第2話 新生せし肉体

意識を取り戻した時、目に入ったのは清潔感溢れる白い壁だった。

清潔感のある白い塗料が使われた壁、少し視線を動かせば同じような白い天井。

何処かの病室であるのは間違いないが、目が覚めたばかりのミトスがどうして病室で目を覚ましたのか分からなかった。


(はて、確か儂はルナールとの闘いに赴いて……)


寝ころんだまま、記憶を辿っていくミトス。



ヒューマンを筆頭とする“光の勢力”と敵対する“闇の勢力”のリーダー、魔王の幹部——呪法のルナールと戦いを繰り広げた事。


切り札である空間魔法によって、追い込まれた事。


ルナールのカラクリを破って、逆に追い詰めた事。


そして、彼女が命と引き換えに放った呪いから勇者ラグナを庇った事。



(そうか、儂は呪いの影響で意識を失ったのか。こうやって病室に運び込まれているという事は何事もなく、拠点に戻って来れたようだな。)


意識を失った自分がこうやって、最前線にある病院に運び込まれている事に安堵する。

何せ、魔王の幹部を打ち取って意気揚々と凱旋している最中に奇襲を受ける可能性は否定できない。特に意識の無いパーティーメンバー一人を守りながら帰還している状況は敵から見れば恰好の的だろう。


(こうやって、生きているという事は命を奪うような呪いでは無かったようじゃな。体の何処にも異常は————ん?)


ミトスの視界に飛び込んできたのは白魚のような白い肌。

自分の意思に従って、握ったり開いたりしているので自分の右腕あるのは間違いない。だが、記憶の中にある自分の腕はもっと長く、一回り程太かった筈。更に言えば、手のサイズも随分と小さい。まるで子供のような手だ。


(はて……? 儂の手は此処まで小さくなかった筈じゃが……呪いの影響か?)


自分の腕に違和感を覚えたものの、特に驚く事はなかった。

肉体の年齢を退行させる呪いは珍しいが、比較的ありふれたモノである。よく使用される例で言えば、罪人を連行させる時だろう。肉体を退行させれば、抵抗を封じる事にも繋がるため、使用させる場面は多い。


(ふむ、やはり縮んでおるな。大体、12か13ぐらいか。)


身体を起こしてみれば、予想通り肉体が幼くなっていた。

聖剣を振るうラグナや重い鎧や剛斧を扱うガレスが受けると非常に厄介な呪いであるが、魔法使いであるミトスにとってはそれほど厄介では無い。保有する魔力の量や知識までは退行しないので、十全に力を振るう事ができる。


(しかし、儂が知る呪いとは少し毛色が違うな。退行の呪いはあくまで肉体を退行させるだけで肉体を再生させる効果は無かった筈だ。)


そう、退行の呪いは肉体の時間を巻き戻す訳ではなく、その名の通り退行させるだけ。

故に失った部位を元の戻す事はできないのだが、今のミトスは以前の今日に至るまでに失った左腕と右目が再生している。


(フフフ♪ 肉体は若返り、失った部位は再生する。随分と良いことずくめの呪いではないか♪)


ミトスは非常に上機嫌だった。

ルナールの命と引き換えに放たれた呪いだから、危険だと判断してラグナを庇ったが、蓋を開けてみれば失った部位は再生し、肉体は若々しく。確かに筋力も弱体化しているだろうが、魔法使いであるミトスは身体強化の魔法が使えるので十分に補える。


ほとんどメリットしかない呪いを掛けられて、上機嫌になるのは当然だろう。

だが、この直後。そんなテンションを一気に下落させる現実が突き付けられる。


きっかけは若返って自分の姿を一目見ようと姿見に視線を移した事。

ちょうどベッドの真正面に設置された鏡にはミトスの姿が映し出されるのだが、鏡の中に映ったのは長い金髪のだった。


「……はい?」


周囲を見渡しても、病室にはミトス以外の人は居ない。

恐る恐る髪を目の前に持ってくれば、白髪が混じった黒髪ではなく、上質な繊維のような触り心地の金髪。震える手を股座の方に運べば、そこに存在する筈の象徴な存在せず、つるっとした感触があるだけ。


「う、うそっ……」


声の落ち着いた威厳のある声ではなく、鈴を転がしたような可愛らしい声。

幻覚を疑い、頬を思いっきり引っ張ってみても鏡の中の自分が変わる気配はない。ちゃんと痛みも感じるので夢でも幻でも無い事が証明されてしまった。




この時点で、ほぼ天井まで上り詰めていたテンションは急転直下。

最底辺すれすれを這いずり回る。



だが、衝撃はそれだけで終わらなかった。


「そ、それにこの耳と尻尾は……ビースト!?」


頭頂部に聳え立つ鋭く尖った一対の耳。背中にはもふもふして思わず抱き着きたくなるような尻尾がはっきりと存在している。

それはヒューマンという種族には絶対に存在しないモノであり、ビーストと呼ばれる種族の特徴。耳の形状から考えると、モデルは狐であろう。



否定する事はできない。

老齢の魔法使いミトスは、呪いによって可愛らしい狐のビーストへと変えられたのだ!!



「な、なんということじゃ……さっきまで喜んでいた話がバカみたいではないか!!」


「一刻も早く、セリアスの頼んで呪いを解いて貰わなければ!!」と考え、ミトスは靴を履くのも忘れて裸足のまま病院の中を駆ける。

勇者パーティーの神官、セリアスは類稀無い才に恵まれ、最高の師の下で指導を受けたために他の神官とは一線を画した実力を持つ。故に、大抵の呪いは彼女に頼めば解呪する事ができる。


そう信じて疑わない彼———いや、彼女は廊下を駆ける。

随分と小柄になった体を活かして病院を利用する人々の隙間を縫うように走る。


(確か、拠点にしている宿屋はこの病院からだと……)


「こ~ら!!」


「わっ!?」


調子よく床を蹴っていた脚が突然、大地を離れる。

振り返ってみれば、背の高い看護師の女性によって下から抱えあげられていた。


「廊下を走っちゃダメでしょ? 中には危ない道具を運んでる人も居るんだから。」


「す、すまぬ……ちょっと急いでおったのじゃ。」


「もう、今度から気を付けなさいね。—————って、あら?」


「??」


「貴女、特別病室に運び込まれた子じゃない。目が覚めたのね。ちょうどよかったわ。目が覚めていた先生の所に連れてくるように言われていたのよ。」


「ちょ、ちょっと待つのじゃ!! 儂は一刻も早くセリアスに会いに行かなればならないのじゃ!!」


「セリアスって、勇者パーティーの“聖女”セリアス様?」


「そうじゃ!!」


「…………それなら貴女を離す訳にはいかないわ。今はセリアス様に会いに行かない方が良い。とても対応してもらえる状況じゃないから。」


「それなら猶更行かぬ訳にはいかん!! 勇者パーティーの一員、ミトスとして仲間を助けなければ!!」


自分の身の上も明し、ミトスは解放されると思った。

だが、次に看護師から告げられた言葉に衝撃を受ける事となる。


「冗談も大概にしなさい。勇者パーティーのブレイン、賢者ミトスは————」




———呪法のルナールとの闘いで命を落としたのよ?————




「……は?」


「だから、賢者ミトスは亡くなられたのよ。勇者ラグナ直々に葬式に参列されていたから、間違いないわ。」


(儂が……亡くなった……? ラグナの奴がそれを否定しなかった?)


硬いハンマーで殴られたような衝撃だった。

呪いを掛けられる現場にラグナたちは居合わせた。それなら、ミトスが愛らしい少女へと変貌する現場を目撃している筈であり、亡くなったと判断する理由がない。

むしろ、ミトスの死を否定するべきポジションである筈だ。


なのに、それをせずに仲間である筈のミトスの死を肯定している。

これではまるで、彼が死を迎えていた方が都合が良いみたいではないか。


「このっ……!!」


もうなりふり構っている余裕はなかった。

ミトスは細い脚で看護師の胸を蹴っ飛ばす。そして、束縛が緩んだ隙に全力で駆け出した。



行先はもちろん、“闇の勢力”との闘いで命を落とした者を弔う場所——【弔いの碑】である。




・・・・




・・・・・・・




・・・・・・・・・・




戦士者を弔う場所——【弔いの碑】。

最前線の町、エスカティエに設けられた共同墓地で戦死者は例外なく、その由緒正しい地に埋葬される。特に、“英雄”と称される者は墓地の最奥に聳え立つ大きなモニュメントにその名が刻まれ、それを墓石とするのが習わしである。


故に、ミトスはそこを目指した。

舗装された道を走り、階段を駆け上った先にあるのは空のように青い石碑。

風化する事も劣化する事もない不思議な鉱石を用いた石碑の前には今代の勇者ラグナが静かに佇んでいた。


「はぁ……はぁ……」


「やぁ、ミトス。ようやく目が覚めたんだね。」


「ラグナ……これは一体どういう事じゃ?」


そう言って、ミトスは石碑を指さした。

戦死者の名前を刻むその場所にはっきりと刻まれたミトスの名前。それに対して、ラグナは一切悪びれる様子もなく答えた。


「呪法のルナールは無事に倒した、しかし、彼女の死の間際に放たれた魔法から仲間を守るために身を挺した賢者ミトスは命を落としてしまった。それが今の現状さ。遠からず、王国にも賢者ミトスの死は伝えられるだろう。」


「そういう事を聞きたいのではない!! 何故、こんな事をしたのじゃ!!」


「酷いな。周りから後ろ指刺されずにパーティーから抜けられる状況を作ってあげたのに。」


「なん……じゃと……どういうつもりじゃ!? 儂をパーティから外すと言うのか!!」


「……むしろ、僕たちの旅にそのまま付いていくつもりだったのかな?」


「当たり前じゃ!!」


堂々と答えるミトス。

それを聞いたラグナの様子が豹変する。

おっとりとした優男のような雰囲気が消え、相手を射殺すような視線を彼女に向けられる。


そして、今まで向けられた事がない視線にたじろぐミトスにラグナは言う。


「そんな体で僕たちについて来れると思ってるの?」


「確かにまだこの体には慣れておらんが、今まで通り魔法で援護する事は容易い!! 実際、儂の魔法で窮地を切り抜けた場面は多々あった筈じゃ!!」


「そうだね。確かにミトスの言う通りだけど……今まで通りに魔法が使えると思ってるの?」


「もちろんじゃ!! その証拠に……」


そう言って、ミトスは頭の中で術式を思い浮かべる。

選択した魔法は【ゲイルジャベリン・スコールシフト】。

展開した複数の魔法陣から一斉に風の槍を発射する最高位の魔法であるが、強力な魔法であると同時に消費する魔力も多い。もちろん、ミトスなら問題なく扱える魔法であるが……いくら魔法を発動させようとしても何も起こらなかった。


「な、何故じゃ!? 術式は間違っていない。魔力も潤沢に……」


己の内側に目を向けた彼女は言葉を失った。

“王国一の魔法使い”、“賢者”と称された彼女の最大の武器は潤沢な魔力から放たれる多種多様な魔法であった。魔力が多ければ多いほど、強力な魔法をバンバン使えるからである。


だが、今のミトスの中に感じる魔力の泉は非常に小さく、以前の半分以下しかない。

これでは最高位の魔法はもちろん、中位の魔法すら使えるか怪しい。


「そ、そんな馬鹿な・……」


「おそらく、肉体が変異するほどの呪いを受けたせいだろうな。アンタはもう、今までのように魔法を使えない体になっているんだ。」


「だ、だとしても!! 作戦とか対策ぐらいは立てる事ができる筈だ!!」


「そのために足手まといとなった君を戦場に連れ行くと? わざわざ仲間を危険に晒すような事はしたくないな。」


ラグナの容赦ない物言いにミトスは何も言い返す事ができなかった。

今のミトスは無力なビーストの女の子でしかない。騎士道精神なんてモノを持ち合わせていない敵は無力な彼女を人質にして、無理難題を要求しているような事態は十分に考えられる。


「せ、セリアスは何処に居る!? あの子なら、儂に掛けられた呪い程度容易く―――」


「すでに試した後だ。セリアスですら、アンタに掛けられた呪いは解呪できなかった。」


それは絶望の言葉だった。

いや、薄々と感じていた可能性を改めて突き付けられるまで、信じたくなかっただけ。

何とか打開策を探ろうと頭の思考回路をフル稼働させていると、ラグナはため息を吐きながら告げる。


「いい加減にしろよ。」


「あぐっ!!」


思いっきり首を掴んで体を持ち上げられ、気道を圧迫する。

苦しさから解放されようと必死に体を動かすが、鍛えられたラグナの体はビクともしない。


「はぁ……あんまり傷つけないように遠回しに言っても無駄みたいだな。」


「はな……せ……」


「良いか、賢者ミトス。今、この場ではっきりと言ってやろう。」




——— 俺は、お前が。賢者ミトスが大嫌いだ!!―――



それはパーティーメンバーを大切にしていたミトスが一番聞きたくないセリフだった。



「顔を合わせるたびに湧き上がってくるイライラ。それを抑え付けて、平静を装う毎日だったさ!! だが、それももう終わりだ!!」


「かはっ!!」


【弔いの碑】に叩きつけられ、肺の中の空気が根こそぎ吐き出されるミトス。

そんな彼女に目を向ける事もなく、ラグナは高笑いをしながら墓地から立ち去っていく。精神に致命的なダメージを負った彼女はその背中を見つめる事しかできなかった。


「ラグナ、どうして……」


ミトスの精神を反映するかのように空を黒い雲が覆い、しとしとと冷たい雨が降り出す。

それはまるで彼女の心の涙が実体化したかのようだった。

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