第16話 誘拐未遂事件



明くる日。

学院が休講なので、ミトスは今日もメルクリウス横丁を訪れていた。

商業区画の大通り中央に座す噴水広場は待ち合わせスポットとして、使われる事が多い場所で例に漏れずミトスもそこを待ち合わせ場所にしていた。


時間はちょうどお昼時を少し過ぎた頃。

多くの人で賑わう中、待ち人を待ち続けるミトスは周囲の雑踏が聞こえなくなる程に集中していた。目を閉じて、耳はペタンと閉じ、一見寝ているようにも見える状態で何をしているのかと言うと……


(ふむ、だいぶ霊素の扱い方が分かってきたぞ……!!)


掴んだ手ごたえにミトスは少し頬を緩めた。


彼女が自主練として行っているのは、【霊術】の基礎訓練と言える霊素のコントロールである。腰に差した刀に霊素を集束と開放を繰り返して、早くもミトスは【霊術】の基礎技能をマスターしようとしていた。


(じゃが、セイランには遠く及ばんな。儂の場合はまだまだ時間が掛かりすぎる。)


セイランに実演した貰った時、彼は瞬く間に霊素を集束していた。

それに対して、ミトスの場合は意識を霊素のコントロールに集中させた状態で行う必要があり、集束に掛かる時間も1分から2分程。到底、実戦で使うようなレベルではない。


また、セイランとの違いはそれだけではない。

ミトスが一度に集められる霊素の量はセイランに比べると、格段に少ないのだ。

体感なので正確な量は分からないが、5倍近い量の霊素を彼は一気に集束してみせた。


(今の状態では実戦など夢のまた夢じゃな。まあ、入り口に立っても居ないのじゃから当然か。)


ミトスは肩の力を抜いた。

途端、忘れていた疲労がドッと襲い掛かってきた。肉体的な疲労は無いが、精神的な疲労は結構大きい。このまま夢の世界で旅立ちたいくらいだ。


(それにしても、セイランは遅いのう……)


くわぁ~と欠伸をしながら、ミトスは広場を見渡す。

多くの人が思い思いの時間を過ごしているが、その中にセイランの姿は見えない。そもそも、お昼頃と大雑把にしか時間を決めていないので、この時間に来るとは限らない。


「ねむい……」


ぽかぽか陽光と心地よい気温、さらに程よい疲労感が相まってふらふらと身体が揺れ始めるミトス。

もう一回周囲を見渡してもセイランらしき人影は何処にもない。

それを確認した彼女は自分の尻尾を抱き枕にして、ベンチに寝転がった。


がやがやと騒がしい広場に微かに紛れ込む寝息。

確かにエスペランザ王国は他国に比べると治安が良いとは言え、ミトスのような見た目幼い少女が一人で居るのは非常に危険。さらに言えば、ビーストは王国では少数民族ながら、その容姿が嫌な方面に人気が高い。


そんな事お構いなしに寝息を立てる彼女を放置する訳が無く……


「おい、準備は良いか?」


「いつでもオッケーさ、相棒。魔法の準備も万端だぜ。」


一般人を装ってミトスの方へ近付いてくる二つの影。

一方は非常に恰幅が良く身長は200ハイドを超える大男。もう一方はひょろひょろと小柄な男性。そんな正反対な2人は周囲の目に気を配りながら、未だに眠っているミトスに近づいていく。


そして、ダッシュして手を伸ばせば彼女に触れる事ができる距離まだ近づいた時。

噴水広場に真っ黒な霧が充満して、幼い狐娘の姿を完全に隠してしまう。


「今だ!!」


大男が駆け出し、人一人をすっぽり包めそうな袋を取り出す。

それを何に使うかは明白だが、真っ黒な霧に覆われた広場でそれを妨害できる者は居ない。


(へへへ、こんな所で無防備に寝てる嬢ちゃんが悪いんだからな!!)


これから手に入るであろう富を想像して口元が歪ませる大男。

もう彼には目と鼻の先で眠りこけるミトスが金塊にしか見えなかった。

そして、大男の手が彼女に触れる寸前、キンッという甲高い金属音が静かに響く。


「へっ?」


大男の口から素っ頓狂な声が漏れた。

少女の細腕を掴んだと思ったゴツイ手は空しく虚を掴むだけ。さらには、いつの間に切られたのか一直線に奔った傷口から血が噴き出した。


「い、イッテェェェ!?!? ふごッ!?」


突然の痛みに悶絶していると、今度は真横からハンマーで殴られたような衝撃にその巨体が吹き飛ばされる。


「い、一体何が起こったんだよ……ひっ!?」


「…………」


大男の視線の先には、さっきまで眠りこけていた、今まさに誘拐しようとした少女が立っていた。

その目はしっかりと開いており、大空を彷彿させる蒼い瞳・・・が彼を捉えて逃がさない。


「■■■■■■」


ミトスの口から出たのは、王国では聞きなれない言葉だった。


「な、なに言っているか分からねえよ!!」


「■■■■■■」


ミトス……いや、ミトスの皮を被った誰かは肩を竦めると、腰の刀を抜く。

そして、目にも留まらない速さで肉薄すると、その首筋に鋭い刀身を突き付ける。

よく見ればキラリと光る刀身からはポタポタと血が滴り落ちている。恐らく、男の腕を切りつけた時のモノだろう。


「■■■■■■」


相変わらず、彼女の口から出るのは訳の分からない言葉。

それが返って恐怖を増長させる。さらには、今にも首を切り裂きそうなくらいまで近づけられた刃物に男の心は耐えられなかった。


「ひっ、ひぃぃぃぃぃ!!」と情けない悲鳴を上げて逃げ出しく男。

それに伴って、噴水広場に充満していた黒い霧が散っていく事から、霧の術者も一緒に逃げ出したようだ。


それを見送った彼女は刀を戻し、瞳を閉じる。


「……うにゅ?なぜ、妾は立ち上がっているのだ?」


次に目を開いた時、彼女の瞳はルビーを思われる赤色に戻っていた。

小柄な体に纏っていた冷たい雰囲気も完全に霧散し、いつものミトスだ。

しかし、当人は豹変した間の記憶はないらしい。


「何やらざわざわしているが、何かあったのかのう?」


———と、ざわついている広場の様子に暢気な感想を零す。

不思議そうな表情を浮かべていると、こっちに向かって走ってくる待ち人の姿があった。


『遅いぞ、セイラン!!』


『酷いなぁ、待ち合わせ時間を指定しなかったのはミトスちゃんの方だろ。』


『分かっておるよ。言ってみただけじゃ。』


そう言って、ミトスはクスクスと笑った。


『さあ、お主に言われた通り、霊素のコントロールはできるようになったぞ!!』


みっちりとトレーニングした結果を披露するミトス。

もちろん先駆者であるセイランから見れば拙いようなレベルだが、確かに彼女の触媒には霊素が集束している。


『うん、これなら術の演習に取り掛かっても良さそうだ。』


『本当か!?』


『でも、術の練習をするなら前みたいに宿じゃあ無理だね。どこか、人気が無くて広々とした場所があれば良いんだけど……』


『それなら、妾に心当たりがあるのじゃ。』


そう言って、ミトスはセイランを秘密の場所へと連れ込むのだった。




◆◆◆◆◆



その頃、ミトスの誘拐に失敗した男二人組は……

メルクリウス横丁の路地を活用して、絶賛逃亡中だった。


その背後からは黒いフード付きコートを身に纏った者が追い掛けてきている。

大男に比べれば、かなり華奢な体躯。しかし、2人には反撃の2文字は無く、逃げ惑う事しか出来なかった。


「くそ、何でこんなに早く神殿騎士のヤツが駆け付けるんだ!?」


「つべこべ言わずに走れ!!追い付かれたら終わりだぞ!!」


「…………」


このまま追い掛ける事に飽きたのか、神殿騎士は力を行使する。

華奢な身体はどんどん大きくなり、大男に匹敵するような体格へ。さらに、身体能力も向上し、2人組との距離を一気に詰める。


「「な、なぁぁぁぁっ!?!?」」


追跡者の豹変ぶりに驚愕する男2人。

そこで逃走する脚を止めてしまったのが間違いだった。

強化された身体能力は双方の距離を詰めるには十分。誘拐犯は街の治安を守る神殿騎士によって、捕獲された。


「まったく……麗しいビーストの少女の誘拐を企てるとは……死刑だな。」


そう言って、追跡者はフードを脱ぐ。

黒いフードの下から現れたのは、神殿内ではそこそこ有名な騎士——ビースト愛好家、ドレッドだった。


『休暇だからって、彼女を影から見つめている貴方もどうかと思いますよ。』


気絶した男性二人組を鎖で手際よく拘束する彼の肩に真っ白な鳥が止まる。

鳥から発せられる言葉には呆れたような、咎めるような雰囲気が混ざっている。一見、普通の鳥にしか見えないソレが話している光景は普通の人なら、驚くような場面だが、ドレッドは特に驚く様子は見受けられない。


「むっ、何を言うか。私は麗しいビーストを警護していた善良な騎士だというのに。」


『鼻息を荒くしながら、熱い視線を向けて追いかけていたら不審者でしょうが!!』


うがーっと叫び、ドレッドの首筋に連続嘴攻撃をお見舞いする鳥。

しかし、特異な身体強化を行っているおかげか、ドレッドには大したダメージは無いらしく、平然としている。しばらく鳥は嘴攻撃を続けていたが、やがて本当に効果が無いと分かったのか諦めてしまった。


『まあ、おかげで“あの人”に危害が及ばなかったのも事実。一応、貴方に感謝しています。』


「ビーストを守るのは神殿騎士の使命だからな。気にする事はない。」


『私の記憶が確かなら神殿騎士の仕事は王国の治安維持だった筈だけど……?』


「それは他の連中担当さ。俺はビースト専属の神殿騎士、ビーストの危機とあれば、何処へでも駆け付ける。そして、報酬として尻尾や耳をモフモフさせてもらう!!」


『……今、ビーストじゃなくて良かったって心の底から感謝しているわ。』


そう言って、真っ白な鳥は翼を広げて飛ぶ。


『それじゃあ、私は此処で失礼するわ。』


「むっ?あの少女には会っていかないのか?ずっと彼女を監視……いや、見守っていたのだろう?」


『ええ。だから、その仕事に戻らせてもらうわ。“あの人”、放置していたら何を仕出かすか分からないもの。』


「ふむ……解せないな。その鳥は危険を予知する魔物、ブラン・カナリーア。対象の危険を予知する能力故に従える事が難しい事で有名な鳥だ。君はさぞ腕の立つ“従魔師”なのだろう?」


『……へぇ、詳しいね。この国だと、従魔師は忌避される存在なのに。』


真っ白な鳥、その向こう側に居る者は素直に感心した。


魔物を従える者、従魔師。

その字の通り、魔物と心を通わせ、使役する特殊な術を使う術者の事を指す。

敵対関係である“闇の勢力”に属する魔物を使役するため、エスペランザ王国では忌避される存在であり、その存在を知っている者も方が少ない。


そして、ブラン・カナリーアは自分やその瞳に映した者の危険を予知する力を持っており、滅多にその姿を見せる事はない生き物である。

その特性故に警戒心が非常に高く、従魔師の間では熟練の術者しか使役する事ができないと言われている。


「一時期、あの手この手でビーストをモフモフしようと躍起になっていた時があってな。その時に色々調べたのさ。」


『とんでもないくらい最低の理由だったわ。』


ブラン・カナリーアの視線が冷たくなった。

話すのも馬鹿らしいと感じた鳥はその両翼を力強く羽ばたかせて、青い空に戻っていってしまった。


「……あっ、名前、聞くの忘れてた」


元の姿へと戻ったドレッドは飛んでいくブラン・カナリーアを見上げながら、書類に書く協力者の名前をどうしようかと少しばかり頭を抱えるのだった。

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