第20話 混乱する人々

テンマが灼熱膝枕でパニックなっていた頃、ダガード領の港町に1台の馬車が到着した。門番がいつものように馬車を止めると、中から予想外の人物が出てくる。


「ダガード子爵!?」


門番は思わず呼び捨てで声を上げてしまった。


「緊急事態だ、すぐに通してくれ!」


「「「はっ!」」」


門番は指示に従い道を空ける。馬車が通り過ぎると門番たちは状況が分からず混乱を口にしていた。


「え~と、なんでだ?」

「確か遠征に行ったはずだよなぁ?」

「なんで、船じゃなくて馬車?」

「あぁ、も、もしかして偽物!?」

「それはない……と思う?」


門番は全員が混乱しながらも、何度も会ったことのある領主のダガード子爵に間違いないと結論を出すのであった。



   ◇   ◇   ◇   ◇



混乱したのは門番だけではなかった。ダガード子爵の屋敷でも、作戦で出港した船が帰還したとの報告も無いのに、馬車で当主であるダガード子爵が戻ったのだから当然だ。


それでも当主のダガード子爵の姿を見て、納得するしかなかった。


馬車で屋敷の玄関まで到着すると、馬や馬車を管理する使用人が走り寄ってくる。彼らは来客の知らせは届いていなかったが、たまに知らせなく来客があるので、焦ってはいたがすぐに準備して出てきたのである。


それでも彼らはいるはずのない主人が、見慣れない馬車から降りてくることを見て驚いた。そして、見たことのない真剣な表情で命令する主人に更に驚く。


「よいか、この馬と馬車には最上級の対応をしろ! 特に馬になんかあれば、このダガードの港町は滅びることになる。飼葉も小屋も最上のもてなしをするのだ!」


「は、はい……」


馬や馬車を管理する使用人達は、主人が狂ったのかと思うほどだった。


「そうだ、明日の朝一番に馬を5頭用意してくれ、彼らが領地に戻るのに使う。できるだけ体力のありそうな馬だ」


そこまで使用人に命じると、ダガードは少し考えてから振り向いて、一緒に戻ってきた5人に訪ねる。


「何だったら、誰か馬車で領地に戻るか?」


「「「お断りします!」」」


5人は声を揃えて答えた。彼らも一緒にマッスルの話を聞いていたのだ。ちょっとした手違いで、敵に回してはダメな相手を怒らせたくはなかった。


彼ら5人はダガード子爵の家臣ではなく、近隣の領主から借り受けた兵士の隊長であった。彼らも急いで自分達の領地に戻り、それぞれの領主に今回の作戦の失敗報告をしなければならない。そして領地の今後のことをムーチョからの指示通りを伝えないとダメなのだ。


ダガード子爵は厄介な存在うまを押し付けられなくて、悲し気な表情になるのだった。



   ◇   ◇   ◇   ◇



屋敷に戻ったダガード子爵は、すぐに領の重要な家臣たちを呼びよせようと思った。しかし、暗くなってきた外を見て、一緒に戻ってきた5人と応接室で気持ちを落ち着かせる。


「よろしいのですか? てっきり急いで色々と動き始めると思っていました」


5人のうち自分と同じ30代の者が尋ねた。


「そのつもりだったのだがなぁ……。色々なことがあり過ぎて、一度気持ちと考えを整理しようと思ったんだ」


ダガード子爵は天井をボーっと見ながら答えた。

その様子を見た5人も、ここ数日の出来事を思い返す。よく考えると現実とは思えないことが次々とあった。彼らも自然に天井を見上げ、夢だったのではと少しだけ頭の中をよぎる。しかし、あの恐怖やファイアードラゴンの肌触りは夢ではないと確信する。


そして、不思議と恐怖が和らいでいた。いや、和らいだというより、恐怖を感じても何も変わらないと全てを受け入れるような気持になっていた。


その場にいる全員が脱力したように力が抜け、天井を見上げる。


「なんですかなぁ~、確かに焦っても何も変わりませんなぁ」


先ほど尋ねてきた者がそう話すと、全員が自然と頷いて笑顔になる。


その変な雰囲気の応接間に3人のメイドがお茶を運んできた。

メイドは6人の体格の良い男たちが、天井を見て微笑んでいる姿を見て言い知れぬ不安を感じた。それでも震える手でお茶を用意し終えると、3人は逃げるように部屋を後にする。


メイドがお茶を準備している間も、6人の男たちは天井を見て微笑んだままだった。


メイド達3人は恐怖のあまり、応接間を出ると泣き出してしまい、急いでダガード子爵の妻に報告に向かうのだった。



   ◇   ◇   ◇   ◇



お茶から立ち込める香りにダガード子爵は気付き、ゆっくりとお茶を口に含む。そして、まだ少しだけ夢の中にいる感覚を残しながら呟いた。


「隣国のヴィンチザード王国で悪魔王が出たというのは、本当の話だったのだなぁ……」


その呟きを耳にした5人はビクリと反応した。そしてそれぞれが話し始める。


「信じられないような噂だったが……」

「あぁ、そういうことか……」

「伝説のハル様の噂もあったなぁ」

「ミニオークみたいなハル様……」

「悪魔王……、テックス……、マックス……」


ホレック公国では塩の輸出が減り始めてから、商人からだけではなく密偵やヤバイ連中からも噂が次々と流れ込んでいた。その内容が信じられない事だと感じながらも、ホレック公国国内に影響のあることなので、噂は常に確認していた。


「悪魔王には老齢の執事が一緒に居ると聞いたなぁ……」


執事と聞いて彼らはすぐにムーチョの事を思い出す。そして色々と繋がってくる。


「では、彼らは隣国の工作員ということですか?」


質問した男もそんな風には考えていなかった。


彼らに伝説のドラ美様が付いているとなると、工作などする必要があるとは思えなかった。その気になればホレック公国だけでなく隣国のヴィンチザード王国が相手でも勝てそうである。


「それはないなぁ~、彼らはまるで黒耳長族と遊んでいる感じだった。それに戦いを避けようとしていたのは、ホレック公国側ではなくあのマッスル様だ」


誰もが頷く、執事のはずのムーチョにいいように使われ、マッスルを気の毒に思うこともあった。それでも不思議と仲間も黒耳長族もマッスルを敬っていた。そしてマッスルはホレック公国の今回の行動に腹を立てていたが寛大でもあった。


その事を思い出しながらダガード子爵はまた呟く。


「悪魔王は悪いことする相手には恐ろしい存在だが、実は悪者を滅ぼす正義の味方と言う噂もあったなぁ」


それを聞いて、また彼らは頷く。


「ホレック公国が悪者ですか……」


彼らの1人がそう呟くと、全員がホレック公国の未来は無いだろうとこの時に確信した。


特に5人は自分の主をホレック公国わるもの側につかないように説得に命を懸けようと決心する。


そこにダガード子爵の妻がノックもせずに部屋に入ると、子爵に縋りつき泣きながら叫んだ。


「いやぁーーー、戦いに負けたからと正気を失わないでぇーーー!」


それからダガード子爵は妻を宥める為に、疲れ切った精神力を使い切るのであった。



   ◇   ◇   ◇   ◇



ダガード子爵は何度も狂ったのではないかと、妻や領の役人たち、さらには小さな子供にも疑われた。それでも必死に説明してホレック公国から離れ、自治領として動ける準備を進めていた。


近隣の領主たちも、戻ってきた兵士から説明を聞いても信じてはいなかった。


それでも作戦が失敗したなら領としては最悪な事態で、追い詰められた領主たちはダガード子爵を訪ねて集まっていた。


「正直、何が何だか分かりません! ダガード子爵、分かるように説明してください!」


集まってきた領主たちは口々に同じことを話した。


「一緒に戻ってきた兵士たちから聞いた話は全て真実だ。信じないならそれで構わんと言いたいところだが、あなた達の気持ちも分かる」


ダガード子爵の答えを聞いて、余計に領主たちは騒ぎ始める。真実なはずないだろうという気持ちが強いのだ。


「ああ、話を聞いてくれ。信じるか信じないかの判断をしてもらうために、もうすぐ真実の一端を見せられるだろう。みんな庭に出てくれ」


ダガード子爵の話に領主だけでなくダガード領の役人も半信半疑であった。役人は何とか領主たちがダガード子爵を説得して欲しいとさえ思っていたのだ。


ダガード子爵は庭に出ると海の方をしばらく見つる。そんなダガード子爵を見て領主たちがまた騒ぎ出す。


そんな領主たちを無視していたダガード子爵がおもむろに海の方を指差した。


「自分の目で真実を見てくれ!」


領主たちも役人たちも、何もない海を指差すダガード子爵を見て、やはり狂ったと確信した。しかし、領主の1人がダガード子爵の指さす方を見て叫んだ。


「あっ、あ、あれはなんだ!」


そこには、まだ距離が遠いのか黒い点にしか見えない何かが見えていた。

他の領主や役人もそれに気付き、そして徐々に黒い点が大きくなっているのに気付いたのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る