第12話  『続ける』という才能

 ご飯を食べ終わると教師はなにやらごそごそと動き出した。

「金沢、お前は?」

「人前ではできるだけ」

 わたしたちの話の内容がわかったようで葉山さんが大きな声を出した。

耀二ようじ、約束だろう? 僕の前ではなるべく吸わないって」

 ええ? 大変なことをするところだった。つい教師に誘われて火をつけていたら葉山さんに軽蔑されていたに違いない。

「金沢さんも吸うの?」

「······はい」

「タバコはやめなさい。体に悪いだけじゃなくて他人にも悪い。そして然るべき時、赤ちゃんにだって影響があるんだから」

「······はい」

 なんだか道徳の授業のような空気になってきて、わたしも先生も項垂うなだれた。


「まったく絵描きっていうのは」

「葉山さんは大学でなにを専攻してたんですか?」

「僕も油絵。でも吸わない方の油絵画家。画家は辞めちゃったんだ。耀二の絵見てると、自分が偽物だってよくわかるんだよ」

 そんな、とわたしは呟いた。

「金沢さんにはないの? 自分には決して越えることのできないハードルを目にしちゃったこと。無いならそれはしあわせなことかもしれないね」

「葉山はまたそれかよ。言い訳なんかよくて、葉山には俺にない才能がある。それで良くないか?」

 わたしは葉山さんを見た。葉山さんの顔は一瞬しかめっ面になり、それを忘れさせるようにパッと明るくなった。そこには微妙に見分けづらい明暗があった。


「そうなんだ、続けていくこともひとつの才能だ。僕にはそれがなかった。代わりに気が付かなかったけど僕には商才があるらしいんだよ。幾つかのプロジェクトを組んでるけど、その中のひとつが絵画のマッチング。大きな会社の入口にどんな絵を飾るか、或いは新人画家の絵をどこに飾ってもらえるか、そんなことをしてる。絵のレンタルもしてるよ。あ、金沢さんのイラストも今度見せてよ。イラストも扱えるかもしれないよ。ビジネスチャンスだね」

 そう言うとすっと立ち上がって奥の部屋に行ってしまった。


 その隙を見計らうかのように教師はタバコの箱を持ち、トンと指で一本取り出した。当たり前のようにわたしにも箱を向けたが、なんだかそんな気分じゃなくなってしまい丁重にお断りした。

「アイツさぁ、ちょっと拗らせてるんだよなぁ。アイツの絵、良かったよ。アイツらしさ――折り目正しさみたいなものが出てて、あれは俺には描けない。だけどいるよな、続かないヤツ。知らないところで傷ついて、絵筆を捨てちゃうヤツさ。お前はまだ続けてることがすごい」

「わたしはまだイラストは副業くらいの収入ですけど?」

「収入の問題じゃないよ。自分が『画家』だって言えるかどうかの問題だ」

 教師はすごく美味しそうにタバコを吸った。その前に食べた食事の、まるでデザートのように見えた。


 教師と葉山さんの間にそんなドラマがあるなんて思わなかった。ただの仲のいい飲み友だちなのかと思っていたのに。

 そしてわたしは人前で『イラストレーター』だと胸を張って自己紹介できるのか、考えていた。自分にしかないなにかを持っているのか、これ以上売れなくても続けていけるのか、そんなことを。


「ああ、まずい。間に合うかな?」

 さっきまでポロシャツとチノパンを履いていた葉山さんは、仕立ての良いよくプレスの効いたパンツと趣味の良いネクタイをしたビジネスマンに変身していた。

 葉山さんの向こうに、慌ててネクタイをしめる誠の姿が重なる。まだ新人だった頃、よく結び直してあげたものだ。ネクタイとシャツの色がちぐはぐだったり、あの頃は入社したてで緊張してたはずの誠もよく笑った。

「金沢さん、これ。裏にプライベートの番号なんか書いてあるから。LINEは耀二に聞いて」

 はい、と返事をまともにする間もなく、スーツスタイルの葉山さんはピカピカに磨かれた革靴を履いて出かけてしまった。名刺の表には『代表取締役 葉山成海はやまなるみ』と堂々と書かれていて一瞬、怯む。裏には流れるようにスラスラと電話番号が書いてあった。

 暗い時には気がつかなかったけれど、古い一軒家の駐車場には真っ白い清潔感のある車が停まっていた。


「葉山さんはお金持ちなんですね」

「なんだそれはお前、ストレートな感想だなぁ」

「思ったことそのまんまです」

「やっぱり女は金のある男がいいのかね」

 わたしは閉口した。それはいまわたしが直面している問題にも少し関係することだったからだ。

「金がなくても愛はありますよ」

 変に意気込むわたしの顔を、縁側でタバコを吸っていた教師は覗き込んだ。言い切ってしまったことに恥ずかしさを感じた。紫陽花の花が手毬のように弾んで、わたしを応援してくれているように思えた。

「金がなくても愛はある、か。そうだろうな。そうじゃなくちゃチャンスはみんな葉山に持って行かれて、俺には米粒ひとつ残らない」

 ぷぷっ、と笑いが込上げる。

 どうしてこの人はこんなに面白いんだろう?

「先生には先生の相手がどこかにいるんじゃないですか?」

「まぁ、そうだろうな」

 教師は紙風船のように膨らんだ桔梗のつぼみを見ているようだった。その紫色はなんだか悲しい色に見えて、焦らさずにパッと咲いてくれたらいいのにとわたしに思わせた。

 教師に悲しい顔は似合わない。


「そうだ、葉山さんのLINE、忘れないうちに教えてください」

「え!? どうやんだよ」

「いいから先生はロック外して」

 この前わたしと交換した時はこんなに狼狽しないでおとなしくQRコードを見せてきたのに。

 わたしの手元でロックを外すのでパターンがバレバレだ。もっともこの人のLINEを覗きたいとは思わないので、知ったところでなにもないのだけど。

「わたしと先生と葉山さんでグループを作ってみました。葉山さん、驚くかな?」

 ふふ、と笑うと教師に鼻をつつかれた。憮然としているとその指はそのまま額に向かって、前髪をかき上げられる。目と目が合う。

「そうやって笑ってた方がかわいいのにな」

 ふと口から出てしまった、というように教師は自分の言葉に狼狽えたようだった。それでなにかを付け足して帳消しにしようと努力をしていたようだけど、それも徒労に終わったようだ。

 わたしは小さな子供のように頭に大きな手を乗せられていた。

「家に帰れるか?」

「大丈夫です」

 自信はなかったけど、自信に満ちているように答えた。心はガタガタだった。

「もしだめだったら――。お前の布団もあるし、今度は着替えを持っておいで。ヤツの代わりにメシを作ってくれると助かる」

「わたし、料理、下手ですよ」

「食えればいいんだよ」

 真面目な会話は避けて通った。

 さっきまで遠ざかっていた悲しみという名の波が、足元までひたひたと迫ってくるのを感じていた。わたしは泣きたくなかった。ヘラヘラと教師の心配をすり抜けてしまいたかった。

「先生の家にはハイスペックのパソコン、無いでしょう? それだとわたし、仕事になりませんから。……ひとりで飲むのに飽きたらまた来ます」

 よし、と教師は言って立ち上がった。

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