます。早いですね」
教師はなにを生業にしているのかいまいちわからなかったが、普通のサラリーマン並の早起きだ。六時のニュースが始まる。
わたしはただよく眠れなかっただけで、元来、早起きは苦手だった。
「今日は火曜日だろう? リサイクルゴミの日なんだよ」
「はぁ。まめですね」
「ゴミばかりは捨てないと増えるばかりだからなぁ」
そう言いながらあちこちのゴミを集めているようだったので、腕まくりして台所に立つ。
何を作ったものか。
葉山さんは教師は和食が好きだと言っていた。ご飯は炊いた。おかずが問題か……と冷蔵庫を覗くと丁度いいものが見つかった。
「なんだお前、料理できるじゃないか?」
「葉山さんが買い物してくれておいたからですよ。いつもは一体何を食べてるんですか?」
んん、と返事に窮したようだった。
わたしが用意したのはハムエッグときゅうりの酢の物、ワカメの味噌汁。低燃費でできるものばかりだ。
「この目玉焼きがいつも俺を困らせるんだよ。こいつ、なかなか……」
「固焼き派でした?」
確かめもしないで焼いてしまった。
「いいや、半熟が好きなんだ。日本人のほとんどは半熟が好きに決まってる。ところがその半熟になかなかならないだろう?」
「ま、経験ですね」
「経験か。確かにそれは不足している」
男の人は料理が出来ない場合、どうやって暮らしてるんだろうと思ってつい、誠の心配をしてしまう。目玉焼きくらいはできると思うけど、冷蔵庫の中身は少なかったかもしれない。ひとりで上手く買い物に行けたのかな……。
「これならいる間は料理、任せられそうだな」
「期待しないでください。食べられる程度の質なんで」
「気にするな。週末にはたぶん、今週も葉山が現れる。俺たちはそれまで生き延びればいいんだから」
「酷いなぁ。もう少し期待してくださいよ。クックパッドもあることだし、和食も作れると思いますよ」
クックパッドかぁ、と、教師はあまりクックパッドが得意ではなさそうな声を出す。確かに細かく書かれているとめんどう、だと思うのがいつまでも
お昼と夕飯の献立を真剣に考えないといけない、とタスクをひとつ増やした。
食後のお茶の間にもニュースを見続ける彼に、思い切って話しかける。
「先生、あの!」
「……意気込んでどうした?」
「あの、やっぱりここだと機材が足りないのでアパートで昼間、作業してきます」
「やっぱりここじゃだめか。俺も古いノート型しか持ってないからなぁ」
「大丈夫です。彼が戻るより前にアパートを出ればいい話だし。火曜日は早く帰ってくることも少ないし」
「まぁいいよ。仕事をがんばるのはいいことだ」
教師の承諾を得る必要は無いのかもしれないけど、置いてもらっている以上、話しておかないわけにはいかない。
「そう言えば先生の仕事は?」
んん、とまた言いづらそうな声を出した。
「まぁ、なんだ。一応これでも『画家』なんだよ。葉山があちこちで売ってくれるから、収入は何とかなってる。それでもすごい値段はついたりしないから、俺の実質スポンサーの葉山は、うちに家庭菜園を作ったりしてるんじゃないか」
それには声に出して笑わずにはいられなかった。
「冗談にならないよ。葉山のお陰で食ってる。捨てられたら終わりだな」
「二階がアトリエ? そう言えば先生の絵って見たことない。わたしの絵は見たのに」
「お前のイラストは見てないだろう? おあいこだ。お前にはまだ見せてやらないよ。お喋りを長々としてるくらいなら早く仕事してこい。先方あっての仕事だからな」
はぁい、と少し子供っぽい返事をして部屋に戻る。iPadと資料を忘れずに持つ。色鉛筆、スケッチブック……。
ああ、急がなくちゃ。時間はどんどん過ぎてしまう。
「気をつけていけよ」
「いってきます」
小学生のような挨拶をして家を出た。
元気よく出てきたのはいいけれど、いまにも降りそうな空模様だった。そう言えばニュースの天気予報は「ぐずついた空模様」と告げていた。
傘は思い出してみると持ってくるのを忘れたので処分されてない限り、誠の部屋にある。なら大丈夫だな、と気軽に考える。
ぐずついた空、時々吹くひんやりした微風、これは降るよなぁと思いながら荷物を背負って歩くのは気が進まなかった。何しろ、別れた相手の家に行くのだし。
鍵はとりあえずいままで通り開いた。
失礼しまーす、とこれまで何年か住んでいた、いまは他人の家に上がる。
変わったものは……変わったものは、特にない。しっかり者の誠は整理整頓が得意だし、ひょっとするとわたしといた時よりきれいになっているかもしれない。
はぁ……。全部終わっちゃったことじゃん。
自室だった部屋のドアを開けると、出ていった時と同じく物が散乱していた。
適当にどかして、作業できる場所を作る。とりあえず、仕事だ。
アイコンは完成形を納品してお終い。
めんどうな一枚絵は塗りまで入った。どの色を付けていくかはラフの段階で決まってるので、レイヤーを変えながら慎重に色を重ねていく。おおまかに色を付けた時点でお茶にする。
――あ。
わたし専用のマグカップはまだそこにあった。わたしは棚からそれを取り出すと、両手で包んで目の高さまで持ち上げた。
いまここにいる自分が許された気がして、またほろっと来そうになる。
違う、そうじゃない。
持ってきたおにぎりを食べながらお茶を飲む。
仕事――。仕事をしに来てるんだ。
みっつめの仕事、お得意さんからの仕事。全面的にお任せ、といった風なのでキャラデザを考える。小説はもう読んできた。今回は聖女様が出てくる話らしい。聖女、というのが描くのが難しいところ。
この人との仕事が好きなのは、主人公が前向きで真摯なところがあるところ。いままで三本の作品をご一緒させていただいたけど、どれも同じだった。そういう作品はこっちも描いていて真摯にならなくちゃいけない気になる。
どんな聖女を······。こんなんでもないし、これでもないし、どうにもイメージに合わない······。
ハッと、どこかから音がして目が覚める。そうだ、わたし、寝ちゃってたんだ。仕事も進んでないし、泣きたい気持ちになる。
どんな顔をしていま誠に会えばいいんだろう?
「ただいまぁ」
――その声は甘く、女性のものだった。
心臓の音が大きくなる。
こんな時に遭遇するなんて。
しかもまだ出て行ったばかりなのに……。
沈黙が続く。彼女がヒールを脱ぐ、カツン、という音が聞こえる。
どこも明かりがつけっぱなしにはなってないはず。靴だけ、見逃してくれれば――。
「まこちゃん、じゃないよね。わたしが会社出た時、まだデスクにいたし……。つけっぱなしなのかな?」
しまった。たぶん、よりによってリビングの明かりがつけっぱなしだ。
彼女の足音が聞こえる。
ガサガサという音は、ふたりで夕飯を食べようと買い物をしてきたに違いない。ペタリ、ガサガサ、ペタリ、ガサガサ、……。
冷蔵庫を開ける音。ペットボトルのふたをひねる音。喉が鳴る。ふぅ、と軽いため息。
……テーブルの上にあとで片付けようと思ってマグカップが出しっぱなしになっている。
「······すみません、元カノさんですよね? いるなら隠れてないで出てきてください。幽霊とか生霊の類じゃないですよね? ストーカー? そういうの舞美、苦手なんで」
心臓がドッ、ドッ、ドッ、……と早鐘を打つ。どうしよう? 正直会いたくないけどでもずっと隠れているわけにもいかない。
観念してわたしはのろのろと居間に向かった。
今日も彼女はふわっとしていて、わたしが買ったのに履くのを躊躇っているのと同じスタイルのシフォンのスカートを履いていた。
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