Runway22 ②

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――2198年06月30日 21:30 東京国際空港(通称羽田空港)南東 D滑走路端――

東京の夜空はよほど明るい星や月じゃない限り、何も見えない。ネオンをはじめ、人間の灯す明かりが星を見るには明るく、淀んでいるからだ。

そして私が見ているスコープ越しの夜空にも星はいない。高倍率に設定したスコープから見えるのはRunway 22の端から距離2000m、高さ195m(642フィート)の空間、ほぼ点のような範囲、おまけにスコープに入る光量も少ない。

それでも私は自分の瞳の中のコンタクトレンズに映るレーダー情報と続々と着陸する航空機の間隔のタイミングから引金を引く時が近いことが分かっていた。


「距離4000、高さ398、来ます!」

隣でののちゃんが遠くを見つめながら私に相手の位置が伝える。周囲の空は夜間なのに朱色に染まっている。彼女が対怪用の結界、庭を展開し相手の挙動を観察し、抑え込んでいるからだ。彼女は結界内のおおよその物体を自在に見えるので私より相手をもっと見極めているだろう。

私の瞳にはレーダーの他に管制室で計算された弾道予測のグラフ、弾道シミュレーションが投影されている。心の中で標的を引き付けるために数刻数えて私は引き金を引いた。


花火のような高音が炸裂し、.50 BMG弾(12.7㎜弾)が高速で射出された。

振動を減衰するためのサプレッサーがついているとはいえ一瞬強烈な反動が向かってくるため、私は反動を両腕で抑え込む。


マクミランTac-50の弾道初速は時速805kmに達する。ただ私が弾を放ったポイントはここから2000mも離れているため、空気抵抗で減衰する弾丸がそこまで到達するまでに約4.7秒の時間がある。弾を放った私に出来ることはこの瞬間はない。心の中でゆっくりと数を数えるだけだ。


1、2、3、4……

何も見えないスコープ上に白い機体と機上の黒い直方体が映った瞬間だった。

黒い直方体に衝撃が走り、形を保てずに粉々に弾け飛んだ。


「初弾命中、直方体型のフレア粉砕。粉砕後も自律運動など反応ありません。」

隣にいるののちゃんがトーンを変えずに結果を報告する。

一発で命中させた。もとより水際の迎撃なので一発で仕留めなければ次はほぼない。


指令室から通信が入った。

「怪の反応消失を確認、そのまま警戒を維持。」

「了解です。」

ののちゃんが回答し、結界の庭を一旦解いて双眼鏡で周囲を確認し始める。

私は次の現れるかもしれない敵に向けて、黙々とまた照準を合わせるためスコープを再調整し始めた。


――2198年7月05日 16:50 東京国際空港(通称羽田空港)南東 D滑走路――

「あーーー……熱い……まだ7月入ったばっかりなのに夕方も全然暑いじゃん……」

私、鬼崎はるかは羽田空港のなかで最も新しい人工島上のD滑走路脇の車道のアスファルトの上に立ち、体温を逃がすように制服のワイシャツをバタバタさせていた。

7月の東京は最近は夕方になっても気温30℃を優に超えている。羽田沖はいつも通り海風が吹いているが、湿気を伴った熱風で不快指数をさらに上がっている。

「最近の東京は地球温暖化に相まってヒートアイランド現象も進んでいますからね……ここは航空機のための構造物で遮蔽物もないし暑さから身を隠すものは何もないです。人がここにいることはあまり想定されていないんですよ。」

背後から濱村野乃、ののちゃんの声がした。ののちゃんは強風の中、茶色の髪をなびかせてタブレット端末を片手にこちらに歩いてきて私の隣に立つ。

時刻は16時55分、集合時間は本当は16時45分、開始は17時ちょうど、遅刻と言えば遅刻だ。この蒸し暑さの中急いで小走りをしてしまったので汗が噴き出してきて止まらない。


――夜の羽田空港――

私はここでフレアと呼ばれる化け物が航空機と一緒に国内外から帝都東京に上陸するのを水際で迎撃している。一応世間体は嘱託の公務員だが、得体の知れない化物と対峙するという意味では祈祷師とか霊能力者みたいなものだ。世間的には存在しないことになっているが、私たちは自分たちを翼祓い、通称『祓い』と名乗っている。私はその中でも長距離用の狙撃銃マクミランTac-50を使って怪を撃墜する、攻師せめしと言われるポジションの中でも射手(狙撃手)の役割を担っている。

隣にいるのは、同期でここに入った濱村野乃、通称ののちゃんだ。彼女の役割は『庭』と呼ばれる対怪用の結界の制御と私の狙撃のサポートをしてくれる、通称庭師にわしだ。


「私たちが本来ここにいることは特に想定も歓迎もされていないってことかー……まあそれもそうだよね。」

私はモワッとした外気にため息をついた。体温より暑く湿度も高い外気と私の呼気はすぐに混ざって消える。

「パイロットは本来滑走路近くに人はおろか物があると判断されただけでも着陸は回避して再上昇しますからね……私たちは庭の中に落とし込むことで一般の彼らには見えなくしてしまってますけど。」

私たちは存在しないことになっているものと戦うので、当然存在が想定されていない。日陰者も良いところだ。もっとも日陰なら涼しくて良いが、実際の戦場は陰ひとつない炎天下だ。


「はるかと濱村さん、迎撃ポイントに着いた?」

耳元のヘッドフォンから落ち着いた高めの声が入る。私の教官、指令室の主任の狛井彩先生だ。

「こちら鬼崎班、Runway 22のポイントに到着。現在目視範囲内での怪は見当たりません。現在1700より紹介業務に入ります。」

隣にいるののちゃんが事務的に返事をする。

「了解。今日の羽田の日没は1803だからそれまでは出現はないと思うけど警戒を怠らないで。はるかはポイントのゼロイングは終わっている?」

「あっ……いえ……これからです……」

私はしどろもどろ返答した。ギリギリに着いてしまってポイントでの狙撃銃の調整をまだ出来ていない。

私が担う狙撃はロングレンジで1500m以上、遠いと3000m近くの標的を撃つこともある。そのためスコープでの照準合わせと狙撃ポイントと弾道の補正が狙撃の前に必要になる。それがゼロイング。単純に構えて撃って当たるほど近距離ではないのだ。


「現場に到着が遅れるとその後の全ての準備が遅れるのよ。迎撃は日没後とはいえ油断しないで。」

「すみません……」

私が謝罪して通信はあっさり切れた。教官は私に優しくない。優しくされても戦場にメリットがないことは私もよくわかっている。


「あー…現着遅れたのバレちゃってましたね。」

ののちゃんが隣でくすっと笑いながら言った。

「銃の最初の調整に手間取ったからなー……さっさとゼロイング済ませとかないと…」

私は愛機マクミランTac-50の設置を始めた。この狙撃銃は全長が1448㎜と長く、ののちゃんの身長くらいある上にとにかく重い。狛井先生曰く、長距離狙撃銃とはそういうものなんだそうだ。

私は二脚を組み立ててTac-50を座らせ、角度を台座で調整して12°で設定した。その後ろに伏せ、つま先からお腹までべったりと熱いコンクリート地面にくっつけて身体を安定させる。

右手を引金にかけてののちゃんに声をかけた。

「ののちゃん、ここから距離正面100mの低めのところにターゲット作って。」

「はいはーい。」

庭師が自身の庭の中に構造物を作るのは簡単なんだそうだ。隣に座っているののちゃんが何かつぶやくと、すぐに正面の空中に半透明の円形の的が作り上げられた。


5発装填の試射用マガジンを装着しスコープのを少しずつ回しながら中心に合わせる。

中心点を的の中心に合わせたところで私は引金を引いた。


高音質な乾いた音が響き渡り、一発の弾丸が空中に放たれる。


1秒経過するかしないかのタイミングで、ストン…と静かに弾は的に刺さった。中心からは数cm上にずれている。私はスコープのメモリを調整して的の中心を一目盛り下にずらした。そしてもう一度引金を引く。

今度は的の中心に弾が刺さった。調整完了だ。

ここは実際の航空機も通過するので、実弾は実戦でしか使用できない。実戦で用いる長距離狙撃用の.50BMG弾と同じ口径、同じ重さの模造弾を実戦より短い距離で位置合わせをなるべく行っておくのが狙撃前の最低限の準備の一つ、ゼロイングという欠かせない作業だ。


私は駆け出しの射手で、引金を引くまでのお膳立てをほとんど指令室にやってもらっている。怪が出現すると、その日の気象条件(温度、湿度、風向、風速など)と重力の影響、怪の移動速度、高度を設定し狙撃する弾道を指令室でシミュレーションがなされる。そのデータがつけているコンタクトレンズに転送され、私は自分の視野とデータを一致させて引金を引く。実質最後の位置合わせを私の手動で行うだけだ。射手によってどこまでサポートされるかは違うらしいが、他の射手はもっと自律制御で実戦に入っているらしい。これだけお膳立てされないと撃てていないのが今の私の技術だ。


風向きが変わらなければ航空機は羽田の滑走路に同じ経路で進入して着陸する。航空管制もコンピュータベースの指示なので進入経路、速度、降下角度も全く揃って着陸してくるのだ。そのため一度ゼロイングで位置と射角を合わせておけばあとは微調整で済む。


「ゼロイングと位置合わせは完了、ののちゃんありがとう。」

私は調整を済ませてののちゃんの方を向いて言った。

「いいえー!……とりあえず今のところこの辺の空域で異常の連絡はないみたいです。しばらくこのまま待機ですね。」

ののちゃんはタブレット画面でレーダーなどを確認しながら、待機とはいえやることをどんどんこなしている。情報を集めつつ、戦闘時は”庭”を展開するなど狙撃手のサポート全般をするマルチタスクをこなす業務は私にはまったく向いていなさそうだ。


「今日は平和だと良いなー。昨日は結構出たって聞いたし今日の分まで出尽くしてないかなー。」

妖怪や幽霊にありがちな話ではあるが、怪も日中は出現しない。そのため私たちの主戦は夕方頃から夜にかけて起きることが多く、シフトも夕方から夜にかけてしか基本的にはない。

「そんなこと言ってるとたくさんきますよ……ここ最近は数は増加傾向みたいですし、いつどこから出てきてもおかしくないんですから。」

ののちゃんはため息をつきながら笑って返事をしてくれた。忙しい時も笑って隣にいてくれるのはこんな場にいる中では唯一の癒しだ。

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