空っぽの宝箱(恋人の逆位置)
「主、一つ頼みたいのだけれど……」
珍しく弱々しい申し出をする恋人さんに、違和感を覚えつつもいったん話を聞くことにした。普段はどんなときも堂々とし、はきはきとした口調で話す彼女だが、この日はその真逆である。こんな姿の彼女を見るのは初めてで、余程の緊急事態なのかと自然と構える。
「恋人の逆位置の様子を見てきてほしいの」
「恋人さんの相対する存在の……? 別に構わないけど、どうしたの?」
「少し苦手なのよ、あの子」
恋人さんからの依頼は、彼女の相対する存在である『恋人』の逆位置の様子を見てきてほしいというものだった。彼女の主な意味は『束縛・過保護・一方通行な思い』などで、恋人さんが苦手とするタイプの女性なのだという。
それでも相対する存在として様子を見る必要があるがゆえに、毎回頑張ってはいるようだ。
然し寸前になって、躊躇してしまい結局様子を見ることも声をかけることもできずに終わってしまうのだという。私自身も彼女と顔を合わせるのは初めてに等しいが、あの恋人さんが苦手だという彼女は、一体どんな人物なのだろうか。
興味本位も相俟って、彼女からの申し出を受け入れ、早速部屋へ案内してもらった。
「ここが……?」
「そうよ、ここが彼女の部屋。いつでも中にいるはずよ」
案内された部屋は、ごく普通の部屋ではあるものの、ドアの奥から不穏な空気が流れている。耳を澄ますと、ひそひそと話し声のようなものがきこえてくるが、恋人さん曰く彼女の部屋には彼女以外誰もいないはずだという。
「じゃあ様子見てくるね」
心配そうな表情で見つめる恋人さんを背に、ドアをノックしてから部屋へと入る。
部屋の中は薄暗く、壁一面に何かを張り付けてあるようで、歩く時に起こった風でバサバサと揺れていた。部屋の奥に進むと、噂の彼女の姿が見えた。何かに向かって楽しそうに話しているようだ。
「あら、お客さんが来たみたい……またあとで話しましょうね……ふふふ……」
私の気配に気づいたのか、背を向けていた彼女がこちらを向いた。先程まで話していたのは男性の顔をしたマネキンのようなもので、うつろな目で彼女を見つめている。そのマネキンを愛おしそうに撫でてから、そっと立ち上がり私の前にやってきた。
「初めまして、主様。歓迎いたしますわ」
「初めまして、恋人の逆位置さん。それと……彼のお名前は?」
態とマネキンのことを話題に入れて、反応を伺った。彼女は一瞬キョトンとしていたが、やがて恍惚の表情を浮かべて嬉しそうに私の手を握った。この手の人の扱いには慣れている、ここで彼女との距離を縮められるかが決まるのだ。
「主様、彼のことが見えるのね! 彼はヒロっていうの、私の最愛の人なのよ」
「初めまして、ヒロさん。そうだったんだ、もう籍は入れたのかな?」
「いいえ、まだ彼が恥ずかしがっているの……でも将来はそうするつもりよ。その時はお招きするからぜひいらしてね?」
どうやら彼女のご機嫌を完全につかめたようだ。安堵しつつ、恋人さんが何故苦手意識があるのかを理解した……まともではないからだ、全てにおいて。
「立ち話もよくないわ、どうぞ座って?」
「ありがとう、良ければヒロさんも一緒に話そうよ。二人の出会いの話とか聞いてみたいな~」
「やだ、恥ずかしい……ヒロさんどうしましょう。話してもいいの……?」
「……ヒロさんなんだって?」
「ふふふ……話してもいいって言っているわ」
彼女がヒロさんと呼んで慕うそのマネキンは、上半身しかなく薄汚れていた。部屋を見回すと、下半身が乱雑に置かれており、もともとついていたものを取り外したのだろうと推測した。
「私と彼は、公園で出会ったの。買い物の途中袋が破れちゃって、困っていたところに彼が声をかけてくれて……」
そこから彼女とヒロさんとのなれそめの話が始まった。彼女が困っているときに助けてくれた時に出会いがスタートし、話していくうちに恋に落ちて今に至るのだという。心底幸せそうに話す彼女に相槌を打ちながら、真意はどうなのだろうかと考えた。
一通り彼女の話を聞き終え、また様子を見に来る旨を伝え、帰ろうと席を立つ。
すると、彼女から近付きのしるしにと、箱を手渡された。持ってみると、異常に重い……何が入っているのかを問うが、笑うだけでこたえない。仕方がないのでありがたく受け取り、彼女に別れを告げて部屋を出た。
「待ってたんだ……様子見てきたよ」
「えぇ、かなり気がかりだったから……それは?」
「近付きのしるしにって渡されたんだけど…すごく重いんだよね」
その後一旦恋人さんの部屋へ箱を持ち帰り、中を一緒に開けてみた。すると、箱の中には……何も入っていなかった。
「空箱じゃん……なんであんなに重かったんだろう」
「……あの子の、思いよ。貴女に対するね……」
恋人さんの言葉に、あれだけの思いを向けられると流石に答えるだろうなと思った。その後も何度か様子を見に行っているが、その度に非常に重い思いを渡されて困っているのは、言うまでもない。
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